表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

5/8

第五話 星花火の夜に、叶わない夢を見る

 国境の街「アルテア」は、かつてない賑わいを見せていた。

 夕暮れの空に、いくつものランタンが浮かび上がっている。街路樹には色とりどりのリボンが結ばれ、通りからは香ばしいスパイスと甘い果実の香りが漂ってくる。

 年に一度、この地方に自生する「星見草」が一斉に開花するのを祝う、星花火(あじさい)の祭りの日だった。


「わぁ……すごい人」


 リリアは外套のフードを目深に被りながら、行き交う人々の波を眩しそうに見つめた。

 彼女の手は、しっかりとクロウの袖を掴んでいる。

 クロウもまた、警戒を怠らず周囲に視線を走らせていた。

 追手である影騎士団を退けたとはいえ、ここはまだ王国の勢力圏内だ。手配書も回っているだろう。


「あまり離れるな。はぐれたら面倒だ」

「うん。……でも、少しだけ見てもいい?」


 リリアが指差したのは、広場に立ち並ぶ露店の列だった。

 ガラス細工、刺繍入りのハンカチ、木彫りの人形。

 キラキラしたものが大好きな少女の瞳が、宝石のように輝いている。

 クロウは溜息をついた。

 本来なら、人目を避けて宿に直行すべきだ。だが、彼女の余命を思えば、これが彼女にとって最初で最後の祭りになるかもしれない。


「……一時間だけだ」

「本当!? ありがとう、クロウ!」


 リリアは弾むような足取りで露店へと駆け寄った。

 クロウはその後ろ姿を見守りながら、ふと自分の胸に手を当てた。

 以前なら感じていたはずの任務の遅滞への苛立ちがない。代わりに感じるのは、彼女の笑顔を守りたいという、奇妙な使命感だけだった。


 二人は人混みを縫うように歩いた。

 怪しまれないよう、クロウは即席の変装をしていた。武器を隠し、伊達眼鏡をかけ、リリアの腰に手を回して祭りに来た若夫婦を装う。

 リリアはその設定が気に入ったのか、やたらとクロウに密着してくる。


「ねえ、あなた。あれ美味しそうよ」

「食い過ぎだ。さっき串焼きを食ったばかりだろう」

「甘いものは別腹なの。ほら、あーん」


 リリアが一口サイズの揚げ菓子を差し出してくる。

 周囲の視線を感じ、クロウは渋々口を開けた。

 甘い。砂糖とシナモンの味が口いっぱいに広がる。

 悪くない、と思ってしまった自分に驚く。


「あ、見て。綺麗……」


 リリアが足を止めたのは、装飾品を売る屋台の前だった。

 彼女の視線の先には、青いクリスタルをあしらった銀の髪飾りが置かれている。

 海の色に似た、深い青色。


「欲しいのか?」

「ううん、いいの。見るだけ」


 リリアは首を振った。

 旅の資金は限られている。クロウが持っていた活動資金と、いざとなればリリアが持ち出した宝石を換金した金があるが、海までの路銀を考えれば無駄遣いはできない。

 彼女はそれを理解しているのだ。

 リリアは名残惜しそうに髪飾りを一瞥し、歩き出そうとした。


「待て」


 クロウは店主に銀貨を投げた。

 そして髪飾りを手に取り、無造作にリリアのフードを少しだけ退け、銀色の髪に挿した。


「え……?」

「海に行くんだろ。なら、少しは海らしい格好をしておけ」


 ぶっきらぼうな言い訳。

 だが、リリアは鏡を覗き込み、頬をバラ色に染めた。

 青い石が、彼女の銀髪と白い肌によく映えている。


「……似合う?」

「ああ。悪くない」


 リリアは髪飾りにそっと触れ、クロウを見上げた。


「ありがとう。一生の宝物にするね」


 一生。

 その言葉の重みが、クロウの心臓を締め付けた。

 彼女の「一生」は、あと三ヶ月もないのだ。


 日が落ち、夜の帳が下りると、祭りは最高潮を迎えた。

 広場の中央で焚き火が燃え上がり、楽団が軽快な音楽を奏で始める。

 人々が輪になり、手を取り合って踊り出す。

 空には、この祭りの名前の由来となった「星花火」――魔法で打ち上げられた無数の光の粒が、金色の雨となって降り注いでいた。


「せっかくだし、踊りましょう、クロウ」


 リリアが手を差し出した。

 逆光の中で微笑む彼女は、この世の者とは思えないほど幻想的だった。


「俺は踊りなど知らん。殺し方しか教わっていない」

「大丈夫。私だって初めてよ。リズムに合わせて体を揺らすだけだもの」


 強引に手を引かれ、クロウは人の輪の中に引きずり込まれた。

 見様見真似でステップを踏む。

 不格好だが、誰も気にしちゃいない。誰もが笑顔で、誰かと手を取り合っている。

 リリアの手は温かかった。

 その体温を感じるたびに、クロウの中で何かが溶けていく。


 一曲が終わると、二人は人混みを離れ、川沿いの静かな土手へ移動した。

 水面に映る花火を見ながら、並んで座る。

 祭りの喧騒が、遠いBGMのように聞こえる。


「……楽しかった」


 リリアが膝を抱えて呟いた。


「生まれて初めて、こんなに笑った気がする。美味しいものを食べて、綺麗なものを見て、あなたと踊って……」


 彼女は夜空を見上げた。


「ねえ、クロウ。もしもね」

「ああ」

「もしも私が、聖女の身代わりなんかじゃなくて、普通の村の娘として生まれていたら……。こんなふうに、誰かと恋をして、大人になって、お婆ちゃんになるまで生きていけたのかな」


 切実な問いだった。

 叶わないと分かっているからこそ、胸を焦がす夢。


「……ああ。きっと、いい人生だっただろうな」


 クロウは短く答えた。

 リリアなら、誰からも愛される素敵な女性になっただろう。

 パン屋の看板娘になっていたかもしれないし、学校の先生になっていたかもしれない。

 そして、その隣には、俺ではない誰かがいたはずだ。

 血に汚れていない、真っ当な誰かが。


「でも、今の人生も悪くないわ」


 リリアはクロウの方を向き、悪戯っぽく笑った。


「だって、普通の女の子だったら、伝説の暗殺者さんとデートなんてできないもの。……私ね、今が一番幸せよ」


 彼女はそっとクロウの肩に頭を預けた。

 甘い髪の匂いが鼻をくすぐる。

 クロウは動けなかった。拒絶することも、抱きしめることもできず、ただ彼女の重みを感じていた。


「クロウ」

「なんだ」

「私を殺す時、痛くしないでね」

「……善処する」

「ふふ。お願いね」


 リリアの呼吸が、少しずつ荒くなっていた。

 はしゃぎすぎた反動だ。身体が熱を持っているのが服越しにも分かる。

 楽しい時間は終わりだ。

 現実は待ってくれない。


「宿に戻ろう。休んだ方がいい」

「うん……もう少しだけ。あと五分だけ、このままでいさせて」


 リリアは目を閉じた。

 遠くで、最後の大輪の花火が上がり、夜空を白く染めた。

 その光の中で、クロウは誓った。

 神になど祈らない。

 俺が、この命を削ってでも、彼女に残された時間を守り抜く。

 たとえ世界中を敵に回しても。


 ーーー


 翌朝。

 宿を出発する際、クロウは気配の変化を感じ取った。

 街の空気が張り詰めている。

 検問が強化されている。

 そして何より、背筋を這い上がるような、冷たく粘着質な殺気。

 覚えがある。

 これは、影騎士団のような生温いものではない。


「……師匠(ボス)か」


 クロウはリリアを先に馬車に乗せ、振り返った。

 人混みの彼方に、黒い影が見えた気がした。

 暗殺ギルドの長。クロウに殺しの全てを叩き込んだ男。

 最強の追跡者が、動き出したのだ。


「クロウ? どうしたの?」

「いや、なんでもない。行くぞ」


 クロウは御者台に飛び乗った。

 手綱を握る手に力が入る。

 ここから先は、本当の地獄だ。

 だが、恐れることはない。

 背中には、俺が唯一守るべきものが乗っているのだから。


 馬車が動き出す。

 リリアの髪飾りが、朝日に煌めいた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ