第四話 追跡者との攻防
森の木々がざわめく。
風の音に混じって、鋭利な殺気が肌を刺す。
クロウはリリアを廃教会の石壁の陰に隠し、自らは入口の前に立った。
「動くなよ」
「うん……気をつけて」
リリアの不安げな声を背に受け、クロウは短剣を逆手に構えた。
森の奥から現れたのは、黒い鎧を纏った騎士たちだった。
王国の精鋭部隊「影騎士団」。
表向きは存在しないとされる、汚れ仕事専門の部隊だ。その数は十名。
「見つけたぞ、裏切り者のクロウ」
先頭に立つ騎士が剣を抜く。
かつてクロウと共に任務をこなしたこともある男、ガレインだ。
「聖女を返してもらおうか。あんな壊れかけの人形、連れていても足手まといだろう?」
「……言葉を慎め」
クロウの瞳が冷たく光った。
人形。壊れかけ。
以前の自分なら、同じように呼んでいただろう。
だが、今の俺は知っている。彼女がどれほど温かく、強く、美しい心を持っているかを。
「悪いが、彼女は人形じゃない。今は俺の依頼主だ」
「ハッ、笑わせるな! 世紀の天才暗殺者様がターゲットと2人で逃亡劇とは! 一体どういう了見だ?」
ガレインは顔に笑みを浮かべたまま、ゆっくりと腰の剣を引き抜いた。
「いずれ死ぬとは言っても、聖女の力は強大だ。その力で国に楯突かれたら、こちらとしても面倒だからな。悪いがここで始末させてもらうぜ。俺たちを裏切ったこと、後悔させてやるよ」
ガレインの合図で、騎士たちが一斉に襲いかかってきた。
王国が誇る精鋭騎士たちが、陣形を保ったまま一瞬で距離を詰めてくる。
四方八方からの斬撃。
だが、クロウの世界では、彼らの動きは止まって見えた。
キンッ!
金属音が響く。
クロウは最小限の動きで初撃を弾き、流れるような動作で騎士の懐に潜り込む。
短剣の柄で顎を打ち抜き、意識を刈り取る。
一人、また一人。
殺しはしない。死体が増えれば足がつくし、何より、自分が人を殺しているところをリリアに見せたくない。
骨を折り、筋を断ち、戦闘不能にするだけに留める。それはただ殺すよりも遥かに高度な技術を要した。
「チッ、甘いな! 殺し屋が不殺とは!」
ガレインが焦りを滲ませながら、大剣を振り回す。
その一撃は重く、石畳を粉砕する威力がある。
クロウは紙一重で回避するが、頬に浅い傷を負った。
「リリア様! そいつは人殺しです! 騙されないでください!」
ガレインが叫ぶ。
クロウの動きが一瞬止まった。
そうだ。俺は人殺しだ。リリアもそれを知っている。
だが、改めて他人の口から言われると、胸が苦しくなる。
今のガレリアの言葉は、俺とリリアを分断させるための作戦に過ぎない。
そんなことは分かっているのに。
彼女に、軽蔑されたくない。
そんな迷いが、剣筋を鈍らせた。
「隙ありィッ!」
ガレインの大剣が、クロウの脇腹を捉える――寸前。
「やめて!!」
悲痛な叫びと共に、青白い光が弾けた。
リリアだ。
彼女が隠れ場所から飛び出し、クロウの前に立ちはだかったのだ。
彼女の身体から溢れ出した魔力が、障壁となって大剣を弾き飛ばした。
「なっ……聖女の力だと!? 魔力を放出するだけで俺の剣を止められるレベルとは......!」
ガレインが驚愕し、後ずさる。
リリアはその場に膝をついた。魔力の使いすぎだ。ただでさえ弱っている身体に、致命的な負担がかかる。
「リリア!」
クロウは彼女を抱き留めた。
彼女の呼吸は荒く、また熱が上がっている。
「馬鹿野郎! 出てくるなと言っただろう!」
「だ、だって……クロウが……!」
リリアは苦しげに、それでも懸命にガレインを見上げた。
「傷つけないで……。この人は、私を守ってくれているだけなの……!」
その言葉に、クロウの中の迷いが消えた。
俺は人殺しかもしれない。だが、今は彼女の「守り手」だ。
それだけで十分だ。
「……終わりだ」
クロウはリリアを背後に庇い、ガレインを睨みつけた。
もう手加減はしない。殺しはしないが、二度と追って来られないほどの恐怖を刻み込んでやる。
クロウの姿が掻き消えた。
神速の踏み込み。
ガレインが反応する間もなく、クロウの短剣が彼の喉元に寸止めされた。
「ひっ……!」
「二度と俺たちの前に現れるな。次は心臓を止める」
氷のような殺気。
ガレインは腰を抜かし、剣を取り落とした。
勝負ありだ。
騎士たちが撤退した後、クロウは肩で息をしながら短剣を納めた。
手は血で汚れている。自分の血と、返り血だ。
リリアの方を向けない。
こんな汚れた手で、彼女に触れていいはずがない。
「……行くぞ。今のうちに距離を稼ぐ」
背を向けたまま歩き出そうとした時、リリアがその手を掴んだ。
「待って」
彼女は懐からハンカチを取り出し、クロウの手についた血を丁寧に拭い始めた。
恐れも、嫌悪もなく。ただただ優しく。
「汚い……触るな」
「汚くないわ」
リリアは首を振った。
「あなたの手は、私を守ってくれる手よ。誰よりも強くて、温かい手」
綺麗になったクロウの手を、リリアは両手で包み込み、自分の頬に寄せた。
「ありがとう、クロウ。私を守ってくれて」
その瞳には、全幅の信頼が宿っていた。
クロウは、何も言えなかった。
今まで何百人もの人間を殺めてきたこの手が、彼女にとっては「救いの手」なのだという。
こみ上げてくる熱いものを、クロウはぐっと飲み込んだ。
「……傷の手当てをする。じっとしてろ」
「ふふ、優しいのね、死神さんは」
二人は再び歩き出した。
雨上がりの森に、木漏れ日が差し込んでいる。
繋いだ手の温もりが、クロウの心に深く刻まれた。
しかし、彼は気づいていた。
リリアの歩幅が、昨日よりも狭くなっていることに。
そして、彼女の掌が、以前よりもさらに冷たくなっていることに。
残された時間は、確実に減っている。
急がなければ。
海へ。
彼女の命が輝いているうちに。




