第1話「ひらめきと出会い」
パシャッ、パシャッ──。
「ラスト1枚お願いしまーす!」
「お疲れさまでしたー!」
いつも通りの撮影現場。
企業案件で雇われた俺は、決められた背景、決められたポーズで、決められた商品を撮る。
誰が撮っても変わらないようなカットばかり。
──田中徹、27歳。彼女いない歴=年齢。
映像の専門学校を出て、そのまま業界へ。
いまはフリーのカメラマンをやっている。
撮影が終わって、機材を片づけながら、ふと虚無感がよぎる。
(……こんなんで、いいのか?)
カメラは好きだ。
でも、いつから「誰かの言う通りに撮る」だけの仕事になったんだろう。
自宅に帰って、シャワーを浴び、冷えたレトルトカレーを流し込む。
そして夜になると、なにも考えずにYouTubeを開く。
再生リストはガジェット紹介か、地下アイドルのライブ動画ばかり。
ふと、目にとまった一本の動画があった。
『彼氏目線で送る、理想のデートVlog』
(なんだこれ……)
再生すると、スマホで撮ったような映像だった。
彼女の横顔。手をつなぐ仕草。笑い声。
演技くさいけど、どこかリアルで、なんとなくドキドキする。
(画質も構図もダメダメだけど……)
それでも目が離せなかった。
“彼氏目線”という視点に、強烈な没入感があった。
(これ、俺のカメラでちゃんと撮れば、絶対もっと良くなる)
いつの間にかペンを握っていた。
脳内で、絵コンテが走る。
ライティング、レンズの焦点距離、BGMのトーン。
「……いける」
思わず声に出していた。
本物みたいな恋愛を、でも演技じゃない“ときめき”で撮る。
AVじゃない。ガチ恋営業でもない。
俺のカメラで、“本当に可愛い”を撮る。
(よし、機材を見に行くか)
その翌朝。
俺はリュックにチェックリストを詰めて、秋葉原へと向かった。
──日曜の秋葉原は、いつものようにごった返していた。
陽の光を反射するビル群、雑多な看板、人の波。
オタクも外国人観光客も入り混じって、カオスな空気が漂っている。
目的地はいつも行っている中古カメラ屋。
途中、電気街口を出た交差点で、ちょっと珍しい光景が目に入った。
(……ん?)
人の流れのなか、ひとり立ち止まっている女の子がいた。
地味なグレーのパーカーに、アニメキャラのトートバッグ。
眼鏡の奥の目はきょろきょろして、明らかに人混みに慣れていない様子。
すこし身体を揺らしながら、周囲を気にしている。
(……大丈夫か?)
次の瞬間、彼女が歩き出そうとしたとき、トートのストラップが手すりに引っかかった。
「あっ──」
身体のバランスが崩れる。
あわてて手を伸ばす。自然と、俺は駆け寄っていた。
「危ない!」
「わっ……!」
彼女の腕をつかむ。ぎりぎりセーフ。
転ばずに済んだその顔が、驚きで俺を見つめ返す。
「……あ、あの、す、すみません……」
「大丈夫?」
「はい……ありがとうございます……っ」
思ってたより、声が可愛かった。
いや、今のはテンパってただけか。
でもそのとき──
彼女がふと、ほんの一瞬だけ笑った。その目が、ふいにこちらに向けられて。
(……綺麗な目、してるな)
素顔は童顔気味で、メイクも薄い。
服装は地味だし、オーラも正直ない。
でも、なぜか、目だけがやけに印象に残った。
原石。そんな言葉が浮かんだ。
──この子は、きっといつか俺がレンズ越しに夢中になる、“推し”に変わっていくんだろう。
俺の中のカメラマンとしての本能が、妙に騒いでいた。
「えっと、俺、田中って言います。カメラマンやってて」
「あ……はい……」
「突然で悪いんだけど、もし良かったら──」
言いかけて、少しだけ悩む。
“スカウト”という言葉は、この界隈では危険だ。
下手すれば通報される。
でも、どうしても……この子の「素」を撮ってみたかった。
「女の子の自然な魅力を撮る動画を作ってて。AVとかじゃないから、安心してほしいんだけど……モデル、興味あったりしない?」
彼女の表情が、ぱちんと固まる。
(あ、やばい。やりすぎたか?)
「……怪しいですよね、すみません。忘れてください」
俺が頭を下げかけたそのとき——
「……あの、ちょっとだけ、詳しく聞いてもいいですか?」
そのたまま立ち話はなんなので、近くのカフェに入ることになった。
アニメのポスターとフィギュアが並ぶ、オタクに優しい店内。
「ミルクティーで」と頼んだ彼女の前に、それを運んで席に戻る。
(……なんで俺、今女の子とカフェにいるんだ?)
正直、状況がまだ飲み込めてない。
「じゃあ、まずはちゃんと自己紹介しようか。俺、田中徹。27歳で、カメラマンやってる」
「堂本明日香です。21歳で……普通の大学生、のはず……」
「“のはず”って(笑)」
「ちょっと……オタク趣味が多いから、周りには言えてなくて……」
「わかる。それも含めていいじゃん。で、さっき話したことなんだけど……興味ある?」
「はい……なんだか自分を変えたいって思ってて……もしよかったら、詳しく話を聞かせてもらいたくて……」
そう言って、少し恥ずかしそうに目をそらす。
「……彼氏目線の、デートっぽい映像を考えてたんだけど、リアルっぽさとか、素の可愛さを映せたらなって思ってて」
「それって……顔って、映りますか?」
「うーん、できれば。けどもちろん、嫌なら映らなくても大丈夫だよ」
「……それは、ちょっと……」
明日香の反応は思ったよりも強く、食い気味だった。
「ごめん。嫌だったよな。無理にとは思ってないんだ」
「……違うんです。責めてるんじゃなくて……ただ、私、自分の顔に自信がなくて……」
俯きながら、カップを両手で包む明日香。
オタクっぽい自分を、どうしても卑下してしまうらしい。
「でもさ、駅前で話しかけてきたときの笑顔──俺、あれすごく可愛いと思ったよ。ああいう感情が表情に出る子って、映像にすごく映えるんだ」
「……それは、嬉しいけど……」
「無理に顔を出せとは言わない。けど、少しずつ“見せたい自分”を見つけていけたらいいなって。撮られながら、自信って育てられると思ってるんだ」
「……育てる、ですか」
「うん。表情を覚えて、自分の“可愛い”を知っていく。だから最初は顔出さなくていい。ナチュラルに、無理なくやっていこう」
その言葉に、明日香は少し目を潤ませながら、ふっと表情を和らげた。
「……ありがとうございます。田中さんの言葉って、なんだかあったかくて」
「え、そんなキャラだっけ俺(笑)」
「ふふっ、わかんないけど、そう感じました」
(……こういう表情、やっぱりいい)
「じゃあ、初撮影は来週末くらいでどう?」
「大丈夫です」
「服のサイズ教えてもらってもいい?」
「えっと、上はMで、下はSです」
「了解。メイクとヘアは知り合いに頼むから、安心して」
「すごい……本格的なんですね」
「せっかくやるなら、ちゃんとやりたいしね。あ、連絡先、交換しようか」
「はい」
スマホを差し出すと、彼女の指が少し震えていた。
その仕草さえ、なんだかいとおしい。
「好きな作品とかある? アニメとか」
「えっと……アイ〇スっていうアイドルものが好きで……」
「マジで? 俺もハマってた!ライブBlu-ray全部持ってる」
「えっ、ほんとですか!?」
「話、合いそうだね」
ぱあっと、彼女の顔が明るくなる。
その笑顔を見た瞬間──胸の奥が、ふっと温かくなった。
たぶん、まだ“推し”って呼ぶには早い。
でも、たしかに心が動いた。
この子は、きっといつか俺がレンズ越しに夢中になる、
“推し”に変わっていくんだろう。
──そして今日も、推しが可愛い。