第30話:港へ
翌朝、目を覚ましたマリサはハッとした。
すぐそばでエヴァが健やかな寝息を立てている。
どうやらあの後、寝落ちしてしまったようだ。
(サイラスさんは……)
体を起こしてソファを見ると、そこはもぬけの殻だった。
(もう起きたんだ……)
(どうか寝顔を見られてませんように……)
祈るような気持ちで着替えると階下に行く。
「おはよう、マリサ。よく眠れたか?」
「は、はい……」
マリサはちらっとサイラスを見た。
「あの、寝顔……」
「どうした?」
「いえ、何でもないです」
サイラスはいつもと変わらない。
彼にとって、マリサと同じ部屋で眠るなど、特に意識することもないのだろう。
(ドキドキしたのは私だけね……)
起きてきたエヴァと朝食をとり、三人は馬車に乗って港に向かった。
「私も行っていいんですか?」
「ああ。店も休みだし、久しぶりに町の外に出るのも気分転換になるだろう。うまいパエリアを出す店があるんだ。食べて帰ろう」
「はい!」
サイラスの気遣いが嬉しくて、マリサもいそいそと同行することにした。
(港か……)
不安と希望を胸に港に降り立ったことを思い出す。
サニーサイドに来てから、もう一ヶ月以上たつ。
(信じられないわ……)
今はもう、すっかりサニーサイドでの生活に馴染んでいる。
居場所があり、仕事があり、知人もたくさんできた。
(まるで夢みたい)
マリサはそっと傍らのサイラスを見た。
自分の運がよかったのだという他ない。
(全部サイラスさんのおかげだわ……)
*
港は今日も賑わっていた。
「わあ……」
波止場にはずらりと船が並び、絶え間なく人が行き来している。
「じゃあ、エヴァを船に乗せてくる」
しゅんとした表情だったエヴァがサイラスに抱きつく。
「また……会いに来るから!」
「次はお付きの者と一緒に来てくれるとありがたいんだが」
エヴァがぷいっと顔をそらせると、マリサに抱きついた。
「マリサ、いろいろありがとう」
「ううん、元気でね」
エヴァがきゅっと背中に回した手に力を入れる。
「私、まだサイラスのことを諦めていないから」
「えっ?」
「ライバルだね」
エヴァがそっと体を離すと片目をつむってみせる。
「じゃあね、マリサ」
「マリサ、その辺りでお茶でも飲んで待っていてくれ」
マリサは連れ立って去っていくサイラスとエヴァの背中を見つめた。
(ライバルって、そんな……)
(別に私、サイラスさんと恋仲になりたいわけじゃ……)
(なんだろう。顔が熱い……)
マリサはドキドキする胸を落ち着かせるように、早足で歩き出した。
「あっ!」
男性にぶつかったマリサは思わず声を上げた。
「すいません!」
謝った瞬間、マリサは手首をつかまれた。
「えっ……?」
「おい! 俺の金を返せ!」
目つきの鋭い男に睨まれ、マリサは硬直した。
「俺の財布をすっただろう!」
「そんなことしてません!」
マリサは驚いて叫んだが、男は手を握って放さない。
「嘘をつけ!」
男が声を荒げる。
もともと人通りが多かったせいか、あっという間に人垣ができた。
周囲の視線を浴び、マリサはおろおろした。
(ど、どうしよう――)
「じゃあ、バッグを見せろ!」
男が乱暴な手つきで、マリサのバッグに手をかける。
「あっ!」
止める間もなく、無理矢理バッグを開けられる。
「ほら、あった!」
勝ち誇った男の声が通りに響く。
信じられないことに、男の手に見たことのない財布があった。
「私、そんなことやってません!」
「嘘をつけ! おまえのバッグから財布が出てきたんだぞ!」
目の前が真っ暗になる。
つらい記憶が一気に蘇ってくる。
――嘘をつくな!
――おまえがやったってわかっているんだ!
貴族たちの前に引きずり出され、糾弾された日々。
(誰も私を信じてくれなかった)
(真面目に聖女の務めを果たしてきたのに……)
「わ、私……」
涙があふれて目の前がぼやけた。
声が詰まる。
(どうやったら無実を証明できるの……?)
「さっさと謝れ! 詫びに金を払ったら許してやるよ!」
男が乱暴に体をゆすってくる。
マリサは呆然とされるがままになっていた。




