第2話:同居の申し出
思わぬ申し出に呆然としているマリサに、黒髪の青年が穏やかに続ける。
「俺のせいだからな。責任を取らせてほしい。今、一軒家に一人暮らしだ。部屋ならあるし、タダでいい。もちろん食事も出す」
「そ、そんな――悪いです!」
赤の他人に世話になるわけにいかない。
それに目の前の青年は誠実そうだったが、いきなり知らない男性の家に住むのは抵抗があった。
サイラスはすぐにマリサの戸惑いに気づいたようだ。
「確かに出会ったばかりだし、俺は男だ。警戒するのも無理はない」
サイラスが胸に手を当てる。
「誓ってきみに手出しはしない。婦女子を守るのは騎士の――」
言いかけて、青年が苦い表情になった。
「もう王国の騎士ではないが、騎士道精神だけは忘れていない」
青年がすっと片膝をつくと、マリサを見上げた。
青い瞳が真摯な光を帯びる。
「俺の名はサイラス・ネイト」
「えっ……」
聞き覚えのある名前にマリサは絶句した。
サイラス・ネイト。黒髪で長身の元騎士――。
マリサの中ですべてが繋がった。
(敵国、ゼルニア王国の最強の黒騎士だわ!!)
マリサの故郷、ルーベント王国と長年国境を挟んで小競り合いを繰り返しているのが、ゼルニア王国だ。
(まさか、敵国の騎士がいるなんて……)
目の前にいるのが思わぬ人物だと判明し、マリサは硬直した。
何も気づかないサイラスが自己紹介を続ける。
「ゼルニア王国出身の元騎士だ。きみは?」
「あっ、えっと……」
ルーベント王国出身と言わない方がいいだろう。
(敵国の人間だとわかれば殺されるかも……)
なぜ高名な騎士がここにいるのかわからず、マリサはびくびくした。
「私はマリサ・レーデ……」
本名を言いかけて、マリサはハッとした。
マリサは王子の婚約者となった、有名な聖女令嬢だった。
そして、婚約破棄をされたマリサが国を追放された時は大騒ぎになった。
マリサ・レーデンランドの名前は、稀代の毒婦聖女として近隣諸国に鳴り響いている。
(万一、彼が知っていたらまずい!)
マリサはコホンと咳払いをした。
「マ、マリサ・レーデンです。よろしくお願いします」
「マリサ」
サイラスが片膝をついたまま、すっとマリサの手を取った。
その誠実な表情にマリサの胸は射貫かれた。
(なんて濁りのない目をしているの……)
マリサはサイラス透き通った青い目に目を奪われた。
「きみをすべてのものから守ると俺の命にかけて誓う。きみを守らせてほしい」
「あ、あの……」
サイラスが背中の剣を外すと、柄を差し出した。
「きみに剣を捧げる。俺をきみの騎士にさせてくれ」
「……っ!」
(これって……騎士の誓い……!)
敵国の風習だが、よく知っている。
ゼルニア王国の騎士が剣を捧げる相手に、絶大な忠信を捧げることを。
女性に対しては、求婚の誓いに等しいと聞く。
「えっ、あの……」
サイラスは剣を捧げたまま微動だにしない。
ただただマリサの返答を待っているのだ。
静かに頭を垂れるその姿は、無慈悲な黒騎士として名を馳せた人物とはとても思えない。
(ど、どうしよう……)
(なんで私なんかに剣を……!)
(ペンダントのせい? なんて責任感の強い人なの!)
正直、彼を怖いと思う自分がいる。
だが、同時に優しい人だとも思う。
サイラスは出身地を言わないマリサを問い詰めなかった。
(剣を捧げられるのは初めてだわ……)
マリサの故郷、ルーベント王国にも騎士はいる。
王子の婚約者だったせいもあるかもしれないが、マリサを命に替えても守ると言ってくれた人はいなかった。
追放が決まった時も、家族ですらかばってくれはしなかった。
聖女で王子の婚約者だったマリサをちやほやしていた人々は、潮が引くように去っていった。
何もかも失った自分に手を差し伸べてくれたのは、目の前にいる黒髪の元騎士だけだ。
(この人を信じてみたい……)
マリサはそっと剣の柄に口づけた。
「貴方を私の騎士と認めます」
マリサの凜とした口調に驚いたのか、サイラスが目を見開く。
マリサはぺこりと頭を下げた。
「よろしくお願いします。お世話になります」
「こちらこそよろしく、マリサ」
サイラスの表情が柔らかくなった。
彼が薄く微笑んだと気づく。
それだけでマリサの胸はドキドキした。