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最終章 最後の魔法を、あなたへ

空が白み始める。

夜明けが、最後の時がとうとう訪れようとしていた。

レニスは込み上げる寂しさを押し殺して、何とか笑顔で少女に問いかける。

「最後に、したいことはあるかい?」

少女もこれが最後の過ごす時間になることを予感していたのだろう。

真剣な面持ちで考えてから、答えた。

「——抱きしめて」

少女の思わぬ最後の願いに、レニスは少し驚く。

「抱きしめてほしい。そしてゆっくりお話しましょう。レニスの腕の中で、最後を迎えたいの。」

真摯な願いだった。

「ダメ…?」

断るわけがなかった。

「ああ、そうしよう。」

レニスは微笑むと、少女の体を抱き上げた。


お姫様抱っこの格好で、屋敷の裏にある大きな木に向かう。

しんと静まり返り、草木は朝露を纏っている。

夜の静けさから朝の静けさへと、世界はその様相を変えつつある。

「ここでいいか?」

「うんいいよ。ここがいい。」

少女はこくりとレニスの腕の中で頷いた。

少女を抱えたまま、木の根元に腰を下ろす。

それはオムニスが眠る木だった。


東の遠くの空が、藍色と淡い橙色と白色を混ぜたような色を見せている。

終わりを告げる空の色。

少女はレニスの膝の上からぼんやりと眺める。

夜空を侵食していく朝焼けの光と共に、

寂しさが胸の奥底から滔々と溢れ出してくる。


レニスは、少女の小さな身体ををそっと抱きしめた。

少女も応えるように、レニスの首に手を回す。

「ふふふ。もう、レニスは寂しがり屋さんだね。」

呆れたように笑っているが、その言葉には優しさが満ち溢れている。

「ああ、俺は寂しがり屋だよ。寂しいに決まっているじゃないか。」

少女を悲しませないようにと、気丈に大人びた態度を貫いてきたつもりだったが、

その余裕はレニスにはもう無かった。

もうそんな見栄を張る必要もないのかもしれない。

たった一晩で、二人は全てを分かち合ってきたのだ。

分かち合いすぎたのだ。


少女はレニスの黒い髪をそっと撫でた。

そして、頭上に伸びる大きな木を見上げた。

その木はオムニスが大事に育てていたものだと少女は言う。

「秋になると、可愛い実がついてね、オムニスがそれを取って食べさせてくれるの。ちょっぴり酸っぱいけど美味いしくってね、ジャムにもするんだよ。オムニスが実を小さく切ってね、お鍋でぐつぐつ煮て、それをかき混ぜるのが私の仕事なの。お砂糖と木の実の甘い匂いに包まれて、あの時間が大好きなんだ。」

少女は鍋をかき混ぜるようなジェスチャーを加えて楽しそうに教えてくれた。


しかしその明るい顔はやがて消え入り、少女は目を伏せる。

銀色の睫毛の奥で、暗い青色の瞳が揺れている。

「私は…、オムニスと同じところに行くんだね。」

「ああ…、そうだな。」

レニスはうまく言葉を紡ぐことができなかった。

少しの沈黙の後、少女は独り言のように問いかける。

「人は、死んだらどうなるのかな…」

ついに手で触れられそうなところまで死が迫っている事実を実感し始めたのだろう。

しかし、レニスは答えられない。

魔法使いでも、死後の世界までは見ることはできない。

そもそも死後の世界なんてものがあるのかすらも分からない。

ここからは想像、いや、願いの話。

「君は、これから少し長い眠りにつくだけだ。ぐっすりと眠って、たくさん楽しい夢を見るんだ。」

レニスは微笑んで、静かに少女に話す。

「たくさんの夢が見れるのかぁ、それは素敵ね!」

少女は安心したようににっこりと笑顔を見せてくれる。

そしてその顔のまま、夢見る少女のように続ける。

「私、眠っている間に見る夢って大好き。怖い夢を見ちゃうこともあるけどね、起きている時にはできないような世界に連れて行ってくれるの。ふわふわして、不思議だけれど、毎日違う絵本を読めるみたいでとっても楽しいから!」

夢の中で動物たちと草原を走り回る少女の姿を想像した。

そんな世界が待っていることをレニスは心の中で強く願う。


楽しい話をして少女の寂しさを拭ってやろうと、レニスは話題を振る。

「知っているかい?夢っていうのはな、寝る前に念じることで自分の好きな夢を見られると言われているんだ。君は、どんな夢が見たい?」

少女は興味深そうに、その話を聞いていた。

「うーん、そうだなあ、たくさんありすぎて困っちゃうよ。」

えへへ、と可愛らしく目を細める。

そして、あれでしょ〜これでしょ〜と小さな指で数えながら、

少女は無邪気に夢の世界に想いを馳せた。

「まずは、オムニスに会って、これまでのお話をたくさんするの。お庭のお花が綺麗に咲いたこととか、お部屋のお掃除を頑張ったこと、お料理ができるようになったこと、オムニスの好きだった木が今年も可愛い実をつけたこととか!」

そう言って少女は木を見上げる。

「あとはねあとはね!大好きな絵本に出てくる子たちと遊べたらいいなぁ。王子様とお姫様に会って美味しいもの食べて、お馬さんに乗って、小人さんたちとおままごとして!でね、そのあとはね…」

熱心に語っていた少女だったが、突然言葉を紡ぐのをやめた。

視線を上げて、口を開く。


「——もう一度、レニスと会いたいな。」

レニスの鼓動が、跳ねる。

「もっとたくさんレニスとお喋りして、いろんなところに行って、いろんなものを食べて、疲れたら寝転んでまたお星様を見るの。今度はず〜っと一緒にいたいな。だって、この夜だけじゃ短すぎたんだもの……」

その言葉にレニスは胸が張り裂けそうになる。

「ああ、そうだな。短すぎたもんな。楽しかったもんな……」

「うん、とっても!ねえレニス。夢の中でまた、会えるかな?」

少女の請うような表情に、張り詰める心が、中までぐちゃぐちゃにされる。

同じ夢が見れたなら、どれだけ幸福だろうか——。

それがたとえ永遠の眠りだったとしても、

この残酷な世界で生き続けることよりも、遥かに救いのある響きに聞こえる。

だからレニスも、懇願するように答える。

「会える、会えるさ…。今度は、ずっと一緒にいよう…。もっとたくさん遊ぼう。」

喉で何かが絡みついて、うまく声が出ない。

「フロスにも会ってみたいなぁ。3人でお話ししたい!」

「ああ、もちろんだ。きっとフロスも喜ぶよ」

それを聞いて少女は嬉しそうに笑った。

その笑顔に突き動かされ、再びレニスは少女を強く抱きしめる。

レニスの匂いを、体温を確かめるように、少女も顔を深く埋める。


互いの存在を刻み込むように、二人は静かに抱きしめ続けた。



◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆



「すっごく楽しかったけれど、やっぱり短すぎたなあ…」

ふと、少女が口を開く。

この世に生を受けて、たったの3000日。

呪いにかかり、生まれたその時から、死の運命が決まっていた少女。

これからもっとたくさんの喜びや幸福を知って、

大きく成長していくはずだったのに。

「ねえ、レニス?人はみんな、死んでしまうことを嫌がるし、怖がるよね。

生きて、生きて、たくさん生きて、楽しいことを見つけることが生きる理由で、

生まれた理由なんだよね、きっと。」

安直に肯定することができず、レニスは口を閉ざす。

この少女を前にして、それが正解とは思いたく無かった。

どうしてこの子が死ななければいけないのか。

この夜の中で、何度も噛み締めてきたそんな苦い思いが、

レニスの心の中で再びじわりと滲む。

「だから、8年しか生きられなかった私のことを見て、多くの人は悲しむよね。たったの8年しか生きられない私を見て、悲しい命だって言うよね。」

レニスは黙って聞いている。

今すぐ反論したい。

そんなことはないと、言ってやりたい。

だがうまく言葉が出てこない。

そんなことはないと言い切れる権利など、自分にはないから。

この夜が終わったら、自分の命を終えようとしている自分に。

せっかくもらった命を、自ら投げ出そうとしている愚かな自分に。

そんな権利があってたまるか。

しかし、

「私はね、」

続けて語る少女の顔は、悲しいものではなかった。


「そうは思わないよ。どんなに短かったとしても、死んでしまうとしても。

それでも生まれてきてよかったって、今は思うんだ。」


その瞳に宿る輝きが、暁光のようにレニスの暗澹たる心に光をもたらす。


「だって、だって…。レニスと出会えて、たくさんの楽しいを知れて、この世界の美しさを知れて…。今この胸の中いっぱいにある幸せな気持ちは、絶対に本物だもん。」


力強く誇らしく、世界に向けて断言する。


「この幸せな気持ちに意味がないなんて、絶対に言わせない。悲しい命だなんて、

誰にも絶対に言わせないよ」


少女と過ごした美しい夜の幸せな感情が、レニスの中にも駆け巡る。

たったの数時間だったかもしれない。

たったの一夜だったかもしれない。

それでも、本当にかけがえのない時間だった。

少女は胸にその小さな手を重ねて、溢れ出る幸せを噛み締める。


「短い人生だったけれど、私は今ならこう言えるよ。生まれてきて、本当に良かった。今まで生きてきて、本当に良かった。」


そして、レニスの頬に優しく触れる。


「こう思えたのは、レニスのおかげだよ。レニスが私のところに来てくれたから。

最後の夜にレニスに出会えたから。今までの悲しい日々も、寂しい日々も、生まれてきたことにも意味があったって今笑えてるの。たとえ3日の命だったとしても、

最後の夜にレニスが来てくれたなら、きっと私は同じことを思うよ。

だからね、レニス…。」


少女は幸せをその目いっぱいに滲ませて、


「本当にありがとう。」


レニスに笑顔を見せた。


「私の命に、意味を与えてくれてありがとう。」


それは、花のように可憐な笑顔だった。

最後まで美しく、力強く咲き誇った銀色の花束が、レニスの腕の中にあった。


この笑顔が、見たかったんだ。

この笑顔を見るために、自分は魔法を磨いてきたんだ。

魔法に人生を、捧げてきたんだ。

今まで、生きてきたんだ。

レニスの全てが、報われる。

レニスの心に巣食っていた後悔の闇が、大粒の涙となって消えていく。


「もう、レニスは泣き虫さんなんだから。」

「うるさい、俺は泣き虫なんだ…。」

少女はレニスの頭を、再び優しく撫でた。



◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆



空はもう二人の頭上まで、地平線の向こうの朝日に染められつつある。

濃い橙色を超えて、それは透き通った白色に近い。

もう二人に残された時間は僅か。

レニスの頭を撫でていた少女は、意を決したように口を開いた。

「レニス、最後に私のお願い事、一つしてもいいかな?」

「最後とか言うな…。何個でも聞いてやるさ…」

「本当に…?」

レニスは涙を拭いて、強く頷いた。

「じゃあ、約束だよ。絶対に、絶対に叶えてね」

「ああ、約束するよ」

「ありがとう。じゃあね、」

少女は微笑んでから、レニスを真っ直ぐに見据えて、言った。


「——レニス、生きて。」


「……?」

どういう意味なのか掴み損ねる。

でも本当は、分かっていた気もする。

彼女が言わんとしていることを。

それは全てを分かち合っても、唯一彼女に隠し続けてきた真実。

しかし、あまりの突然に、演技で自身がとぼけたのか、

本当に分からなかったのか自分でも分からなくなる。

「お願いレニス。死なないで。これからも生きて、生き続けて。」

懇願するように、少女は訴えた。

「どうして…、」

「私、知ってるの。レニスが死のうとしていること」

レニスの呼吸が止まる。

「な……どうして……っ!」

「こんな危ない森に夜中に一人で入ってくる人なんて、いないもの。

それに……。お屋敷に入ってきた時のレニス。とっても悲しい目をしてた…」

少女には、全てばれていたのだった。

願いごとを口にする前の、少女のいつもと違う固い表情。

不思議と何度も念を押すような言葉。


約束…。絶対に叶えて…。


全てはこのためだったのだと今になって気づく。

悔しさと、置いていかれる寂しさと、少女の優しさに対する愛おしさとが、

激しく渦を巻いて吐き出される。

「そんな……そんなの……!!ずるいじゃないか……!!」

少女は黙っている。


決められた刻に、死ななければいけない恐怖。


その恐怖と少女は戦ってきた。

対してレニスは違う恐怖と戦ってきた。

それは、


生きる意味を失った世界と人生を、”生き続けなければいけない”恐怖。


そしてこれからもその恐怖と戦っていけと、少女は告げる。

その最後の願いの残酷さに、レニスは狼狽える。

なぜならレニスは今まさに、

さらに増えてしまった大切なものを失おうとしているのだから。

「俺をもう…っっ!!一人にしないでくれよ……!!」

耐えられる気がしない。

「頼むよ……」

レニスの後悔は報われた。

しかし彼の人生から失われた、生き続ける意味については、また別の話だった。

深い悲しみを堪えるように、奥歯を噛み締めて静かに慟哭する。

そんなレニスを前に、少女はおもむろに語り始める。


「大好きな絵本にね、死んでしまうお姫様と王子様の悲しいお話があるの…。」


その脈絡もない話にレニスは戸惑う。

「なんの話をしているんだ…?」

「ドラマチックで、すごく良い話なんだけれど、どうしても分からなかったことがあるの。最後にお姫様は愛する王子様を残して、死んでしまうんだけどね。その時に言い残すの。あなたの幸せを願っているわ…、ってね。どうしても、ここだけは私分からなかったの。」

戸惑いながらも、レニスは少女の話に耳を傾けた。

泣いていたはずの子供が、

母親の絵本の読み聞かせに自然と聞き入ってしまうように。

そして思わず問いかける。

「どうしてだ…?大好きなお話なんだろ…?」

「自分の死んだ後の世界の幸せを願うなんて、すごいなあって。私は、死ぬことがたまらなく怖くて、辛くて、憎くて、自分が死んだ後の世界なんてどうでもいいって思ってた。いや、自分だけ早く消えてしまうのが悔しくて、いっそ自分と一緒にこの世界も消えてなくなっちゃえばいいのに、とすら思ってたの。」

少女はその整った顔を歪めた。

生まれた時から呪いの運命を背負っていたなら、

この世界のことを憎むのは当然だろう。

世界は自分の主観にすぎないから、

死んだら一緒に消えるという考えがあることも聞いたことがある。

レニスは少女の抱いてきた想いを共感できずとも、理解はできた。

しかし少女は、その顔を優しく綻ばせる。

「でもね、今なら分かるの。」

穏やかな表情で、レニスを見た。

「こうしてレニスの顔を見ているとね、胸がぎゅーっとなってね。そして、ぐちゃぐちゃになって、その後に温かい気持ちが胸の中にわぁーーって広がるの。

そしてこう思うんだよ」

胸のあたりを強く押さえていた少女は、その小さな手を重ねて、暁の空に祈った。


「ああ、どうかこの人には、これからたくさんの幸せが訪れますように、って。」


閉じた瞼を飾る銀色の長いまつ毛、きゅっと結んだ薄紅色の唇、透き通った白い肌。

その美しさに、レニスは見惚れる。

その顔は、まるで教会で見た女神様のようだった。

「だからね、レニス。私を救ってくれたようにこれからも、その魔法でたくさんの人を幸せにしてあげて」

そして女神は、悲しき人の子に”生きる意味”を与える。


「たくさんの人を幸せにして、レニスもたくさんの幸せを見つけて。

その先でまた夢の中で会えたら…、私にたくさんその物語を聞かせて!

その物語が聞けるなら、私は死ぬことなんてちっとも怖くないよ。

何百年だって、何千年の孤独だって怖くないよ!」


少女は、凛とした表情で言い放った。

その表情が、声が、言葉が、レニスの心に焼きつく。

そして、レニスが歩いてきた果てしない暗闇の中に、一つの光を生む。

それは遥か遠くで輝いている、ほんの小さな輝き。

でも、北の夜空に輝くポラリスの如く、決して揺るがない永久の光。


レニスは思った。

ああ、まだ足元は暗く、おぼつかない。

この暗闇はどこまで続くかも分からない。

それでも、


あの光を目指して歩いている限り、自分は決して迷わないと。


レニスは確信した。


「——分かった。俺は死なない。生き続ける。どんなに寂しくても、苦しくても、絶望しても絶対に生きることをやめない」


決意を、此処に打ち立てる。


「俺は!君のために生き続ける!人を笑顔にし続ける!」


もう、その赤い瞳に虚な影はなく、


「そして必ず、また君に会いに行く」


少女の瞳に向けて、優しくも力強く語る。

レニスを見上げる少女の青色の瞳の中で、光がパッと弾けた。

青い願いと赤い決意が、呼応する。


「うんっ!!じゃあ、約束!!」

そう言って、小指を差し出した。

「ああ、約束だ。」

レニスも、小指を差し出す。

小さな指と、大きな指が、硬く結ばれた。

「えへへ。もし破ったら、呪っちゃうんだから」

「絶対に守るさ。俺を誰だと思っている?」

ニカっと、眩しい笑顔を向ける。

「うんっ!もちろん知ってるよ」

そして口を開く。

「俺は、レニス・テー」

声を揃えて、


「「笑顔の魔法使い!!」」


二人の声が、静かな空に響いていく。

少女は安心したように笑った。


しかしその時、突然少女の身体から力が抜け、微睡むように瞼が下がった。

レニスは咄嗟に腕に力を入れて、少女の身体を支える。

「おいどうした!?大丈夫か!」

「もう、お別れの時間が近い…のかな…。」

少女は力無くレニスに微笑んで見せた。

見上げてみれば、そこにはもう夜空の面影は一切なく、薄水色が澄み渡る。

あとは太陽が地平線から顔を出すのを待つだけ。

少女は残り少ない力を振り絞って、レニスの手を握っている。

その顔を見て、レニスは覚悟を決める。

ついに、この時が来てしまった。


少女の顔を覗き込んで、語りかける。

「最後の魔法を、君に捧げる。」

「最後の、魔法…?」

静かに頷く。

「やったぁ…、まだレニスの魔法が見れるんだね。どんな魔法を、見れるのかな…」

「弔いの魔法だ。」

レニスは粛々と、その魔法の名前を伝えた。

「とむらい…?どんな魔法なの…?」

「これはな、その命を終える人が寂しい想いをしないようにする魔法だ。

そしてその人の生きた証を、ここに残す魔法だよ。」

「生きた証…。とても素敵な魔法ね。あぁ、嬉しいなぁ……。」

少女は消え入りそうな笑みをこぼした。

魔法とは言ったが、正確にはこれは魔法ではない。

魔法は人の死後には干渉できないからだ。

これは魔法というより、祈りに近い。

死にゆく人々が、どうか安らかに眠れますように。

そして死にゆく人々の生きた証が、残された者たちの心の中で生き続けますように。

そんな祈りを捧げる。

我々は、ただ祈ることしかできない。

これが弔いの魔法の真実。

しかし、魔法とは本来、人々の祈りを精霊の力を借りて具現化したもの。

ならばこの弔いの魔法は、原初の魔法とも言える。

その魔法を、少女の最期に捧ぐ。

ありったけの祈りを込めて。


レニスは瞳を閉じて、静かに言葉を紡ぎ祈祷を始める。

少女との記憶が、レニスの頭の中を鮮明に駆け巡っていく。


真っ暗な夜の森、独りで泣いていた少女。

小さな口で、美味しそうにケーキを頬張る少女。

満天の星空に手を広げて、その瞳をキラキラと輝かせていた少女。

帝都のあらゆる景色に、感動を教えてくれた少女。

レニスの悲しみまで、優しく抱きしめてくれた少女。

美しいドレスを纏って、可憐に踊っていた少女。

死ぬことが分かっていても、いつも笑っていた少女。

自分に、生きる意味を与えてくれた少女。


いつも救われていたのは、レニスの方だった。

だから——、

少女の姿が一つ一つよぎる度に、言葉に込もる想いも強くなっていく。

言葉を重ねるにつれて、その口元に淡い金色の光が集い始め、

少女の白い顔を照らし出した。

長い詠唱を終える。

レニスは光をそっと口に含んだ。

そして、


「どうか汝に、安らかなる眠りが与えられんことを。」

少女の銀色の前髪をかき分けて、その小さな額にそっとキスをした。


青い瞳が、大きく揺らめく。

薄い光のベールが少女の全身に広がった。

やがて、すっと染み込むように消えていく。

弔いの魔法が、最後の魔法が、完了した。


森の中、二人だけの朝を沈黙が包む。

「えへへ。ありがとう、レニス。」

少女は顔を仄かに赤く染めて、くすぐったそうに微笑んだ。

「これでもう、大丈夫だ」

そう言って、少女の銀色の髪を梳いてやる。

その一本一本を確かめるように、丁寧に。


少女は心地よさそうにその手を受け入れていたが、

何か思いついたような素振りを見せると、

「ねえレニス。忘れないように、最後にもっと近くでお顔を見せて」

と問いかけた。

レニスの顔へ、その両手を懸命に伸ばす。

「ああ、もちろんだ。」

少し照れ臭さを感じつつも、その願いを受け入れ顔を近づける。

少女はレニスの頭を両手で優しく引き寄せた。

触れてしまいそうな距離で向かい合う、青い瞳と赤い瞳。

慈しむようにレニスの顔を見つめる少女。

互いの鼓動の音が、静寂の中に響く。

そしてその静寂は、突如として破られた。


「どうか、あなたの未来が幸せで溢れますように」


その言葉が聞こえた瞬間、

レニスは額に柔らかいものを感じた。

少女がレニスの額に口づけをしたのだった。


「ふふっ、お返しだよ。」

少女は頬を真っ赤に染めながらも、あざとい笑みを浮かべて言った。


——やられた。

思わずレニスの顔も赤く染まる。

そのキスと笑顔は、どんな祈りよりも、どんな魔法よりも強く、

そして深く彼に刻み込まれる。

「これはやられた……。ありがとう。」

「これでレニスも、大丈夫だねっ」


最後の魔法は、彼女がくれた。



◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆



「じゃあ、もう行かなくちゃ…。」

東の方角へ目をやると、地平線にうっすらと眩しい光が走り始めている。

「そうだな…」

少女は黙ってレニスの腕の中から降りて立ち上がった。

「ありがとう。レニスに出会えて本当に幸せだったよ。……ばいばい。」

そう言って、背を向ける。

朝陽の昇る方向へと一人ゆっくりと歩き始める。

腕の中に、まだ感じる少女の温もり。

出来ることは全てやった。

伝えることは全て伝えた。

それでも、


それでも溢れ出す感情を止められないのはどうしてだろう。

満足することができないのはどうしてだろう。


誰か教えてくれないか。


どうすればこの感情を止められるのか。

どんな言葉を交わせば、満足することができるのだろうか。


正しいお別れの仕方なんて知らない。

——いや、そんなものは無いのかもしれない。


そんなものがあったなら、この世界には寂しさなんて言葉は必要ないのだから。


ならば、

今、できることは。

今、やりたいことは。

今、やるべきことは。



”最後の1秒まで、彼女が生きていることを感じていたい!!”



気づけば駆け出して、その小さな身体を抱き寄せていた。

「すまん…。もう少しだけ、もう少しでいい。こうさせてくれないか……!」

強く強く、抱きしめる。

少女の目が、大きく見開かれる。

口が、開く。

「——っ!!………ぅ……ぅあ……、あぁぁ……!!」

そして、熱を帯びた大きな雫が、少女の瞳から流れ出した。

迸る想いが、溢れ出す。


「ばか……、レニスのばか!!!

泣いちゃいそうだから、ばいばいしようと思ったのにぃ……!!ばかぁ……!!!」

少女も応えるように、抱きしめ返した。

叫びながら、レニスの身体に深く顔をうずめる。

「やっぱり寂しいよ……!!嫌だよ、離れたくないよ……!!ずっとずっと一緒にいたいよ……!!」

「俺もだ……ずっとずっと、一緒にいたい……!!行ってほしくない……!!!」

涙が、互いの服に染みて広がっていく。

「こんなにお別れが寂しいなんて、知らなかった!!知りたくなかった!!!

でも……でも……!!」

レニスの腕の中で、激しく嗚咽を漏らす。

「こんなにお別れが幸せだってことも……知らなかっだぁ………!!」

「ああ、幸せだ……!!今俺は、世界で一番幸せだ……!!」

「レニス……!大好きだよ………」

「俺も……大好きだ……」

強く強く、抱きしめ合う。

想いを伝え合う。

互いの鼓動を感じ合う。


正しいお別れの仕方を、二人は知らない。

正しいお別れの言葉を、二人は知らない。

だから、


大好き


その言葉に全てを込めて。

二人は抱き締めあった。

最後の、最後まで。


そして上空に、一筋の光が走る。

ついに、太陽の光が地平線から漏れ始めた。

その光の筋はだんだんと太くなり、二人の元へと降りてくる。

二人はそっと、身体を離した。


「じゃあ、今度こそ…。」

「ああ。」

「また、会おうね。」

「ああ、必ずまた会おう。」

「絶対だよ」

「ああ、約束だ」

「うん、約束ね」

目を合わせて、二人は誓った。


彼女は後ろに下がる。

そして、

大きく息を吸って、叫んだ。



「レニス!!ありがとう!!世界で一番かっこいい、私の笑顔の魔法使い!!!!」



世界で一番眩しくて、世界で一番幸せな笑顔を輝かせて。


その瞬間、背後から強烈な朝陽が差し込み、彼女を光の中へ包み込む。

あまりの眩しさにレニスは目を手で覆った。

もう一度目をやると——。

そこにはもう、彼女の姿はなかった。


そして、彼女がいた場所に空から金色の光が降り注ぐ。

弔いの魔法が織りなす、唯一の神秘。

光は地面に降り注ぎ、やがて四角い石へと姿を変える。


それは、彼女が生きていた証。

彼女がいたことが、これからも生きていく証。


遺された墓標に刻まれた、その名前は——



『リズ・メメントモリ』



その意味は——、

レニスは、朝陽に向けて呟く。

彼女がそうしていたように、キラキラとした笑顔を浮かべて。



【死を想い、笑って】



リズ、俺は君の名前を、君の笑顔を決して忘れない。


リズ、俺はこれからも、楽しく踊り続けるんだ。


どんなに辛いことや悲しみが待っていたとしても。


俺は、踊り続ける、笑い続ける。


なぜなら、


とびっきり可愛い死神に、

俺は取り憑かれてしまったから。



朝陽の方角に向かって、レニスは一人、歩き始めた。



FIN.

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