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第四章 深夜3時 空夜の魔法使い

「帝都から離れるとこんなに綺麗な星空が見られるんだなあ。」

幻視の魔法を解いた二人は、地面に寝転んで夜空を ぼんやりと眺めていた。

「帝都?では、星は見えないの?」

少女は仰向けのまま顔をレニスの方へ向ける。

「ああ、帝都は街の灯りがたくさんありすぎてな、空の星の光を隠してしまうんだ。」

へえ〜と少女は興味深そうに耳を傾ける。

「帝都には、こんな星空を覆い隠してしまうほどの灯りがあるのね。世界には、まだまだ知らないことや場所がたくさんあるんだなあ…。」

そう言う少女は、ひどく悲しそうに見えた。

いや、悲しいに決まっているじゃないか。


三千の夜しか超えられない、呪われた命。

物心着く頃にはもうこの屋敷に捨てられ、

そしてこの屋敷で誰にも知られずに静かにその命を終える…。

もっと美味しいものも、美しい場所も、楽しいことも、

この世界には山ほどあるというのに。

この少女は、この屋敷と、この森と、この空しか知らない。


自分が死ぬ時を告げられたら、人は何をするのだろうか。

限られた時間で、少しでも多くの人と会いたいと思うのだろうか。

限られた時間で、少しでも多くの場所に行きたいと思うのだろうか。


例えそのように思ったとして、それすらもこの少女には許されなかった。

この少女は、孤独すぎた。

この少女には、世界は広すぎた。


残された時間は僅か。

——もう、迷っている時間はないのだ。


「行こう。」

「え?」

「行こう!帝都に。俺が、君を連れて行ってやる。」

「い、今から!?」

「ああ、もちろんだ。」

「うそ…!で、でもすごく遠いんじゃ…」

火花のように迸った熱は、瞬く間に冷まされてしまった。

レニスは黙って起き上がると、少女を見下ろした。

そして大きく胸を張る。

「俺を、誰だと思っているんだ?」

にっと笑ってみせると、不安げに見せた少女の表情はみるみる明るくなっていく。

「ふふふ。レニスは…、魔法使いさん…だね?」

「正解だ!いいか?魔法に不可能はない!さあ、」

手を差し伸べる。

「行こうか!」

「うんっ!」

少女は大きく頷いてから跳ねるように立ち上がった。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


「準備はいいか?」

一度部屋に戻って用意を終えた二人は、再び広場に出た。

「うん、ばっちりよ。でも、どうやって行くの?」

屋敷は深い森の中。

帝都はこの広い森を抜けた遥か先、歩けば数時間はかかる距離だろう。

「それはな、この空を翔ぶのさ!」

「えっ!?それってどういう……きゃっ!」

レニスは少女の身体を後ろから突然抱きしめた。

そして厳かに口を開く。

あの鳥のように大空を飛んでみたい。

そんな誰しもが抱く夢を叶える魔法。

飛翔の魔法を唱える。

詠唱に合わせて濃い青い光が集まってくる。

魔力がぐんぐんと二人の身体を包み始め、勢いよく円形に波を放ち始めた。

嵐の日の海岸のように、魔力が大きくうなり、花畑を揺らす。

その凄まじい風に、レニスのローブと少女の銀色の長い髪が舞い踊る。

「ね、ねえ…?ま、まさかこのまま飛ぶんじゃないよね…?」

「装填完了。十分に満ちたな」

「ちょっと、レニスってばっ——」

「しっかり捕まっておけよ!!」

少女の身体をさらに強く抱きしめると、

「嘘でしょ!待って待って待って」

チャージした魔力を解き放った。

「きゃあああああああああーっっ!!!!!」

まるで大砲の弾の如く空に飛び立つ。

目指すは西の空。帝都の街へ。


昇りくる朝日から逃げるように。

二人だけの逃避行が幕を開けた。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


安定飛行に入り、やっと少女はその目を開けた。

さっきまでいたはずの森は遥か下に広がり、

遠くに見える山はまるで世界をそこだけ切り取ったように黒々と聳える。

「すごいわ…、私たち、本当に空を飛んでいるの…!」

「ああ、鳥になった気分だろう?」

眼下には漆黒の大地、頭上には星々の光。

幻想的な空の旅。

「ほら、帝都が見えてきたぞ!」

遠くを見ると、どこまでも広がる黒の中に、突如として円形の光が現れた。

「わあ、あれが帝都!まるで光の水たまりみたい」

「よし、あと少しだ。急ぐぞ」

レニスは魔力を強め、スピードを上げた。


帝都上空にあっという間に到着すると、少女が早速あるものを見つけた。

「ねえレニス!見て!大きなヘビがいるわ!」

指さす方に目を向けてみると、細長い影が街を縫うように移動している。

「あれは列車だな。」

「列車?」

「あの箱の中に、人や荷物をたくさん載せて走る機械だよ。この時間だと貨物列車だろうな。」

「へえ〜!人が作ったものなのね!あれも魔法で動いているの?」

「いいや、あれは蒸気といって、燃料を燃やして動いているんだよ。」

「魔法以外にもそんなすごいものがあるんだ!帝都ってすごい場所なのね」

「ああ。この街にはもう、魔法は必要ないのさ」

無邪気に感動を伝える少女とは対照的に、レニスの心には苦い感情が湧き上がる。

他でもない、レニスから生きる意味を奪った街。

大切な妹を、救ってくれなかった街。

それが帝都。

しかし、もうそれはどうでもいい。

少女に帝都を見せる、広い世界を見せてやるためにここに再びやって来た。

今度こそ、もうこの街に帰ってくることはない。

今だけは、少女に思う存分帝都を楽しんでもらおう。


少女は次から次へと初めての知らないものを見つけてはレニスに質問攻めした。

滲んでいた鬱屈とした感情は、あっという間に彼女の純真な心に洗い流されてしまう。

帝都を取り囲む高い外壁、光の洞窟のような大通り、

通りを行き交う自動車、教会の巨大な鐘、

中央広場で吹き上がる噴水、深夜でも賑やかな声が響く酒場、

その前の道で泥酔して居眠りする人。

空からは帝都のあらゆるものが見えた。

その全てに少女は「すごい!」「大きい!」「綺麗!」「かっこいい!」「面白い!」と声を上げては終始楽しそうにはしゃいでいる。

少女が喜んでくれるのが嬉しくて、レニスもつい多くを語ってしまう。

全てが新鮮で、少女の知らなかった世界。

森で見上げた星空とは違って、人工的に作られた場所 。

しかしこれも、少女にとっては世界の一つの姿。

少女の姿を見ていると、

憎んでいたこの帝都も以前とは違ったように見えてくる気がする。

少女にこの広い世界の美しさを教えるつもりが、

レニス自身も世界の美しさを少女に教えてもらっているのかもしれない。

「はあ〜、帝都ってすっごく楽しいね。さっきまでいた森の中とはまるで別の世界に来たみたい!あの全ての光の中で、誰かが今も生きているのね…」

一通り帝都の上を飛んで回っただろうか。

こんなにたくさんの人が生活しているのも少女からしたら新鮮なのだろう。

すると少女はくるりと身体の向きを変えて、レニスの身体に抱きつくような姿勢になった。

「どうしたんだ?」

「ねえレニス?レニスもこの帝都で暮らしているのよね?」

「ああそうだよ、帝都の街外れで暮らしているんだ。」

「レニスのお家に行ってみたい!」

「お、俺の家か!?何も面白いものはないぞ?」

「そんなことないわ!だって…」

少女ははっきりとした口調で否定すると、その白い頬を薄紅に染めて

「この世界のことだけじゃなくて…、レニスのことも知りたいの!」

必死に訴える幼い少女の瞳にさすがのレニスも断ることはできない。

この夜は、少女の為の夜だ。

「しょうがないな…。じゃあ、時間もないし急ぐぞ!」

「やった!行こうーっ!」


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


森へ帰る方角から外れて二人は帝都の外れへと向かった。

そして低層の住居が立ち並ぶ小さな町に降り立つ。

そこには少女の住む屋敷に比べると随分と小さい、質素な木造の家が建っていた。

なんの変哲もない、むしろ貧相な家だ。

だが少女はそんなことは一切気にならないらしい。

「わあ〜これがレニスが暮らしているお家ね…!ここで起きて、ここでご飯を食べて、ここで寝ているのね〜」

まるで歴史的価値のある史跡でも見るような興奮した様子で、

家をいろんな角度から眺めている。

「あ、当たり前だろう。俺の家なんだから」

小恥ずかしさを感じながらそんな少女の姿を見守る。

「ねえ…?中に入ってもいいかしら?」

あざとい仕草で見上げられる。

レニスはもう観念した。

「お好きにしてくださいませ、お嬢様」

仰々しくお辞儀してから、ドアを開けてやる。

薄暗い部屋に机が一つ、テーブルが一つ、調理場、本棚、ベッドが二つ。

中もいたってシンプルなものである。

それにしても誰かの家に入ったら本棚を見てしまうのは人の性なのだろうか。

少女は本棚の前でしゃがみ込むと、じろじろと背表紙を眺め始めた。

「難しい本がたくさん、まるでオムニスの本棚だわ。私の本棚とは大違い。分厚くて古い本ばっかり。」

「そうだな、魔法理論の本しか読まないからな。君にはつまらないかもしれない。」

「魔法のりろん?……あ!これを読めば、私にも魔法が使えるってことかしら!」

何か閃いたように両手をぱんっと合わせると、少女は本棚から一つ本を取るとページを開いた。

食い入るように覗き込みびっしりと並んだ文字たちをなぞる。

しかし威勢よく読み始めたはいいものの、

1ページの半分も来ないうちにその可愛らしい眉毛がだんだんと寄り始めた。

ついには、

「むむむ〜…むむむ〜…」

と唸り声を上げ始めたかと思うとあっという間にぱたんと本を閉じてしまった。

どうやら難しすぎたらしい。

「ははは、さすがに早すぎたか。それに魔法を使うには素質が必要だし、何年も修行しなくちゃいけない。」

「ちぇっ、な〜んだ〜。ま、いいもん。私にはレニスがたくさん魔法を見せてくれるもの」

拗ねたように口を窄めたと思えば、すぐに無邪気な笑顔を見せる。

その笑顔の眩しさに柄にもなく照れてしまったこともあるが、

一抹の寂しさがよぎり、レニスはついその目を壁にかけられた時計の方へと逸らす。

時刻はもう深夜3時半。

この少女の笑顔が見れる時間は着実に少なくなっているのだ。

あとどれだけの幸せを、この子に届けてやれるだろうか。

自分の魔法で、どれだけこの子に笑顔をもたらせるだろうか。

そんなレニスの張り詰めた想いなどつゆ知らず。

少女新たなる面白いものを求めて、

部屋の中をてくてくと鼻歌を歌いながら歩き回る。

「それにしても綺麗に整頓された部屋だわ。レニスって意外と綺麗好きなのね!」

「まあな。って意外ととはなんだ!」

本当は違う。

いつもは魔法書があちらこちらに散らばっている有様だ。

こんなにものが少なく整理されているのは他でもない。

もうここには永遠に帰って来ないつもりだったから。

しかし、そんなことは到底少女には言えまい。

部屋を見回していた少女は、机の上にあるものを見つけた。

「ねえレニス、これはなあに?」

それは、一枚の写真だった。

レニスの呼吸が、凍てついたように止まる。

「それは、写真だ。その時の景色や思い出を、形に残しておける、技術だ。」

「そんなことも出来ちゃうの!すごいわ、これはレニスね!隣にいるのは誰なのかしら?」

なぜならそれは、触れてはいけないレニスの悲しみ。

「それは、俺の妹だ。妹だった…人だ。」

「だった…?」

「ああ、死んだんだ。数ヶ月前に。病気で。」

少女の瞳が大きく見開かれた。

そして、うつむく。

「そんな…。ごめんなさい…、私…」

この少女には関係ないこと。こんな顔を見せるわけにはいかない。

あの屋敷で少女と出会った時、そう決心したはずだったのに。

それでも、この心に落とされた深い闇は、抑えようとしても溢れ出す。

「いや、気にしなくていいんだよ。もう過ぎたことさ。君は優しい子だな。」

少女の頭を、優しく撫でてやる。

少女は申し訳なさそうに顔を伏せていた。

こんなに幼い少女に、悪い気を遣わせてしまった。

なんて情けないのだろう。

「さあ、帰ろうか!帰ってまた甘いものでも食べよ——」

何とか明るい声色を意識して言葉を紡いだその時、

頭を撫でるレニスの手にそっと少女が触れた。

「ねえ、レニス」

「ど、どうしたんだ?」

「教えて…」

「え?」

少女は顔を上げてまっすぐにレニスを見つめた。

そしてレニスの大きな手を頭から降ろすと、小さな手でぎゅっと握りしめて。

「教えて、妹さんのこと。妹さんとレニスがどんな時間を過ごしてきたのか。私に教えてほしいの。」

魅了されてしまいそうなほど美しい、瑠璃色の瞳。

「……私、レニスのことを知りたいの!」

その真剣な眼差しから、今までのような好奇心で問いかけているのではないと確信する。

彼女は、レニスのことを本当の意味で知ろうとしているのだ。

レニスが抱える深い悲しみまで含めて、彼のことを理解しようとしているのだ。

同じ世界を、見ようとしてくれているのだ。

「分かった。」

レニスは少女の手を、優しく握り返した。

「じゃあ、少し座ろうか。」

少女を導いてベッドに腰掛けると、レニスは静かに口を開いた。

「フロス・テー。それが妹の名前だ。意味は、【花のような笑顔】。年齢は君より少し年上かな。名前のように、いつも花のように可憐に笑う子だった…。」

そこからレニスは、妹と過ごしてきた日々を語り始める。

一度口を開いてみると、言葉は怒涛のように溢れ出した。

写真なんかなくてもいいほどに、全ての時間を、景色を鮮明に思い出せる。

フロスは花を育てるのが大好きだったこと。

フロスも絵本の読み聞かせが大好きだったこと。

フロスもレニスの作るケーキが大好きだったこと。

フロスもレニスの魔法が大好きだったこと。

魔法が必要とされなくなったこと。

貧しい暮らしでも、フロスはいつも笑っていたこと。

そんなフロスのことがレニスは大好きだったこと。

フロスのためなら、どんなにつらい仕事でもできたこと。

大好きなフロスがいれば幸せだったこと。

大好きなフロスが病にかかってしまったこと。

そして、大好きだったフロスが——

「もう、いいのよ。」

少女のか細い指が、頬に触れるのを感じた。

ひんやりと冷たく、でも優しい。

「もう、いいの。」

そしてそっと、レニスの瞳から零れたものを掬い取った。

「あれ…?」

「レニス、ありがとう」

レニスは、泣いていた。

積み重なったフロスへの想いは、涙となってとめどなく溢れ出した。

「フロスのことを、とっても愛していたのね…」

流れ出す涙のひとつひとつを、少女はその指で掬い取った。

レニスの心に広がる沼から、泥を少しずつ掬い出すように。

その沼がどれだけ深くとも、どれだけ澱んでいようとも。

涙が染みていく洋服の袖が、ぐしょぐしょに濡れることも厭わずに。

少女は、掬い続ける。

それでもレニスの涙は、止まらない。

「ああ…俺は…俺は…。愛していたんだ…。フロスのことを…」

涙を、止められない。

「愛していたんだ…。心の…底からっ……!、——っ!?」

柔らかい感触が、レニスの頭を包み込んだ。

少女がレニスを抱きしめ、ゆっくりと撫でる。

その慎ましやかな温もりに、慈愛に満ちた手の感触に、安らぎを覚える。

押し固められていたものが解きほぐされていく。

解きほぐされて、流れ出す。

でもそれを、止めたいとは思わなかった。

レニスはずっと、泣きたかったのかもしれない。

この悲しみを、孤独を、吐き出したかったのかもしれない。

やり場を失った感情を、誰かに受け止めて欲しかったのかもしれない。

「いっぱい泣いて。泣いていいよ。今だけは…」

少女の手は、どこまでも温かい。

少女の頬は、どこまでも柔らかい。

少女の声は、どこまでも優しい。

ああ、ずっと誰かに、こうされたかった。

「あ…、あぁ…、うぁ……、うぁぁぁぁぁ!!」

レニスは、子供のように泣いた。

声をあげて泣いた。

少女は、何も言わなかった。

少女はその小さな身体で、ただ優しく抱きしめた。


銀色の月明かりが差す、小さな部屋。

少女の身体の中で、男は泣き続けた。

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