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第三章 深夜2時 星夜の魔法使い

優雅なる食後の時間。

少女は床に届かない足をぷらぷらと椅子の下で揺らしている。

ご機嫌だ。

「きみは、いつも何をして過ごしているんだ?」

レニスは食後のコーヒーをかき混ぜながら訊いた。

コーヒーカップを両手で大切そうに持つ少女。

少女のものにはたっぷりと砂糖とミルクを入れてやった。

初めて飲むカフェオレの甘さに、子供らしい笑みを小さな頬に広げながら少女は答える、

「いつもはお部屋の掃除をしたり、庭のお花にお水をやったりしてるよ。あとは、絵本を読むのが大好き!」

「ほう、この家には絵本があるのか?」

「うん、そうよ。いっぱいあるの!付いてきて!」

少女は両手で持ったカップをぐっと傾けコーヒーを口に流し込もうとする。

「お、おい、一気に飲むと火傷するぞ!」

「ふふふ、だいじょーぶ!ほらレニス、はやくはやく」

少女は一息にコーヒーを飲み干すと、小さな手でレニスの手を引いた。



屋敷の二階の一室にはいると、

そこには四方の壁に大量に本が敷き詰められた棚があった。

「ほう…、これはすごい」

「オムニスは狩りをしていない時間は、いつも本を読んで過ごしていたのよ。」

窓際には大きな木の椅子と、小さな木の椅子が寄り添うように置かれていた。

そこで二人でいつも本を読んでいたのだろう。

柔らかな日差しの中、老人と少女が静かに本を読む姿がそこに浮かんだ。

部屋の隅には、他のものに比べて小ぶりな本棚も用意されていた。子供向けの本がたくさん入っている。

「この中だったら、どんな絵本が好きなんだ?」

「えっとね〜。動物がたくさん出てきたり、王子様とお姫様が出てくるのかな!」

少女は棚の中からいくつか絵本を取り出すと、ページをめくってお気に入りのページを見せてくれた。

その青い瞳をキラキラと輝かせながらレニスにストーリーを教えてくれる。

その瞳の中には、少女の頭の中には、きっと絵本の世界が現実のように鮮やかに広がり、登場人物たちが確かに生きているのかもしれない。

自分にもこんなに世界が鮮やかに輝いて、何もかもが新鮮で、心動かされた日々があったのだろうか。

レニスは、喪われた日々に想いを馳せる。

しかし、もうそれは思い出すことはできない。

取り戻すことはできない。

本当にそこにあったのかすら疑わしい、幸せな日々。

「ねえレニス、聞いているの?」

心配そうに少女がレニスの顔を覗き込んでいた。

「ああ、すまん。聞いてるよ。本当に絵本が好きなんだな。」

少女は、セリフを覚えてしまうほどに何度も何度もこの本たちを読んでいるのだろう。

その絵本の縁はどれも擦り切れている。

——それを見て、レニスはあることを思いついた。

「なあ、新しい物語が欲しくないか?」

「新しい物語!?レニスは絵本が描けるの?」

少女は絵本から顔を上げて期待に溢れた眩しい瞳でレニスを見上げた。

「絵は描けないが、きっと今までのどんな絵本よりも面白いぞ。」

「ほんと!知りたいわ!」

「よし、じゃあ屋敷の外に出ようか——」

そう言って少女の手を取ろうとすると、その手をすっと引っ込め壁際に後ずさった。

「…どうしたんだ?」

「お、お外に行くの…?夜の外は危ないから嫌だよ…!」

自身の身体を両手で抱きしめるようにして必死に訴える。

「オムニスが言ってたもの、夜は危ないから決して外に出てはいけないって…。」

確かにこの森は獣たちの住処となっている。

旅人や商人が何人も喰われてきた森だ。

レニスはその獣たちに喰われるために自らやってきた。

しかしそれは、魔法で抵抗する意思を持たないという前提の話。

「じゃあ、夜に外に出たことはないのか?」

「うん、夜はいつもベッドの中で泣いているもの…」

「それはやっぱり、さっきの呪いの話が原因か?」

「それもあるんだけど…。夜は嫌いなの。世界が暗くなって、急に寂しくなって…、自分が消えてしまう時のことが思い浮かんで…、怖くなって…。」

涙が浮かんで、瞳の中の光が揺れ始める。

その小さな身体は震えていた。

よほど夜が怖いのだ。

たった一人で、彼女は夜の恐怖と戦ってきたのだ。

しかし、夜の外の世界を知らないということは、

まだ”本当の夜”を知らないということ。

それは、レニスにとってはこれとない好都合だった。

「夜が怖いか…?」

優しく問いかける。

「うん…。」

「夜が嫌いか…?」

「うん。」

少女は迷いなく頷く。

「じゃあ俺が、夜が怖くなくなる魔法を使えたとしたら?」

「え…?」

「君はきっと、夜が大好きになる。」

「ほんとう…?」

銀色の前髪の下から、疑いの眼差しを投げかける。

「ほんとうにほんとう…?」

「ああ、約束しよう。それに俺が一緒だから大丈夫だ。俺のことが信じられないか?」

少女は少しの沈黙の後、首を振った。

「よ〜し、良い子だ」

そう言ってレニスは少女の美しい髪をわしわしと撫でてやる。

「んん〜〜〜っ!もうっ!何するの!」

くしゃくしゃになった髪の中から、不満げな上目づかいで見上げた。

でも、その顔はどこか嬉しそうで。

「へへっ、よし!任せておけ!そんじゃあ——」

レニスはニカっと悪い笑みを浮べると少女の後ろに周りこみ、

その目を両手で覆った。

「わあっ!なに!なにも見えないわ!」

「最高の物語を見てほしいからな。ギリギリまでのお楽しみだ…!」

少女はもう、抵抗しなかった。

「……うんっ!分かった!」


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


二人は慎重に歩みを進め、夜の暗闇に沈む屋敷の外へと出た。

屋敷と門の間には、両側に広い花畑に囲まれた広場がある。

その真ん中を目指す。

外の冷んやりとした空気に触れて少し不安になったのか、少女が口を開く。

「レニス、もういい?」

「まだだ」

「レニス、もういい〜?」

「まだダメだぞ〜…」

少女は小さな腕で必死にレニスにしがみついている。

「まだ〜!?」

「ん〜もう少し!」

そしてついに広場の真ん中に辿り着くと、歩みを止めた。

しんとした夜の森の静寂が、二人を包みこむ。

「着いたぞ。さあ、準備はいいか?」

「うん、大丈夫よ。」

少女の小さな喉がこくんと音を立てた。

そして——

「よーし、いくぞ…!せーのっ!」

レニスは少女の目から勢いよく両手を離した。

そして、少女が暗闇の中から顔を上げると——、

「うわぁ〜〜〜〜〜〜っ!!」

そこにあったのは、少女が恐れていた夜の暗闇ではなかった。

まるで黒い布に散りばめた無数の宝石。

まるで今にも降ってきて身体を濡らさんとする光の雨。

視界に収まらないほどに広がる満天の星空が、二人をいっぱいに包み込んだ。

「すごいわレニス!!ねえ、なんて美しいのかしら!!」

「星空だ。これが夜の、本当の姿だ。」

「これが、星空…!!こんなに綺麗なものだったなんて!!」

思惑は大成功だったようだ。

「すごいっ!すごーいっ!」

感動のあまり、レニスの手を取ってぴょんぴょんと飛び跳ねる。

「おいおい、はしゃぎ過ぎだ……、っておいっ!」

足がもつれて転びそうになった少女の身体を抱き、二人して転んでしまった。

大の字になったレニスの身体の上に同じように大の字になった少女の身体が重なる。

星空の下、小さな身体と大きな身体が地面に並ぶ。

「綺麗……」

感嘆の息が漏れる。

数えきれないほどの星々が、チカチカと、チカチカと煌めく。

「実はな、これだけじゃないんだぞ」

よいしょと身体を起き上げ、座る体勢をとる。

少女の小さな身体がレニスの両足の間にすっぽりと収まった。

「この星空はな、実は大きな絵本なんだ。」

「絵本?どこにも絵は見えないわよ。」

「いいかい、よく目を凝らしてごらん」

レニスは少女の目と同じ位置に顔を近づけると、彼女の手を取って、指を夜空に向けてやった。

「あの星が頭、あの星とあの星は大きく広げた翼で、あの星は後ろ足。すると、どうだ…?あれは夜空を羽ばたく大きな鳥に見えないか?」

「あれが頭で…あれが翼で……?あ、ほんとう!!大きな鳥さんだっ!!真っ白な大きな鳥さんがお星様の中を飛んでるわ!」

「そうだろう?こんなふうに、星空に描く絵を星座って言うんだ。」

「星座…。とっても素敵な絵ね。」

少女はその言葉の意味を深く味わうように呟いた。

「鳥さんだけじゃないんだぞ。」

レニスは得意げに笑みを浮かべると、彼女の指をまた取って違う星に導いてやる。

「あそこに小さな星が3つと、その周りに明るい星がいくつかあるだろう?あの3つの星は腰のベルト、そしてそれを囲むあの星が振り上げた腕とたくましい足。そう、あの星座は戦士なんだ!」

「わあ、かっこいいわ!戦士もいるのね!この戦士は何かと戦っているのかしら?」

少女は興奮してのけ反るようにしてレニスに顔を向ける。

「ああ、もちろん。あの戦士はサソリと戦っているんだ。この星空にある星座全てに物語がある。この夜空は世界で一番大きくて、一番壮大な物語なんだ。」

「わあ…そうなの…!」

少女の瞳の中で光が弾ける。

「ねえレニス、もっと教えてちょうだい!お星様たちの物語!」


レニスはそこから絵本の読み聞かせをするように、星座にまつわる物語をたっぷりと聞かせてやった。

物語を聞きながら星空を眺める少女の青い瞳は、まるでそこに小さな夜空を流し込んだように眩しく燦く。

もうその瞳の中にあるのは、ただの星の光ではない。

絵本で夢見た、動物や勇者、お姫様が活躍する世界がそこには広がっているのだろう。

ならば——。

絵の本を超えた、もっと素晴らしい物語を見せてやろう。

夢の世界へ、彼女を連れて行こう。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


「なあ、物語の中の登場人物たちに会ってみたい。そう考えたことはないか?」

「ええ、もちろんよ!絵本の中に入れたらなあって、考えてる時間がいちばん好き!そんなことができたら、なんて素敵なのかしら…」

少女は両手をぎゅっと握りしめて夢想した。恍惚とした眼差しで虚空を見つめる。

「じゃあ、今から会わせてやろう」

「えっ?」

「ほら、目を閉じて」

少女は困惑しながらも言う通りに瞼を下ろした。

レニスはその瞼にそっと両手をあてる。

そして静かに魔法を唱える。

レニスが言葉を紡ぐにつれて、その両手に柔らかい光が宿っていく。

そして詠唱を終えると、手を離した。

「よし、じゃあ、目を開けてごらん」

ゆっくりと、瞼を持ち上げる。

レニスがかけた魔法、それは「幻視の魔法」。


少女が再び星空に目を向けようとすると——、

ビュンッ!

何かが二人の目の前を勢いよく駆け抜けた。

「きゃっ!!」

少女の銀色の髪が風に乗って舞い上がる。

「なに…今の……!」

風が止むとそこには、一頭の大きな馬がいた。

しかし、ただの馬ではない。

白い毛並みに、大きな翼。

凛とした佇まいで、青白い光を纏ったペガサスが、

二人の目の前で蹄を鳴らしていた。

夜空の中で、一つ一つの星の集まりでしかなかったペガサス座。

それがレニスの魔法で命を宿して、なんと空から降り立ったのだ。

「幻視の魔法」、それは夢を現実にする魔法。

少女は驚きと感動のあまり言葉を失う。

ペガサスはしばらく二人を見つめていたが、高らかに嘶くとその大きな翼を再び広げた。

そして勢いよく羽ばたき夜空へと帰って行く。

その姿を追って夜空に再び目を向ける。

——そこには、先ほどまでの姿とは大きく変わった夜空が広がっていた。


命を宿したのはペガサスだけではない。

大きな斧をもった戦士が颯爽と駆ける。

美しい女性がハープを艶やかに奏でる。

双子の少年が手を取り合い笑う。

獅子が力強く吠える。

白鳥の群れが勢いよく飛翔する。

壮大な神話が、目の前で繰り広げられていた。

「ねえ、レニス…。これは夢…?夢よねきっと…」

少女は両手で口を押さえながら、声を漏らした。

「夢じゃないさ」

レニスは言う。

「奇跡を起こすこと、これこそが魔法の真髄さ。」

少女の白い肌の上を、一筋の光が流星のように伝った。

幸せな涙が、溢れ出す。

「うう…、レニス…ありがとう……。本当にありがとう……!!」

レニスは少女の銀色の髪をそっと撫でてやった。


「夜がまだ、怖いか?」

一人で死の恐怖と戦ってきた少女。

一人で孤独の恐怖と戦ってきた少女。

一人で夜の暗闇と戦ってきた少女。

そんな少女に、少しでも喜びを、勇気を与えられたなら。

「ううん。もう、怖くないわ。だってレニスが、本当の夜を教えてくれたから…!」

少女は涙を拭って、力強く答えた。

もうそこに、一人で泣いていた少女の顔は無かった。

「ああ、これが本当の夜だ。夜というのは、本来は怖くないものなんだ。いつからか、人は暗闇を恐れるようになってしまった。そして光を生み出して夜を遠ざけて、夜への恐怖を自分たちの手でさらに強めてしまった。でも、夜ってもんはこんなにも美しいんだ。闇というのは、どこまでも純粋で。どうだ?この夜の世界こそが、太陽の光に染められていない、世界のありのままの姿だ。」

「世界の…ありのままの姿…!」

少女はそう呟くと、勢いよく駆け出した。

立ち止まって、夜空を仰ぐ。

そして、叫んだ。

「知らなかった!こんなにも世界が美しいだなんて!夜が、こんなにも素敵なものだったなんて!知らなかった!!私、夜が大好き!この世界も、大好きーーーっ!!」


無邪気に笑いながら、夜空に向かって両手に広げて。

果てしなく広がる夜空を、抱きしめるように。

キラキラと輝く星々に、触れようとするように。

この世界の美しさの全てを、その小さな体で、一身に受け止めるように。


あと数時間で消えてしまう悲しき命かもしれない。

あまりにも短くて、儚い命かもしれない。

それでも。


そのちっぽけな命の灯火は、

夜空でその命を燃やすどの星よりも、

確かにこの広い世界の中で輝いていた。

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