第二章 深夜1時 甘美の魔法使い
少女のお腹がくうとかわいらしく鳴いた。
「お腹が空いているのか?」
レニスが問うと、少女は恥ずかしそうに小さく頷いた。
「よし、まずは腹ごしらえといこうか。」
そもそも食料はあるのか訊くと、少女はついてきてと招いた。
ついていくと、キッチンの奥に食糧庫があった。
そこには、干し肉や野菜など多くの食料が蓄えられている。
「ほう、よく揃っているじゃないか。普段は何を食べているんだ?」
「干したお肉と、野菜のスープ…」
彼女は言った。
なんて質素な食事だ。
教会の修道士ですらもう少し華のある食事を摂る。
レニスは彼女に最高のディナーを用意することを閃く。
「卵と砂糖はあるか?」
「少しなら…」
少女は言った。
「十分だ。よし、あとは…、干し肉ばかりじゃ飽きただろう。ちょっと待ってろ、森に行ってくる。」
すると少女は、レニスの服の袖を掴んだ。
潤み、震えた目を向け、ふるふると首を横に振っている。
レニスは察した。
不安なのだ。
どこかへ行ってしまうのではないか。
もう帰ってこないのではないか。
また、一人になってしまうのではないか。
フロスも、もっと幼なかった頃は、レニスが仕事に行くたびに不安そうな顔をしていたことを思い出した。
こわばった手を優しく解いてから、腰を落として目線を合わせる。
「大丈夫だ、すぐに帰ってくるから待ってろ。約束だ。」
にっこりと笑ってから、少女の頭を撫でてやる。
「…うん」
少女はその顔を見て少し安心したのか、小さく頷いた。
屋敷から出ると、森の中で探知の魔法を使う。
目当てのものはすぐに見つかった。
続いてレニスは雷を生み出す魔法で、
山兎を2匹捕まえると10分ほどで屋敷に戻った。
扉を開けると少女が駆け寄ってきた。
どうやら玄関でずっと待っていてくれたらしい、
わずかに顔に落ち着きが戻ったように見える。
「良いもの作ってやるからな、ちょっと待ってろ。」
そしてレニスは厨房に立つと、魔法を使いながら器用に調理を開始する。
包丁は踊るように宙を舞い、野菜を切り、山兎を捌き、火にかけていく。
レニスはその隣で、卵、砂糖、小麦をかき混ぜたものを用意すると、オーブンに入れた。
「今日は時間がないからな、ここも魔法を使わせてもらうぞ」
オーブンに手をかざした。
火を操る魔法、空気を操る魔法、水分を操る魔法。
同時に魔力を練り上げ、一気にオーブンに放つ。
「よし、上手く行った。なかなかこれは塩梅が難しいんだがな。まだ魔法は衰えてないようだ。」
時間にして20分ほど、料理は完成した。
テーブルの上に料理を並べていく。
「お客様のために用意いたしました、シェフ渾身のフルコースでございます。」
山兎のステーキ、野菜のスープ、山葡萄のジュース。
そして、木苺をふんだんに使ったクリームたっぷりのケーキ。
見た目だけなら、帝都のホテル顔負けのディナーだ。
少女は目の前の豪華な料理に、目を丸くする。
「さあ、召し上がれ」
レニスは兎の丸焼きを小さく切ってやった。
少女はその小さな口を目一杯広げると、香ばしい匂いを発する肉を噛み締める。
「お、美味しい…!」
小さな声で、感動の声を漏らした。
よっぽどお腹が空いていたのだろう。
少女は小さな口で必死に食べていった。
恥ずかしそうに「おかわり」と、レニスにお皿を差し出してくる。
少しずつ、顔が綻んできたように感じる。
「少しは落ち着いたか?」
「うんっ。大丈夫だよ。」
美味しい料理に頬を緩めながら、少女は答える。
そこでレニスは、少女に問いかけた。
「じゃあ、君の話を聞いてもいいか?」
ごくんと、食べていたものを飲み込む音が聞こえる。
少女はフォークを置いて、小さく頷いた。
辛いことかもしれないが、聞かずにはいられない。
いや、知らなければいけない。
「今日が最後の夜だと言ったが、どういうことなんだ?」
少女は、空になった皿に視線を落としながら答えた。
「私はね、呪われているの。」
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
思わずレニスは問いをこぼす。
「呪い?」
「うん、三千の夜しか生きられない。そんな呪い、生まれる前から決められた。そんな運命。」
「生まれる前から…?」
「そう、私のお母さんは悪い魔女に出逢っちゃったみたい。その魔女が、生まれてくる子に呪いをかけたの。まあ、聞いた話だから分からないけれど…。私は、物心つく前に、この屋敷の前に捨てられたらしいから…。」
レニスは思わず閉口する。
この少女が生まれた頃は、まだ魔法使いが戦争の最前線に駆り出されていた時代。
直接的に攻撃する魔法から、暗殺に用いるための呪い殺す魔法まで多く研究されていた。
それをよりによって一般市民に使うなんて。
それも何の罪もない、生まれてくる子供にかけるなど。
我が子の背負う残酷な宿命を、親も背負いきれなかったのだろう。
そしてこの屋敷の前に捨てられた…。
レニスの心の中で、ふつふつと赤黒いものが膨れ上がるのを感じる。
手をきつく握り込んで、沸き起こる感情をどうにか抑え込む。
「……そこから、一人で暮らしてきたのか?」
「ううん、オムニスと二人だよ。」
「オムニス?」
「うん、このお屋敷に住んでいて、私を拾ってくれたおじいさん。オムニスが私を育ててくれたの。」
どうやらオムニスは狩りをしながらこの森の中で一人で暮らしていたらしい。
「オムニスも、君の名前は知らなかったのか?」
「うん、捨てられていた時に添えてあった紙には、名前は書いてなかったみたい。自分は望まれなかった子だから、呪われた子だから…。お母さんにもお父さんにもきっと愛されなかったんだろうな。だから名前なんてないんだよ。」
少女は気丈に振る舞おうとしているが、その声は震えている。
酷い話だ。
この子は何も悪くない。
どうしてこの子がこんな運命を背負わなくてはいけないのか。
「じゃあ、オムニスは君のことをなんて呼んでいたんだ?」
「いつもお前って呼んでたよ。」
「お、お前って…。」
「ある時ね、訊いてみたの、私に名前をつけてって。そしたらダメだって言われちゃった。名前は、親がたくさんの想いと、愛情を込めてつけるものだ。ある意味、子供が幸せに生きられるように与える魔法みたいなものだ。わしの名前は、オムニス。オムニス・アマーレ。意味は、【全てを愛する】。これはわしの生き方であり、魂の在り方なのだよ。わしはお前の本当の親ではない。だから、いいかげんにはつけられない。ごめんな。いつか、お前の本当の名前がわかればいいが…、って。」
この世界では、名前というのは本当に大事なものだ。
だから、オムニスの言うことは決して意地悪ではない。
「でも、私はオムニスに名前は貰えなくても全然よかった」
声色が変わり、少女ははっきりと言った。
「オムニスは、生かす意味のない私をぜったいに見捨てなかった。大切に育ててくれた。不器用だったし、あまり喋らない人だったけど確かに愛してくれたから。だから感謝してるの。大好き。でも…。」
「オムニスは、どうなったんだ…?」
「死んじゃった。私よりも先に…。1年くらい前だったと思う。どうしたらいいか、分からなかったから、屋敷の裏の木の下に、一人で埋めたんだ。」
レニスは想像した。
老人の亡骸を、一人小さな体で弔う少女の姿を。
その後、一人で死を待つだけの孤独の日々を送ってきた少女の姿を。
オムニスは、自分が先に逝くことを予期していたのだろう。
あの食糧庫にあった干し肉などの保存食の量は異常だった。
たとえ死ぬ運命であったとしても、彼女には最後まで生き抜いてほしいと。
そう願って。
「ごめんな、辛い話をさせてしまって。」
「ううん、いいの。ねえそれよりレニス。この丸い食べ物は何なの?」
少女は、机の上を指さした。
「それは、ケーキだ。食べたことはあるか?」
少女はふるふると首を横に振った。
「どんな味がするのかしら…?」
「そうだなあ…。」
ふと、意地の悪い笑みが浮かび上がった。
きっと彼女は喜ぶだろう。
そんな期待が込み上げる。
「それは、食べてからのお楽しみだ。さあ、食べてごらん。」
「レニス、意地悪…」
少女は小さなほっぺたを不服そうに膨らませる。
レニスはケーキを一切れ切り分けると、少女の皿に乗せてやった。
少女はそれを、恐る恐る口の中に運ぶ。
そして噛み締めた瞬間、
「な、なあにこれ…!」
濁っていた少女の青い瞳がキラキラとした光を取り戻した。
「すごくふわふわで…甘い!!なんて美味しいの!!」
「美味しいだろう?ケーキ作りは得意なんだ。」
頬杖をつきながら、レニスはぱくぱくとケーキを頬張る少女を見つめる。
「ねえねえ!もっと!もっとちょうだい!」
「ああ、まだたくさんあるぞ。好きなだけお食べ」
新しくケーキを切り分けてやると、少女は止まることなくケーキを口に運んでいく。
「おい、口にクリームが付いてるぞ。」
口のクリームをナプキンで取ってやろうと手を伸ばすと、少女は瞳を閉じて素直に口元を差し出す。
自分の作ったケーキがフロスも大好きだった。
そしてよく同じように口についたクリームを取ってやっていたな。
やっと少女が年相応の姿を見せてくれたことに、レニスはほっとした。
どんなに過酷な運命を背負っていようと、まだ9歳にも満たない、幼い少女なのだ。
少女の喜ぶ姿を見て、胸の中にじんわりと温かいものが広がる。
自分の中にまだこんな感情が生きていたのかと、レニスは少し驚く。
同時に、温かいものとせめぎ合う冷たいものが押し寄せてくるのも感じる。
目の前で、ケーキを幸せそうに頬張る少女。
人生初めてのケーキであり、これは彼女に取って人生最後のケーキでもあるのだ。
最後の一口を、彼女は名残惜しそうに食べ終えた。
「ああ、美味しかった!今まで食べたものの中で、いっちばん美味しかったわ!魔法ってすごい!レニスってすごい!」
さっきまで暗闇で泣いていたのが信じられないほどの笑顔で、少女は笑った。
レニスは、優しく微笑みを返す。
「…ねえ、レニス」
「ん?」
少女はもじもじとしながら、レニスを上目遣いで見つめる。
「えーっと…!」
そして、言った。
「次は、どんな魔法を見せてくれるの?」
希望と期待に満ちた笑顔だった。
誰かに対して、こんな気持ちを抱くのはいつぶりだろうか。
少女を、もっと笑顔にしてやりたい。
ケーキだけじゃない。
今までの人生の中では、知らなかったような幸せを教えてやりたい。
いや、今までだけじゃない。
たとえ彼女が100年生きたとしても、今夜こそが一番の夜だったと言えるくらいの、最高の夜を。
「ああ、任せろ。まだまだ夜はこれからだ。」
深夜二時。
草木は眠り、満月は夜空高くで静かに微笑む。
そう、二人の夜はまだまだこれから。