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第一章 深夜零時 笑顔の魔法使い

深夜零時。

ここは帝都の外。暗い夜の森。

虚な瞳で彷徨う男が一人。

深い闇の中、男が纏うくすんだローブがゆらゆらと不気味に揺れる。

彼の名前は「レニス・テー」。

深紅の瞳と、漆黒の髪。

かつては、「魔法使い」と呼ばれていた男。

そう、それは過去の話。


人々の生活に、魔法使いは必要な存在であった。

道具の生成、体の治療、薬の生成、火を起こす、光を分け与える、物を運ぶ。

さらには戦争で人を殺めるまで。

魔法は神秘であった。

しかし世界は時に輝かしく、時に残酷に変わりゆく。

産業の発達、技術の発達により、火は簡単に起こせ、薬が人々の体を治す。

物は大量に、安く作る。

光はより輝かしく。

戦争はより確実に、大量に殺められるように。

いつしか、魔法はこの世界から必要とされなくなってた。

いつしか人々は言うようになった。


「魔法なんて、何の役にも立たない、いらないものだ」と。


つまり、魔法に全てを捧げてきた青年の人生にもう意味はないということ。

だから男は諦めた。

全て捨てて危険な夜の森を歩き、獣にでも喰われて最期を迎えようと決めた。

木々は不気味にざわめき、野獣の唸る声が至る所から聞こえてくる。

恐ろしい夜の森も、今は何も怖くない。

どうせ全て、終わるのだから。

「早く全て終わらせてくれないか…」

祈るように歩いていると、不気味な屋敷に辿り着いた。

この危険な森の中で人が住んでいるなど聞いたことがない。

死霊でも住んでいたら呪い殺してくれるかもしれない…。

レニスは若干の期待を交えながら屋敷の中に足を踏み入れる。

屋敷は真っ暗だったが、思いの外廃れていなかった。

むしろ生活感さえ感じるほど、整っている。

誰か住んでいるのだろうか?

怪しむように屋敷の中を見回していると、

啜り泣くような声が微かに聞こえてくることに気づく。

本当に亡霊でも住んでいるのかもしれない。

いざそう思うと、僅かに恐怖を感じ足が竦む。

だがレニスは思い出す。

そうだ、もう全て終わるのだった。

むしろ自分こそが死に損ないの生きた亡霊のようなものだ。

お願いして呪い殺してもらえれば本望じゃないか。

声のする屋敷の2階へと足を進めた。

その泣き声は2階の奥の部屋から聞こえてくる。

意を決して、レニスは扉を開けた。

部屋の窓際、明かりがなく薄暗い闇の中。

何かが小さく影を落としているのが分かる。

死霊の類か、怪物の類か?

ゆっくりとに近づいていると、何かを足で蹴ってしまい大きな音を立てた。

びくっと、その小さな影が震える。

「えっ?」

驚いたような声を発した。

そしてそれは、思いの外可愛らしい声だった。

いよいよ分からなくなってくる。

得体の知れない何かがそこにいる。

暗闇の中、何とか確かめようとレニスは目を凝らした。

その時、月明かりが窓から差し込む。

淡い光が、それを照らし出す。

美しい絹の布のように、滑らかに光が流れる銀色の髪。

器に注いだ搾りたてのミルクのように、無垢な白色を湛えた柔らかそうな肌。

青玉の石を埋め込んだように、燦然とした輝きを秘める青く丸い瞳。

その長いまつ毛には、朝露を集めた葉のように大きな雫を纏って。

淡い光の中、そこには亡霊ではなく一人の少女がいた。


一人の少女が、泣いていた——。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


「あなたは、だあれ?」

大きく目を見開いて、少女が問いかける。

まさか森の中の屋敷の中に、少女がいるなんで思ってもいなかった。

レニスの頭の中は、困惑の嵐が吹き荒れていた。

なぜこんなところに少女が?なぜ泣いている?迷子か?人の形を模した化け物か?

ふと我に返り、名乗る。

「俺はレニス。君は、誰だ?」

「レニス…」

少女は虚な目をしてレニスを見上げる。

「私の名前は…。」

沈黙。

「分からない…。」

「分からない?」

思わず問い返す。

一体どういうことだ。

何かをきっかけに記憶を失うことがあるというのは聞いたことがある。

そんな類だろうか。

「うん。そう、名前は無いの。私には…。」

そう言うと、ワンピースの黒い裾をぎゅっと掴んで、再び泣き始めた。

レニスは慌てた。

まずい、冷静さを失って、怖い聞き方をしてしまっただろうか。

そして彼女は名前はないという。

何か深い事情を抱えている子なのかもしれない。

レニスは息をゆっくりと吐いてから、柔らかい顔を意識する。

腰を下ろして、少女と同じ高さに視線を合わせる。

「君は、どうして泣いているんだい?」

穏やかな声で質問する。

少女は小さな手で溢れる涙を懸命に拭きながら、何とか声を絞り出した。


「私は……この夜が終わったら、消えてしまうの。」


少女はそう言った。

消えてしまう…。

その言葉の意味を考える。

荒唐無稽な話に聞こえるが、少女の様子を見るに決して嘘を言っているわけではないことは分かる。

その瞳の奥に宿すは、深く暗く、冷たい青。

絶望の色。

ということは、つまり。

「それは、死んでしまう、ということかい?」

恐る恐る訊くと、少女はうん、と小さく頷いた。

言葉を一つ発するごとに、大粒の涙が目から流れ出す。

その小さな手はあまりにも無力で、拭っても拭っても涙は溢れては零れ落ちる。

レニスは少女の事情が掴めない。

何も言えないでいると、ついに少女はその溢れる涙をどうしようもできなくなって、自分の膝に顔を埋めてさらに大きな声で泣き始めてしまった。

”この夜が終わったら、消えてしまう。”

「どうしたものか…。」

レニスは自分が、目の前にいる少女のことを放って置けなくなっていることに気づく。

それは、少女を見て思い出してしまったから。

少女と同じくらいの年齢だった、自身の妹のことを。

幼くして亡くしてしまった、最愛の妹のことを。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


レニスには年の離れた妹がいた。

名前はフロス。

帝都の外れで、二人で暮らしていた。

魔法が衰退したことで、レニスの仕事が少なくなってしまい裕福な暮らしはできなかったが、それでも二人で仲睦まじく暮らしていた。

魔法が必要とされなくなり悲しみに暮れても、

妹がいるならばとレニスは何とか前向きに生きていた。

妹も寂しさ一つ見せずにいつも笑顔を見せてくれる。

可憐な花のような子だった。

二人は幸せだった。二人なら、幸せだった。

しかし、世界はレニスから魔法の神秘だけでなく、妹すらも奪おうとする。

妹が病にかかってしまったのだ。

レニスは何とか魔法を使って、妹を治療しようとした。

しかし、魔法に治せるのは小さな傷や、体の不調など軽いもの。

魔法は神秘だが、万能ではない。

妹を襲った病は、命を蝕む邪悪なものだった。

すがる思いで医者に連れて行ったが、現実はどこまでも冷たく二人を突き放す。

妹さんの病を治せるのは、最新の技術で生成した薬のみだ。

医者は淡々と言った。

だが、そのような薬は非常に高価。

兄妹には到底それを買えるような財産はない。

妹を救えるのは、もうレニスしかいなかった。

衰弱していく妹。

空に輝く太陽を暗雲が覆い隠していくように、笑顔も日々失われていく。

レニスは祈るように、治療に尽くした。

命を削るように、魔法を使い続けた。

それでも、奇跡は起きなかった。


「お兄ちゃん、ごめんね…。」


その言葉と、一筋の涙を残して。

最愛の妹は、レニスの最後の希望であった妹はその短い人生を終えた。

魔法に出来ることなんて何もなかった。

魔法なんて意味のないものだった。

レニスは絶望した。

命を救うことは出来なかったどころか、最期に妹を笑顔にすることすらできなかった。

最期に聴きたかったのは、「ごめんね」ではなかった。

むしろ謝りたかったのは、自分だったのに。

何の力もない、自分だったのに。

せめて、寂しく無いように、安らかに逝けるようにしてあげたかった。

深い後悔を抱えたまま、レニスは一人生き延びてしまった。

妹もいない、魔法も失われた世界に。

生きる意味などもう残されていないというのに。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


そんなレニスの前に今、涙を流す少女がいる。

どうしてもその姿に、妹を重ねてしまう。

事情は分からないが少女は、最後の夜だと言った。

今宵、初めて出会った見知らぬ少女に思い入れを抱くなどおかしいかもしれない。

それでもレニスは思ってしまった。

せめて彼女には、最期に笑っていてほしいと。

どうせ自分も終えようと思っていた命だ。

最後くらい酔狂に生きてもいいじゃないか。

レニスは、決意した。


「顔を上げてくれ」

そう言って、少女の髪を優しく撫でる。

少女は顔を上げて、濁った瞳でレニスを見つめた。

底の見えない、暗い瞳の奥を見据える。

「今から君に、魔法をかけてあげよう。」

「ま、ほ、う…?」

「そう、魔法。この夜を、とびっきり素敵な夜にする魔法だ。そして、君に笑顔をあげる。」

少女は、首を傾げてレニスの話を聞いていたが、思い出したように涙が溢れ始める。

「そんなこと、できっこないよ…。」

再び俯いて泣き始めてしまうが、レニスは屈さない。

「いいや、出来るさ」

そう言って、レニスは右手のひらを少女の前に差し出す。

そこに魔力を込めた。

すると、手の上に煌々と輝く光の玉が現れ、暗い部屋を照らし出した。

光を感じて少女は頭を上げると、

「うわあ…!」

その青い瞳を大きく見開いて光の玉を見つめた。

レニスは左手にも同じようにその球を作り上げると、宙へと放り投げた。

続いて右手の玉も放り投げ、右手から左手の上へとくるくると二つの球を巡らせる。

手だけではなく、左肩、右肩の上へと球を弾ませる。まるで大道芸人のように光の球を自在に操る。

少女は口をぽかんと開けて、宙を舞う光の球を必死に追いかけた。

泣くことも忘れてしまうほど。

やがてレニスは光の球を両手でキャッチすると、

少女の目を再び真っ直ぐに見つめた。

「よし!涙は止まったな。」

少女は自分の顔を小さな手でぺたぺたと触って確かめる。

「あ…!」

少女は驚いて、再び問いかける。

「あ、あなたは…?」

レニスは笑みを浮かべると、勢いよく立ち上がり胸を張った。

そして、少女を見下ろして高らかに答える。


「俺はレニス。レニス・テー!名前の意味は、”君に笑顔を”」


その瞬間、両手の光の球がパンと弾けた。

無数の光の雨が二人に降り注ぐ。


「君を笑わせるためにやってきた。笑顔の魔法使いだ。」


少女瞳の中で、幾つもの光の粒が弾けた。


深い森の寂れた屋敷。

二人だけの、最後にして最高の夜が、幕を開ける。


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