魔法の杖を持つ姫は、まだ恋を忘れられない
世の中は、不公平だ。
我が儘を言った覚えはない。誰かに恨まれるほど性悪だとも思わない。
きちんと挨拶もするし、人には、なるべく笑顔で愛想よく接してきたつもりだ。礼儀作法を学び、勉強だって頑張ってきた。
それなのに…………私は、一体、どうすればよかったのだろう?
私は、扉の前に立ち止まり、ノックしようと軽く握った拳を静かに下ろした。
「やっぱりオマエに打診がいったのか。まあ、オレは誰が何と言おうとキャサリンと結婚するつもりだったからな。事前に騎士団長に相談しておいてよかったよ」
「はぁ~。オレだけ逃げ遅れたってわけか。弱ったなぁ。王命じゃ、断るわけにいかないし。同じ王女でもフルール様との縁組ならよかったのに。あの『三本足の王女』とでは、まともな結婚生活など望めそうにないよ」
「だからこそ、俺達みたいな一介の騎士に王族との縁談が転がり込んだのさ。迷惑な話だ。家督を継げないなら、せめて普通の結婚がしたいよな。奥さんと子どもがいる平凡な」
「まったくだ。浮気なんか絶対に無理そうだしなぁ。『メガネ姫』に縛られる人生なんて、お先真っ暗だ」
「でも、『メガネ姫』と結婚すれば、金は手に入るだろ? 元気出せよ」
部屋の中には、シリル・コルネイユとジョエル・ボリビエがいるはずである。
この散々な言われようからは想像できないかもしれないけれど、二人とも、普段は真面目に勤務する私の護衛騎士だ。
私もちょっと、いや、かなり驚いている。こんなふうに思われていたなんて。
彼らとは王女と騎士として、上手くつき合ってきたつもりだったのにな。
ただ、二人の気持ちは理解できる。
伯爵家の次男で継ぐべき爵位がなく、剣で身を立てようと必死に努力して王族の護衛騎士になったのに、厄介払いの縁談を押しつけられようとしているのだから。
ジョエルは、恋人がいるので事前に上手く回避した。逃げ遅れたのはシリルだ。今、内々で私との縁談が打診されている。
――――ごめんなさい。
思わず謝りたくなるほど、申し訳ない気分になった。
精霊王を建国の祖と仰ぐこのロアーユ王国では、ほとんどの者が、生まれつき一つの魔法を持っている。
それは『精霊のギフト』と呼ばれ、どんな魔法を授かるかは運と遺伝による。
『精霊のギフト』は、治癒のように希少な魔法もあれば、髪を染めるだけの変身魔法といった他愛もないもの、城を全壊させるほどの強力な火炎魔法など、玉石混淆である。
少数だが魔法がない者もいるし、大抵はあまり役に立たない小さな魔法だ。魔法の有無や優劣で差別されることもない。
ただ、血統を重んじ政略結婚を繰り返す王侯貴族には、まともな魔法持ちが多い。精霊王の末裔と言われる王家であれば、尚更である。
ランベール国王は、強力な火炎魔法を繰り出す「炎の魔術師」。
エマニュエル王妃は、防御魔法を自在に操る「ロアーユの盾」。
第一子のローラン王太子は、肉体強化魔法を駆使する「ロアーユの軍神」。
第三子のフルール王女は、希少な治癒魔法を有する「癒しの女神」。
そして、第二子の私、クラリスには魔法がない。
もちろん親兄弟のようなカッコイイ二つ名はなく、陰では「メガネ姫」「三本足の王女」と蔑称で呼ばれている。
分厚い丸メガネをかけて、杖をついているからだ。
原因は、十一歳の時に起きた階段の転落事故だった。
ローランお兄様が肉体強化魔法の解除を忘れて、たまたま通りかかった妹のフルールを呼び止めようと背中をポンと軽く押したのだ。その瞬間、フルールの体が大きく揺らぎ、勢いよく前方の階段へと飛ばされた。
ちょうどその時、ローランお兄様の部屋へ行こうと階段を上っていた私は、落ちてくる妹を慌てて受け止め、かばうように抱きしめながら転げていったのだった。
フルールに怪我はなかったものの、私は杖なしでは歩けなくなった。打ち所が悪かったのか、視力がどんどん弱くなって、今はメガネをかけている。
希少ながらも治癒魔法が存在するこの国の社交界では、私の外見が奇異で不可解なものに映るらしい。
国王の娘が治癒魔法による治療を受けられないはずがない。怪我が放置されているということは、クラリス王女を厭い冷遇しているのでは? と邪推する者が少なからずいて、国王の機嫌を損ねまいと私を遠巻きにしている。
罪悪感からか、ローランお兄様が私に対してぎこちない態度で接したことも、彼らの誤解に拍車をかけた。
それまでは、プラチナブロンドの髪とアメジストのような瞳が美しい「小さな精霊姫」と褒めそやしていたのに。
私は、お父様にもお母様にも疎まれてなどいない。
公表されていないだけで、事実はもっと単純だ。
治癒魔法が効かなかったのだ。これまで大きな病気や怪我をしたことがなかったため発覚しなかった。
あ然とした両親が詳しい検査を命じた結果、他の魔法も効かないことが判明した。魅了魔法も、防御魔法も、攻撃魔法も何一つ。
「魔法無効」の特異体質。それが私に授かった『精霊のギフト』だった。
◇◇◇
「こんな所で何をしてるんだい?」
ぼーっと扉の前で突っ立っている私の横から、ぬっと顔を出したのは、レオナール・ブランシュである。ブランシュ公爵家の長男で、ローランお兄様の親友であり、私の元婚約者だ。
「ちょっと、びっくりさせないでよ」
女らしく「きゃっ」と声を上げそうになり、咄嗟に片手で口を押さえた。ここに私がいるのが、シリルとジョエルにバレてしまうのはマズい。
とにかく扉から離れようと杖をついて、できる限り早歩きする。
後ろからレオナールがついて来た。
「いいのかい? 用事があったんだろう?」
「いいのよ。もう用件は済んだから」
シリルに用があったのだ。私との縁談について、どう考えているのか本心を知りたくて、供もつけずに一人でやって来た。
だが、もう十分だ。面と向かって話すよりも、率直な意見が聞けたと言えよう。彼らの休憩時間を邪魔するまでもない。早々に、こちらから破談にしなくては。
「一人じゃ危ないよ。送っていくから」
「いいわよ、慣れてるもの。レオナールこそ、用事があるんじゃないの?」
「ローランの所に寄った帰りだよ」
レオナールはそう言って、杖を握っていない方の私の手を取り、掴まれと言わんばかりに自分の腕に絡ませた。
こんなふうに元婚約者と気安いのは、私たちが幼馴染みであり、婚約していたのが幼少期だったからだ。二つ年上のレオナールは、当時十三歳。今は二十歳になったので、もう七年前だ。そこに男女の愛憎劇は存在しない。
私がこんな身体になったので、婚約が白紙に戻された。公爵家の跡取りであるレオナールは、将来、後継を残さねばならない。妊娠出産の可能性が危ぶまれる私との結婚は無理だろう、と王家側の配慮だった。
二人の距離は、婚約前も後も、白紙になった今も変らない。色恋の「い」の字もありはしない。
でも、私はレオナールが好きだった。
お父様の口から婚約解消を聞いた時は、毎日、隠れて泣いたものだ。
どうしようもないのだと諦めたけれど、恋心はなかなか消えてくれない。
「…………クラリス。君さ、あそこはバンッと扉を開けて『このワタクシに対して不敬な!』とか言ってやるべきだったんじゃないのか? 仮にも専属の護衛騎士だぞ? 自分の主人に対してあれはない」
しばらく無言で歩いてから、レオナールがおもむろに口を開いた。
あれを聞かれていたのか! 恥ずかしすぎる。
私の肩がビクッと反応してしまい、誤魔化そうと咳払いをする。
できれば素知らぬふりをしていて欲しかったな。
二人に陰口を叩かれたことよりも、想い人にみっともない場面を見られたことの方が何倍も傷つく。
自分の護衛騎士に嫌われているなんて知られたくなかった。
レオナールの前でだけは、皆から好かれていた「精霊姫」のままでいたい……なんて、我ながら乙女だ。
「彼らの主人はお父様だもの、仕方ないわ。私の護衛になったばかりに、縁談話が浮上しちゃって人生台無しになりそうなのよ。愚痴の一つもこぼしたくなるわ」
「陛下も、どうしてあんなヤツに縁談なんか」
「騎士と王女の恋物語に仕立て上げたいらしいわ。一緒にいるうちに想い合うようになった、ってね」
「なんだそれは」
「ローランお兄様が結婚なさったでしょう? 次は私ってことよ。私が片付かないと、フルールの婚約者を決められないもの。シリルは伯爵家の次男だから跡継ぎを残さなくていいし、コルネイユ家は旧家で家格としても問題ないとお考えなのよ。大恋愛なら、次男への降嫁も不自然じゃないというわけ」
半年前にローランお兄様が妃を娶り、フルールも、もう十六歳だ。そろそろ婚約者を決めたいのに、姉の私の嫁入り先に苦慮していて先延ばしになっているのだ。
おそらく、私の婚約さえ調えば、フルールの結婚相手はレオナールに決まるだろう。家格の釣り合いが取れ、王宮の勢力バランスに影響を及ぼさない。何より、フルールにとっても、レオナールは気心知れた兄のような存在だ。これ以上にない良縁である。
もし正式に婚約となれば、祝福しなければ。
覚悟はできている。
だって私はフルールの姉だし、レオナールの幼馴染みだもの。大切な人には、幸せになって欲しい。
「クラリスは、それでいいのか?」
一瞬、ドキンとする。
いいに決まってるじゃない、と言いかけて正気に戻る。
ああ、シリルの話ね。
「さすがに破談にするわよ? シリルに迷惑はかけられないもの」
「そうか」
レオナールが少し安堵した声になる。
「うん。これ以上被害者が出ないうちに、修道院にでも行くつもり」
「なっ! 一生結婚しないつもりなのか? クラリスは、まだ十八だろう。なにも修道院に入らなくても…………」
安堵したりギョッとしたり、忙しい人だ。だけど、それだけ心配してくれているのだと思うと、なんだか嬉しい。
「もう十八よ。私がグズグズしてたら、いつまで経ってもあなたたちが婚約できないでしょ。レオナールだってもう二十歳なんだから、急がないと公爵様が心配なさるわ」
「クラリスは、それでいいのか?」
先ほどとまったく同じ問いに、躊躇なく返事をする。
「いいに決まってるじゃない。二人には幸せになって欲しいもの」
めいっぱいカラッとした笑顔で答えたけれど、ズキンと胸が痛んだ。
いいに決まってる。幸せになって欲しい。
本心のはずなのに、こんなにも苦しい。
こんな時、分厚いメガネは便利だ。
少しくらい涙ぐんでも、気づかれないのだから。
◇◇◇
善は急げ、だ。
うじうじ考える前に、早速、修道院のパンフレットを取り寄せることにした。
私は、足は不自由だけれど、行動力はある。
運よく侍女には恵まれている。その中でもソフィアは特に仕事が早い。
頼んだ翌日には、何十冊もの資料が机の上に積まれていた。
『充実したおひとり様人生を』『優雅なひとり時間を湖畔で』『静かな森で過ごしませんか? ~三か月のお試し期間アリ』などの謳い文句が並ぶ。
近年の修道院は、離婚したり、婚約破棄の憂き目に遭ったり、結婚願望がなかったりと、様々な事情から生涯おひとり様を貫こうとする貴女のための施設を運営している。その収益は、地元の孤児院の運営資金となっているのだ。
「う~ん、こんなに多いと迷うわね。あっ、これなんてどうかしら? 『オポーツ湾の豪華海鮮ディナー』ですって、美味しそう!」
「なんだか旅行ツアーみたいですね。修道院らしくないというか」
ソフィアが紅茶を淹れながら、怪訝そうな顔をする。
修道院は、俗世を離れて修行をしながら共同生活を送る禁欲の場所なのだ。ソフィアがそう感じるのも当然である。
「婚約破棄の醜聞で社交界に居場所を失くした、とある公爵令嬢の発案だったらしいわ。父親に修道院行きを命じられた時に閃いたそうよ。同じ境遇の仲間同士で、のんびり暮らせる場所が欲しいって。だから修道院の施設とはいえ、厳しい規律とは無縁なのよ」
「なるほど、富裕層が定住すれば寄付もたくさん集まりそうですもんね。でも、本当に行くんですか? 陛下も王妃様も、きっと反対なさいますよ」
「そうなのよねぇ」
お母様はともかく、お父様は私の結婚を諦めていないのだ。
私とシリルの縁談は、どうやって断ろうかと悩むまでもなく、あっさり破談になった。陰口がバレたのだ。
シリルとジョエルは、王都警備へ配置換えだ。降格人事である。
「ごめんよぉ。あんな奴だと知っていたら、縁談の打診などしなかったのに。今度こそは、もっといい縁談を持って来るから安心なさい」
と、こんな調子で、次を探す気満々なのだ。
ちなみに、ローランお兄様経由で、お父様に告げ口したのはレオナールである。
「忠誠心のない護衛騎士など要らないだろ? いざとなったら裏切るし、命の危険に晒される。クラリスは優しすぎるよ。もっと自分を大切にしたほうがいい」
今朝、王太子命令で急に新しい護衛騎士がやって来たので、抗議しようとローランお兄様の執務室を訪ねたら、同席していたレオナールに咎められた。
「そうだよ、クラリス。このまま黙っているつもりだったのかい? 見て見ぬふりして放置すれば、王家がその陰口を認めたことになる。それは許されないことだよ。厳格に処分すべきだ」
ローランお兄様にもピシャリと叱られ、すごすごと自室に戻った次第である。
というわけで、抵抗する間もなく新たな護衛騎士、いや、次の被害者候補が送り込まれてしまった。
ピエール・ポワロとシャルル・レーヌ。共に伯爵家の三男である。まだ若くて、聞けば二人とも私の一つ下だそうだ。
彼らに縁談の打診がいく前にどうにかせねば。
目下の使命は、お父様の説得だ。
そのためにはまず、このパンフレットに目を通して、終の棲家を見つけなければならない。
私はメガネのレンズをキュッキュッと拭いてから、よしっと気合を入れてページを開いた。
数日が過ぎ、修道院の候補が三つに絞られた頃、お祖父様が訪れた。
レジス・ダルトワ前侯爵。お母様の父親である。
王宮魔導士をしていて、『精霊のギフト』の研究が主な仕事だ。
半分隠居の身なので、年に数回、王宮に顔を出す以外は、領地にこもって趣味の魔道具開発に勤しんでいる。
完全な隠居とならないのは、私がここにいるからだろう。
「おお、クラリス、調子はどうじゃ?」
「変わりありませんわ、お祖父様」
ここで言う「調子」とは、体調のことではない。杖とメガネのことだ。
この二つは、お祖父様が自作した魔道具なのである。
あの事故の後、私は、お祖父様に「ほれ、魔法の杖じゃ。『精霊王の涙』を装飾にしたから、そのうちいいことがあるかもしれん」と銀色の杖を授けられた。
最初は「えっ、魔法の杖?」と期待したものだが、ただの杖だ。私の成長に合わせて伸びていくだけの。
メガネも同様に、使用者の視力に合わせて度数を自動調整する優れもの。
お陰で新調せずに済んでいるけれど、『精霊王の涙』なんて希少な素材を大盤振る舞いしたわりには、大したことがない。実にもったいない。もっと有意義な使い道があったのではないかと思う。
しかし、本人は「研究開発なんてそんなもんじゃよ」とケロッとしたものだ。
すぐに結果など出ないと、折々に魔道具の様子を確認しに来るのだ。
「そうか、そうか、変わらんか。不便がないならよかった。まあ、『私がアナタの足になります』なんてクラリスに想いを寄せる殿方が現れたら、もっとよかったんじゃがの」
お祖父様が、カカカッと豪快な笑い声を上げる。
「そ、そんな人いるわけないじゃないですか」
恥ずかしさで、かぁーっと顔が赤くなるのがわかった。
自分の護衛騎士にまであの言われようだもの。つまり、私は異性にモテないのだ。
だけど、過去に一人だけそのセリフを言ってくれた人がいる。当時、婚約者だったレオナールだ。
初めて見舞いに訪れた時に「これからは、僕がクラリスの足になるからね」と私の手を握ってくれたのだ。
私は、忘れられない思い出を思い出し、ますます顔が火照っていった。
「そうか、残念じゃな。死ぬ前に、孫娘の花嫁姿を拝みたかったんじゃが」
「やめてくださいよ。ウェディングドレスなんて、一日着たら終わりじゃないですか。その夢は、フルールが叶えてくれますよ。私は間もなく修道院へ行くつもりなので、案外、早いかもしれません」
「修道院~? 聞いとらんぞ」
「実は、かくかくしかじかで、次の被害者が出る前にどうにかしたいのです」
修道院行きを決めるまでの経緯を話すと、お祖父様は目をパチパチと瞬かせた。
「それで護衛が代わっとったんか。陛下も男女関係にはニブイところがおありになるからのう。クラリスも大変じゃったな。じゃが、儂は修道院には反対じゃ」
「でもっ、このままではフルールの縁談にも支障をきたしてしまいます」
「おまえさんに遠くへ行かれたら、こうして定期的に会うのが難しくなるじゃろ?」
「あっ……」
うっかり魔道具開発に協力していたことを失念していた。
今までは、ギフト=魔法だと信じられていた。しかし、近年、魔導士たちの間では、これまでに「魔法なし」と判定された人々の中にも私のような特異体質の者がいるのではないか、という考え方に変わりつつある。
既存の鑑定用水晶では判別できないため、お祖父様は、特異体質にも反応する新たな鑑定用水晶を開発中なのだ。
だが、魔法の種類ではなく、体質そのものの鑑定となると魔道具の構造もより複雑になるため、おいそれとはいかない。
私は、試作した鑑定用の水晶に触れるだけの「簡単なお仕事」なのだけど。
「のう、クラリス。おまえさんがどうしても結婚は嫌だと言うなら、儂はそれでもかまわん。じゃが、もう少し時間をかけて考えてもいいのではないか? 修道院は、簡単に出たり入ったりする場所ではないじゃろ。ここに居づらいのなら、領地へ来ればいい。儂の研究もはかどるし、温泉もあるぞ? 長期療養中ということにすれば、フルールの縁談に影響はないはずじゃ」
「お祖父様……」
「何でも一人で背負いすぎじゃよ。儂も王妃も陛下も皆、クラリスの幸せを願っとる。それを忘れんようにな」
「はい、ありがとうございます」
「儂はしばらく王都に滞在する。何かあったらいつでも声をかけなさい」
お祖父様に優しく諭され、目頭が熱くなった。
◇◇◇
お祖父様に会ってから、私は、幾分、気が楽になった。
新しい護衛騎士のピエールとシャルルに、婚約者がいたことも理由の一つだ。
「前任者の事情は存じております。私たちは大丈夫ですよ。王太子殿下が、婚約者がいる者の中からお選びになりましたので」
私が恐る恐る探りを入れると、シャルルが笑いながら内情を明かした。
ローランお兄様は、シリルの二の舞にならないように考慮してくれたようだ。これならお父様も縁談の打診はできないだろう。
「そうそう、シャルルの婚約者は商家のお嬢さんなんです。『ル・コント商会』はご存知ですか?」
「えっ? あのローズ化粧品の?!」
「お、おいっ、ピエール。そんなことまで暴露しなくても…………!」
シャルルは照れながら慌てている。
婚約者同士、仲がいいのだろう。恋愛結婚なのかもしれない。
ピエールは、揶揄うようにニヤニヤと笑う。
羨ましいと感じながら、私も笑った。
「あの化粧水はバラの香りが素晴らしいと侍女から聞いたことがあるわ。きっとお母様もお好きだわ。よかったら、紹介してもらえないかしら」
「本当ですか?!」
ル・コント商会は、まだ王室との取引がない。商機が巡ってきて嬉しいのだろう、シャルルの顔がパッと明るくなった。
王妃の愛用品となれば、いい宣伝になるはずだ。
こうして彼らと楽しく話せることに、私は安堵している。
悪口を言うような人たちには見えないし、思えば、シリルは、私の前ではずっと硬い表情で寡黙だった。嫌々警護にあたっていたのかもしれない。
お祖父様の進言が功を奏したのか、あれから私の縁談に何も動きはない。その代わり、お父様は、フルールの婚約者選びに着手したようだ。
年頃の令息を招いた舞踏会が催され、候補者を順番に茶会に招いているらしい。
その中には、レオナールもいる。出来レースのようなものだ。
なるべく情報を耳に入れないようにしているけれど――――
「やっぱり初対面の方とのお茶会は、緊張してしまって疲れますね。その点、レオナール兄さまとのお茶会は気楽でいいわ」
と、フルールがくるくるとよく動く瞳を輝かせるので、そういうことなのだろう。
可愛い妹。
ふわりとした蜂蜜のような金髪。
宝石よりも美しい青い瞳。
表情豊かな口元。
まだ学生だけれど、勉強の合間に王立病院で治療もしている。
人々に慕われる、心優しい「癒しの女神」。
レオナールにふさわしい美貌、地位、健康な体。
全部、持ってる。
世の中は、不公平だ。
嫉妬してしまう。
だけど、憎めない。
幸せになって欲しい。
黒い感情に負けることなく、そう思えることにホッと胸を撫で下ろす。
私は、大丈夫だ。
気が楽になったもう一つの理由は、ダルトワ侯爵家のタウンハウスを訪ねる機会を得たことである。
別館では、例の『精霊のギフト』鑑定用水晶の魔道具作りが、いよいよ大詰めを迎えているのだ。
共同開発者として、ラファエル・ブランシュも参加している。彼はレオナールの弟だ。フルールと同じ王立学校に通っていて、空き時間をすべてこの魔道具開発に費やしている。
あまりに忙しそうなので、私は水晶に手を触れる役目以外に、座ってできるちょっとした雑用もするようになった。リストを作成したり、資料を整理して綴じたり。
手伝いは気がまぎれるし、誰かの役に立てることが嬉しい。
「身近に『魔法なし』の判定を受けた人がいるんですよ。だから、魔法以外のスキルに興味があるんです。どうせ卒業に必要な単位は取得済みだし、学生の間に完成させたいと思って」
なぜお祖父様と共同開発しているのかと尋ねると、ラファエルはそう答えた。
身近と言えば、親戚か友人かしら。
『精霊のギフト』の登録リストは、国の脅威になるなどの特例を除き、原則的に公開されないので、誰がどんな魔法を持っているかは直接本人に訊いてみないとわからない。
意外と「魔法なし」は多いのかもしれない。
もしかしたら自分の身近にも特異体質の人がいるのではないかと、この魔道具の完成が楽しみになってきた。
そうやって、目まぐるしく日々を過ごし、叶わぬ恋を自分の頭の中から追い出してしまいたかった。
そんなある日。
雲一つない青空が眩しい昼下がりのことだった。
どうもあの別館の作業場は、雑然としていて華やかさが足りない。花でも飾ってみたらどうだろう、と突如思いついたのは。
魔道具開発も最終段階で、気持ちに余裕ができたからかもしれない。
外出の支度も早めに済んだし、馬車の準備にはまだ時間がかかる。
今のうちに庭師のサニエに頼んでこようと、無駄に行動力のある私は、またもや一人で庭園の奥にある温室を目指して杖をついた。
カツン、カツン――――。
屋外へ出て、庭園に続く石畳の小道へ入ると杖が小さく音を立てる。
心地よい風がサワサワと生垣の葉を揺らす。
ああ、気持ちがいい、そう感じた時だった。
杖の音が、高らかな笑い声にかき消された。
「もうっ、レオナール兄さまったら、意地悪なんだから」
「いや、本当のことだろう?」
ハッとして庭園に視線を移すと、フルールがレオナールにエスコートされ、談笑しながら歩いているところだった。
仲睦まじく寄り添う二人を見て、私は無性に立ち去りたくなるほどの居心地の悪さに襲われた。
別に、普通に挨拶を交わせばいい。フルールだってレオナールの幼馴染みなのだし、二人が楽しげに話すことは過去に何度もあった。
だけど、もうあの頃とは違う。男と女なのだ。婚約直前の――。
私はいたたまれなくなって、咄嗟に踵を返すと不格好な歩き方になるのも気にせず、全速力で逃げ出した。
明るく祝福するのではなかったの?
覚悟していたはずなのに、この体たらくだ。
私は、なんて醜いのだろう。
もと来た道を戻って、ようやく王宮の入口が見えた頃、運悪くローランお兄様と行き会った。
こんな姿を見られたくない。
「クラリス? こんな所でどうしたんだ」
私は呼吸を調え「ごきげんよう」と挨拶をする。
「ああ、そうだ。ちょうど、これから庭園のガゼボでフルールたちとお茶会なんだ。よかったらクラリスも一緒にどうだ? 近頃、忙しくて、ちっとも顔を合わせてなかっただろう」
屈託のないローランお兄様の笑みが、更に心を抉った。
私は杖をぎゅっと握り、無理矢理に微笑む。そして、首を横に振った。
「少しだけでも――――」
「これからお祖父様と約束があるので、これで失礼しますわ」
私は、ローランお兄様の言葉を遮った。
「そうか……悪かった」
「いいえ、ローランお兄様が謝ることなど何一つありません!」
思わず語気が強くなる。
礼を失したのはこちらの方だ。謝ることなど、何もないのだ。何も。
ローランお兄様は、あの事故以来、私に対してすぐに謝罪の言葉を口にするようになった。
それは、つまりこう言いたいのだ。
――――おまえの人生を台無しにして悪かった。
そのたびに、私にとってレオナールは、自分の人生が台無しになるほど大きな存在だったのだと思い知らされ愕然となる。
同時に、認めたくないと必死に足掻く。でないと、もう二度と立ち直れないような気がして。
私は背筋をピンと伸ばして、ローランお兄様とまっすぐに対峙する。
ローランお兄様は、はたと目を見開き、腑に落ちたように「ああ……」と喉の奥から呻き声をもらした。
「…………悪かった。今まで、おまえの気持ちに気づいてやれなくて」
「何のことですか? 毎日、楽しいですし、私は、大丈夫ですよ」
笑顔で応じるも、意味がないのだと差し出されたハンカチで悟った。
いつの間にか泣いていたらしい。
いつもは目尻で留まっている涙が、分厚いレンズで隠されていたはずの雫が、頬を伝いすべり落ちてゆく。
ずっとメガネの奥に秘めていたものを知られてしまった。
この失態をどう取り繕うべきか、必死に考えるけれど何も浮かばない。
――――私は、大丈夫です。
侍女のソフィアが探しにやって来るまで、私は、ただひたすらに、この言葉を繰り返していた。
◇◇◇
ダルトワ侯爵領で過ごすようになって、半年が過ぎた。
あれからお祖父様は、何も聞かずに私を領地へと連れて行った。その心遣いには、感謝してもしきれない。
『クラリス王女は、足の痛みが再発したため、適切な治療・療養が必要である』だなんて、嘘も方便だ。
現在、表向きは「湯治」ということで、温泉リゾートを満喫中である。
お父様は寂しがったが、ローランお兄様の口添えもあり、少しでも足がよくなるならばと長期滞在の許可が下りたのだ。
観光客の喧騒を逃れるように、メインストリートからやや奥まった閑静な場所にある別荘で、お祖父様と侍女ソフィア、護衛騎士のシャルルとピエールで、のんびりと暮らしている。
お祖父様は「後はレポートと申請書類を書くだけだから」と、ラファエルに残りの作業をすべて託し、権利を全部譲ってしまった。
「たまには、休みも必要じゃ。儂もトシじゃからの」
と言いつつ、名産ダルトワ牛ステーキをペロッと平らげ、次の魔道具の構想を練っている。
丸投げされたラファエルは「皆、俺に面倒ばかり押しつける」と文句を垂れながら、一度だけここへ魔道具の最終調整に訪れた。
真面目で努力家な彼は、一分の隙もないほど完璧なレポートを仕上げ、無事に『新・精霊のギフト鑑定水晶』の申請が通り実用化の運びとなった。
その功績から、卒業後は宮廷魔導士の職と男爵位の叙爵が決定している。
護衛騎士の二人は、ちゃっかり婚約者をこの温泉リゾートへ招待していた。
近くのホテルに滞在している彼女と、頻繁にレストランを巡ったり、観光名所を案内したりとデートを楽しんでいる。
「王都じゃ、親や世間の目もあって、こうはいきませんからね。クラリス様の護衛になって、本当にラッキーですよ!」
「私もです! 彼女もローズ化粧品の販路が広がったと大喜びで」
シャルルの婚約者の『ル・コント商会』の看板商品であるローズ化粧水は、この温泉地でも販売が開始され、瞬く間に人気を博した。バラの芳醇な香りが、非日常のリゾート気分を更に盛り上げるのだとか。
ピエールの婚約者は、子爵家の次女だ。大の温泉好きということで、毎日機嫌がいいらしい。舅となる子爵家の当主も、名門ダルトワ家と繋がりが持てたと喜んでいるという。
侍女のソフィアは、相変わらずだ。
あの時、泣いていた私の顔を粛々と拭き、瞼を冷やしてから化粧をやり直した。余計な質問も慰めの言葉も一切口にせず、いつも通りに。それが、彼女の優しさだった。
ここでもソフィアは、淡々と仕事をこなす。温泉にも入る。風呂上がりの「いちごみるく」の一気飲みが、習慣になっている。
私が、王都の噂を耳にしないで済んでいるのは、彼女のお陰なのだろう。
ここでの生活は、穏やかだ。
お祖父様の魔道具作りを手伝いながら、ずっとここで過ごしたいな。
そんな現実逃避のような願望が頭をよぎるようになった頃、「王女殿下と公爵家令息の婚約が決まった」との噂を街で聞いた。
「ねぇ、ジャック。ジャックったら、聞いてよ。えーと、あれっ? 名前なんだっけ? えっと、とにかく王女さまがケッコンするんだって。コウシャクさまの息子よ。すっごいお金持ち! うちのママが言うんだもん。ほんとよ!」
偶然、通りかかったパン屋の子どもが話しているくらいなのだから、噂はもう国中に広まっているに違いない。
傍にいたソフィアが、ギクリとして目を泳がせた。予想外の所から二人の婚約を私に知られてしまい、動揺しているのだろう。
「せっかくメインストリートまで足を運んだのだから、お菓子を買って帰りましょうよ!」
侍女に心配をかけたくないので、私は、聞かなかったふりをする。
「あちらにクラリス様の好きなチーズスフレの専門店がありますよ」
ソフィアは安堵した様子で小さく息を吐き、すぐさま優秀な侍女に戻って道案内を始めた。私たちの数歩後ろを護衛のピエールが続く。
噂を聞いても、私は、意外と冷静でいられた。
もっと早くに婚約発表があってもおかしくなかったのだ。
フルールの婚約者候補たちは形ばかりで、ほぼレオナールに内定しているのだし、私は長期療養中で、妹の縁談が先に決まったとしても差し支えないのだから。
私があの時、泣いたから?
ローランお兄様が、私の気持ちが落ち着くまではとお父様を説得したのかもしれない。
私は、二人の邪魔をしてしまったのだろうか。
苦い思いを抱えつつ、ケーキをたくさん買って帰るとお祖父様が嬉しそうに顔をほころばせた。
お祖父様は、甘党だ。頭を使うと甘いものが欲しくなるのだと、いつもお菓子をつまみながら『魔道具構想ノート』に何やら書き込んでいる。
「おおっ、チーズケーキか。我が領のチーズは格別じゃからの。明日、客人にも振る舞うとしよう」
「お客様がいらっしゃるのですか?」
「あ、そうそう、クラリスのお見合い相手じゃよ」
しれっと伝えるものだから、私は危うく手に持ったケーキ皿を落としそうになった。あまりに唐突な縁談話にびっくりして、とても平常心ではいられない。
「お祖父様っ、わっ、私は、結婚は――――」
「わかっとる」
お祖父様は、私の抗議を片手を上げて制した。
「じゃが、先方がどうしてもと頭を下げるのでな。儂も無下にはできぬ相手じゃ。どうかこの爺の顔を立てると思って、会うだけ会ってみてはもらえんかの?」
懇願されてしまうと断れない。
ダルトワ家がそこまで気を遣う相手だ。何か事情があるのかもしれない。
今までお祖父様には、たくさん支えられた。恩を返したい。
「わかりました。ご期待に添えないかもしれませんが、それでよろしければ」
私で役に立つのなら、会ってみようという気になった。
「うむ。それでいい」
お祖父様は、私の肩をポンポンと叩いて満足げに頷き、ソフィアが淹れたての紅茶を運んでくるとウキウキしながらテーブルの席に着いた。
「さあ、ケーキを頂こうかの」
先方が本当にこの縁談を望んでいるのなら、結婚する方がいいのかもしれない。これ以上、あれこれと詮無いことに煩わされずに済むし、お祖父様もお父様も私の花嫁姿を楽しみにしている。ローランお兄様も安心するだろう。
私は、濃厚なチーズスフレを味わいながら、これはいい機会なのではないかと、ぼんやり考え始めていた。
◇◇◇
緊張して、よく眠れないまま翌日になった。
どんな方なのだろう?
急な見合い話に混乱して、相手の名前を訊くのを忘れていた。いくら何でも、うっかりし過ぎだ。
肝心のお祖父様は、朝からふらりと出かけてしまい、示し合わせたかのように、ダルトワ家の本邸から敏腕執事のフランセルが送り込まれてきた。
現侯爵の右腕と言われる彼の登場で、昨日までのほほんとしていた別荘がピリピリしている。フランセルの号令で、別荘の使用人たちは慌ただしく動き回り、ギリギリまで準備に追われていた。
その間、私は彼らの邪魔にならないように部屋にこもるしかない。
ソフィアに手伝ってもらって、久しぶりに着飾る。
紫紺に銀の刺繍が施されたドレスを纏い、丁寧に髪を結った。
いっそのことメガネを外そうかと考えたけれど、やはりありのままを見てもらおうと、かけたままにした。
時間になり、フランセルに応接室へ案内された。
ここは裏庭に面する一番眺めのいい部屋で、広いテラスがついている。
春はフリージアが、夏はグラジオラスが、秋はダリアが花壇を彩る。
今は、薄紫のダリアが見頃だ。
紫は、精霊王の色として尊ばれている。ダルトワ家のもてなしの心だ。
扉が開かれる。
その人は、独りテラスに立ち、静かに庭を愛でていた。
背を向けているけれど、私にはその人の名前がすぐにわかった。
「レオナール」
私より頭一つ分高い身長と艶のある黒髪は弟そっくりだ。
だけど、名前を呼ばれて振り向いた顔は、やっぱりレオナールの目と鼻と口で、夢や幻などではなく確かにそこにいるのだった。
――――なぜ?
あなたの婚約者は、フルールでしょう。なぜ、こんな所にいるの?
私が声を発するよりも先に、レオナールが足早に近づき、口を開いた。
「七年だ。婚約が白紙に戻ってから七年。やっと……やっと陛下から君にプロポーズする許可をいただけたよ」
あっ、となった。
お祖父様が、お父様の許可もなく独断で私のお見合いの席を設けるはずがなかった。これは王家とブランシュ公爵家も承知の上でのことなのだ。
お祖父様も無下にできない相手。
本邸からフランセルが送り込まれ、辣腕をふるった理由。随所に垣間見えるもてなしの心は、皆がこの縁談を祝福していることの顕れだ。
レオナールに言われて、ようやく私は、そのことに思い至った。
しかし、わからないことだらけだ。冗談だと笑い飛ばされた方が、余程、納得がいく。
「だったら……フルールは? 婚約するのではなかったの?」
「最有力候補だったのは事実だよ。正確には、僕がというよりは『ブランシュ公爵家の嗣子』なんだけどね。だが、つい先日、隣国の第三王子ユリアン殿下との婚約が正式に決まった。どちらにしても、僕は公爵家を継がないから、いずれ候補から外れる予定だったけど」
「え……? じゃあ、巷に流れている王女と公爵令息の婚約の噂は?」
「君と僕のことだろうね」
呆然とする私を、レオナールが「話すと長くなるんだよ」とソファへ促す。
いつの間にか、フランセルの姿が消えていた。
「まず、ブランシュ公爵家はラファエルが継ぐ。それにより僕は、後継を残す必要がなくなった。これで婚約解消の理由が消えるだろう? 伯爵家の次男に縁談の打診があるなら、後を継がない公爵家の長男でも問題ないわけだ」
「え、ええ。だけど、レオナールはそれでいいの? だって…………」
この国では、病弱だとか次男が著しく優秀だとか、特に事情がない限りは長男が後継になるのが通例だ。だから、レオナールが次期当主だと目されてきたのだ。
レオナールは、お兄様の側近としても有能だ。後継を外れれば、本人に何らかの問題がある、と醜聞に繋がる恐れがあるのに。
「いいも何も、七年前からそのつもりだったから。ただ、正当な理由もなく次男を次期当主に据えることはできないと父に言われてね。それで、まだ十歳だったラファエルをけしかけたんだ。『当主になれ』『見合う功績を上げろ』ってね」
「そんなに前から?!」
「あの頃は、とにかく後継を降りたくて必死でさ、ラファエルには悪いことをしたと思うよ。勉強、勉強で息つく暇もなかっただろうしね。そのせいで『面倒ばかり押しつけて』と未だに文句を言われる。あれから、ようやく魔道具開発での叙爵が決まって、ついに父も了承した」
当時を懐かしむようにレオナールは、ふっと笑った。
「だが、王宮の勢力バランスを考えれば、ラファエルがフルール王女の婚約者に選ばれる可能性が高かった。当然、同じ家が王女を二人も娶るわけにはいかない」
黙って頷く。かつて、私もそれで悩んだ。
二人が復縁するには、周囲が納得する理由でレオナールが後継の座を降り、なおかつ、ブランシュ公爵家がフルールを娶らないことが最低条件だった。
無理だと思った。レオナールが後継を降りる理由もなければ、わざわざ私を選ぶ必要もない。私にとって、一度、分かたれた二人の道は、どこまで行っても交わらない平行線だった。
「どうなるかわからなかったから『待っていて欲しい』とは言えなかった。君の足になるって約束したのに、守れなくて……悪かった」
「謝ることなんてないわ。私は大丈夫だったもの」
私が強がると、レオナールが「嘘だね」と言う。
「君は、嘘ばかり吐く。泣いているのに、平気なふりして笑うんだ」
「な、泣いてなんていないわ」
「ラファエルから聞いてない? 僕はクラリスと同じ『魔法なし』だって。魔法は使えないけど、物心ついた頃から不思議と『偽り』がわかる。宝石の偽物を掴まされることはないし、詐欺に引っかかることもない。間者の変装も見抜ける。『新・精霊のギフト鑑定水晶』によると『真実の眼』の特異体質だそうだよ」
だから僕に嘘は通用しないよ、と、レオナールは勝ち誇っている。
「あ……」
ラファエルの身近な「魔法なし」がレオナールのことだったとは。
しかも、特異体質? 『真実の眼』? 何それ。
それじゃあ、メガネを隠れ蓑に泣いていたことも、私の気持ちも全部筒抜けだったということ?
必死に作った笑顔も、まったく意味をなさなかったというのか。
私は一つも言葉にしていないのに、まるで盛大な愛の告白をしたかのような気持ちになって、俯いてしまった。
それを察したように、レオナールが、ソファに座る私の手を取って跪いた。
「愛してるよ、クラリス」
「き、急に何を言うのよ。今まで、一度だってそんなこと…………」
私たちの間には、婚約前も後も、白紙になってからも、色恋の「い」の字すらなかったはずだ。
「そうだね。だけど、君を愛する資格を失ってから、ずっとこの言葉を伝えたかった。いつも一緒にいたのに、一度も好きだと言わなかったことを後悔したよ」
「まさか好かれてるなんて、思いもしなかったわ」
「ごめん。照れ臭かったし、あの頃は、もう婚約したんだからと、君との未来を確約された気になって安心してた。もっと素直に言葉にすればよかった。たとえば『可愛い』とか――――」
「うん」
「『大好きだ』とか『僕の精霊姫』とか」
「う、うん」
さすがに「精霊姫」は、こそばゆい。
思わず顔を上げると、そこにはレオナールの真剣な眼差しがあった。精霊王の色と同じ、紫の瞳だ。
「結婚してください。一生、大切にします」
「……はい」
返事が自然と口から零れた。
レオナールがはにかみながら、私の指に紫水晶のリングをはめる。
鮮やかな紫色をしたその宝石は、愛と誠実さを象徴する守護石だ。
タイミングを計ったようにフランセルが姿を現した。後に続いたソフィアがお茶の準備を始める。その仕草は、どこか嬉しそうで口の端に笑みを浮かべていた。
テラスでお茶を飲みながら、私たちは、たくさん話をした。
お父様が私とシリルの縁談を進めた時は焦ったとか、巷の噂の出所はどうやらお母様らしいとか、フルールは政略ではなく恋愛結婚だとか。
妹の婚約者となったユリアン王子は、治癒魔法での治療のため、お忍びで我が国へ訪れた際に、フルールを見初めたのだそうだ。
二人を引き合わせたのは、王宮魔導士のレジス・ダルトワ。なんとお祖父様だ。懇意にしているあちらの宮廷医師を通して、それとなくということらしい。
けれど、貴重な治癒魔法の使い手を国外へ出すことに一部の貴族から反対の声が上がり、すんなり婚約とはいかなかったようだ。
そうこうしているうちに私はダルトワ侯爵領へ行ってしまい、王家が水面下で彼らの説得や各方面の調整に奔走している間も、レオナールは、依然として婚約者候補であり続けるしかなかった。
ハラハラしながら事態を見守り、ラファエルが後継に決まるとすぐに私との結婚をお父様に願い出たという。
「正直、気が気じゃなかったよ。君は修道院へ行くなんて言い出すしさ。しかし、ユリアン殿下は盲点だったな。幼少の頃から病気がちで、まだ決まった相手がおられなかったんだ」
「お祖父様に感謝しなきゃね」
結局、私はお祖父様に保護され、お祖父様との共同開発でラファエルが後継に決まり、お祖父様のキューピッドでフルールが婚約した。
お祖父様は、こうなることを見越していたのだろうか。
「そうか、そうか、それはよかった。これで儂も孫の花嫁姿が見られるのう」
私がレオナールのプロポーズを受けたことを報告すると、お祖父様は満面の笑みを浮かべて喜んでいた。その無邪気な表情からは、微塵の老獪さも感じられないのだった。
◇◇◇
その後――――
『クラリス王女とレオナール・ブランシュ公爵令息は、致し方ない理由から一度は婚約解消に至ったものの、様々な障害にも負けず長年の恋をついに実らせた』
お母様の流した恋物語を肯定するように、私たちの婚約が大々的に発表され、あれよあれよという間に結婚準備が進んだ。
「早い方がいい」と、お父様とお祖父様、なぜかブランシュ公爵までもが意気投合したのだ。
この足なので、なるべく簡素な式でとの心積もりでいたのだが、お母様とフルールと王太子妃に「結婚式は女の夢よ!」と噛みつかんばかりの勢いで反対されてしまった。
ソフィアを始めとする侍女たちは、綺麗になるのも花嫁の仕事だと、私の髪と肌のお手入れに躍起になっている。私は、ローズ化粧品の優雅な香りに包まれて、彼女たちのなすががままになった。
本人たちよりも周りの方が盛り上がり、たじたじである。
最近のレオナールは、よく愛の言葉を囁く。
「好きだ」とか「今日も可愛い」とか。
もそっと小さく呟くのは、照れ屋だからだ。その証拠に、耳の先が赤くなる。
「好きじゃないわ」と、私は、たまに意地悪な返事をする。だけど、どんな言葉を返しても、レオナールは嬉しそうに笑っている。本心が筒抜けなのだ。
半年後、春先の大聖堂で結婚式が執り行われた。
「綺麗だよ、クラリス」
「ありがとう。あなたも素敵よ」
私の言葉が嘘だとわかっているレオナールは、ぷっと噴き出す。
視界が、ぼやーんとしている。
ウェディングドレスを纏った私は、メガネを外して式に挑んでいて、せっかくのレオナールの正装も端正な顔もモザイクのように見える。
ソフィアが「ク、クラリス様、お美しいですぅぅぅ!」と泣いていたけど、鏡に映った自分の顔すらぼやけていて、はっきりとわからないのが残念だ。
幸い、杖とレオナールのエスコートがあるので私の挙動に問題はない。
パイプオルガンの音色が響き渡り、私とレオナールは、聖壇へと続くロイヤルパープルのカーペットを踏みしめた。
ロアーユ王国で一番古いこの聖堂には、聖壇の奥に王家の祖と言われる精霊王の像があり、ステンドグラスや飾られる花が紫で統一されていて格式がある。
大主教と首席司祭の司式のもと、神と精霊王へ祈りが捧げられ、私たちは大勢の参列者の前で誓いを交わす。
「――――悲しみ深い時も喜びに充ちた時も、真実の愛をもって互いに支え合うことを誓いますか?」
「誓います」
ベールが上げられ瞳を閉じる。唇にキスが落とされた瞬間、参列者たちから騒めきが起こった。
「何ごとだ?」
「どうしたんだ!」
「演出かしら?」
困惑した人々の声が口々に上がった。
不思議に思い、そっと薄目を開けると、辺り一面にパァーッとまばゆい光が放たれていたのだった。
私は驚き、気づくと、レオナールに抱きしめられていた。
徐々に光が弱まって、段々と視界が鮮明になる。
守るように私の背中に腕を回していたレオナールも呆然としている。ポカンとするように少し口を開けて、紫色の瞳がまん丸になっている。
「とりあえず口を閉じたら?」
なんだかおかしくなって、クスっと笑いながら指摘する。
レオナールが慌てて口を閉じた。
それから、気づいた。
見える。見えているのだ。
レオナールの顔と胸の紫のポケットチーフ、ウェディングドレスの繊細なレースの模様が。
そして、また気づく。
私の手から、杖が消えていた。
そっと足を踏み出す。
「クラリス?」
「レオナール、私、歩けるわ……」
そんな馬鹿な、と、参列しているお祖父様を探すと笑顔でこちらにピースサインをしている。
何が起きたの? 杖はどこへいったの? すぐにでもお祖父様に駆け寄って問い質したい。
そんな衝動を諫めるかのように、大主教がコホンと咳払いをした。
「『――――精霊王は娘の死を嘆き涙を流された。いくつもの大粒の涙は、虹色に輝く水晶に変わった。精霊王は言われた。“これを我が子孫に授けよう。いつか娘が生まれ変わり真実の愛を誓い合う時、涙は乾き幸せが訪れるだろう”』……ロアーユ王国建国記の一節です」
大主教が厳かに告げる。
恋人に騙され、世を儚んで身を投げた愛娘を悼む精霊王の話である。
私の杖に装飾された希少素材『精霊王の涙』は、この時の虹色水晶だと伝えられている。
会場がシンと静まり、奇跡が起きたのだと誰もが納得した顔になった。
私たちは、晴れて夫婦となった。
もう私は『メガネ姫』『三本足の王女』と呼ばれてはいない。
結婚式で嬉し泣きをしているお父様を見た現金な貴族たちは、「クラリス王女は、国王に溺愛されている」とこれまでの認識を改めた。
今では『奇跡の精霊姫』と手のひら返しだ。
「な? 魔法の杖じゃったろ?」
奇跡の瞬間に立ち会えたと、王宮魔導士は上機嫌である。
一体、どういうことなのかと、私はあれこれ質問攻めにしたけれど、のらりくらりと躱されてしまい有耶無耶になった。
ただ、『精霊王の涙』が乾けばなくなるのが道理だろうと、杖が消えた理由をそう語った。
「やっと涙が乾いたんじゃ。幸せにおなり」
人生は魔道具開発のようなものだ、とお祖父様は言う。
上手くいったりいかなかったり、時間がかかったり、簡単に解決したり、予想外の結果になったり。必ず成功するわけでもなければ、絶対に無理ということもない。思いも寄らないことだらけだ。
その通りだと思う。
卒業と同時に隣国へ嫁いだフルールは、その数年後には、なんと夫のユリアン王子が国王に即位し王妃となった。
ローランお兄様は、四人の子宝に恵まれた。四人とも女子なので、次代は数百年ぶりの女王ということになる。
結婚を機にブランシュ公爵から爵位の一つを譲られたレオナールも、最終的に公爵家を継いだ。ラファエルが恋に落ち、侯爵家へ婿入りすることになったからだ。
私は公爵夫人となり、子どもを三人も授かった。修道院行きを検討していた頃とは、真逆の人生を送っている。
大変な時もあるし、ケンカもする。だけど、レオナールとなら、この先どんなことがあっても乗り越えられる気がするのだ。
「私は、幸せ者ね」
しみじみと呟くと、後ろから優しい腕に抱き寄せられる。
「うん、知ってる。君に愛されてる僕も幸せ者だよ」
参ったなぁと思う。
レオナールには、全部筒抜けなのだ。
だけど、私だって知っている。今、彼の耳が赤くなっているということを。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
評価&誤字脱字報告、ありがとうございます。今後の励みになります。