作品を読まずにレビューを書く行為について
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「読まなくても面白さが伝わる傑作!」
投稿者:名無しさん
この『ドラゴンランドの聖騎士』という作品ですが、私はまだ読んでいません。でも傑作であると断言できます。
だってタイトルから、本格的なファンタジーの匂いがただよってくるじゃないですか。読めば、きっと素敵な読書体験が得られることでしょう。
でも残念ながら、ランキング上位の作品を読むのに忙しくて、この作品を読む暇がありませんでした。
読んでみてつまらなかったらガッカリするので、このまま読まずにおこうと思います。そうすれば、私の中では傑作であり続けるのですから。
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「ふざけんな!」
俺は自作についたレビューを読み、思わず一人で怒鳴り声をあげた。
俺は「小説家になろう」というサイトに、自分が書いた小説を投稿している。
今書いているのは『ドラゴンランドの聖騎士』というファンタジー小説で、重厚で骨太なストーリーが展開する自信作だ。世界観の設定も、細かくつくりこんである。
四千文字程度の話を毎日投稿し続け、もう一ヶ月になる。文字数は十万文字を超えたが、これでも構想しているストーリーの十分の一程度だ。
ここまで書けば、さぞや多くの読者を得ていると思うだろうが、なんと、ほとんど読まれていないのである。
その作品がどれだけ読まれているかを判断する指標となるのが、PV(ページビュー)だ。
PVはその作品のページにアクセスされた回数をカウントするもので、PVが多ければ多くの読者に読まれているということになる。
『ドラゴンランドの聖騎士』のPVは、さすがにゼロではないが、一日平均30ほどで、トータルでも1000に満たない。
人気が高い作品ならば、一日でPVが十万を超えることも珍しくないのにだ。
俺は自分では、とても面白いものを書いていると思っている。読まれさえすれば、きっと心に刺さる読者はいるはずなのだ。
それなのに読んでもらえない。これでは、書き続ける気力がなくなるのも当然だろう。
俺は、続きを書くのをやめた。
俺が新たな話を投稿しなくなってから、一週間が経った。ほとんど読んでもらえない状況は、もちろん変わらない。
しかし、信じられないことが起こった。
レビューが書かれたのである。
ユーザページに赤文字で「レビューが書かれました」と表示されたのを見た時は、息が止まるほど驚いた。
レビューは正確にはイチオシレビューと呼ばれるもので、読者が気に入った作品を、他の読者に紹介するために書くものだ。
レビューを書くということは、その作品をよっぽど気に入ってくれたということで、滅多にあることではない。
俺がどれほど喜んだかは、理解してもらえると思う。
そして期待に胸をふくらませながら、俺は書かれたレビューの内容を確認した。
それが、冒頭にあげたレビューである。
読まずにレビューを書くとは、悪質なイタズラとしか思えない。
俺はただ、自分の作品を読んでくれる読者が存在することを、実感したいだけなのだ。
ちなみに、このレビューが書かれた後も、全くPVは増えなかった。普通ならレビューが書かれると、PVは大きく増えるはずなのだが。
もう嫌だ、今日はビールを飲んで寝よう。
そう思ってパソコンの電源を落とそうとした時、運営から新しくお知らせが出ていることに気付いた。
・「時間遡行開示設定」追加のお知らせ
いつも小説家になろうグループをご利用いただき、ありがとうございます。
本日の更新におきまして「時間遡行開示設定」を追加いたしました。
小説情報編集ページでこの設定にチェックを入れると、作品が遠い過去にさかのぼって公開されることになります。
現代では陳腐になった作品も、過去においては斬新な作品とみなされる可能性があります。ぜひご利用ください。
今後とも小説家になろうグループを、よろしくお願いいたします。
なんだ、こりゃ?
過去にさかのぼるなんて、できるはずがないだろう。パソコンもスマホもない時代に、どうやって公開するというのか。
今日は四月一日じゃないが、どうなってるんだ?
こんなふざけた内容のお知らせが出たとあっては、きっとネット界隈では大騒ぎになっていることだろう。
そう思って調べてみたが、この件はまるで話題になっていなかった。
いったい何なんだ? 俺のページにだけ表示されているお知らせなのか?
試しに小説情報編集ページを開いてみると、確かに「時間遡行開示設定」という項目が追加されていた。
俺は迷った末、とりあえずその項目にチェックを入れてみた。
翌日は、何も変化がなかった。相変わらずPVはほとんどない。
その翌日も変化なし。
信じられないことが起こったのは、三日後のことだった。
またしてもレビューが書かれたのである。しかもそのレビューを書いたのは、あり得ない人物だった。
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「読まない方がよいもの」
投稿者:清少納言
読まない方がよいものは、
野暮ったい男からの恋文。田舎者が近況を書いて送ってきた手紙。こんなのはウザイだけで、全く読む価値がないわね。
それに比べて、『ドラゴンランドの聖騎士』はおもしろそうで心がひかれるわ。でも女房たちが化粧をしながら笑い合っているのがうるさいので、日を改めて読むことにしましょう。
近頃評判になっている『源氏物語』とやらは、もてない女の妄想ここに極まれりという感じで、読めば頭が悪くなりそうね。
なんでも光GENJIとかいう破廉恥な男が、女を次々と手籠めにする話らしいけれど、おぞましくて吐き気がするわ。
作者の女は権力者に取り入るのが得意だそうだけれど、そんな妄想の物語を得意がって披露していたら、きっとろくな最期を迎えないでしょうね。
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こいつは紫式部の悪口を書きたかっただけじゃないのか?
それにしても、まさか清少納言にレビューを書いてもらえるとは思わなかった。
説明の必要もないだろうが、清少納言は平安時代の女性作家で、『枕草子』という随筆を書いたことで有名だ。
平安時代の人間がレビューを書くなど、普通ならイタズラと考えるところだが、不思議なことに、俺はこれを書いたのが本物の清少納言だと確信してしまった。どうやって書いたのかは不明だが。
現代語で書かれているのは、おそらく翻訳機能が働いているのだろう。
残念ながら清少納言は、俺の作品を読んではくれなかったようだが、日を改めて読むと書いてあるのが救いか。
だが俺の経験上、いつか読むとか言ってる奴は、いつまで経っても読まないものだ。
しかもこれは『ドラゴンランドの聖騎士』のレビューのはずなのに、どう考えても『源氏物語』の作者である紫式部の悪口に力点が置かれているように思える。それも、かなりひどい誹謗中傷だ。
ただ紫式部の方も『紫式部日記』において、清少納言に対して誹謗中傷に近い批判を書いている。
清少納言がそれを読んだという記録はないが、もし読んでいたならば、口汚く言い返してやりたくもなるだろう。
さて、歴史上の有名人にレビューを書いてもらったわけだが、相変わらずPVはほとんど増えなかった。なにしろレビューを書いた本人が読んでないわけだからな。
俺はがっかりして、ビールを飲んで寝た。
それから三日後、また過去の人物からレビューを書かれた。
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「諸行無常の響きなし」
投稿者:名も無き琵琶法師
「小説家になろう」というサイトには、様々な作品が掲載されているようです。
ですがランキング上位の作品であっても、千年後まで残っている作品は、果たしてあるでしょうか?
永遠に不滅のものなど存在しません。驕れる平家が滅びてしまったように、どれほど人気のある作品であっても、時の流れの中で、いつかは消えていくものでございます。
『ドラゴンランドの聖騎士』という物語についてですが、拙僧は盲人でございますから、読むことはできません。
しかしこの作品は、滅びるということはなさそうです。
なぜなら滅びるも何も、誰にも読まれたことがないため、初めから存在しないも同然だからです。
まさに「一切は空」。あらゆる事象には実体がないという、仏法の真理を表現しているのではないでしょうか。
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おそらく平家物語は、千年経っても残っているだろう。
それにしても、また意外なところからレビューが書かれたものだ。
琵琶法師とは、琵琶という楽器を奏でながら物語を語る僧侶のことで、その多くは盲人だった。
鎌倉時代になると、「平曲」と呼ばれる『平家物語』の弾き語りが行われるようになり、平家物語は琵琶法師によって日本中に広められた。
平家物語は「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」で始まる物語で、作者は正確にはわかっていない。
栄華を極めた平家であっても、あっという間に滅んでしまったことから、どんなものでもいつかは滅びてしまうという、仏教の諸行無常の教えが、その根底にある。
この、名も無き琵琶法師という奴は、目が見えないのなら俺の作品を読めなくても仕方ないが、それならなぜレビューを書く気になったんだろうか。そもそも、盲人が字を書けるのか?
俺はもちろん「一切は空」を表現した覚えなどない。どうせなら、一度人気が出てから消えたいものだ。
結局、このレビューが投稿された後も、PVは全く増えなかった。
俺はビールを飲んで寝た。
それから三日後、またレビューが書かれた。
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「ひたすら座禅に打ち込みなさい」
投稿者:道元
『ドラゴンランドの聖騎士』の作者の一乗谷という人にとっては、読まれない小説を書くことが、悟りと同一である。
その生き方とは――、
悟ることにとらわれず、悟らないことにもとらわれない。
自己を知り、自己を忘れる。
認識に頼ることなく、あるがままを受け入れる。
それはアルファでもなく、オメガでもない。
読まれない小説を書き続ける姿こそが、仏の姿なのだ。
では我々は彼の小説を読むことによって、真理を得られるのだろうか。
そうではない。
魚は水の中を泳ぐことが、あるがままの姿であり、
鳥は空を飛ぶことが、あるがままの姿であり、
一乗谷は読まれない小説を書くことが、あるがままの姿だ。
しかし人間は、生まれながらにして仏である。
仏は仏として修業をすること、つまり座禅をすることが、あるがままの仏の生き方なのだ。
さあ、座りたまえ!
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何を言ってるのかはさっぱりわからんが、読んでないことだけはわかった。
まさか道元が出てくるとは思わなかった。
これも説明は不要だろうが、道元は鎌倉時代の僧侶で、禅宗の一派である曹洞宗の開祖である。
曹洞宗は同じ禅宗の一派である臨済宗とは違い、禅問答はあまり重視しない。
教義の中心は「只管打坐」。つまり、ひたすら座禅をしろということだ。
道元は『正法眼蔵』という大著を筆頭に、様々な著作も残している。
文中に「アルファでもなく、オメガでもない」という意味不明な一文があるのは(というか、全文が意味不明だが)、おそらく翻訳機能の不具合だろう。
ギリシャ文字のアルファが最初の文字であり、オメガが最後の文字であることから、「始まりでもなく、終わりでもない」と書いたのではないか。それでも意味不明だが。
それにしても、こいつは間違いなく、俺の作品などハナから読む気はないと断言できる。
なぜなら禅宗には「不立文字」という思想があり、文字にとらわれないことが大事なのだ。古人が書いた書物や経典では真理は得られず、自身が体験しなければならないのである。
道元もたくさん書物を読んでいた時期があったのだが、ある僧から「そんなに本を読んでどうするの?」と尋ねられ、答えに窮した。そして書物に頼るよりも、座禅をすることが大事だと気付いたのである。
だったら意味不明なレビューなど書かず、ずっと座ってろと言いたい。
俺の精神も、限界に近付いていた。
なんでどいつもこいつも、俺の作品を読もうとしないのか。
わけのわからんレビューを書いてくるのか。
道元のレビューには、特に腹が立った。
こいつは最初から読む気がなく、自分が言いたいことを言っているだけだ。
自分も物書きなら、読まれない悲しさは理解できるだろうに。
俺は秘蔵のウイスキーを開け、痛飲することにした。
酔いが回るうちに、道元に対する憎しみが高まっていった。
「おのれ道元!」
俺は酔った勢いのまま、道元に対し復讐することにした。
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その日、〇×出版から刊行された道元の著書、『正法眼蔵全巻セット』のamazonレビューに、星1レビューが投稿された。
一乗谷
★☆☆☆☆ 読む価値はありません
読まないほうがいいです。
やたら長い上に、あり得ないほど難解だそうです。読んでないから知らんけど。
しかもこれ、未完だそうです。道元さん、完結させないまま勝手に成仏しないでください。
そもそも不立文字の教えはどうなったんですか? 真理は言葉では表現できないはずじゃないんですか? 書物によって自分の教えを伝えようとしてるのは、矛盾してませんか?
こんなものを読む暇があったら、何も考えずにひたすら座禅に打ち込んだ方がいいと思います。