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008 未来を描く

「このようなか弱い女子を自分の部屋に連れ込み、一体どうしようというのですか?」


 街の緊迫する空気を幾重にも切り抜けてきてようやく安全圏に飛び込んだというのに、相も変わらず目を細めたままのグレイゴーストの口から出たのは薄紅色に色づいた言葉だった。

 しかし、彼女の声には狙ったかのように起伏がなく、今時の合成音声のほうが生き生きと話すことだろう。


「いいから、ここに座って」


 アレクは口元に手を当て、ニヤリともしない美少女を木製の椅子に座らせた。

 そうして自分は向かい側のベッドに腰を落とすと咳払いを一つ。神妙な面持ちで「聞きたいことが山ほどある」と口を開いた。


「まずはこの状況から。本当にゲームは『あいつら』にジャックされたの? ここで死ぬと、現実の肉体も死ぬとかあり得るの?」


 少年はそう口にするが、本当の答えは薄々分かっていた。

 不確かなそれらを再確認することで自分の気持ちの整理がつくのではないか、と思っていたからだ。

 グレイゴーストは瞬きを何回か繰り返し、銀球を上に向けたまま刹那の思考をする。


「残念ですが、アセリエ国外にあるメインサーバーが物理的に掌握され、システムの大半を書き換えられ、完全に『彼ら』の手に落ちました。要求は現時点では出ていないようですが、十中八九『フラクタルライトエンジン』のソースコードが狙いでしょう」

「つまり、僕たちは人質というわけ?」

「端的に申しますと、そうなりますね。死についてですが、技術的には可能です。脳波を遮断・リレーする装置から脳波停止シグナルを送信。脳が死を強くイメージすることでノーシーボ効果により高確率で死に至らしめます」


 ノーシーボ効果とは、偽薬などに副作用があると信じ込むことで本来有り得ない作用が出現してしまうことをいうのだが、それを知っていてもなおアレクにはそんな簡単に人が死んでしまうのかが不思議でならなかった。


「人の死は意外と身近にあるものですよ。命が清潔にパッキングされ、棚に整列しているアセリエ国内からは分からないかもしれませんが、紛争地帯などにおいては人の命はワゴンセールにもなりません。些細な言い争いから殺し合いに発生し、報復が報復を呼び、銃がそれらの殺意を助長させて単価いくらかの銃弾が『尊き命』を摘まみ取っていく」


 グレイゴーストが今まで身に着けていた冷たい仮面を自ら剥ぎ取り、憎悪のこもった声色で床に視線を落としたまま語る。


「それは現実的な倫理観を持たないこの仮想世界についても同じです。憎いから、邪魔だから。腹いせに、効率化のために他者を殺す。データが示す世界は現実よりも残酷かもしれませんね」


 そう語る彼女にははっきりとした感情が見てとれ、寂しげに微笑む姿は生身の人間だった。

 呆けるアレクにグレイゴーストは息を漏らして「幻滅しましたか? 私は本来こういう人格を持っているのです。生みの親――ローゼンタール博士の影響を強く受けているのでしょう」と子悪魔的な笑みを浮かべてそう言った。


「次に君――グレイゴーストはどういう状況にあるのかを教えて欲しい」


 アレクは動揺を隠せない、僅かに上擦った声で次の質問に移る。


「先日も申しましたように、私は内外から情報を収集して自律成長する統合型AIです。主に弊社のゲームマスターの補助業務を行うため実験的に作り出されました。しかし、現時点では権限の多くをジャック犯たちに奪われた『お喋り検索機能付きAI』にしか過ぎません。私は保身のために最後まで抗うことを止め、逃げてきたのです」


 彼女と、この世界に害をなす者たちの間にどういった戦いがあったかはアレクには分からない。

 だが、彼女が無責任に職務を放棄して逃げてきたとも到底思えなかった。


「君は、よくやったよ」


 だからアレクの口からするりとそんな言葉が発せられる。

 その一言に発達しすぎたグレイゴーストの感情が震える。

 重い責任を常に問われてきた彼女に宛てられた優しい言葉。

 無機質な銀球に光が差し込み、目元がきらりと光を弾いた。


「そうでしょうか」


 込み上げてくる感情の波に抗いながら彼女は言葉を返した。

 いつか去りゆく者たちに思い入れをしてはいけない。必要以上に親しくなってはいけない――作られた感情が揺れる心を締め付けた。


「……次に、だけど。大丈夫? 僕、何か変なこと言ったかな?」

「大丈夫です。どうぞ」

「えーと、現時点で僕がイグニスの分身を連れてきたとしても、前に教えてくれた手順での記憶の修復はできなくなったよね。どうすれば僕や彼女にとって最良の結果を迎えられるかを教えて」

「最良の結果……ですか」


 グレイゴーストは目を閉じて暫しの間思案に耽る。

 銀の少女は細い手先で整った顎先を何度か擦り、何かを言いかけてはまた沈黙する。

 その様子に思春期の少年は落ち着かない様子でもぞもぞとしていた。


「貴方が望む未来は彼女の記憶――即ち、記憶を保持したままこのゲームから去ることです。そこに抜け道などはなく、ゲームがクリアされるその時まで共に生き残ることにあります」

「どっちにしても、ヤツらの手の上で踊らないといけないのか……」


 グレイゴーストの言葉が重くアレクの肩にのしかかる。

 それに押しつぶされた彼は乱暴に身をベッドに横たえた。

 銀の少女は過酷な未来に怯えることなく、今を見ていた。この少年はきっと、やり遂げてみせるだろうと。


 沈み行く西日が窓から差し込み、埃っぽい空気に筋を作っていた。

 幼馴染みを救うことだけを考えている赤髪の少年アレク。

 管理側の世界から逃げ出してきた感情が未発達な少女グレイゴースト。

 二人は手を取り合うことなく、だが寄り添って共に歩み始める。

 遠く、とおく。辿り着く先も分からない果てしない旅路を。

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