062 スイッチ
その後何事もなかったかのように行われた伐採作業は単調そのものだった。
凄まじい速度で産出される丸太を護衛たちが重量制限ギリギリまでインベントリに詰め込んで纏め、再び実体化させて放り投げ、また別の者が収納して──というバケツリレーに似た運搬作業がやや刺激的ではあったが、アレクはそのような最中にも思考の海に漂っていた。
それはタリサを構成していた光の霧の一部に触れた時のことだった。
彼女の記憶の一部──それも現実世界で味わったであろうトラウマがアレクに刻み込まれるように鮮烈に浮かんだ。
頭を真綿で締め付けられるような鈍痛が襲い、緊張感は胸を激しく叩いた。
心配する仲間たちをよそに当初の予定を全てこなし、トリエラの護衛をザイスとイグニスに任せ、アレクはファストトラベルを発動させる。
彼は光の玉となり上空へと昇っていく。
次の瞬間、風景がぐにゃりと歪んで一気に流れて行った。
「あら、久しぶりね」
僅か数秒でセントリア西門に帰還したアレクを待ち構えていたのは対PKギルドの長、シャーロットだった。
喪服のような漆黒色のドレス姿で含みのある微笑みを彼に向けてくる。
周囲は夕暮れ時ということもあり、ファストトラベルで帰還してくるプレイヤーたちが散見できるが人通りはまばらだ。
PKと遭遇したばかりのアレクとしてはPKKを生業とする彼女に聞きたいことの一つや二つはあったが、衝動的に戻って来たために「久しぶり。元気にしてた?」という定型の後が続かない。
「私たちが元気なのもそれはそれで問題があるのだけれどね。まあ、そこそこには元気にしているわ。貴方は?」
シャーロットは優しい光を宿す悪魔の瞳でアレクを見つめてくる。
彼は思い悩んだ。
故意ではないといえ、プレイヤーキルをしてしまったということ。
そうして相手の記憶が流れ込んできたことをギルドマスターであるレックスに直接報告したあとに彼女に相談しようとしていたからだ。
アレクにとって順番は大切な意味を持つものだったが、なかなか捕まらないシャーロットを前にして言葉を整理し、堰となっていた唇を上下に切り離す。
「──そう。大変だったわね」
アレクの話をシャーロットは深く頷いて受け止める。
異国人の存在や近海の探索の件は避けられており、あの港町には調査で訪れていたという体だ。
「気を強く持て──だなんて気休めは言わないけれど、どうしても限界が来たら逃げなさい。貴方を守れるのはあなたしか居ないのだから」
シャーロットは厳しい表情でそう言うと、電子メモを切り取ってアレクに手渡す。
「これは?」
「私のギルドが管理している集落の座標よ。いざという時は力になるわ」
「ありがとう」
アレクはインベントリにそれを収納すると彼女に頭を垂れた。
「それにしても神霊旅団のエースを倒すだなんて。上が知ったらどういう顔をするかしら」
「そんなにヤバいギルドだったの?」
我が手柄のように顔を綻ばせるシャーロットにアレクがたずねる。
それと同時に彼女がタリサの死を喜んでいるようで背筋に寒気が走る思いだった。
「ダンジョン攻略組やフィールドを問わず無差別にやりまくっている奴らよ。殺人こそが救済の道なんだとか。頭がおかしいわ。まあ、PKを狩る私たちに言えたことではないのだけど」
「シャーロットたちは違うよ」
自傷気味に笑う銀髪の少女をアレクは幼き日のイグニスに重ねていた。
虐められていた力なき自分を救ってくれた正義のヒーロー。
弱者の代弁者。
彼が憧れたもの。
「……ただ、対人戦を楽しんでいるだけよ。相手が本当に死ぬとかは興味がなくて、戦闘そのものを楽しんでいるだけ」
そう言うシャーロットは今まで刈り取った魂の数を数え、凍り付いた表情を浮かべる。
彼女たちは全く人命に興味がないわけではない。
ただ、一方的に弱者を虐げるPKたちが憎かっただけだ。
自信満々の表情が変わっていくのが楽しみだった。
狩る側があっという間に狩られる側に回る滑稽さがただただ愉しかった。
その結果、人を殺めているかもしれないという現実から目を背けていた。
「でも、君たちの活動に助けられている人たちだって大勢いるんだ」
「それね」
シャーロットが白い指先をアレクの胸元へ突きつける。
「貴方にそのまま返すわ。彼女を殺して気落ちしていたようだけど、救えなかった命より救えた命のことだけを考えなさい」
美しい悪魔が赤色の瞳をギラリと輝かせて強い口調で言う。
彼女なりの激励だったのだろう。
アレクは「そう思うようにするよ」と素直に頷いてみせた。
「よろしい」
シャーロットは満足そうな様子で胸を張る。
そして手を小さく振りながら「それじゃまたね」とその場から立ち去ろうとした。
「シャーロット」
後ろ髪を掴むアレクの言葉に彼女の歩みだけが止まる。
「心は大丈夫? その、プレイヤーキル重ねて負担が大きいと思うんだ。もし良かったら──」
しどろもどろに言うアレクを遮るようにシャーロットは振り返る。
「もし、大丈夫じゃないって言ったら、アレクは肩を貸してくれる?」
それは普段の彼女からは想像もできない純粋無垢な笑顔だった。




