060 あの輝きは忘れなかったIII
アレクとザイスが浜遊びに参加したのは僅かな時間だったが、彼らに言わせれば数ヶ月分の息抜きが出来たとご満悦の様子だった。
「木材調達はまた明日にしてさ。今日は思い切って遊んじゃわない?」
現実では肌が弱く、日焼け止めを塗っても強く痛みが出てしまうイグニスが白波と戯れていたアレクに言った。
遮る物のない大空の下、海に身を預けるという今まで味わったことのない開放感に彼女はすっかり虜となっていたのだが、アレクは「また二人で……いや、みんなとゆっくり来ようよ」とあくまで任務優先であることの旨を冷ややかに伝える。
「残念。それはそうと、アレク。私に何か言うことない?」
イグニスは身を起こすと控えめな胸を張り、なだらかな腰を突き出してアレクへ羞恥に塗れた視線を送る。
これには鈍い彼も彼女が何を言わんとしているのか察することができた。
「あ、うん。その、ね……?」
だが、それが言語化できるとは限らず、少年は青い瞳をぐるぐると回す思いで片言を絞り出す。
イグニスはそんな彼の反応だけでは飽き足らず「これ競泳用水着みたいで着るの勇気要ったんだよ」と貪欲に言葉を求める。
この世界でのプレイヤーは生殖器を持たない。
彼らの身体は求め合うだけで繋がることは決してできないのだ。
それでも互いの魂を繋ぎ止めようと恋人たちは時に激しく口付けをしたり、敏感な部分を弄った。
アレクは盛りがついた猫のようにイグニスと夜な夜な過激な行為に及んでおきながら、白の水着を身に纏った彼女を直視することができない。
絹のように滑らかで日焼けなど知らない肌は水を弾き、それに透けることのない白くて伸縮性のある素材で織られた水着が年頃の少女らしい丸みを帯びたボディラインを露わにしている。
「よ、よく似合っていると思うよ」
「そう? アレクってば、胸の大きい人が好きだからエイラとかミルヴァに浮気すると思ってたんだけど」
「それは関係なくないけど、関係ないよ!」
何気なしに戯けてみせたイグニスだが、アレクが声を張るので橙色の目を思わず引いてしまう。
「入れ物となる肉体だって、そこに宿る魂だって。僕は君の全てが好きなんだ」
「でも、胸のサイズはご不満と」
「うぐ……そこは、益々の成長をお祈りしております」
イグニスに図星を突かれたアレクが白い煙を出しながら意気消沈とする。
時刻は正午。
一行は浜辺遊びを終え、食堂で買ってきていた海鮮料理の数々に舌鼓をうちながら楽しい時を過ごすのだった。
港街ロトネの正門前にアレクたちは幌馬車の前で他のメンバーを待っている。
主にアルフォンスの伐採道具調達のためで、ユリアスは少し疲れたので宿で休むと言っていた。
「ジルヴァラ、さっきの七割って話だけど」
石壁に背中を預けていたアレクがジルヴァラに声をかける。
彼女は物言わぬ同好会の馬と見つめ合っていたのだが、何も通ずるものはなかったのか視線を素早く外すと「残りの三割の人間がどうなったのか知りたいのですね」と理解の早い様子で返す。
「彼らは記憶、運動、学習機能、人格などに障害が出、中には廃人同然になったケースもあるようです」
「酷い」
「……その人たちは助けられないの?」
アレクはイグニスの肩を擦りながらも脳裏にあの光景が鮮明に蘇る。
夕暮れの病室で痩けた様子のイグニスの姿をした少女。
伏し目がちで他人行儀な言葉の数々。
そして彼は彼女を連れて帰ると宣言した。
「先進の再生治療を以てしても、一度失ってしまったものは取り返すことは難しいです。本人のフラクタルライトが残っていれば強引な方法にはなりますが、入出力装置で強制的に――」
「やー、来たよぉ!」
「待たせたな」
「それ、オレの台詞な」
そこへミルヴァとアルケ、ザイスがやって来て、ジルヴァラは出かかっていた言葉を飲み込む。
彼女は一部以外のギルドメンバーたちには検索機能が充実しているNPCという体だったので、彼らの前では不必要な情報は出せないと銀球を目蓋で覆い隠し、薄紅色の唇をきつく結んでいた。
「んー、そろそろ出発?」
トリエラが人の気配に引き寄せられ、閉じた布幕から顔だけを出して言う。
「まだ肝心のアルフォンスさんとかエイラが来ていないからもう少し待っていて」
「ちぇー、仕方ないなあ」
アレクにそう言われ、トリエラは舌打ちをして奥へと引っ込む。
最初は彼女をテントに押し込んで内々だけで済ませようとしていた。
しかし、トリエラはシステムによってこの大陸への人間へ先制攻撃が出来ず、トラブルに巻き込まれた時に自衛がとりづらい。
なので伐採作業までは無理でも馬車内で大人しくしておいてもらうように本人の同意をもとに決定した。
「小型でも高速艇タイプならあっちまで一時間もかからないし、あと少しの我慢だよね」
トリエラのくぐもった声が外に響く。
造船所建設完了まであと二日。小型船舶建造が十時間ほどとジルヴァラが言うので、異国人の窮屈な滞在はしばらく続く見込みだ。
「待ち時間無しで材料を全て投入してすぐに建造を始めたいからね。暫くの間、辛抱してほしい」
「はいはーい」
トリエラの微妙なニュアンスがアレクの良心をチクチクと突く。
退屈で絞め殺されそうだと言わんばかりの彼女にアレクは美味しい食事でご機嫌を取るしかないかなと呑気に考えていたその時だった。
「おい、アレク」
ザイスの低く唸るような声が馬車を見つめていたアレクの耳を打つ。
そして彼はすぐ異変に気が付く。
いつからそこに居たのか、僅かに上り勾配の薄茶色の街道に少女が背の丈以上ある大剣を地面に突き立て、腰に手を当ててニヤリと口元を歪めていた。
彼女は長いプラチナブロンドヘアをツインテールに結い上げ、アレクよりも淡くアセリエの春空を思い浮かばせる青い瞳で一行を悠然と眺めている。年頃は十代半ばから後半だろうか。
「オルレアンのアレク、用があるのは貴方だけよ。こっちに来なさい」
そこまで距離はなかったが、彼女はよく通る声を張る。
それに何故かアルケが青い顔でビクッと身を震わせた。
「あいつは……」
ミルヴァが目を細めて彼方を見やる。
普段は冷徹を装っているアルケだが、今は無言で友人に抱きかかえられていた。
「ひょっとして前言ってたPK未遂って」
「そう、あいつだ。採集中だったボクたちをあいつが襲ってきて――」
アレクの問いにミルヴァの腕に中に居たアルケがきつく殺戮者を睨む。
その眼差しが届いたのか、金髪碧眼の少女はにっこりと天使も嫉妬するような笑顔を一行に振りまく。
「行ってくる。ザイス、皆を頼むよ」
アレクが道を拒むように立ち尽くす少女だけを見据え、感覚は四方八方に研ぎ澄ませながらゆっくりと歩み寄ろうとする。
「待って。ミルヴァに任せて」
しかし、その肩をアルケと居たはずのミルヴァが強い眼差しと共に引いた。
煎られた麦のように芳しい香りがするその茶色の少女は、兎のように赤い瞳でアレクに訴えかけ、大きく息を吸い込んで「私たちが乗り越えないとダメなんだ」と言い、アレクの半歩前を行こうとした。
身を切り刻まれ、恐怖心を植え付けられ、不甲斐ない気持ちを抱えたまま生きていくという辛さは彼も身を以てして知っている。
だから彼女たちのささやかなる復讐を見届けたいとも思ったが、今は心を空にして「駄目だ」と極めて強い口調で言葉の楔をミルヴァに打ち込む。
「どうしてっ」
ミルヴァの言葉が湿った。
あの憎き双髪の少女を彼女は完膚なきまでに叩きのめす気でいたので出鼻を挫かれ、また自分が信用されていないような気がして失意の底に落ちつつあったのだ。
「君も知っているように大剣使いはキャラクタースペック依存なところが多い。技術や知識、経験でカバーしにくい。だから、あんなに余裕を持っていられるのは相当レベルが高い証拠だ。それに彼女が呼んでいるのは僕だ。戦闘になるとも限らないし、不要ならばそれは避けたい」
「それでも私たちはアイツに借りがある」
普段は朗らかに笑っているミルヴァの口が今や尖り、鋭い歯を剥き出しにして狼犬のように敵意を明らかにしている。
彼女はギルドの訓練で負ける度に全力で悔しがり、人一倍努力を積み重ねて結果を出してきた。
だが、そんな負けず嫌いな彼女の自信がつき始めたところで敵対プレイヤーに襲われ、誰よりも敬愛するアルケを目の前で殺されかけた。
駆けつけたメンバーたちによって最悪の事態は避けられたが、ミルヴァの身体を復讐心という分かり易い感情がチリチリと焦がしていた。
本人を目の前にし、燻っていた負の感情が激しく燃え上がりミルヴァを燃やす。
アレクとしては冷静な判断が出来ていない彼女を投入する訳にはいかなかったが、このまま一人で放っておく訳にもいかず彼は「僕の後ろに。勝手な行動はしないで」と言葉の荒縄でミルヴァを縛り付ける。
彼女はコクンと大きく頭を落とし、言われたようにアレクの後ろをついていくのだった。




