055 ブランニューワールドIII
赤茶色の馬が黒いたてがみを靡かせながら街道を疾走していく。
走る為に特化した筋肉の塊は、現実世界のレーシングカーさながらの速度で空気を切り裂き、黒いダートを跳ね上げながら猛進していた。
「いやっほおぅぅぅ!」
速度の割には安定した馬上で有頂天なミルヴァが雄叫びをあげる。
「ハッハッハッ! どうだ! ウチの馬は最高だろぉ!!」
ミルヴァを自らの駿馬の後ろに乗せている会長も心底機嫌が良さそうに叫ぶ。
「最高じゃねえぇぇぇっ! こんな乗り心地なんて聞いてないぞ! 本当に最悪だっ!」
先頭から少し遅れて走る木製馬車は二頭の逞しい馬が引き、その荷台でパートナーと互いを庇い合う中年男性のアルフォンスが吠えた。
彼は他のオンラインゲームで知り合い、現実世界でも恋仲となったユリアスという女性と共に忙しない現実世界に疲れ果て、生活要素も充実しているこの世界へやってきた。
二人はニューロンギアの無料レンタルに釣られ、同ハード初タイトルとなるエンゲイト・オンラインで遊ぶ予定だった。
だがゲームは謎の黒ローブにより全システムがハッキング、ログアウト不可となり完全にジャックされてしまう。
最初は何かの冗談かと思い救出を信じて普段と変わらぬ生活を送っていたが、周囲の人間が一人、またひとりと消えていく日常にユリアスは正気を失ってしまう。
彼女の言い分では皆が自分の魂欲しさにプレイヤーキルを狙っているのだと。
伐採と木材加工で生計を立て、彼女を支えていたアルフォンスだが日に日に瞳がくすんでいく恋人を見ていられず、半ば強引に家から連れ出すと「ファーザー」と呼ばれる男性に相談した。
素人が素人をカウンセリングするという治療が始まったが、現状より症状が遅らせるのが精一杯で、ついに彼女は「消えてしまいたい」と口に出した。
支え続けるのに疲弊しきっていたアルフォンスは彼女と運命を共にしようとし、受け取りを渋る知り合いに財産を分譲する。
そして人生の伴侶と海を眺め、そこへ還ろうと最低限の装備で連れ立とうとした。
だが、二人は街を出てものの数分としないうちにその一団と出会ってしまう。
彼らはモンスター狩りの帰りなのだろうか。一体何とどう戦えばそのような風貌になるというのか、その時のアルフォンスたちには到底想像もつかなかった。
皆が疲弊し、互いを庇い合いながら進む中、異彩際立つ光を瞳にたたえる者が居た。
獲物を狩る猛禽類でもなく、狩られる側の柔らかい目でもなく。それは混沌と秩序の狭間に生まれたまさに「中立」
デスゲームという狂った空間にありながらも本人の意志次第で悪魔にでも天使にでも成りうる小さな存在に、アルフォンスは身体の震えが止まらずにその場で戸惑うユリアスに何も応えることなく立ち尽くすだけだった。
「……やっぱりミルさんと同じところがよかった」
馬車の前の座席で淡々と言うアルケだったが、ジェットコースターなどが大の苦手である彼女は小さく振るえている。
現実ならば家財や人を次々と地面に転がしてもおかしくない揺れではあるが、そこはゲーム内ということもあり、遊園地にひとつはあるような刺激的なアトラクションと化していた。
「これ、バラバラにならないかなあ……」
馬車の手綱を握るアレクが呟く。
「最悪なことに変わりはないが、まさか再会できるとはねぇ……」
アルフォンスがぐわんぐわんと揺れる視界の中、長い息と共に漏らした。
彼がここにいる理由。
それは、彼がセントリアで最高の伐採スキルを持ち木材加工もそつなくこなすため、今回のアップデートで追加された船舶建造の資質をオルレアンらに見込まれたためだ。
彼は自分自身のことは問題なかったがファストトラベルがあるとはいえ、造船所のある港町までは距離があるということなので、何日か現地に泊まり込むスケジュールになるとの説明を受けてユリアスをちらりと見やった。
すると、説明に訪れていたサクラ色の少女は口元の力を緩めて「よろしければそこの方もご一緒に」と投げかけた。
アルフォンスにとっては恋人のことだけが気がかりだったのだが、依頼主からそう提案されては引き受けざるを得なくなり、しばらくの沈黙の後、港町ロトネへ完全移住を条件に要求をのんだ。
とはいえ騎士団も彼も馬車に関しては素人並みで、彼らとその家財を運搬するのに適した型など運用したこともなかった。
聞きかじりの知識で適当に容量重視の馬車を作成し、乗馬同好会の準レギュラーの馬二頭にそれを引かせることにする。
そういった経緯があり今回の運用に至ったのだが、のらりくらりと進む馬車を護衛していたはずの会長は「ええぃっ。お前たちの本気はそんなモノではなかろう!? 真の力を見せてみよ!」としつこく煽る。
その結果、アレクがヤケ気味に手綱を叩くと行軍速度は馬車本体の最大速度を大きく振り切り、車内は家財道具と人がポンポンと飛び跳ねている今のような有様になってしまっていた。
「あっちはいいなぁ、楽しそう」
「イグニス……それは冗談で言っているのかしら?」
後方から追走するイグニスとペトラも同好会メンバーが操る馬の後ろに跨がり、前方の馬車を見守っていた。
外れクジを引いたエイラともう一人の会員は、スキル全開で猛進する一団から大きく遅れてオルレアンたちの馬をのんびりと牽引していた。
馬たちが右に流れる緩やかなカーブを進んでいくと、左右に生えていた木々が次第に疎らになっていき、向かって左側の崖から蒼の大海原が覗き見えた。
「おーっ! 海だー! それで、あれが目的地なの?」
ミルヴァが手綱を握る会長にたずねる。
「おうとも! まだまだ発展途上だが、無限の可能性を秘めた拠点じゃわい」
会長が前方に広がる三日月のような湾に沿って広がる街並みを見て、ニヤリと含み笑いをしながら言う。
湾岸部の南側は天然石で固めた船着き場や造船所建築地点と思わしき所がひしめき合っていたが、北側は海水浴でもできそうな天然の砂浜が長々と続いていた。
その先には一際高い白い巨塔がそびえ立っている。
「あの白い塔なんだろね? 灯台、かな……」
「それにしては太いような気もしますわ」
アレクたち馬車組が激しい振動で疲弊していく中、快適な馬上から遠くを見やっていたイグニスとペトラが言葉を交わす。
土を踏み固めただけの歪な街道が敷石を隙間無く詰めた石畳へと変わっていく。
2.0で実装されたそれなりに仕事をする衛兵NPCの小隊が警備する南門に一行は辿り着くことができ、先頭が手綱を緩め、馬は早足で街を歩き出した。
「ようやくだ……」
アレクは心底疲れ切った様子で言葉を吐き捨てながら会長の後を追い、彼が広場の大教会前に馬を止めたその横に馬車を停める。
馬車は小回りがきかないためコンパクトに駐車することはできなかったが、実装直後のこの街はNPCが数えるほどしか存在しないのでアレクは通行の妨げにはならないとしてこれで良しとした。
「どうどう」
他の二騎は器用に会長の馬の近くへ横付けして、馬上の四人が軽やかに石畳へ降り立つ。
「なんか同じ大陸の筈なのに、セントリアとは文化圏が全く違う気がするね」
アレクが大教会をまじまじと眺めながら言う。
頭上にそびえ立つ尖塔と、そこから大きく広がる石造りの教会は現実世界の旧ディルの建築様式を模しているようで、熟練の石工によるものと思われる彫刻の飾り付けが美しかった。
「ガハハハ。この街は現実世界のディルティアを模しているようだからの。きっと、この教会もセントマリアーノ教の総本山に違いないわい」
現実では熱心な同信徒である会長が嬉しそうに言う。
今より数百年前。ディルティアのあるベカトル国などの西連合諸国はまだ見ぬ地を求めて競うように大海原に乗り出していった。
手付かずの金銀財宝や見たことのないような刺激的な香辛料、異国の文化財などが西の国々へ持ち帰られ、その国々は好景気にわいた。
だが、それを良しとしない者たちもいた。
中産階級以下の比較的「貧しい」者たちだ。
彼らの中には思考の凝り固まった連合の考え方にはついていけないと、同調する者たちを連れて発見された西周りで東大陸の東海岸へとたどり着く。
そして、あばら屋しかないような集落で建国を宣言したのだ。
その名を「アルカディア」といい、西で迫害されていた人民のための理想郷とならんために高き誇りをもって設立された。
原住民とのトラブルも多々あったが、それが落ち着く頃には豊富な地下資源や農業に適した広大で肥沃な平地を武器に急成長を遂げる。
歴史や習慣を重んじる西連合諸国と自由主義のアルカディアの両間では激しい口論や時には鉛の砲弾が行き交ったが、西側はこの国の独立を折れるように認めざるを得なくなった。
「そういえばさ」
アレクは世界史で習った内容を頭の中で反芻しているうちに、とある疑問がムクムクと姿を現し、彼はそれを思わず口にする。
「アルカ人って、ウチのギルドに居ないよね?」
リゾート地のように青い海と白壁に心奪われていたメンバーだが、彼のそんな疑問に顔を見合わせ「そういえば、そうかもなぁ」と空を仰ぐようにして返す。
全員が出身を明かしている訳ではないが、先の大戦以降使われるようになった世界共通語でコミュニケーションはとれているため、誰一人とて疑問に思う者はいなかった。
「ちょっと話を聞いて欲しいんだけど、ニューロンギアの初期ロットは約三万台。そのうち二万人があの日に接続していたにしては随分と人が少なかったような気がするんだ」
「でもさー、イベントを無視してフィールドとかに居た人たちも勘定に入れると、あのくらいじゃなーい?」
思案顔のアレクをからかうようにエイラが言葉を投げかけるが、彼は「いや、それはどうだろう」と強い言葉で打ち落として推理を進める。
「セントリアは現実世界よりも余裕をもったスケーリングだけど、近辺の町村含めて二万人近くのプレイヤーを収容しきれるとは到底思えないんだ。推測だけど、この大陸に存在する人間はおよそ半数以下じゃないかな。ここで問題です。多くのMMORPGのエンドコンテンツは何でしょう?」
語り出したアレクを止める者は誰も居らず、皆顔を見合わせて考え込んでいる。
「ロケーションハンティングは違うだろうしのぅ」
会長が顎髭を擦りながら言うと少年はゆっくりと顔を横に振る。
「じゃあ、アイテム収集とかかな?」
「イグニスさん、それは割と早い段階で遊び尽くされますわよ。パーティーを組んでのレイドボス討伐とかはパターンが組まれると作業化しますしね。うーん……今回のアップデートでダンジョンに関する項目はあまりありませんでしたし、本来の仕様ではそちらのほうがオマケなのかも……ということは」
カールした頭髪を弄りながらペトラが言葉を組み立てていく。
騎士団の中では高飛車娘とばかりのイメージが先行していたので、その言動に一行は注目した。
「プレイヤー対プレイヤーの戦闘。いえ、それはPKシステムで既に実装済みですし、もっと規模の大きい――異なる大陸間でのRvRでしょうか」
RvRとは集団戦の略称で、個人やパーティー単位で戦うPvPよりも大規模なもので国家間戦争などが最たる例だ。
RPGのネットゲームで対人戦闘はエンドコンテンツとして存在することが多く、プレイヤーたちの競争心を煽るのは恒例のことなので、ペトラの導き出した答えは特別というほどではないがアレクの思考とピタリと当てはまった。
「ん? あれ、ちょっと待って? ゲームのスタート時点で国家選択はなかったよ? 問答無用でランダム分配されたんじゃ、フレンドと一緒に遊べないーとかで不平不満の一つでも挙がってもよさそうなんだけど」
解せない様子のミルヴァが腕を組みながらアレクに言う。
「これも推測なんだけど、現実の地域別にフィルターをかけたり、事前に情報収集プログラムでSNSでのやり取りを監視していたのだとしたらどうかな」
アレクは口を尖らせるミルヴァを窘めるように続ける。
「ね……ネットってそんなコトできるの……?」
「あくまでも『推測』だからなー」
ふるふると震えるイグニスの肩をエイラはポンポンと落ち着くように叩いた。
「うーむ……今の話が本当だとすれば、クリア条件の『プレイヤー総数が一万人以下になる』というのも現実味を帯びてくるのぅ。じゃが、再出撃不可な戦争など誰が参加したがるというのか……そもそも別大陸の存在など、手漕ぎ舟すらない現状で確認のしようがないわい」
「そのための船舶建造なんだけどねぇ……あー、情報がその辺りに転がってないかなー」
顎髭をざりざりと擦る会長の言葉に落胆するアレク。
しかし、その情報は転がっているどころか、彼らめがけて飛び込んできたのだった。




