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050 情熱と仮想のはざまでI

 その少女――いや、もう女性と言っても差し支えのない年頃だろうか。

 成人したばかりの彼女の歳は20と若く、まだ幼さが残る顔立ちをしていた。

 アセリエ系によく見られる肌色。薄茶色のショートカットヘアが羽根付き帽子から伸びている。

 光沢のあるリップグロスを引いた唇の間からは愛の歌が流れ出し、地下迷宮入り口前に集まっていた冒険者たちを優しく包み込んでいた。

 両手にはずんぐりむっくりな卵型の本体のリュートと呼ばれる楽器を携え、弾き語りをしているようだ。

 彼女は上にシンプルなデザインの半袖プルオーバーを着込み、スカートは膝小僧が隠れるほどの長さにしていた。

 そこからすらりと伸びる足は白いストッキングで覆われている。


 彼女が歌い終わると耳を澄ましていた冒険者たちからまばらな拍手が生まれ、新曲の公開で緊張が続いていた女性は手応えを感じたのか彼らに深くお辞儀をする。


「良かったよ、クロエ」

「ミカエルさん、ありがとうございますっ! それではバフかけますね」


 クロエと呼ばれた女性は迷宮攻略組のメンバーたちを目視でロックすると、リュートに張られた弦を掻き鳴らした。

 すると半透明な薄い赤色の被膜が彼らを包み、瞬く間に消えていく。

 彼女は同じ要領で弦を弾き、今度は茶色の被膜を発生させる。


 赤いエフェクトはバードスキルの「戦士の歌」といい、物理攻撃力上昇と物理攻撃スキルのクールタイムを短縮するもので持続時間は一時間。

 茶色は「大地の歌」で物理防御力上昇と攻撃を受けた際に生じる「怯み」状態を緩和させるもので、このスキルの持続時間も一時間と長い。


 パーティーリーダーであるミカエルはバフ料金をいつものように多め払い、迷宮入り口に設置してある転送装置を操作して消えていった。


「またこんなに……半分で良いって言ってるのに」

「貰っときなさいよ。あの人たち稼いでるんだし、遠慮しないでさ」


 クロエの横に立っていたノーラが言う。


「う、うん。だけど、その姿にその声……まだ慣れないなぁ」

「もうあれから何日経ってると思うのよ。これが本当のアタシの姿なの。早く慣れて」

「出会った時のインパクトが大きすぎてねー……」


 二人が出会ったのは今より数週間前のこと。

 戦闘が大の苦手であるクロエがフィールドで細々と狩りをしているところに三人組の男性が笑顔を浮かべながら近付いてきた。

 「馬鹿」がつくほどお人好しのクロエはその明るい表情にころっと騙され、暫しの談笑に耽ってしまう。

 彼女の緊張が解けてきたと思ったら、男性の一人がとんでもないことを言った。


――少しで良いから胸を触らせてくれないだろうか?


 何の捻りもなく、真剣な男性たち眼差しを受けて目を点にするクロエ。

 彼女のバストは人並み以上のサイズはあったし、本人も形には自信があった。

 だからと言って誰にでも触らせても良いという道理はどこにも無く、彼女は顔を真っ赤にして断るが、そんな表情が長い間自慰すら許されなかった男性たちの劣情を余計に煽った。

 彼らは鼻息荒く彼女の手足を抑え拘束すると、残りの一人が手をわきわきと動かしながら「なに、減るものではない。減るものではないのだから」と謎の理論を持ち出して豊満な胸元に食いかかろうとした。


 耳元にかかる熱っぽい吐息と、涎を口の端に垂らしながら迫る男性に恐怖を覚えたクロエはきつく目を閉じた。

 次の瞬間、男性の呻き声がしたと思ったらドシャリと草の大地に物が転がる音がする。

 そして両手足を拘束していた力が無くなり、彼女は何事かと恐る恐る目蓋を開いた。


 そこには男性二人と対峙する少女ノーラが居た。

 足元には身を横たえ股間を両手で押さえてピクピクと痙攣している男性の姿があり、彼の後を追うように一人、また一人とその身を横たえる。

 彼女は男性のデリケートな部分への容赦のない一撃で彼らを無力化させ、怯えたままのクロエの手を引き、野を駆けた。


 クロエにとってその時のノーラは勇気に満ち溢れた歳下の小さな少女だったのだが、真実の湖でアバターをリセットした彼女は長身で線の細い大人の女性だった。


「何よ?」


 友人の全身を這いずり回るような視線にノーラは僅かに身を引いた。


「いや、ノーラは胸以外は私が理想とする姿なんだよなーってね」

「このデカチチ……その生意気な口をアタシの弓で塞いでやろうかっ」

「お楽しみ中のところ申し訳ないが、バフを頼めないだろうか?」


 クロエとノーラがじゃれ合っていると、横からパーティーの一団が彼女らに話しかけてくる。


「あ、はーい。新曲出来たんですけど、一曲どうです?」

「それは何か特別な効果でもあるんだろうか。無いなら時間の無駄だ。バフだけを頼む」


 弾き語りをする気でいたクロエは相手のパーティーリーダーに出鼻を挫かれ、しゅんと項垂れる。

 ノーラは無配慮な男性を静かに見つめるだけで、終始黙っていた。




「私、やっぱり才能無いのかな」


 バフの代金をインベントリに収納しながらクロエがぽつりと呟いた。


「それ、アンタの歌を認めてくれてる人たちの前でも言えるの?」

「それは……」

「夢や希望を歌おうとするアンタが自信を持たないでどうするの。背筋を正して生きなさい」


 ノーラはそう言うと、丸まったままのクロエの背中をバンバンと平手で叩いた。


「最近、ノーラ変わったよね。出会った頃は自分本位というか、こんなに優しくなかった」

「んー……そうかもね」


 ノーラはオルレアンの騎士団のマスターに依頼され、スパイごっこを楽しんだあの日から彼女を取り巻く環境は一変した。

 人の汚い部分を嫌になるほど見てきたが、それ以上に仲間たちは温かくて常に善き存在であろうと努力していた。

 そして命令違反をして負傷したところをレックスに助けられ、それから暫く後に魂をも救われた気分だった。


「やっぱり恋人かー。私も欲しいなぁ」


 クロエは物思いに耽るノーラの顔から全てを悟り、熱を帯びたため息を吐いた。


「身体見当の人はヤだし、顔だってそんなに良いほうじゃないし、性格だって……はあぁぁぁ……」

「クロエちゃーん? ちょっと修練場まで行こうかー?」


 邪悪な笑みを浮かべたノーラは、落ち込むクロエをむんずと掴んで引き摺り出した。




「アンタの自信の無さは戦闘にあると思うワケよ」

「うん」

「今からそれを叩き直してあげる」

「えぇ……無理だよ。私、レベル1の『大人しいたぬき』ですら苦戦するもん」

「今までよく生きてこれたわね……」


 二人は街外れにある修練場の近くまでやって来ていた。


「何か聞こえるね」


 クロエが耳を澄ましながら言う。

 街の喧騒が遠のいていくと同時に剣戟の音色や地鳴りの音が近くに感じられるようになってきた。


「こんな派手な戦いが出来るのは……あの子たちか」


 ノーラたちは木の柵で覆われたアリーナの観客席側から入り、適当な席に腰掛けて場内で行われている模擬戦の行く末を見守る。


 白銀鎧姿のフォリシアが繰り出す高速かつ重量級の剣撃。

 それに対峙するアレクは際どいタイミングで受け流し続け、僅かな剣線の切れ間から肘鉄を彼女の整った顎先へ振り上げる。


「くっ」


 現実ならば脳震盪を起こしても不思議ではない強烈な一撃にフォリシアが僅かに呻く。

 そのまま横に薙ぐように回し斬りを繰り出すのがセオリーだが、アレクは何を思ったのかバックステップで素早く距離を取ってしまう。


「もらったぜえぇぇぇっ!」


 彼女の背後からは巨体に槍と斧が一体になったポールウェポンのハルバードを両手で構え、赤いバンダナを鉢巻のように額に巻き付けたザイスが空高く飛び上がり、少女の身体を唐竹割りにせんと迫り来る。

 同時に地上からは横一閃の構えで長身のベルハルトが迫り、一つを回避してももう一つの切っ先が確実にフォリシアを捉えるという息の合った連携攻撃だ。

 それでも小麦色の少女は表情を何一つ変えること無く、銀色に輝くクレイモアの剣先を乾いた土のグラウンドに落とし、身を捻りながら地面へ円を描くように回りだす。

 だが、彼らのほうが僅かに早かった。

 上からはザイス、下からはベルハルトが必殺の一撃を繰り出し、無防備な彼女が切り刻まれる未来を見たのか、クロエは咄嗟に顔を手で覆った。

 次の瞬間、硝子が砕けるような甲高い音と青い閃光が2人の剣先を弾き、地面へと叩き転がした。


「ちっ、無敵時間かよ!」


 ザイスが瞬時に姿勢を立て直しながら吠える。

 フォリシアが放ったのはソードスキル「レンジスウィープ」で、二連撃の範囲攻撃だ。

 円を描き始めた瞬間から当たり判定が発生し、発動者の物理攻撃力を下回る全ての攻撃を無効化し、二撃目で前方の対象を吹き飛ばす強力なものだが魔法攻撃を少しでも受けてしまうと発動は中断されてしまう。

 物理攻撃職相手には強力なスキルなのだが攻撃後の硬直時間が長く、仲間の援護なしに使ってしまうのは自殺行為だ。

 二人を叩き伏せたフォリシアもそのことは織り込み済みで、背後から迫るアレクに顔だけを向けて眩いばかりのとびっきりの笑顔を向けた。


「んなっ……」


 アレクが繰り出した閃光のような突きがフォリシアを串刺しにする寸前のところで止まり、彼女は白い歯をニイッと覗かせて意地悪そうに笑う。


「ごめんなさいっ」


 いつの間にか少年の背後に回り込んでいた白い法衣姿のキーラが両手杖でポコンと赤い頭を叩いた。


「えーと……きさまは今ので戦死した? この……えーと、うじむしがー」


 小麦色の少女が視線を宙に泳がせながら棒読みでアレクを罵倒する。


「まだHPが七割は残ってるんだけど……?」


 赤毛の少年はそう言いながらも鞘に剣を収め、忙しなく動き回る薄紫色の瞳に問うた。


「背後ががら空きだったのは事実でしょ」

「それはヒーラーを脅威とはしてなかったわけで」

「でも、戦場なら何が起きても不思議じゃない。至近距離でクレリックのホーリーライトとか撃ち込まれるかもしれない。それに笑いかけられたからって戸惑うようじゃダメよ」

「それはその……模擬戦だったし、フォリシアは女の子だしさ。あんな顔されたら剣だって鈍るって」

「そうだそうだっ! この黒ギャルめ、色香で俺のアレクを誘惑するなんて卑怯だぞ!」


 一定時間が経過し、戦闘不能状態から回復したザイスが立ち上がって口を尖らせ、フォリシアに抗議する。


「くっ、黒いとか言うなぁ! ザイス、あなたたちだってあんな力任せの大振りな攻撃をせずに包囲攻撃続ければわたしを倒せたかもしれないのに。明らかな判断ミスだよ」

「うむ……しかしな、我々の装備で通常攻撃をしたところでお前の鎧に弾かれてしまうだろう。ヒーラーのキーラの存在もあったしな。一気にHPを削りたかったのだ」


 ベルハルトも服についた土埃を手で払いながら起き上がり、フォリシアへ返す。


「うーん……キーラに一人マークさせて残り二人で対応したほうが利口だったかなぁ」

「二人で『姫』を止められるとは思えないけどねぇ」


 腕組みをして考えるアレクの横にいつの間にかノーラが同じ格好をして立っていた。


「デカ女が……」


 何の前触れもなく現れたノーラに見下げられたことを根に持ったのか、ザイスは吐き捨てるように言う。


「あら、アレク分隊長殿。この喋る筋肉達磨に名前はあるのですか?」


 言葉とは裏腹に全ての邪気を浄化せんとばかりの神々しいオーラを纏うオルレアンの新しいサブマスターにアレクは寒気に身を震わせ「穏便にね?」と(たしな)めた。


「で、三人とも見たことあるかもしれないけど、あそこで顔を打って泣いてる人が外部協力者のクロエ」


 アレクの指す方向にはノーラの真似をして木の柵を飛び越えようとし、顔からグラウンドに激突して泣きべそをかくクロエの姿があった。

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