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005 臆病者、立ち向かう

 世界が暗転し、何分くらいが経ったのだろうか。

 アレクの意識は覚醒したままだったが、目蓋に光の刺激を感じながらも中々それを開くことが出来ない。

 身体も鉛の服を着込んだかのように重たく纏わり付く。

 それも最初のことだけで少しずつ開いてくる世界に合わせるように重りをぼとり、ぼとりと一つずつ地面へ落としていくかのように軽くなる。


 やがて目が完全に開き、焦点も完璧に調節された。

 身体も鉛の海に溺れていた先ほどまでが嘘のように軽い。

 そこは見渡すまでもなく粗末な木造住宅の一室のようで、ギシギシと軋むベッドの上に固い布団が敷かれ、ところどころほつれた掛け布団を纏っていた。

 それを跳ね飛ばして身を起こし、板張りの床に両足をつけると大きく軋む。

 壁は枠の中に石を積み上げて漆喰のような物を塗りたくっていたが、所々崩れており危なっかしい。


 彼は現実よりも重力をあまり感じない身体で立ち上がり、木製のフレームに納められた歪な硝子窓を開け放ち太陽の光を一身で受け止めた。

 雲一つない落ちていくような青空。

 眼下にはよくある中世の世界観にしては似つかわしくないくらいの四階建ての赤煉瓦と白壁の建物が建ち並び、一際目立つ鐘楼からは鐘の透き通った音色が聞こえてきた。

 遠くには薄茶色の城が見え、この街はそれを中心に整備されているのだと少年は悟った。


 スタート地点はプレイヤー毎に設定されており、この大陸の首都「セントリア」の南部ブロックである居住区のランダムな部屋からとなっている。

 目覚めた部屋に見知らぬ他人が居るという自体は避けられているようで、アレクは自分の髪をくしゃりと毟った。


「ん、ん?」


 その感覚が現実世界と同じで、短髪のアバターにしていた筈の彼は違和感に狼狽える。

 手を顔に、喉に。体付きを目で確認すると不安が一気に襲いかかった。

 窓を閉じ、薄い部屋の扉を開けて廊下へ飛び出して視線を慌ただしく動かすと誰も使わない手洗いに直行し、そこの大鏡で鼻歌交じりに頭髪を整えていた女性の隣に無遠慮に立ち尽くすと血の気の引く思いで顔を上げる。


「――ぁぁぁっ!」


 アレクは言葉にならない声を漏らしながら両手で顔を覆い、自室に早足で戻っていく。


「ヘンな子ですねえ……それよりも、このアバター可愛いですねっ。抱きしめたいですっ」


 嵐のように去って行った彼のことを訝しげに見ていた女性は気を取り直し、鏡に映された自らの赤茶色髪のアバターを溜息混じりになで回した。

 そして恍惚の表情で両腕でくびれたウエストをぎゅっと抱きしめるのだった。


「グレイゴースト! グレイゴーストっ!」


 まるでそこに居るのが分かっているかのようにアレクが吠える。

 だが、幾ら木組みの天井へ呼びつけようとも何の反応はない。


「そうだ。GMコール! えっと、視線操作で空間描写キーボードを展開して……っこうかな」


 GMはゲームマスターの略称でゲームの進行役やホストのことを指すが、昨今のオンラインゲームでは運営会社側のサポート要員とされることが多い。

 普段は視界の端に格納されているメニューを視線で弾くとアレクの目の前にパソコンでよく使うタイプのフルキーボードと簡易スクリーンが展開される。

 指へのフィードバックが殆どないので慣れないプレイヤーたちからはミスタイプが多発すると不評の嵐で、開発会社は後のアップデートで改善すると言っていた。

 アレクも慣れない様子で空のキーボードを叩き、GMメニューを呼び出すと「設定したはずのアバターがゲーム内に反映されていないため、対処をお願いします」と入力フォームに文字を叩き込み、送信ボタンをタップする。

 すると彼の足元でボンッと白煙が上がり、元のサイズから大分削った大きさのミニチュア「ゴートくん」が姿を現した。


「現在リクエストが殺到しており、114人待ちとなっております。しばらくお待ちくださいめう」


 ゴートくんは後ろ足で立って背筋をピンと正し、前足で糸を巻き取るようにクネクネと怪しく動かしている。


「開始直後なのになんでそんなに混雑しているのさ!? ええっと、一回ログアウトして――あれ?」


 アレクは通常本人にしか見ることのできないインターフェイスを指で突いて操作していたが、システムメニューのログアウトボタンが機能せず細い眉をしかめた。

 中継世界で彼を担当したゴートくんとは別物なのか、彼の前に居る子山羊はこちらの事情など意に介さない様子で上機嫌に口笛を吹きながら前足を回している。


「現在111人待ちとなっております、めう」


 ゴートくんが感情のこもった、だが魂の抜け落ちた口調で言う。

 アレクはアバターが反映されていないことと、ログアウト不可という二点から黒い感情が背筋にひやりと忍び寄るのを感じる。

 以前のベータテストでイグニスを失った時もシステム障害が発生し、タイムラグや一部メニューが展開できなくなるという不具合が生じた。

 今回も何らかの不正アクセスが発生しているのではないか。少年の胸の底から乾いた空気が気道を遡り、喉をチリチリと焦がした。


――もしかして、今回もまた……?


 少年は無策に危険地帯へ飛び込んだ自らを呪った。

 あのような不具合が短期間に繰り返される筈がないだろうという甘い考えがここへ彼を追いやった。

 そう言えども、何の対策もしていなかった訳ではない。

 新聞配達でバイト代をコツコツと貯め、信頼性の高いパーツ類で固めたパソコンとギアを通信ケーブルで接続し、リアルタイムで録画、動画配信サイトで映像を流せるようにしている。

 彼自身も決定的な証拠を掴めるとは思っていないが、一つの声として世界に発信することはできるだろうと考えたためだ。

 アレクはメニューのユーティリティから外部連携ソフト一覧にインストールしてあった配信用ソフトを起動させようとする。

 しかし、アイコンが暗い灰色で表示されており、それをいくら叩こうとも何も反応はなかった。

 外部ブラウザも起動せず、何らかの意図により通信が制限されているのは明らかだった。


「――2031年4月6日15時08分。エンゲイトオンライン内にて」


 アレクは辛うじて生きていた録画専用ソフトを起動し、淡い水色に発光する光の球のようなカメラを調節して記録動画を撮り始める。


「僕の名前はアレク・フェルナンド。先日の不正アクセス事件で犠牲になった友人を助けるためにここにいる。だけど、事態は思っている以上に深刻なようで、現在ログアウトはおろか外部との通信機能が制限されている。そう、まるでゲーム内に閉じ込められているみたいだ」


 彼はそこで言葉を区切り、窓を静かに開けカメラを導いて外の様子を流した。


「今のところサポートに人が殺到している以外は大きな混乱はない。みんな気が付いていないのか、それとも気が付いて平静を装っているのか……」


 アレクが楽しげな声に誘われて地上を見やると、彼と同じ地味な色のズボンと長袖シャツに身を包んだ三人組が談笑しながら街角に消えていく。

 他にも先ほど洗面所で出会った赤茶色の女性が街角に佇む女性プレイヤーたちに声をかけ、勢いよく平手打ちされる音が少年のところまで届いてきた。


「何にせよ、ここで閉じこもって順番待ちをしているよりも街で情報を集めたほうが有意義だ。ある程度経ったらまた記録をしたいと思う。以上」


 彼はそこで言葉を結び、録画停止ボタンを指で弾いた。

 光の球が音もなく消え去り、めうめうとだけしか言葉を発さないミニゴートくんの二人きりとなる。


「サポートに繋がったところでどうにかなるとは思えないし……リクエストキャンセル。テキストメッセージだけを送信しておいて」

「分かりましためうー」


 アレクの要望にゴートくんは短い前足を折り、まるで敬礼しているかのような姿勢で答えた。

 彼はマスコットキャラクターのようなモノがボンッと白煙に包まれるのを確認し、ベータテストで得た知識でまずは手持ちのバッグ――インベントリ内を確認する。


 この世界での通貨「シルバー」が千枚。

 簡単な採取や最低限の戦闘を行える多目的ナイフが一本。

 布一枚を身に着けているだけの防御力皆無な冒険者の服が一組。

 生命力を数値化したHPを回復する赤い飲み薬である「初心者用HPポーション小」が三本。

 高所作業にでも使うのか、何重にも束ねたロープ。

 それに七日間グレード1の宿舎に寝泊まりができるチケットが一枚だ。

 


 相も変わらずインベントリは狭く、前回のテスト時に数多くの拡張要望が殺到したというのに何も変わっていない。

 情報を小出しにしかしない運営会社にも非はあったが、それがネットユーザーの玩具にされて「バッグ拡張は課金要素」だとか「所詮は札束で相手を叩くゲーム」とまで言われている。

 だが今それを持ち出しても何にもならないのでアレクはウインドウを閉じ、酸素を必要としない電子の身体で深呼吸をして気を落ち着けようとする。


「よしっ」


 そして頬をパンッと景気よく打ち、扉を開けて外の世界に飛び出していった。

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