031 灼けた空気で
「こいつらのマスターは仲間に追わせているわ」
シャーロットはデータの海へ還りつつあった狼の死骸を避けながらただアレク一人を見つめ、手の届くような位置までやって来る。
先のやり取りから敵だとばかり思っていた少女に窮地を救われ、まるで恋人に微笑むような顔をされては彼の劣情がムクムクと再び姿を覗かせてしまう。
「つまり、君たちはPKKだと?」
「ご明察」
色事に免疫のないベルハルトと、思い人が再び狙われて頭がまともに働いていないイグニス。
すっかりシャーロットの色香にかけられてしまったアレクを横目に、その場で唯一平常心だったレックスがまだ謎の多い少女に言うと心地よい返事がかえってきた。
PKKとはプレイヤーキラーキラー。プレイヤーを狩る人間を専門的に狩るプレイヤーのことだ。
通常のネットゲームではやっている事はPKとさほど変わりがない。
だが、アレクは一時期、彼らのことを力なき者たちの復讐を代行する正義の味方だとすら思っていた。
それも成長し、現実世界で経験を積んでいくうちに解釈に違いは出てきたが、未だに尊敬の意を示していることに変わりはない。
「私たちは一人の獣使いを追っている。テイミングしたモンスターを使って初心者ばかり狩っている最低野郎をね。自分は安全な所にいながらペットを差し向けるだけでやろうなんて。私の美学に反するわ」
シャーロットは朱色の目を細め、その「獣使い」を心底見下すような顔で語る。
「首都南でそこに隠れている茶髪の子たちが襲われている時も私たちは『彼』に最接近していた。人殺しにとって獲物にトドメを刺す瞬間ほど快楽なものはないから。だけど、アレク。貴方たちが助けに入り、彼と私たちは想定外の出来事で戸惑った」
淡々と語る銀髪の少女。
辺りにはその声だけが響いていたので、下のほうに居たエイラたちも戦闘が終わったと判断し、ひょこっと顔だけを出して安全確認をした後、ズリズリと這い上がってきた。
「彼も初めての反撃と被害で相当頭にきたのでしょうね。情報屋に貴方たちの詳細についての問い合わせが何件もあったらしいわ」
「ねえ、もしかしてエイラが持ってきたここの情報って……」
アレクは繋がってはいけないものが繋がったような気がして、僅かに声を震わせてシャーロットにたずねる。
「多分、うちのメンバーが流したものね。貴方たち、幾ら腕が良くても装備がお粗末なんですもの。ブラックスミスも居るし、近場の採掘場といえばここが良いスポットですしね。念のため先回りして罠を張っていたら見事に引っかかっちゃってくれて――全く、気味が良いわ」
すると「やっぱり」と項垂れるアレクに彼女は笑みを一つ。身を翻し、散らばっていた敵のドロップアイテムを拾い上げていく。
「シャロ」
そこにアレクたちがギルド管理局で出会った細身の男性が音もなく現れた。
「首尾は」
「もう少しのところで逃げられた。だけど、顔とキャラ名は完全に覚えたから、次会ったときは逃がさな――」
彼が言い終わる前にシャーロットが動き、ショートカットにあった両手持ちの杖を瞬く間に取り出す。
そして瞬きも許さない速さで宝石が埋め込まれた頭部分を青年の顔面に突き付けた。
木の枝をそのまま使用したかのように歪な杖をグリッと頬に突き付けられ、人を人と思わぬ少女の顔に青年は震えた。
「絶好の機会だったというのに、これで取り逃がしたのは何度目かしら。無能を飼っている余裕はないのだけれど」
シャーロットはそう言い、感情の消え去った顔で口元だけを笑わせて見せた。大きなルビーのような宝石が煌めき、青年の脳裏に今まで始末してきたPKたちの最期が鮮明に蘇る。
自分もああいう風に焼き殺されるのだ――彼は抵抗することなく尻餅をつき、歯をカタカタといわせながら「ごめんなさい、ごめんなさいごめんなさいっ」と身を丸ませて命乞いをする。
その姿に彼女はしばらく眺めていたが、やがて杖を引き、短く息を吐いて「立ちなさい」と呆れ気味に言う。
「今後のことは帰ってから決めるから、貴方は先に帰ってなさい。私はこの人たちにもう少し話があるから」
シャーロットの顔や言葉に少しだけ体温が戻ってきたことにアレクたちは安堵した。
目の前でプレイヤーの命を断たれる瞬間などは出来れば目にしたくはなかったからだ。
アレクは彼女もリーダーとしてグループを纏める上で、厳しく接しないといけない時もあるのだろうと「今」は好意的に解釈していた。
青年は薄らと涙を浮かべた瞳を手の甲で何度か擦り、彼女の言葉に頷いてヨタヨタと起き上がるとインターフェイスを弄り、一礼すると光の塊となって鋭い軌跡を残し大空へ飛んでいく。
アレクたちが初めて目にする「ファストトラベル」の発動の瞬間だった。
ファストトラベルはフィールドに点在するロケーションに戦闘中以外の時ならば瞬時に転移できるシステムだ。
勿論、行っていない所にはいけないし、交易品を持っていてはいけないなどもあり、厳しい重量制限もある。
「さて、私も行くけど警告が。アレク、貴方へだけど、もし、他者の命を奪うことでしか状況が打破できないのであれば決して迷わないように。私たちは純真なままでなどいられないのだから」
シャーロットはそう言い残し、小さく手を振り、ファストトラベルで何処かへ飛んでいってしまう。
「なに、あの女……上から目線でヤな感じ」
「しかし、彼女の助力なしに先ほどの数は捌けなかっただろう」
「それはそうだけど」
今まで黙っていたイグニスが口火を切り、半ばふて腐れ気味な顔をし、心底面白くなさそうに言う。
それは出番のなかったベルハルトも同じで、安心したような不甲斐ないような複雑な顔で彼女へ言葉を返した。
そのような中、アレクは自分に向けられたシャーロットの言葉を心の中で何度も反芻していた。
誰かを殺さねば、誰かが死ぬ。
これはゲームである、というリアリティの欠如が招いた世界での単純なルールだった。
その後、鉄鉱石をロバや自分たちのインベントリに満載し、一行は街へ帰還する。
採掘した鉄鉱石や岩石を並べてみると、物理の法則が崩れるほどに巨大な山が積み上げられた。
「こ、これ一人で精錬するのかー……?」
山を前に掘り出した張本人のエイラが目の端をじわっと潤ませて力なく呟く。
鉱石の精錬成功率は採掘スキルに依存するため、騎士団では彼女が適任だったのだ。
レックスは作業中のお供として志願したアレクと物言わぬロバ二頭を残し、他のメンバーたちと先に事務所へ戻り、引き続きギルドクエストを消化すると言っていた。
「シル姉。相談事があるんだけど」
アレクは精錬所で夜の闇と夕方の色をかき混ぜた空を仰ぎながら語りかける。
エイラは溶鉱炉を弄る手を止め、新緑のような瞳をパチパチと何度か瞬きをしてみせた。
「『そっち』で話す?」
彼女はそう言い、追加投入可能な鉄鉱石を炉に投げ入れて厚い蓋を閉じた。
「でも、相談事ならレックスにするといいよ。私だと経験値不足かもしれないから」
彼女は物言いたげなアレクにそう言いながらも、炉の自動生成が切られない距離までアレクに近寄り、煉瓦の壁に背中を預けた。
言葉ではそう言っておいても、まるでアレクが語り出すのを待っているかのように。
そう感じた彼は「あなたに聞いて欲しいんだ」と念を押す。
そしてアレクは溶鉱炉がごうごうと稼働する横で語り出す。
あの日、イグニスを死なせてしまい、二度とあのような事がないように強くあろうとしたこと。
そしてレベル上げやトレーニングに励んでいるというのに、自分の求める領域にはほぼほぼ遠いということ。
シャーロットたちとの戦力差に今のままでいていいのかということ。
最後にアレクは顔をほんの少しだけ赤らめ、イグニスとどう付き合っていけばいいのか、と締めくくった。
彼の思いを聞き終えたエイラは顎に手を当て、深く思慮を巡らせていたが「前半部分はもう答えが出ているよね。私に言えるのは最後のことだけかな」とゆっくりと口を動かし始める。
「キミがイグニスとどう距離を取っていいのか分かりかねているのは私にも分かるよ。好意を恋愛感情と勘違いしてないかって不安になるのもね」
「イグニスは僕が辛かった時に励ましてくれた子なんだ。彼女と出会い、ザイスとベルハルトと友達になりシル姉とも知り合えた。本当に感謝しかない。だから好意以上の感情を持つのは厭らしい気がして」
「子どもだねぇ」
思考が巡るアレクに対し、エイラは拳を軽く握って彼の胸をポスンと叩いてみせる。
「子どもっぽいのは分かっているよ。だから、知りたいんだ。どうすれば大人になれるか」
「大人ってのはね、なろうとしてなれるモノじゃないんだ。そうだね、なるべくしてなる。もしくは努力を重ねてそれに近付けるようにする」
「努力って……」
アレクは善き人間であろうと努力してきたつもりだった。
だが、それだけでは表面上だけの薄い人間性であることは重々承知もしていた。
努力する方向性が間違っているのではないかと不安になることもあり、レックスにも同様のことをたずねたが、彼は「十分に思い悩み、行動して失敗して。それを積み重ねていくことだ」と薄ら笑いを浮かべてまともに取り合ってはくれなかった。
アレクはシルヴィアならば、と思ったがこの手の問題に正答がないことを彼女の態度から察し、大きくため息をついた。
「私は昔からキミと一緒にいるけど、変わったと思うよ」
彼女は今日に至るまでアレクのことを静かに見守っていた。
普段のような軽口を叩く「エイラ」はそこに居らず、極めてフラットな視線で彼のことを見つめていた。
「あの時と同じ。最初はか弱すぎて立ち上がることさえもままならないように見えたのに、いつの間にか同じ位置に立っている。この世界でもキミは善き人間でありながら、過酷なデスゲームを生き抜いていくだけの力を得ようと頑張っているしね。焦りすぎず、急ぎすぎないように仲間を大事にして自分の気持ちを大切に。いいね?」
シルヴィアは笑いかけるが、その顔はどこか寂しそうで遠くを見つめていた。
彼女は安全で匿名性に守られた所から口出しをしている自分に嫌悪感を覚えていた。
学校などで「匿名性がネットの暴力性を助長させる」とは聞いてきたが、目の前に居るアレクのように現実と同じ姿で振る舞うことなど今の彼女には出来もしなかった。
それはメンバーたちと交流を深めていく度に感じ、置き去りにされているような感覚に襲われる。それでも、彼女は真の姿を晒すわけにはいかなかったのだ。
「うん。ありがとう、シル姉」
彼女の微妙な変化にアレクが気付くわけもなく、彼は礼を述べると丸椅子に腰掛けたまま再び顔を伏せた。
「ねえ、やっぱりみんなに正体教えようよ」
「全力で断る」
溶鉱炉内がガコンと鳴り、一時保管ストレージが満杯になったことを知らせる。
「エイラ」はオブジェクトにアクセスして鉄インゴットを100個、1ストック分取りすと純粋な眼で見つめる少年へ言葉を返す。
鉱石からインゴットへの精錬が終わると、その次は鍛冶スキル上げ地獄がエイラを待っていた。
その筋の情報によると、以前のようにいきなり装備品を作るのではなく、簡単な農具や部品を作ってスキルアップさせ、作りたい装備の期待値までそれらを繰り返し製作し上げていくのが鉄則となっている。
損失は何割かあったものの纏まった量のインゴットが入手でき、エイラは上機嫌でインターフェイスを操作した。
そして鍬を選択して出現したハンマーを片手にインゴットを金床の上に設置し、ハンマーを振り落とす。
金属同士が激しくぶつかり合い、小気味の良い音が辺りに響き、火花が激しく散った。
彼女が四から五回作業をしただけで目的の物が完成し、スキル値が上昇したことを知らせるポップアップメッセージが視界の端に表示される。
「おおお? すっごい勢いで上がるよ!?」
「まだ序盤だからね。どんどんいこう」
完成品の鍬は金床の隣に広げてあった麻袋に投げ込み、アレクがインゴットを金床にセットし、エイラがハンマーを振るう。
そんな流れ作業を何度か繰り返した後、エイラが「もう良いよ。装備品は一人でやらせてくれないかな? ちょっと集中したいのだ」とアレクに言う。
彼は手持ちのインゴットを彼女に全て預けて薄暗くなってきた辺りを見渡すと「あまり遅くならないでね」と釘を刺して帰路へとついた。




