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003 失うあなたに花束を

「――それが七年前の話」


 変声期はとっくの昔に終わったというのに、か細い声のアレクが言葉を結ぶ。

 そこは地元で一番の大病院の一室。

 四月の柔らかい青色を夕闇が時間の経過と共に少しずつ侵食していた。

 個室のブラインドから差し込む西日と、リクライニングベッドに身を預けたままの痩けた顔付きのイグニスが彼の瞳を濁らせる。


「そう、ですか」


 他人行儀なイグニスの一言。

 寝間着姿を同年代の異性に見られるのはもう慣れた様子だが、忙しなくサクラ色のショートボブを弄っている。

 橙色のくりっとした大きな瞳は小さく揺れ、不快感を露わにしていた。


 少し前までは幼馴染みのザイスとベルハルトも同席していたのだが、イグニスの母親に呼び出されて今はホールに居る。

 アレクにその話の内容は分からなかったが、病室から出て行く際に見えた深刻そうな顔から察するに、明るい話題ではないのだろう。


「何か思い出せない?」


 最近になってようやく人を直視できるようになったアレクがイグニスを見つめ、たずねる。

 あの事故。いや、事件と言うべきなのだろうか。

 それが原因で彼女はアレクたち四人で駆け回った時代の記憶を失っていた。

 欠落した記憶の断片を埋めようと彼らは必死だったのだが、今は思い出話をして反応を見ることしかできない。


「ごめんなさい。頭で理解出来ていても、心が追いついていない感じなんです。それは本当に自分の記憶なのかと。毎日来て下さるアレクさんたちは申し訳ないと思っています」


 イグニスが僅かに声のトーンを上げた余所行きの声で頭を下げた。


「そう……」


 アレクはそれ以上の言葉を失い、服の端をぐっと掴んで天井を仰ぐ。

 そして新たなる希望が生まれ、衝動的に彼の感情を突き動かし始める。

 イグニスが記憶を失う原因となった者の存在。

 何の裏付けもない言葉の数々。

 そして記憶を取り戻す為に再びその世界へ飛び込めという脅迫めいた台詞。


――生きとし生ける者達よ。全ての希望はあなた達の中にある。生命がそこにある限り、望みを捨ててはいけません。それはアレク、あなたも同様です。


 凍り付くような銀球の視線と硝子の音色がアレクの脳裏に蘇る。


「僕が――」


 彼は考えるよりも先に口が開いていた。


「僕が、君を連れて帰るよ。絶対に」


 力強い言葉だが、受け取る側のイグニスはきょとんとした様子で瞬きを繰り返している。

 アレクと銀色の少女が交わした約束は本人らにしか知り得ないことなので当然だ。

 クローニング技術が発達し、脳外科でも応用が期待されている中、仮想世界で記憶を取り戻すというオカルトめいた方法のこれを彼は唯一の方法とした。

 まだ大人になりきれていない彼は何かを信じるということでしか前に進めなかった。

 内々を固め、病室から出ていくアレクに対し、イグニスはどう反応していいのか分からず、シーツをきゅっと摘まむのだった。


「アレク」


 アレクが扉を静かに閉じると同時にすぐそこのホールで待っていたザイスとベルハルトが駆け寄ってくる。

 そこにイグニスの母親の姿はなく、二人にたずねると今は担当医と面談室で話していると言う。


「イグニス、思ったよりも症状が深刻なようだ。忘れているのは俺たちとの思い出だけではない。学習機能や運動にも問題があるようで、お前も受かっていた俺たちの高校への今期の就学は難しいそうだ」

「そんな……」


 ベルハルトがイグニスの母親から伝えられたことをそのままアレクに伝える。

 先ほどまで一人意気込んでいた彼は突如として冷たい現実を突き付けられ、言葉を失った。

 強い脱力感からか肩を落とし、膝をリノリウムの床につけて座り込んでしまう。


「まあ、アレだ。同じタイミングで高校行けないのは残念だろうけどよ。そのうちポッと記憶が戻るかもしれないだろ? その時はまたバカ笑いしてよ、皆で迎えてやろうぜ」

「うん……」


 荒々しいザイスの手がアレクの背中をガシガシと擦る。

 その不器用な優しさが辛くて少年は目を伏せた。

 彼らはいつまでもそうしてはいられなかったので赤髪の少年を立ち上がらせ、自販機近くの椅子に座らせた。


 アレクが銀の少女のことを話そうか悩んでいると、彼の頬に冷たい感触がぺたりと張り付く。


「ほらよ、奢りだ」

「ありがとう」


 アレクはザイスから紙パックの濃縮還元100%オレンジジュースを受け取り、礼を述べる。

 彼はプラスチックストローを取り出して差し込み口を貫き、中身を吸い込んだ。

 口の中に爽やかな酸味と甘みが広がり、カラカラだった喉を潤していく。


「だが、ごく短時間のクラッキングというのか? 不正アクセスを受けたからといって、プレイヤーの脳へダメージを与えることが可能なのだろうか。もしそうならば、正式サービスなどしている場合ではなかろうに……常識で考えるならば、延期して第三者機関による調査を入れるべきだろう」

「『ニューロンギア』の開発にはファーポルトの資本が絡んでいて、政治家やマスコミ、インターネットの情報サイトすら封じ込められているよ。僕も匿名のSNSアカウントで投稿したけど、数時間で記事そのものが削除された。恐怖しか感じない……」


 人間が持つ九割もの感覚を仮想世界へ落とし込むというフルダイブ式のバーチャルリアリティ装置ニューロンギア。

 ゴーグルに映像を投影し、アイトラッキングやモーションセンサーによって仮想世界を作り上げる従来機とは違い、ニューロンギアは直接脳波に作用し現実と相違ない世界で様々な活動をすることができる。

 身体に欠損のある者でもその世界では訓練次第で自由に動き回ることができ、ストレスの緩和と再生治療の為のリハビリ用途でも期待されている。


「ファーポルトっていうと、あのデッカイ領土とキンキン声のあそこか? オレ、あの国嫌いなんだよなぁ」


 ザイスが最近になってワックスを付けはじめた黒髪をポリポリと掻きながら言う。


 ファーポルト共和国は島国アセリエと海を挟んだ所にあり、アーリア大陸に広大な領土を持つ国だ。

 近年、地下資源や世界の工場として急激な経済成長を遂げ、世界でも有数の経済大国となった。


「でも、あそこの莫大な資金援助がなければニューロンギアは生まれなかったんだ。だって、採算が取れそうにない全く新しい世界を創ろうっていうんだからね。最初はスポンサー探しにも苦労していたみたいだし」


 以前より注目していたアレクがネットの記事で見聞きしたことを溢す。


「『新世界を無料体験!』というのもその資本力あってこそか。もう返却してしまったが、アレはハマる人間にはとことんハマり込んでしまう世界かもな」

「あれ、ベルハルト。もう返しちゃったの?」

「ああ。幾ら現実と見分けのつかないほどリアルな世界でも、俺たちが生きるのはこちらの世界だ。あまり入れ込むべきではない」

「そっか」


 然りと仮想世界に対する自分の立ち位置を示すベルハルトをアレクは残念に思う。

 行きたい道を行けば良い。それが二つに分かれてしまったようで寂しかったのだ。


「ベルハルトよぉ」


 その横でザイスがニヤニヤと口元を歪めて意味ありげな視線を長身の少年に送っていた。


「言うな。今は、まだ言うなよ?」

「?」


 ベルハルトは顔を険しくし、ザイスを睨み付けている。

 そんな二人にアレクは小首を傾げる。

 だが、言えないようなことを抱えているのならばこちらが事情を話してもそうそう言われることはないだろうと少年は考え、口を開いた。


「今までイグニスのことで黙っていたけど、伝えておくべきことがある」


 アレクは中身の無くなった紙パックをゴミ箱に投げ入れ、一呼吸置いて神妙な顔付きで語り出した。

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