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002 アレク・フェルナンド

 その少年の名をアレク・フェルナンドという。

 彼は不純な色素を払ったかのような真っ赤な髪をしていた。

 姿形はまるで少女のようであり、見た目に違わぬ大人しくて常に他人を気遣う性格の持ち主だった。

 故にクラスメイトからは甘く見られることが多く、何かと高圧的な態度で彼と接する者も少なくはない。

 本人も強く言い返せないところがあり、それはやがて虐めに発展し、ガス抜きを求めていた残酷な子どもたちは言葉の刃でアレクを切り刻んだ。


「アレク、もう一回言ってみ?」


 夕闇迫る放課後の教室で、小学三年生になるアレクを四人の同級生たちが取り囲んでいた。

 彼らは日常からポロリと零れたアレクの独り言をかっ攫い、槍玉にあげては弄んだ。

 アレクは誤魔化しても無駄だろうと小さく息を吐き、差し迫るクラスメイトの視線を受け流してゆっくりと口を開く。


「……僕は人を救うヒーローになりたい」


 繊細な声色がクラスメイトたちの下卑た失笑を買う。

 非凡に憧れ、そうはなれない少年にとってコンピューターゲームの世界は魅力的なものだった。

 自分の存在を肯定してくれる世界。

 それだけで幼い彼は電子世界の虜となっていた。

 常に人々の模範となり、強きを挫き、弱きを助ける。

 そうすることで、自分を確立させていく。シンプルな思想だ。


「やっぱり一回死んどけ」


 真夏の海のようなアクアブルーの視線を床に落としていたアレクをリーダー格の男子は一瞥し、薄い胸板をドンと突いて床へ転がす。

 うずくまったままの彼を周囲はサッカーボールのように蹴り回し始める。

 熾烈とは言い難い緩慢な攻撃。

 だがアレクは反撃する素振りは一切見せず、身体を丸めて身を守っていた。

 まるで嵐が通り過ぎるのを待つように。


「おい、コラ。ビビってんじゃねーぞ」


 そんな様子に痺れを切らせた男子の一人がアレクの髪をグイっと後ろへ引っ張り、無理矢理立たせてリーダーの前に突き出した。


「お前、ウザい。どいつにもこいつにもおべっか使いやがって……キモいんだよっ!」


 男子が大きく拳を振り上げ、一気に打ち落とそうとする。

 顔を殴られる――そう感じたアレクは自由のきかない身体をグッと強張らせ、目蓋をきつく閉じた。

 だが、その拳がアレクの顔を打つよりも早く、どこからともなく飛び込んできたドロップキックによりリーダー格の男子はくの字に身体を折って吹き飛ばされ、派手な音と共にパイプ机を幾つか巻き添えにして静止する。


「せんせんふこくよ! このひきょー者たちっ!」


 予想外の騒音にアレクが目蓋を恐る恐る開けて声のしたほうを見やる。

 そこには彼と同い年くらいの小柄な少女が立っていた。

 彼女は上に反り返るくらいの人差し指を男子たちに突き付けている。

 ここアセリエの国樹とされているサクラの花びら色を思わせる色のショートカットヘア。

 体付きは食事をきちんと摂っているのか怪しくなるくらいスレンダーで、顔立ちも狐のようにシュッとしている。

 橙色のくりっとした瞳は正義に燃え、まるで戦隊ヒーローのようにギラギラと光を放っていた。


「お前、隣のクラスのイグニスだよな? カンケーねえだろ。引っ込んでろ」


 アレクを拘束していた男子がすっと手を放し、イグニスに詰め寄る。

 リーダーの男子は思いのほか人望が薄いのか、倒壊した机に囲まれぐうとも言わずに沈黙していた。

 そのまま誰一人として心配する素振りすら見せない。

 残りの三人は無遠慮に飛び込んできたサクラ色の少女を睨み付け、アレクから標的を変更しつつあった。


「残念だけど、その子は友達でね。そんな風にされていて黙っていられないのよ」


 一分の迷いもなく、歴とした強い意志に男子たちは僅かにたじろぐ。


「女が一人でどうしようっていうんだよ? どうせ、何にもできないんだろ。大人しくしとけってよ」

「そうでもないぜっ」


 開け放ったままの引き戸あたりから少年の声が響く。

 そこには赤いバンダナを鉢巻きのように頭に巻きつけた大柄な少年が腕組みをして立っていた。

 口の端を大きくニイッと上げ不敵な笑みを浮かべ、太い腕を組んでアレクたちを見つめている。

 口こそは閉ざしていたが、そこにはもう一人の長身な少年が立っていた。

 先の大柄な彼とは対照的な、痩身だが鍛えるべきところは鍛えているという身体つきだ。

 鋭い視線はただそれだけでその場に居る者たち全てを緊張の元へと引きずり出すに足るほどだった。


「げっ、四年のザイスとベルハルトじゃないか」

「知っているのか?」

「一時期は喧嘩に明け暮れていた元『狂犬』と、去年の全国大会最年少『王者』だ。あ、相手になんかしていられないぜ……」


 一人の少女と二人の少年の登場により、アレクへの暴力はピタリと止まり、男子たちは明らかに動揺していた。

 仲間と立ち塞がる三人を交互に見やったり、青ざめた顔で相談しながら様子を窺っている。


「ほらほら、やる気がねぇんならさっさと帰んな」


 そんな彼らの気配を察したのか、ザイスがのっしのっしと歩いて来ては平手で彼らの尻を叩き、一人、また一人と追い出すようにする。


「お、覚えてろよ。このままじゃ終わんねえからなっ」


 ようやく机の山から復帰したリーダーが口元を歪めたままそう言い放ち、仲間を連れて足早に立ち去る。


「典型的な三下の台詞だな。初めて聞いたぞ」

「違いねえ」


 肩をすくめ、やれやれと顔を左右に振るベルハルト。

 ザイスも豪快に笑ってみせ、サクラ色の少女もそれにつられてクスリと息を漏らして口元を覆った。


「どうして助けてくれたの」


 和らいでいく自分たちだけの教室の空気にアレクは伏し目がちに彼女たちへ問う。


「あなたが友達だから」


 少女は身を屈めてアレクを真っ直ぐ見つめ、うずくまったままの彼へ手を差し伸べる。


「イグニス。確かに君とは近所同士だ。だけど、そんなに遊んでいるわけじゃないし僕に関わると嫌な思いをするかもしれない。友達……かもしれないけど、それだけの理由で巻き込むわけにはいかないよ」


 それでもアレクはイグニスの手を取り、線の細い少女とは思えないほどの力で引き起こされる。

 少し手がしっとりとしていたのは虚勢による緊張感からなのだが、鈍いアレクはそこに何の情緒も挟むことはなかった。


「いまさら引き下がれないわよ。こうなった以上、虐めがなくなるまで戦ってやるんだから」


 イグニスはふんっと荒く鼻息をふき、意思表明のつもりだろうか、脇を絞って握り拳を作って見せた。


「それに、あんたには……その、猫が死んだ時の借りが……あー、この話はなかったことにしてっ!」

「えっ?」


 アレクの脳裏に以前イグニスとやり取りをした時の情景が蘇る。

 彼女が可愛がっていた飼い猫が病気で死に、目を真っ赤にして泣き尽くしていた頃だ。

 アレクは猫好きなイグニスの慰めになればと、近所の仲が良かった野良猫を抱きかかえて庭先で沈む彼女を訪れた。

 ただ、それだけだった筈だ。


「とにかくっ、あんたはヒョロヒョロだから舐められるのよ。少しは男らしく鍛えれば周囲も変わってくるんじゃない? ねえ、ザイス」

「おうっ。筋肉さんにお任せだぜ」

「なお拒否権はない」


 イグニスに促され、ザイスとベルハルトがアレクの両脇を掴んでいとも簡単に持ち上げる。

 軽い身体が宙に浮き「え……えっ?」と目を白黒とさせる赤髪の少年を何処かへと連行していく。

 原色の赤でキャンパスを塗りたくった世界での邂逅。

 アレクという少年が三人の少年少女たちと深く関わっていき、自身もまた大きく成長する思い出の一コマだった。

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