013 その温もりを手に
――常に人のためにあれ。
幼き日のノエルを救った命の恩人は口癖のようにそう言っていた。
良い学校を出、良い企業に就職して良き出会いに恵まれる。
男尊女卑が未だに残るその国で彼女は恵まれすぎた環境に居た。
だが、行くあてもなくスラムで行き倒れ、高熱を出していたノエルを救ったのも彼女だった。
雨露をしのげる快適な住居。清潔な飲み水と食料。そして熱いシャワー。
ノエルは幸福感に打ち震え、泥のように眠りにつく。
そして数週間後、事件は起きた。
――なぜ、俺なんか。
ノエルは視線をざらついたアスファルトに落とし、彼女に再び問う。
現政権に対する抗議集会の最中に銃の乱射騒ぎがあり、18人の若き血が流れた。
彼女もその中の一人だった。
突然のことで立ち尽くすノエルを庇い、背中を撃たれたのだ。
最後のさいごまでお人好しで、大間抜けで。
彼女の葬儀の最中、まだ少年だったノエルは参列者の端で一人怒りに震えていた。
良くしよう。救おうとした世界に殺されるなんてアンタは大馬鹿だ。と。
――だけどね、ノエル。
彼女がこの世から去って行く間際、震える声でノエルに呼びかけ、手で彼の零れかけていた雫を拭い極めて穏やかに語り出した。
――人は人である以上、支え合って生きていかないと。長い人生の中で対立する人も出てくるかもしれない。でも、あたしは最後の瞬間まで分かり合える可能性を手放さない。何度騙されたって、何度裏切られたって。あたしはあたしである以上、心を折られることはないんだ。だって、希望はあたし達の中にあるからね。
そして小さな手が音もなく地面に落ちる。
銃撃犯への憎悪もなく、生への未練を溢すでもなく。彼女は最後まで遠い何処かを見つめたままこの世から去って行った。
――やっぱり大馬鹿だよ、アンタは。
ノエルが声を揺らして呟く。
目を静かに閉じた彼女は揺さぶれば今でも起き出しそうなくらい穏やかな顔だった。
「ノエル?」
つい一瞬のことだ。遠き日の思い出に浸り黙り込んでいたノエルにアレクが心配そうな顔で覗き込んでいた。
記憶の中にある彼女とアレクはお人好しで頭の中でガーデニングを満喫していそうな性格や雰囲気がどことなく似ており、ノエルはあの鼻の詰まったような甘ったるくも頭に残る声が聞こえてきた気がした。
狂った世界で希望を追い求める姿が重なり、ノエルは長い息を吐く。
「……お前になら、俺を止められるだろうか」
「えっ、何? 聞こえないよ」
「何でもない。行くぞ」
振り返ることなくずんずんと歩き出したノエルをアレクは慌てて追う。
黒髪の青年はそんな彼らを満足そうに見送ると、残っていたプレイヤーたちに休憩の終わりを告げるのだった。
「……」
「……」
「あの、えーと。二人とも?」
広場での一件から数十分後。
アレクの部屋で赤褐色のギラギラとした視線と、銀色の研ぎ澄まされてはいるが眠たそうな視線が火花を散らしている。
アレクたちは街の外へ狩りに行くというノエルを引き留め、日に一回限定で受注できるデイリークエストをこなしていた。
それは街中で配達したり、怠けている労働者の尻を蹴り上げたり、煙突掃除をしたりとバリエーション豊かだ。
報酬は家賃や食費に充ててもお釣りが来るほどで、これをこなせば最低限の生活を送れるだろう。
アレクは掲示板の「豆知識」スレッドに「デイリークエストについて」というタイトルで詳細を共有しておいた。
それは彼なりの貢献のつもりだった。
その後、軽く何かを食べておきたいというノエルにアレクは食事を摂りながら自室での作戦会議を持ちかける。
外で食べればいいだろう。と言うノエルだったが、アレクはアレクでジルヴァラと会わせたかったので半ば無理矢理に彼を一室に押し込めた。
その結果が複雑に飛び交い、時々合わさっては火花を散らす二人の構図を生み出してしまった。
「アレク、こんなNPCを連れ込んでどうするつもりだ」
「アレク。この無遠慮な男は何処から連れてきたのですか」
同時に二つの声と視線がアレクに飛び込み、ペチリと頬を叩いて消えていく。
「無遠慮とは何だ」
「こんなとは何ですか」
再び絡み合うノエルとジルヴァラ。
「こんなクソ生意気な『ガキ』みたいなNPC初めてだ。ここに俺を連れてきたかった訳もコイツのことだな?」
ノエルが感情が行ったり来たりを繰り返していたアレクの首に腕を回し、意味深げな笑みをニンマリと浮かべて言う。
ジルヴァラは遠慮気味に咳払いをすると、そっぽを向いてしまった。
「この子、ジルヴァラはユニークNPCだよ。自我を持ち、成長していく存在。聞いたことくらいはあるでしょ?」
アレクは「グレイゴースト」と打ち合わせた内容をなぞっていく。
彼女は権限を殆ど奪われたとは言っていたが、タグの偽装などはできるようで自分の頭の上に黄色の逆三角形を浮かばせていた。
ノエルはアレクからの説明を受け、全てを受け入れた様子はなかったが浅く何度も頷いている。
「僕はアドバイザーの彼女と契約を交わし、冒険の手助けをしてもらっている。ノエルにも有益なことだと思って呼んだんだ」
「報酬は三食の美味しい食事です」
埃っぽい室内にそぐわない硝子楽器の旋律が流れる。
声は合成音声のように透き通っているのに、学習を重ねて彼女は人間の肉声に近付きつつあった。
彼女は何故だかノエルのことを煙たがっている点だけがアレクは気になったが、それも演出の一つだろうと気持ちを誤魔化して新しい友人の反応を待つ。
「言い足りないところもあるが、今はよしとしておこう」
ノエルはそれで納得がいったのか、部屋の端に転がっていた丸テーブルを引き起こすと「しかし、埃だらけだな。掃除してなかったのか?」と悪態をつきながら窓を開け、換気をする。
「ぐ……不衛生でバッドステータスとかないでしょ。それにプレイヤー自身が持つ体臭は反映されていても、老廃物とか出さないから臭くはならないって聞いたし」
「アレク。そうは申しましたが、掃除を疎かにしても良いという意味ではないですからね?」
「だったらさ、ここにずっと居たジルヴァラがやっておいてくれていても良かったんじゃない?」
断崖へ自ら後退し、派手な飛び込みを決めてみせるアレク。
「クズ男の発言だな」
「同意です」
怠け癖が思わぬところで命取りになり、両者にばっさりと斬り捨てられるアレク。
「食事の前に掃除だな。布きれとかあるか?」
「部屋に備え付けの不要品ボックスに何枚かありましたね」
「よし。水道は使えな――いや、使えるんだよな。アレクは何かに水を汲んでこい。ほらほら、凹んでないでさっさと動け」
「ノエルって意外とさあ……」
騒がしくなった室内で二人の少年と一人の少女が慌ただしく動き出す。
アレクは感情を素早く切り替え、節だった木桶を抱えて廊下へ出た。
「わっ……」
彼が何気なく扉を引くと、小さな声が飛び込んできた。
「イグニス……?」
サクラ色のショートボブ。くっきりとした目鼻。スレンダーだが丸みを帯びた、年頃の少女らしい体付き。
そこにはベッドで寝込んでいるはずのイグニス・オルケットの姿があった。




