010 彼女の事情
「――ッ」
アレクが寝泊まりしている所のほど近く。
そこよりは幾分か豪華で確りとした造りの宿舎の一室で、帰ってきたばかりのフォリシアがベッドに身を投げて身悶えていた。
――なぜあのような態度をとってしまったのか。
自らに問わずともそれは分かっている。
イグニスが思いを寄せているからこそ自分は勘違いをさせるような態度をとってはならず、その結果が可愛げのない行動に繋がってしまっているのだ。
だからといってアレは不器用にもほどがあり、彼女は自身のことながら呆れ果てる思いでいっぱいだった。
アセリエに留学のために訪れていた時に優しく声をかけてくれたイグニス。
ゲームや漫画といった共通の趣味を持ち、話せば仲良くなれるかもしれないアレク。
聞けばその二人は幼馴染みで、お互いに友人以上の感情を持ちながらも家族同然に付き合ってきたために進展がないという。
世界的に見ても慎ましい民族であるアセリエの民である二人をフォリシアは歯ぎしりをして眺めていた。
つかず離れずの辛い状態を続けるくらいならば、思い切ってデートに誘い、良い雰囲気になったところで男の子のほうから積極的にアプローチすれば互いに好意を抱く仲ならばうまくいくだろうに――自分も経験がないことを棚に上げ、フォリシアはベッドの上でバタンバタンと暴れ回る。
イグニスは同性から見ても異性から見ても魅力的な少女で、気分や感情に流されるところはあるが性格も良く、フォリシアの自慢の友人だ。
対してのアレクは男性っぽさは皆無だが、小動物のように落ち着きがなく、いつも青い瞳を慌ただしく動かしてはイグニスたちに付いて回っている。
だが、年端もいかない少年とは思えない言動と、包容力の深さは気味が悪くなるほどで、まるで聖書で出てくるこの世に光をもたらした救世主のようだった。
自らの故郷を戦火で無くし、それでも人を救おうとした「亡国のメシア」
――あの子はきっと自分が生きてるのなんてどうでも良くて、人のためだけに生きているんじゃないのかな。でも、そんな生き方をしていたらきっとイグニスは……。
フォリシアの思考にすっと闇が垂れ込む。
彼女は頭を軽く左右に振ると仰向けになり、ロクに睡眠をとっていなかったことを思い出し、少しだけならと目を閉じた。
「……シーア。フォ……リシア!」
フォリシアの意識の向こうから声が聞こえ、身体が左右に揺すられる。
「うーん、アビーお姉ちゃん……あと五分……はぁ……」
「さっきもそう言った! 昼間からゴロゴロしてると夜に寝られなくなるよー!」
「大丈夫、だいじょーぶ……すや……」
「ううーん……かくなる上は……えいっ」
次の瞬間。敷き布団が波打ったかと思えばフォリシアの身体がベッドからポンッと飛び出して光沢のある板張りの床へ顔から自由落下していく。
「ぷぎゅうっ!?」
システムによって痛覚は干渉されているとはいえ、夢の世界を破って飛び込んできた一撃にフォリシアは鼻声混じりの情けのない叫び声をあげてしまう。
彼女は素早く身を起こして自分を床に落とした犯人を鋭い眼光で貫こうとした。
「……い、イグニス……?」
「うん、こんにちは。フォリシア」
そこにはフォリシアの知るイグニス・オルケットが苦笑いをしながら立っていた。
あの日に記憶を失う前の「友人」としての彼女。
小麦色の少女は溜め込んでいた全ての想いを堪えながら一歩、また一歩と友人の姿をしたモノに近寄り、二度と放さないといった様子で固い抱擁をする。
しばらくはそれに甘んじていたイグニスだが、頭一個分くらい体格差があり、丁度豊満なバストに顔を挟まれていたので呼吸ができなくなり腕を激しくタップする。
「あ、ごめん。つい嬉しくって。でも、どうしてここが?」
「掲示板。こんな状況になって情報収集してたら住所がのってて。フレンドリストはリセットされてるし、外部接続は全て遮断されてるし……大変だったんだよ」
「そう、そうだよね」
アレクと同じく「ジルヴァラ」からの情報でフォリシアは初日からイグニス捜索に乗り出していた。
だが、データに残っていたテスト時に撮った集合写真の切り出しでは危険が高いと判断し、自分の名前と住所を吊り下げてアクションを待っていたのだ。
その初日に色々な人と巡り会い、疲れていて忘れていたのだがまさか本当に本人がやって来るとは思ってもいなかった。
フォリシアはイグニスと語り明かしたい百の言葉を飲み込み、アレクとの約束を思い出して「アレクも来てるよ」と伝え、反応を見る。
「本当? 良かったあ……春休みの間、ずっとメッセージ飛ばしていたのに誰も反応してくれなくて、不安になってたんだ」
「……イグニス。あなたはその間、何をしていたの?」
「何って」
イグニスは茶化して答えそうになるが、ぎらりと光るフォリシアのアメシストに寒気すら感じ、生唾を飲み込んで息をゆっくりと吐き出し、ワンテンポ遅れて「家に居たよ」と語り出した。
「両親はオストハルク観光に行ってるし、アレクや友達には連絡付かないし。街にも出たんだけど、何というか人が物凄く少なくて」
「……」
「だから、家にいて映画見たりネットで調べ物してたかな」
物凄く退屈だったけどね。とイグニスは付け加えた。
フォリシアは普段あまり使うことのない脳を稼働させ、今親友が置かれている状況を必死に解析しようとしていた。
あの事故があり、現実のイグニスが記憶を失ったのがテストプレイ時の三月末日。
それから今日までは空白の一週間があり、その間の記憶を彼女は何者かに植え付けられている。
目的がはっきりとはしないが、フォリシアやアレクが知らない存在が何らかの目的をもってイグニスの記憶を操作していると言える。
ここで過酷な現実を突き付けてしまえば目の前に居る友人が消えてしまうような気がして、フォリシアはぐっと口を噤んだ。
「それで、アレクは何処にいるの? 会って、話がしたいなぁ」
イグニスは身体全てを使って笑ってみせ、綺麗に並んだ白い歯を咲かせてフォリシアに問う。
フォリシア自身に恋愛経験はないものの、誰が見てもはっきりと分かる恋する乙女のそれに小麦色の少女は嫉妬を抱かざるを得なかった。
互いに親友と思っていたはずなのに、一番の好意はあの赤髪の彼にあり、贔屓目に見てもフォリシアは二番手だった。
女同士だからそのようなものだ。仕方ない。そう諦められればどんなに良かったか。
嫉妬深い女神はフォリシアの傷を深く抉った。
「い、今は忙しいみたいだからメッセージだけ入れておくね。後で合流しよう」
自分の気持ちが整理できるまでの時間を稼ぐため、見えみえの嘘をついた誰よりも正直なフォリシア。彼女は冷や汗を垂らす思いでイグニスのくすぐったい視線を掻い潜り、部屋の一点に目を落ち着けていた。




