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精霊世界

無碍なるヴィーゼに見習い騎士は乞う

作者: 嘆き雀

過去編「籠の外のヴィーゼは無垢を汚す」あり。

前日譚といった感じのものです。

 小気味よい音が鳴る。それは互いの木剣が重なったものであり、少年の勝利を知らせるものにもなった。


「ふう」


 息を吐きだした後に高まった歓声は、少年の勝利は祝っていない。奥でも同様に行われていた別の試合にだ。

 精霊が水球をいくつも宙に浮かせ、契約者の少女の姿を映して惑わしていた。小女はそこから斜め下から斬りかかり、相手を寸止めする。歓声の正体はそんなところである。


 己とは正反対の反応だ。少年にも観客はいたが、舌打ちはあれど誰も誉めたてるような声や拍手だってない。終わった対戦相手など、憎悪の籠った目で睨みつけてくる。

 その場から離れ、早々に授業は終わってくれないかと試合を眺める。ぼうっとしていたもんだから、少女の来襲に気付いたのは眼前に立たれてからである。


 一つに纏めた長髪がしなやかにも揺れていた。激しく動かした体は火照っており、だが汗は流れていない。傍にいる水の精霊のお陰だ。

 ひんやりと下がった気温に、単純に涼しいなあと少年は思う。


「暇なら付き合いなさい」

「……まあ、いいけど」


 始まるのは激しい剣の応酬だ。

 今回は精霊魔法を使わないのかと考えながら横薙ぎにするが、体を捉えるはずだった木剣は水球に阻まれる。勢いづいた速度が落ち、その隙に今度は少女の木剣が少年に迫る。重心を大胆に大きくずらして避けたことは問題を後回しにしただけで難は続く。 

 地面へと倒れていくのを少女は木剣と魔法とで全力で追従をかけた。


「私の勝ちね」

「ううん、まだだよ」


 ダンッと踏み込む。迎撃は敗北との紙一重で行われた。魔法はただの水だと侮りはしない。水球でなく刃の形となって斬られたことはあるし、酷いときは顔を包んで溺れさせようとしてくる。

 木剣も含め全部斬り、あるいは剣の腹で叩く。大量の木剣の幻が映し出され、逆に本物の木剣を隠されていたとしても、最後に立つのは少年だった。


「…………精霊と契約もできないくせに」


 その言葉を区切りに観衆の口から不満が溢れ出る。

 純粋な剣技のみでどの生徒よりも強くある少年は、学園での異物だ。


 自然豊かで精霊に愛されたインリュア連邦に、ルフネティア学園はある。その連邦内でも精霊と契約できたものは少なく、尊ばれる存在だ。そんな選ばれた彼等が在籍するクラスに少年はいる。

 特に精霊士のような精霊の力だけに頼ることなく、自らも武器を持ち戦うことのできるクラスだ。

 栄光を約束された将来を持つ彼らは自らに高い誇りを持っている。落ちこぼれどころか資格がないにも関わらず、例外扱いで存在を許された少年は敵対視されていた。


 *



「なんで言い返さないのよ」


 ヘルミーネは少年に蹴りを入れた。呑気にも陽を浴びながら気持ちよくしていたので、結構強めのやつである。


「だって、全部本当だし」


 いったいなあ、と痛む箇所をさすりながら身を起こす。ゆがめる口が大きく息を吸い込んだところで、あ、これ相当怒っているなと急いで耳を塞いだ。


「こんの、おバカ! 悪口されている時点で、奴らに非はありまくりなのよ!? 例え精霊と契約できていない素質なしでも、剣以外はからっきりのやる気なしでも、ぼんくらでもっ、言い返さないと調子にのるばかりじゃない!」

「今みたいに? あ、ちょっと待って。揺らしたら手が外れる……」

「そうよ! やめて欲しかったら、何か言ってみるがいいわ!」


 間近の叫びは耳鳴りがする程で、がくがくと揺さぶられがままだ。意味ある言葉など、とても発することなどできない状態である。

 玲玲(れいれい)とした声が発せられる。


「ヘルミーナ、麗しくないわ。そこらでもうおやめなさい」

「ミリィ……。そうね、私らしくなかったわ」

「ああ、酷い目にあった……」

「こちらのセリフよ。お前のせいで、わたし達の品性が下がる一方。早急に対策を打ち立てなさいと、何度言えば分かるのかしら?」

「流石水の精霊。鋭い言葉だね」


 精霊は手のひらサイズの小女でありながらも、ヘルミーナの方の上に座り込みながら見下ろしていた。

 水の精霊の特性として認めたもの以外には傲慢に振る舞う。その基準はすこぶる高く、契約を交わすためには美貌、性格、優秀さなどを求められる。

 少女はいくつもの基準を満たしており、精霊の中でも魔法が上手なものと契約していた。

 剣は少年の次だが、座学はトップの成績を収め、上位貴族としての気品さを持ち合わせている。普段は落ち着きはあるし、そこらの大人よりも優れているが努力は怠らない勤勉さがある。


 そのせいで少年は少女との妙な縁を持つことになりやっかみを受けているが、元より色々と言われている立場である。昔からなので少年には慣れたもので、気にしない(たち)だ。


「それに実害はないしなあ」


 頬を風がくすぐる。少年は立ち上がって、そっと片手を持ち上げる。ざああと風音の後、そこに数々の精霊が姿を現した。興味深そうに少年を観察して、わあわあと騒ぎ立てている。

 少年はどこにしまっていたのか、菓子を二つ取り出すと、新たな精霊を加えて群がりかえることになった。笑い合いながら、楽し気に会話を交わす。


「……風の精霊には好かれているのよね」


 ヘルミーナは独白し、きりりと眉を上げる。


「――エミル」


 少女を見遣るのは、凪いだ瞳だ。引き寄せられるものがあり、危うさ故なところがある。

 夜の水面のようだ。ヘルミーナの姿と相手を映しはするが、エミル自身は見えてはこない。


「僕は皆が言うような人間だよ。国の援助がなかったら、ここにはいない。まず死んでいた」


 睫を伏せ、事実を淡々と述べる。

 エミルには学園に通えるほどの高貴な血は流れていないし、高額な学費を払える資産家でもない。平民以下の卑しき身分である。流行り病に侵されて貧民街で死にゆくところを、類い稀な幸運にて今を生きている。


 風の精霊の加護をもつ少年。悪評無しで端的に表せば、その言葉になる。


 始まりは風の精霊に助けられたことだ。

 独りぼっちでいたところを精霊が訪れ、当時の幼き少年を渦の中心として周囲の家屋をめちゃくちゃに吹き飛ばす強風を起こした。

 少年は駆けつけた騎士により発見される。衰弱はしていたものの原因は病によるもので、五体満足であった。


 何者から守るために、危篤な状況を知らせるために魔法を起こしたのだ。巷の噂は国の上層部に届き、少年を保護することを決めた。風の精霊の加護を受けたことは、それほどに将来を期待できるものであったからだ。

 風の精霊は知られている中で三百年以上契約を結べた者はいないとされている。

 四大精霊の火、水、土、風は連邦内ではありふれており、見つけることが容易だ。特に風の精霊は好奇心旺盛で自由奔放な性質から、よくそこらで飛び回っている。だが、契約は一番に困難とされていた。


 精霊と契約するには水の精霊のように性質に見合った基準がある。例えば火ならば情熱的な心、土ならば煌めく宝石、後は総じて質よく量のある魔力、性格、気紛れということもあったりする。

 それが風にはなかった。どう懇願しても一切合切応じることはない。過去に契約できたものはいるが確立されていない。


 どうも各精霊を纏める王――風の場合は女王が人間と契約してはならないと命じているらしい。

 熱心よく風の精霊に訊き続けたとある研究者が発表し、それを基に発達した精霊に訊けば同意を得られた。


 国の上層部としては、なんとかして風の精霊と契約した者を欲しがった。精霊の力を借りられることは一つに戦力、二つに国の発展に役立てる。大洪水や日照り、舗道作りと魔法は便利なものだ。

 人間は道具を用いれば自身の魔力で魔法を行使もできるが、インリュア連邦では数多くの精霊がいる利点を生かすと、精霊士は重要視されることになる。精霊信仰もあるので、様々に契約した精霊士を揃えておきたいのである。


 エミルは都合のよい人材だった。何の後ろ盾もないので支援を名目に好きにでき、風の精霊と契約するよう指示する。成功しない可能性を見越し、投資した分の見返りとして国に使える騎士の訓練もするよう、辺境の城にて厳しくしつけてもあった。

 性格がひねくれることなく剣の上位者に育っているのは生まれ持った性分もあるが、そういった理由である。


 だが上層部が一番に期待した契約は未だ成されていない。他の精霊もてんで駄目であった。ただ風の精霊には好かれる。

 だが、それだけでは日々大量の精霊が駆けつけてまで集まることはしない。あの始まりの精霊が関わっているから、好奇心をもって野次馬のように集まってくる。


「――ヴィーゼは元気にしてる?」


 精霊は口々に答える。


「しらない」

「だあれ?」

「あはは、もうわすれたの~?」

「げんき、してるかも?」

「あってない」

「いつもどおりだよ」


「それっていつぐらい?」


 手の甲の上に立ってもらって、目の高さまで持ち上げる。


「んーっと、このまえ」

「一か月前とか?」

「そうそう、そのぐらいー」

「そっか」


 精霊の時間の感覚は人間と異なるで易々と信じることはできないが、この精霊は一か月前にも訪れていた。その期間内だと、当たりをつける。


 エミルは一度しかヴィーゼとは会えていない。だがその『声』は何度も聞き、精霊を介して様子を尋ねることはできていた。





 いつも小さな鈴を弾ませたかのように、手弱(たよわ)かに消えていった。あまりの儚さに空耳ではないかと何度も考えつくして、確かだと信ずる。


『声』は言葉でないことが多かった。

 悲嘆、後悔、自責、失望、孤独。そして切望。暗色に一点の異色が混ざっているのが、より綺麗に輝かしく見える。


『くるしいよ』


 深い情念が、エミルの心に沁みる。『声』は共感を強いてくるので胸を締め付けられるし、涙が落ちてしまうことだってある。


「君は、いつまで苦しんだままでいるつもりなの?」


 知りたい、触れ合いたいと己自身の感情だって湧く。『声』が一方通行で叶わないのが、どうしようもなくもどかしかった。




 ドンっと体に衝撃が起こる。


「どこを見て歩いている」

「……申し訳ございません」


 腰から頭を下げたのは、反射神経のようなものだった。学園で最底辺の身分であるエミルにとって、体に染みついたその行為は正しいものである。


「二度はするな」


 廊下の床へと前髪を垂れているのと共に、人が去っていく足下を視界に収める。その他複数は立ち止まったままであるが、顔を上げた。


「おい」


 ぶつかった相手は高位貴族だった。人に詳しくないエミルでも、声や後ろ姿やで分かる。ヘルミーナと敵対派閥の筆頭なので、少女の付き合いからよく話を聞いていてなおさらだった。


「無視するなよっ」


 かの者が相手だったことは運がいいことだろう。しつこくとやかく言ってくることはない。ただその取り巻きが問題だ。

 ほんの少しの時間なのだからこうも怒らなくていいのに、とのほほんと思う。


「何か御用ですか」

「はっ、笑わすなよ。かのランゲヴァルツ家の子息にぶつかっておいて、あんな詫びだけじゃ足りるわけないだろ?」

「それは、貴方が言うべきことではないと思いますが」

「賤民のくせして、口答えするなっ。お優しきカルステン様に代わり、わたしが仕置してやろうか!」

「ちょっと落ち着け、イェルク! エミル相手だぞ!?」

「そんなこと、私にとって恐れるに足らん」


 身から憎悪が溢れ出ていた。どこか、それも最近感じたものだと記憶を手繰る。


「ああ、思い出した。今日の授業で僕が一瞬に叩きのめした人か」

「お前、とことん仕置されたいようだな……?」

「あっと。失礼しました。つい口が滑り、すぎたことを……」

「半殺しにしてやる」


 片手で拳を持ち上げ、もう片方は腰に帯びる剣の持ち手を軽く触れていた。

 なぜ学園内で必要もなく持ち歩いているのかそんなところは置いておき、脅しているのだろう。ニタリと頬を吊り上げており、己の優勢を知らしめる。


 エミルは授業のように許されていない、このような場では反撃できない。したら、後にエミルだけに然るべき処分が下される。

 イェルクは言動はともかく、身分は上から数えた方が早い……はずだ。どんな家柄だったか覚えていないが、身なりからしてその可能性が高い。勉強は苦手だが、そういう目は必要性から養ってきていた。


 どうするべきか、と考えはしなかった。身分とは圧倒的な力である。やるべきことは考えるまでもなく決まっている。

 することは素直に相手の言い分に従うことである。余計なことはしない。あまりにも痛いのは嫌なので急所は防御するが、気が済むまでやられたままでいる。それが一番楽だ。国に保護されてから、そんな生き様をずっと続けていた。


「イェルク。気は済んだろ? もう行こうぜ」

「いいや、まだだ。場所を移す。おい、立て。さっさと歩くんだっ」


 流石にこれ以上の仕打ちは見過ごせない者が出てくると、イェルクは人目に付かない庭園の影ある場所を選ぶ。

 木の葉がざわざわと音を立てる。


「…………だ、めだ。これいじょ、は」

「何を言っているのか分からんな。家畜の方がもっとうまく話すぞ?」

「ここは、だめだ」

「ッイェルク! 来るぞ」


 冷ややかな風が吹く。楽葉を巻き込み、イェルクが校舎の壁まで吹き飛んでいった。

 あれ程言ったのに、とイェルク側の人間が助けに行く。風は何事もなかったかのように収まっている。


「こんなこと、させたくなかったのになあ……」


 ごめん、という返答に『声』はなかった。ずきずきと痛む箇所の具合を確認していると、あっと言葉が出た。


「やる。迷惑かけたな」


 ランゲヴァルツ・カルステンは軟膏や湿布、包帯を置く。

 終始無表情で以上だとイェルクの元へ行くカルステンに、エミルはもっと早く来て欲しかったと溜息を吐く。するとギッと遠くのイェルクに睨まれ、タイミング的に心臓が飛び出そうになった。

 カルステンに何か言われ、強まったイェルクの憎悪に面倒事はもう勘弁だと、エミルは手当てを後にその場から逃げた。




 最近はなかったことだが、昔はよく起こっていたことだった。

 だからエミルは風の精霊の加護を持っていると未だ言われ続けるし、報復を恐れて悪口だけで暴力を振るわれることは殆どない。


 国の上層部の期待は保護から依然、絶えていない。経過時間が城で五年半、学園で二年としても、方法を変えて風の精霊との契約を命ずる。

 その日は学園長の口から発せられた。


「明日までに学園から立ち去りなさい」


 学園長室に呼び出されたエミルは、あまりに突然な話に口を開けて固まった。

 そして次の日には門の外に立ち尽くす。


「あんまりにも酷くない?」


 門衛の突き刺す視線は痛い。取り敢えず距離を置いて、学園長から訊いた経緯を思い出す。


『…………この学園って四年制ですよね?』

『そうだがね、あまりに状況が動かぬことに上が痺れを切らしたのだよ。今日の授業はいいので荷を纏め、さっさと契約に出向きなさい。心当たりのある精霊はいるのだろう?』

『……どうしても契約できなかった場合、僕はどうすればいいのですか?』

『知らん。個人的には二年後以降に戻ってきて欲しいものよ』


「あれ、絶対生徒として面倒みたくないだけだよね」


 齢十四のエミルは朝食を取ることなく出る羽目になったので、ずた袋から取り出した果実をかじる。門衛を除くと人目がないので、大きく頬張ってもぐもぐと咀嚼する。贅沢な食べ方だと、エミルは思っている。


「情報集めからするかなあ」


 ぺろりと指に付いた汁をなめとり、門衛の元へ行く。警戒されるのに臆さず、門へと指を指した。


「あの、調べたいことがあるので入ってもいいですか?」




 学園を一回は立ち去ったし、直ぐ入るなとは言われてないよね。というのはエミルの言い分である。

 床から振動を感じ、少年は本棚から顔を覗き込む。


「あ、ヘルミーナ」


 肩で息をしている同級生は脱力する。


「慌てた私がバカみたい。噂は嘘だったのね……」

「噂が何かは知らないけど、多分本当じゃない?」


 どうなんです、と同行する見張り人を見遣れば、首を横に振られる。


「学園の生徒ではないですので」

「そりゃそうか」

「で、学園に退学させられたの!?」

「まあ、実質そんなところかな」

「はああ!?」

「しい、ここ閲覧室だよ? 知らないの?」

「知ってるわよッ」


 司書が冷ややかに叱りに来た後、見張り人はやれやれと肩をすくめた。面倒な役を押し付けられた人なので、結構緩慢である。

 エミルは今日だけで様々な人から怒られているので、これ以上は嫌だと空きの教室に場所を移動する。衛兵はアーベル家の威光を見せつけて、部屋の外で待機させる。


 ヘルミーナは昼休みを利用して訪れに来ていたので、遠くから楽し気な会話が届いていた。


「でもよかった。別れの挨拶はしておきかったんだ」

「……カルステンに絡まれた上に、退学の話を聞いてとても驚いたのよ。どこを探しても貴方は見つからないし」

「これ幸いに、授業さぼって自室に閉じこもってたから。昨日は荷造りで忙しかったし」

「ぼこぼこにされたって聞いたけど。保健室ぐらい行きなさいよ」

「行く必要なかったからなあ。怪我の治療は慣れてるし、ああ後カルステンじゃなくて主にイェルクに絡まれたんだよ。僕がいなくなるからって、試合をいっぱい挑まないようにね。二人が戦ったら収集付けられなくなるし」

「あのねえ、私は挑む相手ぐらい選ぶわよ。…………本当にいなくなるのね」


 寂し気な様を見せるなんて珍しいな、とエミルは思う。


「契約を結べたら、直ぐに帰ってこれるよ」

「できるの?」

「まあできるなら、とうの昔にできてるよね。そのために調べ物」


 エミルは隠していた紙の束をひけらかす。少し目を大きくして、ぎょっとしているのが面白かった。


「それ、持ち出していいの?」

「許可取れたの一日だけで時間ないし、持ってきちゃった。読む?」

「バレても私は関知しないわよ。……読むわ」


 ヘルミーナの秀逸さは読み終わるまでの早さにも及んでいた。エミルにとっては既に読み終えているものだからその間別の記録を読んでいたが、その差は歴然である。

 エミルは己の記録は投げ出し、「どう思う?」と問いかける。


「これだけじゃなんとも言えないわよ。普通は儀式で精霊を招喚し、交渉で了承されたら契約がなる。でもエミルはその方法じゃあ無理だから、自分で直接出向いて交渉するのよね」


 期待を受けているエミルは学園で何度も儀式を行う機会に恵まれたが、来るのは少年を好むもののやはり契約の意思を持たない風の精霊である。自由奔放な気質であるのに、決して女王の命に背かない精霊にエミルはずっと頭を抱えさせられている。


「好みとか居場所は聞いてないの? 狙う(・・)はヴィーゼでしょ?」

「言い方……」

「なによ。違うの?」


 顔を近づけ、挑発するように不敵に笑う。そんな少女には敵わないと眉を下げざるを得ない。


「違わないけど、俗っぽい」

「あら。それは失礼。それで、どうなの?」

「別になんにも。口止めされてるらしいんだよね」


 風の精霊は皆おしゃべりで口を滑らしそうになることは多々あるが、風に吹き飛ばされたりしていつも阻止されている。


「風の精霊って、守りが薄そうで厚いわよね」

「ヘルミーナは学園に来る前にミリィと契約したんだっけ」

「まあね。でも参考にはならないと思うわよ。神殿に祈りに行ったら、ミリィから交渉しに来たもの」

「苦労なさそうな人生だなあ」

「そりゃあエミルと比べられたらね。ほら、そろそろ時間だし戻るわよ」

「もしかして手伝ってくれるの?」

「一人で今日中は無理でしょ。私がいれば百人力なんだから、感謝することね」



 紙をめくる音が耳につく。文字を指で追うがどうも集中できないので、机に突っ伏した。ヘルミーナが何やら言っているが、気にしないで己の思考に沈む。


 記録は、過去を顧みさせる。エミルはヴィーゼに助けられた際、短くはない話をしているのだが、如何せん話の内容は詳しくは覚えていない。当時は病に侵されて死ぬ一歩手前にいたことや、保護されたことで環境が一変したことの方がインパクトがあったためである。

 覚束ない視界でふいに風の精霊が現れていた。暫くひとりぼっちでいたから無性に嬉しくて、だが相手は終始泣いていたようだから悲しくなった。そして、ヴィーゼはエミルの唯一となった家族の死を告げた。


 エミルの親は妹のハンナを産んで失踪し、そのハンナは流行り病で死んでいた。暮らしていた貧民街に限らずどこもかしこで流行っていたため施療院には受け入れてもらえず、三日も持たなかった。

 後に同様の病にかかったエミルを、最後の家族の一人である兄ヨルダが薬代を稼ぎにいく。寝床から離れることのできない状態で只管に帰りを待っていたときに、ヴィーゼは訪れたのだった。


 どうやら兄の死を知らせに、己の元にやってきたらしい。幼き自分の証言をまとめた記述を見て、忘れていた当時の記憶を少し思い出し、湧き上がった数々の感情に浸る。

 ヴィーゼと兄の関係性は知らない。精霊に好かれていた訳ではなかったが、ただ家族思いの頼りがいのある人だった。


『絶対に帰ってくるから待ってろよ』


 最後の別れの言葉となったこわばった声に、幼き己は不安に駆られた。だから数日経っても帰ってこない兄に、ヴィーゼの知らせを受ける前から察していた。

 兄の死について自分のせいだと懺悔するヴィーゼには怒りをもたなかったのは、きっと己なんかよりも兄の死を悲しんでくれたからだ。貧民街で暮らしていたエミルにとって、人の生死には慣れていた。それが家族であっても、二度目だったから尚更だった。


 ヴィーゼはなんて心が綺麗なのだと思う。そんな精霊と契約できるものなのか、と気分は更に下がっていく。


「僕って駄目な奴だなあ」

「ええ、ほんっとそうね」


 バシリと頭を叩かれる。毎度容赦のない手と足の出しように、当たり所の僕がいなくなって大丈夫なのかとエミルは心配になった。

 そもそもいらつかせる原因がいなくなるので出しようもないことには全く気付いていない。



 門衛はまたお前か、という不躾な視線を送る。エミルはヘルミーナを共にして見送りを受けていた。


「これは餞別。エミルなら大丈夫だとは思うけど、道中は気を付けるのよ」

「ありがたく思うのね」


 水の精霊ミリィを通して加護をもらう。水色の煌めきがエミルの体に吸い込まれるように消えていく。夕景と相まって、その場に居合わせた者はほうと息を吐いた。


「一回きりで、短期間しかもたないものだけれど」

「いや、十分だよ。……一つ、訊いていい?」

「なによ」

「なんでここまでしてくれるの? 僕らってただの友人だよね」


 調べ物を手伝ってくれた上、攻撃を防いでくれる加護までくれた。加護とは力を相当に使うものであり、そうそう与えるものではない。

 また、日頃から手に負えないことがあれば、助けてもらっている。


「変な質問。もう自分で答え言ってるじゃない」

「ヘルミーナは立場も、思考も貴族だ。僕みたいな奴にここまでする義理はないよね。よく訓練に付き合っていた分のお返しも考えても、僕がもらっている方が大きい」

「まるで私が何か企んでいるみたいな言い方ね。日頃からそんなこと思っていた訳?」

「答えたくない?」

「…………そうじゃないわよ」

「いや、答えたくないなら別にいいけど」

「別れのときに言うぐらいなら、最初っから言わないでよね!」


 ヘルミーナはひとしきり怒り、冷静さを取り戻す。じっと見つめてくる眼差しは、あまり心地のよくない感じがした。


「この私――アーベル・ヘルミーネが勝手に負い目を感じているからよ」

「僕に?」

「そう。でも勘違いしないで。家からはそんな必要はないと言われているから、本当に勝手なものよ」


 ヘルミーナは雰囲気を変え、笑って送り出す。


「さようなら。今度はヴィーゼと共に会えることを、期待しているわ」


 *



 別れの後、エミルが最初にしたことといえば聖堂に行くことだ。インリュア連邦は精霊の恩恵を基に成り立っているとは過言ではなく、そのため精霊は崇め祀られている。


 聖堂の敷地内からは昼間のような賑わいはなく、人気は殆ど感じられない。清浄な雰囲気は、夜の静けさをより体感させた。そこにときどき子どものはしゃぎ声が混ざり、不思議な心地となる。

 精霊同士で遊び回っているようだ。聖堂は精霊が好むように作られている。精霊が愛する自然を目一杯置いている訳ではないが、人は大切に思って作っていた。

 それは精霊に伝わり安心感をもたらすので、いつも一定数の精霊が聖堂には存在していた。



 エミルは目的地の礼拝場に到着する。広々とした空間で、天井は少年の背の何倍も高い。月光はステンドガラスへと差し込み、精緻に描かれた精霊を浮かび出している。


 聖堂は精霊の属性ごとに個別に祈れるよう、その各々の像が均等な距離をおいて配置されている。その真ん中の地点には全ての精霊に祈れる場も設けられていた。

 まずエミルはそこで日頃の恵みを感謝する。そして風の精霊女王を模す像へと赴く。


「ヴィーゼとの契約を乞う僕を、どうか許してください」


 反応はない。他の精霊の声もなく、エミルの声だけが響いている。

 エミルは何度かこの礼拝場に足を運んでいるが、いつもは日が高い内だったのでいる風の精霊と決まって話をしていた。夜ではこの静けさが常なのかどうかは分からず、肌が敏感になってほの寒さに少し震える。


 緊張感を味わいながら、それでもエミルは告げる。


「僕は君に会いに行くよ。嫌じゃないなら、どうか待っていて欲しい」


 反応はやはりない。

 近年、エミルはヴィーゼの『声』を聞いていなかった。助けてもらった直後の頻度は多かったが徐々に減少していき、今では別の精霊を介してしかヴィーゼのことは知らない。

 それでもエミルは己の決意を信じて、下を向かなかった。踵を返して聖堂を後にする。



 ヴィーゼの居場所は判明していないが、ヘルミーナの助けもあっていくつかの心当たりはつけてある。

 エミルは順番にそこを巡っていくつもりであった。ヘルミーナは気立てよく、その道順を書いた地図までくれている。


「うん、中々いいんじゃない?」


 必要物資を購入していたエミルは、その内の一つのマントを羽織る。思春期真っただ中なことから何度も翻して具合を確認していて、通りすがりの者は生暖かい目線を送った。


「城にいた頃よりも騎士っぽい。見習い騎士には見えるかなあ」


 旅装束のなりで小綺麗なぐらいではあるが、騎士として重要な剣は護身用に携えている。

 エミルはそれなりの金額を国から受け取っていた。ただ贅沢できるほどではなく、緊急時のためにも出費は抑えて買い物を終えている。マントはエミルにとっては必需品であるので購入していた。誇らしげである。


 馬も借り受けていたので、道中は速く進んでいった。城で早い内に習ったことから、手慣れたものである。

 エミルは学園での勉学は苦ではあったが、城では騎士になるために熱心に取り組んでいた。



 騎士は弱者と精霊を守る義務がある。エミルは元々が貧民という弱者だったこと、風の精霊との繋がりからそれに心を打っていた。

 国の上層部の意思で強制的に騎士になることにはなったが、彼等に支配される人生にしては良いものだと思う。剣の才能はあって性にも合うし、学園では良縁はヘルミーナだけであったが、城は辺境であったことで家柄でなく技量の高い者が集まっている。

 笠に着る者は少なく、エミルによくしてくれる者が多かった。学園に入学することがなければ今頃同じ見習い騎士と技量を高め合いながら楽しくしていたことだろう。ただ少年は風の精霊と契約の期待を背負わされているので、逃げられることなく学園に入学したり旅まですることになっているが。


「あれかな。やっと一つ目の地点だね」


 エミルは遠方で村が形成されていること、次に近辺を探って祠があるのを見つける。村人に挨拶をして事情を話し、祠の前にキャンディを置く。ここらでは見かけない珍しいものなので、すぐさま涎を垂らした精霊が群がってきた。


「もーらい!」

「あ、ずるーい!」

「数が足りない?」

「うん」

「もっとちょうだい!」

「僕と話をした後ならいくらかあげるよ」


 エミルが巡るのは風の精霊が好みそうな地点であるので、わーいと喜びから踊っている精霊の属性の比率は風が九割である。

 流石ヘルミーナ、と遠くの友に感謝しながら、にこやかに問いかける。


「僕、エミルって名前なんだけどさ、君達はヴィーゼって精霊知ってる?」

「うん!」

「じゃあどこにいるか知ってる? 僕、会いにいこうと思ってるんだよね」

「ほんと~!?」

「さぷらぁいず?」

「ヴィーゼ、きっとよろこぶね」

「でもわたしたち、どこにいるかはしらないんだ」

「そっか」


 約束通りキャンディを渡す。取り合いをしていることから、今度からは砕いてからの方がよさそうだった。


 ヴィーゼを居場所を知るための策として、同じ風の精霊に訊きまわる。基本的なことで策なんて大それたことではないが、そのぐらいしかいい方法はなかったのだ。それほどまでにヴィーゼは己自身のことを隠している。

 といっても、他の風の精霊だって居場所を知っていても口を割らないだろう。割っても、その前に阻止されることは経験済みである。だが、大体の場所は絞れる。

 居場所を多く知るものが多い地点であれば、その近辺にヴィーゼが存在しているということだ。なので狙うはその地点を探すことである。


 地道な作業だ。

 ヴィーゼは居場所を転々と変えているかもしれないし、『声』が聞こえなくなったとはいえエミルの動向を見ていないとは限らない。本気で拒絶していれば、会うことは決して叶わないだろう。無駄骨に終わる可能性が高い策である。

 ヴィーゼとの契約は、まず出会う観点からして、その他の風の精霊と契約よりも難易度は途方もないぐらいに高い。だが交渉に入れば別だ。兄の死から繋がった縁がある。最初の難関さえ乗り越えさえすれば、契約の実現は見えてくる。



 と、モチベーションを上げても、地道で大変な作業には変わりはない。

 休息だと草原に寝転び、青々とした空に薄い雲が流れていくのを眺める。小川のさあさあというせせらぎもあって、穏やかな時間であった。馬も足を曲げて、同じ心地で安らいでいる。


 旅は慣れぬもので疲れが溜まるが、悪くはない。広大な自然の中にちっぽけな己がいると思えば、まるで自然に溶け込んだ気分になった。よくよく耳を澄ませば鳥などが啾啾(しゅうしゅう)と鳴いている。


 五か所を回ったところだが、成果としてはヴィーゼの居場所を知る精霊すら見つけられなかった。聞き取りを重ねて分かったことだが、精霊は皆が皆、ヴィーゼを知っているわけではない。

 これまでは学園にエミルがいるという噂を聞いて精霊がやって来ていたので必然ヴィーゼの存在を知っていた訳だが、外に出てみれば一定数は知らずにいる。ちなみに城にいた頃は自然が少ない上争いが絶えなかったので、精霊が嫌ってやって来るものはまずそれほどいなかった。


「旅をし始めたばかりだし、こんなものなのかなあ」


 あまりにもヴィーゼが遠い。知ってはいたが、本格的に探し出しても変わらぬ事実にショックを感じる。良くないことを色々考えて頭がぐるぐるとしてきたところで、性にあってないと考えを投げだした。

 こういうときはひと眠りし、頭をすっきりさせるのが一番である。丁度いいお昼寝日和だしさっそく、と目蓋を閉じる。


 意識の浅いところにいれば、先程まではなかった音がしてきた。徐々に音が大きくなってきたところで、馬が嘶く。草を踏みつけ近づいている何者かがいるとやっと気付いて、飛び起きた。


「何者だっ」


 手元に置いていた剣をそのまま相手に突き付ける。襤褸の布をまとった、不潔な男だった。腰を抜かしてぶるぶると震えている。その手はずた袋にある。


「盗賊か」

「は、腹が空いていたんだ。寝ていて無防備だと思って……ちょっと魔がさしただけなんだ!」

「にしては、刃物を所持しているようだけど。僕をどうするつもりだったの?」

「許してくれ……。どうか、どうか」


 盗賊はあまりに憐れだった。

 エミルは腰に括り付けた刃物を取り上げ、「去れ」と告げる。盗賊は抜けた腰で、不格好に逃げ出していく。


「はあああ。助かった、ありがとうね」


 馬を撫ででやり、今夜は厩舎のある街で労わろうと移動を再開する。目は完全に冷めきっていた。


「それにしても、珍しいなあ」


 インリュア連邦は豊かな国で、武力のなさそうな者が盗賊に成り果てることなどそうそうない。流行り病が猛威を振るっていた頃はともかく、大人の男があんな身なりで非行に走っていたことには何か特別な理由があったのだろうか。

 話を聞いておけばよかったと後悔しつつ、近隣の町の衛兵に盗賊のことを報告し、刃物もついでに渡してしまう。慌ただしくする衛兵らを横目に、エミルは盗賊の男に二度は罪を犯さないようにと願う。

 貧困であった過去がある誼で見逃しはしたが、それ以上のことはあずかり知ることではなかった。



 馬に丁寧なブラシや十分なまぐさを与えた翌日、ようやっとヴィーゼの居場所を知る精霊がいた。


「でもね、おしえないよ。いっちゃだめって、いわれているの」

「どうしても?」

「どーしても! まもれたらごほうびくれるし!」

「僕もご褒美あげるよ?」

「ううううう……いわないの!」


 相手側の徹底ぶりに心にダメージを追いながら、地図にメモをつける。地図は村などの名称は正確なものだが、あるべき方角はめちゃくちゃである。現地民に話を聞いて修正を加えながら、エミルはメモを増やしていった。


 そして、再度別の盗賊に遭遇する。今度は五人組の凶賊だ。

 人目の付かない野道を歩いていたにしろ、こうも出会うものだろうか。人殺しを厭わず、斧やなんかで襲い掛かってくるのを迎え撃つ。


 幸い、エミルの実力は五人組を上回っていた。とはいえ大きな開きはなく地の利もなかったため、容赦はしないで剣で叩き斬る。

 絶命したのを確認して、一列に並べて一番近かった村の者に手伝ってもらって埋葬した。二日連続襲われたことへの疑惑で、村人と話し込む。


「最近、盗賊が出るって噂はなかった?」

「いいや、全く。ここらは穏やかなもんだよ。俺達の村が襲われていたかもしれないと思うと、ぞっとするね」


 よく無事だった、と不運を慰められる。だが、エミルは偶然でなく、狙って襲ってきたと考え始める。

 エミルはただ人でなく、数奇な人生を歩んできている。どこかで恨まれたり、邪魔だと思っている者はいるだろう。この機会に殺してしまおうという魂胆に違いない。



 エミルは周囲から人がいい、天然、ヘルミーナに至ってはバカ、ぼんくらと言われてれるが、危機感には敏感でいる。イェルクのときのように時折ミスはするが、肝心な場では必ず愚行は犯さない。身を守るため国からどんな選択を強いられても逆らわなかったし、蔑まれても我慢した。

 何者かの手先を警戒し、野宿する予定だったところを一部屋の宿を借りる。


 国から支給品はもらったことから、上層部の意思ではない。ただ暗殺で事を済ますつもりから、金を持っているいる人間だ。


 取次をしてもらって上へ相談を一案するが、意味ないことだとやめる。

 読み通りなら、上層部の手先だってどこかに潜んでいる。でなければ全てを投げうって逃亡する恐れのあるエミルをわざわざ一人にしているはずがない。監視や試す意味合いも兼ねて、一人ぐらいは配置しているだろう。

 上層部はエミルを支配している自覚はあるので、その手間を省きはしない。


 事実その通りであり、エミルは町や村、通りすがりの者へと盗賊への注意喚起をして話が大きくなっていることから、その者は事態を察知していた。諜報の類いの人間であり、上層部へと伝達を行っている最中だ。

 だからエミルが相談する意味はない話となる。また上層部は特別に目をかけて慈しんでくれる存在ではないので、自分でどうにかしろと突き放されることが濃厚なこともあった。

 ともあれ、エミルの知らぬ場で上層部は何かしら対応はする。それが少年の望むものではないかもしれないにしろ、調査はしてくれるだろう。


 いざ本格的に危険だと感じれば諜報員を誘き出し、話を聞きだすと決め、次の日にはヴィーゼ探しを続行する。怯えて宿なんかにずっといる訳にもいかない。

 大道を通るようにして、安全を確保しつつ地点を巡る。人里離れた祠なんかは後回しにし、神殿や巡礼地として有名なところを行く。


 精霊から色よい言葉を得られないまま、一週間が過ぎた。道中や町中でも警戒を払っているので、疲労が溜まっている。明日は一日休息に当てようかと考えたところで、なんと街道で行商人が凶賊に襲われていた。


「罠? でも、見逃せないっ」


 エミルは見習い騎士だ。まだ受任式は行っていないので騎士ではないが、その精神は持ちえている。

 弱き者を助け、悪人を討つ。困難なことでも、勇敢に立ち向かわなくてはならない。

 学園を出て人々と触れ合うことで、よりその精神は強くなっていた。


 行商人は荷馬車の操縦席から下ろされており、武器をもった何十人に囲まれていた。命までは両手を上げ懇願しているが、一考もしないで剣を持ち上げる。


「そこまでだ!」


 馬で囲みに割り込み、振り下ろされる剣を防ぐ。行商人は叫びを上げて駆けていくが見逃される。それでいい、とエミルは思う。

 凶賊は簡単に標的を変えて、少年を中心に取り囲んだ。


「やっぱり僕が狙いだったんだね」

「おうおう、分かってて飛び込んできたのか? 物好きな奴め」

「僕は見習い騎士だ。依頼主は誰?」

「尊い身分のお方、とでも答えておこうか。さあ、おめえら。殺すぞ」

「っやれるものならね」


 凶賊が最初にしたことと言えば、馬をつぶすことだった。四方からの同時攻撃では、エミルでなくとも防げはしない。轟く悲鳴で、エミルは顔を顰めた。

 馬ががくりと膝を折った影響で飛び降りるが、着地点を狙って一撃を加えられる。受け止めはしたが重く、何とか弾いて飛び退く。その隙をついた背後からの攻撃には、剣の軌道を流してずらし、体勢が崩れたところを羽交い絞めにした。


「動くな!」

「人質とか、ほんとに騎士目指してんのかよ!」


 あざ笑いながらひるまず向かってくる。無慈悲な様にエミルは羽交い絞めした男を突き飛ばすと、多少の時間は稼げた。


 凶賊の頭はそんな判断だけでなく、剣の技量も優れている。他の者だって人数差は元より体格差で、エミルの方が圧倒的に不利だ。

 逃げ道を探すが、空いた囲みは素早い連携で閉じられている。考える暇なく攻撃してきた凶賊らを守りに徹することで防ぐと、じれったく思った一人が猛進してきた。その隙を突き、囲みからの脱出に成功する。


「追え! ぜってえ逃がすな!」

「っ」


 足を鈍らせるためにナイフを投擲される。だが、ヘルミーナからもらった加護がエミルの身を守った。

 冷や汗を垂らしつつ、全速で奔る。時間があれば凶賊は追いつくのは必須な子どもの身を恨みながら、ある地点に向かう。

 襲われる行商人を見かけたのは、その日の目的地だった祠に到着する前のことだ。祠を見つけ、エミルは叫ぶ。


「風の精霊! 僕の身勝手な願いだけど、どうか力を貸して!」


 契約を結んでいなくとも、精霊は気まぐれで力を使ってくれることがある。風の精霊は特にその事例が多く、エミルも両手に足りる程には経験していた。


 暖かな風が体を包み込む。ぐんっと速度が上がり、背後では叫喚が起こった。見遣れば、吹き飛ばされている。


「ああ、君はいつも僕を助けてくれる」


 姿を現すことなく、助けてくれる精霊はヴィーゼしかいない。

 エミルは胸に暖かいものが広がっていった。そして会いたいと、恋い焦がれる。


 いつだってヴィーゼはエミルを見守ってくれている。だから、ただ一回しか顔を合わせていないにも関わらず、契約するならヴィーゼがいいと思うのだ。




 月の光を通さない分厚い雨雲により、暗夜となった。それに乗じ、鬱蒼とした森には凶賊が息を潜めている。


「どいつもこいつも無能しかいないのかッ」


 高みの残る少年の声は殺伐としている。凶賊の頭は心外だと、わざわざ出向いてきた依頼主を睨み付ける。


「俺らは確かに失敗したが、あの地点で襲うように指定されなければ――」

「黙れ。私のせいとでも言うのか」

「……次はやれる」

「いい、信用ならん。こうなったら私がやってやる」

「なら、お相手願うね」


 幹の影に隠れていたエミルは奇襲をかける。完全に不意をついた形となり、依頼主をあっという間に倒して上につく。


「やっぱり君だったんだね。――イェルク」


 悲し気に睫を下げるエミルに対してイェルクはその体勢から起き上がろうとする。だが、肩や足を押さえられていて叶わない。


「放せ!」

「しない。一応訊くけど、理由は?」

「お前の存在全てだッ!」


 イェルクは抑えられている手を、掴み上げる。エミルの怪訝は顔に鋭い痛みを受けてから理解に変わる。土塊が顔面を打ったのだ。

 精霊がイェルクを守るように存在していた。


「ツェール、やれ!」


 土が盛り上がるのを、エミルはいち早く察知して思いっきり踏みつぶし、魔法を解除する。そしてイェルクから後退し、距離をとった。

 視界がぼんやりとし、暗夜もあって前が判然としない。この状況で接近戦に持ち込むのは無理があったからだが、距離があっても不利なのは変わりはない。


 土塊がいくつも飛んでくるのを、殆ど勘で避けきる。木の葉がざわざわと揺れるのはヴィーゼであるが、エミルを巻き込んで攻撃する恐れがあることからどうにもできない。

 そうなるようエミルは狙ってこの時間帯、この場所で奇襲をかけていた。


 エミルは木々を障害物として利用し、背を向けて攻撃から逃げる。

 イェルクは凶賊に言った内容も忘れ、「捕えろ!」と命令する。そうして己自身でも追跡したところで頭上から音がするのを聞き取り、帯剣していたのを咄嗟に上に振り上げる。エミルの木の枝から真下への力に、手が痺れた。


「ツェールッッッ!」

「君の悪癖は、僕に剣で負けるからと精霊に頼り切りなところだよ」


 エミルは魔法より速く、頭蓋に一撃を加えた。イェルクは地面に吸い込まれるように倒れる。


「死んではいないはずだよ」


 剣の刃の向きを反対にしていた。

 土の精霊ツェールはその言葉を聴き、姿を消す。契約者の命令がないならば、ツェールは何も動きはしない。そんな絆の在り様だった。



「殺さないのか」


 エミルは声のした方に振り向く。逆賊の悪態といった騒ぎがなくなっていくことで、上層部の手先がいることに気付いていた。


「殺した方がよかった?」

「いいや。だが、残念だ」


 エミルにしては珍しいひねくれた言葉である。諜報員はそうと分かっていて楽しげに答えた。


「貴族は嫌いか?」

「……」

「私の興味本位だ。誰にも言わんから、ほれ、さっさと言え」

「…………全員ではないよ」

「国の飼い殺しに、逃げたいとは思わんのか?」

「逃げれっこない」

「ああ、その通りだな」


 クスクスと笑われたことにエミルは気にくわなくて、その場から去った。イェルクの処罰や上層部の意向など色々と訊きたいことはあったが、どうでもよくなってしまった。



 森から出たところで、エミルは想起して立ち止まる。襲った理由のことだ。


『お前の存在全てだッ!』


 学園の生徒からよくない感情を持たれていることは分かりきっていた。面と向かって言われたことだってある。

 だが、傷付かない訳ではない。


「あそこまで言われたの、初めてだなあ……」


 雨が落ち、地を斑点模様に濡らしていく。全て等色になった頃になって、エミルは重い足を進めた。


 *



 馬を亡くしたエミルは、移動は徒歩で行うことにした。乗り合い馬車はあるが、一人でいたい気分だった。

 必然、よりヴィーゼ探しは難航する。その途中で泉を見つけたのだった。


 手で掬いこみ、泉の水を飲む。すると喉が乾いていたことに気が付いて、同じ動作を繰り返した。

 次に水の感触が単純に気に入って、手を肘まで入れる。掻き回して波模様まで楽しんだところで急に気持ちが冷めてしまい、動作を止める。



 酷い顔をしていると思った。


「君はいつも僕を助けてくれる。僕はいつも君を想う。…………僕の方が重いね」


 水面に移る己を消してしまいたくて水を掻く。力余って前に体重がいってしまったのが問題だった。


 ちゃぽん。音が遠くなり、世界が水色に変わる。慌てて浮き上がろうとして考える。


「また死にそうになったら、助けに来てくれるのかな」


 言葉にならなかった言葉が、泡となって視界を埋めた。

 エミルは今度こそ浮き上がる。吸い込んだ水を吐き出し、地面に寝転んだ。


「あーあ。バカな考えだ」


 思い違いをしてはならない。ヴィーゼが助けに来てくれたのはヨルダのためだ。エミルはその弟だった縁から、助けられたにすぎない。

 だが、その苦しみはヴィーゼが拾ってくれた命を捨てていい理由にはならない。


「行こう」


 エミルは張り付いた前髪をどけ、地図に示された地点を巡っていく。新たな馬を借り受け、心持もあり、その速度は以前より上がっている。


 一年ほどが経ち、最後の地点に辿り着いた。地図に書き加えられた情報は多大なものであるが、ヴィーゼを探し出すには不十分なものである。

 神殿で精霊に聞きこみを終えたら、地図を見直してヴィーゼの居場所を知る精霊が多い付近を細かく見ていこうとエミルは予定していた。その前に司祭に呼び留められ、渡された手紙には驚くことになる。


「ヘルミーナが?」

「はい。今、ここで見ていくようにとのことです」


 封を切り、取り出した手紙の内容は一行だった。


『まだヴィーゼと会えていないなら、朽ちた楽園へ行きなさい』


 これだけか、何か仕掛けでもあるんじゃないかと探るが、その挙動不審な動作に司祭は助けの手を出した。地図を出してもらい、印をつける。


「『朽ちた楽園』の場所です。見れば分かりますよ」


 その通りだった。


 地続きであるはずなのに、あるべき草原が急に土が見えた状態になっている。その色は禍々しさを感じる紫や黒で、時折蠢いているようである。天気は黒い曇天で、遠くの方では雷が煌めいていた。


 ここで何が起きたのか。

 エミルは立ち入ることもできず、唖然とする。


「やあっと来たか。といっても、これでも早い方か?」

「……精霊?」


 人間でいったら、子どもと同じ大きさだった。エミルは手のひらサイズの精霊士か見たことがなかったため疑問形である。


「合っている。パウロだ。お見知りおきを、人間」

「ええと……僕はエミル」

「知っている。見ていたからな」

「それはどういう意味で……」

「かわいい妹分を心配してだな。まあ、今は抑えとしてここにいる。さあ、気張れよ?」


 追及しようとして、全身に悪寒が走った。元より『朽ちた楽園』で肌寒くいたが、明確な殺意を向けられ緊迫感を持つ。空を見上げれば、その原因の精霊がいた。


 パウラと同じ、人間の子どもに例えられる身長だ。エミルはそこで聖堂にある風の精霊女王の像は、大人のサイズであったことを思い出す。

 もし等身大で作られているとしたら、身長が精霊の力を表しているのではないか。


 なぜか魔法でなく剣を手に持ち下降してきた名の知らぬ精霊に、エミルは頬を痙攣させながら剣で防御の型を構える。衝突が起こり、エミルは地面に跡をつけて押されることになった。

 精霊の体は人間よりは軽い。弾くと精霊は後ろに下がり、剣を真正面に置いた。


「なぜヴィーゼを探すか」


 歯切れよく明瞭な様で、精霊は問いかけた。エミルは正直に答える。


「僕がヴィーゼに会いたいからだ」

「なぜか」

「……契約を結びたいから」


 目に見えぬ速度で精霊はエミルの横腹を打った。斬られはしなかったがあまりの激痛に、膝が崩れる。


「無碍なるヴィーゼにとって契約は禁忌だ」


 感情のない表情で宣告する。


「お前は認められない」


 嵐のような連続攻撃だった。剣で防いでも、次の瞬間には別の個所を打たれている。身軽であるから後ろに回られて蹴飛ばされる。


「なぜヴィーゼを探すか」


 再度同じ質問がなされる。


「僕が、ヴィーゼに会いたいから……」

「なぜか」

「…………っ」


 契約とは言えず黙り込むと、剣の刃を立て首に当てられる。


「僕が、」


 剣を持つ手に力が入れられる。

 エミルは心の奥底に秘めていた想いを語った。


「僕が、どうしてもヴィーゼに会いたくて、ずっと、死ぬまで共にいて欲しいからだッ!」




「認めよう」

「え?」


 ガクン、と地面に足がついているのに落ちた感覚だった。そして、気付いたときには子どもを押し倒している状態である。


 顔と顔が近かった。特有の雰囲気で、子どもでなく精霊だったかと知る。

 あ、う、うぇ? と漏れる声は聞いたことがあって、確信をもって名を呼ぶ。


「ヴィーゼ?」

「エミル?」


 エミルはヴィーゼを抱き締め、離さんとした。

 ヴィーゼはあわあわと慌てつつ拘束が強固だと身をもって知ると、実体化の解除という特性でもって通り抜ける。


「い、いきなり何!? どういうこと!?」

「ヴィーゼ! やっと会えた、これまで本当に長かった……っ」

「ちょっと待って、考える時間が欲しいから――もうっ。だから待ってってば!」


 ヴィーゼは魔法で距離をとり、言葉通り考える。そして、逃げ出した。

 今度はエミルは「待って!」と叫ぶ。


「お願いだよ、行かないで……」


 エミルが乞う様は、弱々しかった。

 ヴィーゼは足を止め、大きく距離が空いた状態で「何しに来たの?」と尋ねる。


「ヴィーゼに会うために」

「っじゃあ会ったけど、この後はどうするの?」

「契約を結んで欲しい」

「……エミルも、皆とおんなじなんだね」


 ヴィーゼは今にも泣きそうな表情だった。


「契約は嫌い。なんで契約に拘るの?」

「皆がそう望むから」

「エミルの気持ちを訊いてるんだよ?」

「それは……」

「ヴィーゼの力が欲しいから?」

「違う」

「じゃあなに?」

「……言うのは恥ずかしい」

「さっきもう恥ずかしいことしたよね?」


 歓喜極まったときのことをエミルは振り返って、顔を赤くした。まるで幼い子どものようで、それも駄々っ子のようであった。


 腰に手をあてて待つヴィーゼに、エミルは観念する。


「だって、契約したらずっと一緒にいられる」

「そんなの契約しなくてもできるよ?」

「じゃあヴィーゼはしてくれるの?」

「それは……」

「ほら」

「だってヴィーゼは、エミルと一緒にいられないよ。ヨルダを死なせちゃったのに」


エミルはきっぱりと答える。


「僕は気にしない」

「ヴィーゼが気にしてるのっ」

「本人がいいって言ってるんだからいいじゃないかっ」

「嫌な気持ちになっちゃうんだよ!?」

「ならないっ」

「なっ。ヨルダのこと、そんなにどうでもよかったの!? はくじょーものっ!」

「いくらでも言えばいいっ、僕の願いはヴィーゼと共にいたいことだ! そのためならなんだってする!」

「なんだってしたら駄目だよ!?」


 遠距離で大声を出さないといけないことから、互いに疲れて肩から息をする。


 ヴィーゼはついにポロポロと涙を溢れ出した。


「なんで分かってくれないの? ヴィーゼ、一生懸命我慢して離れてるのに、そんなこと言われたら一緒にいたくなる」

「そうすればいいよ。我慢する必要なんてどこにもない。兄さんのことを大切に想ってくれているヴィーゼだから、僕は一緒にいたいと思うんだ」


 もし後にヴィーゼがした行いを知ることになっても、エミルはきっとどんな許されざることでも許す。


 今は共にいることに途方もなく恋い焦がれていて、ヴィーゼとの距離を縮める。ヴィーゼはその場から動きはしなかった。

 目の前まで来たところで、エミルはしゃがみこむ。目を合わせて、どうかと何回でも乞う。


「僕はヴィーゼとずっと一緒にいたい。一緒にいようよ」


 手を優しく握る。ヴィーゼは昔から変わらない、小さな鈴を弾ませた声でうん、と握り返した。ただ儚さなんかなく、かわいらしい調子だった。






「ねえ、これからどこにいくの?」

「うーん。ヴィーゼは行きたいところとかある?」

「ヴィーゼはエミルがいるところが行きたいところだから」


 無碍であるから、ヴィーゼは望むままに行動できる。エミルに縛られているかのように共にいることだってできるのだ。

 ヴィーゼはよく見かける精霊のサイズで、くるくるとエミルの周囲を回る。省エネ形態とのことだった。


「結局契約は結んでないし、学園に帰るのは一年以上は後ででいっか」

「大丈夫なの?」

「いいんじゃない? ヘルミーナには手紙を送っておいて、いろんなところを巡ろうかな。付いてきてくれる?」

「もちろん!」


 エミルとヴィーゼは各地を巡り歩き、ときには人助けをして名を馳せていく。そして学園に戻った後も自由を許され、遍歴騎士としてヴィーゼと共に人々から称えられるようになった。


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