求婚
居住まいを正して切り出され、エルミーナもまた改めて背筋を伸ばした。
相手が貴族である以上、個人の善意のみではなく利害故に助けられたのであろうから、これから、エルミーナへ何らかの要求をするのだろう。
一体それが何であるのかは予測がつかないが、命を助けられた恩義がある以上、よほど無茶な要求でない限りは飲むつもりでいた。
不意に立ち上がったレガートに、こちらも立ち上がるべきかと腰を浮かせるが、座ったままで、と示されて再び座りなおすとレガートがこちらへ歩み寄り、跪いた。
「エルミーナ。……貴女に、私の妻となってほしい」
真摯な声音で告げられた言葉の意味が解らず、エルミーナは目をしばたたく。
「………………? 申し訳ありません、わたくし、少々聞き間違えてしまった様で……もう一度お伺いしてもよろしいでしょうか?」
聞き間違いなのは解っているが、一体何と聞き間違えたのだろうと訝しく思いつつ問い返すと、青年の手がそっとエルミーナの手を取った。
「突然の求婚に驚かせてしまったな。すまない。ただ、私は本気だ。貴女以外の妻は考えられない。どうか、私の伴侶となってくれないだろうか」
手の甲に口付けられるかと思ったが、レガートは口づけはせぬままそっと両手でエルミーナの手を包み、自身の胸元へ引き寄せてこちらを見上げる。
「あ、あの……っ、わ、わたくし、レガート様にお会いするのはこれが初めてかと……一体、何故……っ」
流石に聞き間違えという言い訳も効かなくなり、狼狽えて問うが、思えば初対面と思っているのはあまり拾われた時の事を覚えていないエルミーナだけで、レガートの方はエルミーナを拾った時が初対面の認識だろう。
しかし、記憶にある限りでもぼろぼろになっていた自分にこんな美貌の主が惹かれるとはとても思えず、混乱はより深まった。
「レガート様。まずは姫君にご説明を。何の情報も無くその様な事を言われても困らせるだけですわ」
どうやら一連の流れを廊下から聞いていたらしいルシアが扉の向こうから顔を出し、鋭い声で忠告する。
「むっ……そうか、そうだな。すまない、気が逸ってしまった。……ルシア。見物せずに引っ込んでいてくれ」
渋面になって言う声は随分気安く、侍女と主と言う関係性には見えず、訝しんでいるとその目線に気付いたレガートが苦笑した。
「ルシアは私の乳姉弟でな。向こうの方が数か月年上なものだから、今も姉の様に世話を焼いて来る。……ああ、ルシアはユーグ……今廊下にいる私の側近の妻だから誤解はしないで欲しい」
「いえ、ご、誤解というよりも……何故わたくしが、その、レガート様に求婚していただけるのかが……」
ルシアが人妻だったという事実に衝撃と納得を覚えつつも、本題を思い出して途方に暮れる。
「……そうだな。まずは順序だてて説明すべきか。まず、私がエルミーナを救ったのは偶然ではない。私は、貴女があそこで危機に瀕していると知った上で救出に向かったのだ」
「私の危機を……?」
どう思い返しても自分を救うためにレガートに知らせてくれるような人物に思い当たらず、首を傾げた。
「……その、……私としては色眼鏡無しで私を見て欲しくてな、言い出せなかったのだが……私は人間ではない。今は幻術で姿を少しだけ変えてあるのだが、本来の種族は、竜だ」
人ではない、という事はうっすらと予測していたが、最後に告げられた種族名にエルミーナは硬直する。
「……………………竜族…………竜族の、レガート、様……?」
恐る恐る問うが、竜に憧れている人間はこの名を良く使うものの、総数が少ない竜族は生存する同族と同じ名を子に付ける事は無い、と竜族について学んだ時に教えられた。
ならば、目の前の青年が竜族であり、レガートという名を持つ意味はただ一つ。
「……竜王陛下……?」
呆然と問い返せば、気恥しげな頷きが返された。
「そう呼ばれているが、陛下などと呼ばずレガートと呼んで欲しい。……エルミーナを驚かせるつもりは無かったのだが……人型を取っている時の、本来の姿はこの通りだ」
言いながらレガートが頭上に手をかざすと、人の姿は変わらぬまま、美しい黒い角が二本現れる。よく見ればその瞳孔も縦長の物へ変化していて、人間とは異なる不可思議な煌めきが青い瞳の中に揺れていた。
最早否定も疑いも出来ぬその姿に、エルミーナは言葉を失った。
思えば、国交のないランドルでも広く流通していた竜王の肖像画と同じ色彩だし、顔も似ている。
もともとは竜の国で書かれた肖像画を何人もの絵師を介して書き写され続けた肖像画は、人の国で出回る頃には同じ構図の肖像画であっても美しい顔立ちをしているという位の類似点しかないが、それでも竜に憧れる人間達の間では人気の品で、確かミルカもまだ原本に近いと言う手の平大の高価な肖像画をレオナルドにねだって買わせたと自慢していた気がする。
勿論エルミーナも王城の美術品を飾る部屋で幾度か見た事があるが、いま目の当たりにしているレガート本人の方が比べ物にならない程美しく、同一人物だと気付けなかった。
驚きの余り、突然求婚された衝撃が吹き飛んでいたエルミーナは、彼が竜王であると言う事実がじわじわと脳に浸透してくるにつれて再び狼狽え始める。
竜の伴侶と言えば、人間の殆どが、特に女性は幼い頃に一度は必ず、そして成長してからも多くの娘が憧れる物。
番となった人間は神にも近い偉大な存在の不変の愛を受けて竜の国に迎えられ、番の契約の元、長い年月を美しいまま生きる。
見出された時に既に老いていれば若返ると言うし、総じて富裕な竜の元で人間の王族すら足元にも及ばぬような生活を美しいまま送れるのだと言うだけでも、その座を夢見る人間は幾らでもいた。
人間の間に伝わっている話はある程度曲解や誇張があるとは思うが、この状況からはそれしか思い浮かばなかった。
「あの…………若しや……その、わ、わたくしが……陛下の…………?」
恐れ多さにその先は言葉に出せぬまま問うと、レガートが微笑みと共に頷く。
「ああ。エルミーナ。貴女が私の番だ。ずっと貴女を探していた。……人間は番を感知出来ないと聞くから、すぐに返答が欲しいとは言わない。ただ、私との未来を考えて貰えないだろうか」
熱のこもった眼差しで囁く声は優しく、その真摯な響きと、緊張を示してか僅かに湿り、微かに震える手から、レガートの言葉が間違いなく真実である事が伝わって来た。
余りの驚きに、どうすれば良いのか解らないまま呆然としていたエルミーナは、不意に湧き上がってきた感情に息を呑み、唇を噛んで俯く。
「エルミーナ……? ……私では駄目だろうか……? それとも……他に約束した者が……?」
不安げな声に、胸が痛んだ。
「いいえ……そうでは、無いのです……」
跪いたまま覗き込む視線を避けてより深く俯くと、僅かな戸惑いの気配と共に立ち上がったレガートがエルミーナの隣に腰を下ろす。
「では、何故その様に辛そうな顔をする……?」
大きな手が躊躇いがちにエルミーナの肩に触れ、他方の手でそっと手を包み込んだ。
「…………わたくしが……余りにも、あさましく、情けなくて……」
あなたの番には相応しくない、と呟く。
「何故、そう思う?」
あくまでも優しい声に泣きたい気持ちになりながらも、それをどうにか堪える。
「……わたくしが、何故あそこで死にかけていたのか……レガート様はご存じでしょうか?」
「いや。ランドルの王都に隣した荒野に居た以上、ランドルにゆかりある者だとは思っているが、貴女の口から聞きたくて、敢えて調べずにいた」
「……わたくしの話を、聞いていただけますか……?」
エルミーナが問うと、頷いた彼は励ますように背を撫でて先を促した。
「あくまでも、わたくしの主観による話である事は念頭においてくださいませ。……わたくしは……今は追放され、家名を名乗る事は致しませんが、ランドル王国のメルヴァ公爵家が長女にして、王太子、レオナルド様の婚約者でした」
己のかつての身の上を語るとあの時の痛みが蘇り、レガートに包まれていない手でそっと胸を抑える。
婚約者、と言う言葉に青年の手が力を増したのを感じ、微かに笑って今はもう破棄されているのだと言えば、ほっと零された安堵の吐息が髪にかかった。
誰にも必要とされず、見捨てられた自分を求めてくれる人がいる、と言う事実が心を温めるのを感じながら、エルミーナは幼い頃の事はかいつまんで、そしてここ数年、ミルカがレオナルドに近付き始めた前後に起こった変化と荒野に捨てられるまでの事は可能な限り主観を入れぬ様注意し、出来るだけ纏めながら語って聞かせた。
語るごとに甦る辛さや悔しさ、激しい怒りに言葉が震える度にレガートが優しく背を撫で、時にエルミーナのそれよりも遥かに強い怒りを顕わにしてくれる事が無性に心を慰められながら、どうにか語り切るとほっと息をつく。
「……思い出すのは辛かったろう?」
漸く語り終えたエルミーナを優しく抱き寄せたレガートが自然な仕草でこめかみに口付け、頬が熱くなった。
「……辛くないと言えば、嘘になりますわ。ですが……今から申し上げる事の方が、ずっと気が重いのです」
優しく扱われれば扱われるほど心が重く、しかしだからこそ言わぬわけにはいかない、と己を叱咤しながらエルミーナはレガートを見上げる。
「……レガート様は……素晴らしい方です。竜という尊い種族の王であり、人の想像が及ばぬ程お美しく、そして……それがなくとも、とても優しく誠実な方と、この短い間にも良く解りました。きっと、追放される前のわたくしでも、レガート様にお会いすれば心惹かれたと、そう、思います」
言葉を選びながら伝えると青年は顔を綻ばせ、喜びを示す。
人ならぬ美しさを持っているのに、そんな表情は可愛らしく思えてエルミーナも自然と頬を緩めた。
そして、これから告げる事を思ってその顔を引き締める。
「……だからこそ、わたくしは……自分が情けないのです」
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