来援
◇◇
空の遥か高みを巨大な竜の姿でゆっくりと旋回しながら、レガートは荒涼とした大地を見下ろした。
彼が本来住まう土地から、転移魔法を使える者が少ない人間であれば馬で半年程の距離にあるこのランドル王国は、レガートが治める竜の国とはあまり国交がない。
他の国を介した多少の輸出入はあるが、いかんせん距離が離れているし、国境を接しているわけでもないから敵対する事も密接にかかわる事もなかった。
人間達にとって竜との交流で得られるものは物質や魔法のみならず、名声、栄誉、他の人間達に対する威光など様々な意味で大きい様で、親善を求める使者はこの国からも毎年のようにやってくるが、それは他の国からも多く訪れるから貢物に対する相応の返礼品と慶弔の折の祝辞や弔辞を送り合う程度の関りしかない。
そんな国に竜の国の王であるレガートが密かに訪れたのは、今朝、この近辺からレガートだけが気付ける特別な気配を感じたゆえだった。
その気配はこれまでに感じた事のない物だったが、初めて経験するそれが生涯に一人だけ出会うという番の気配、それも命の危機に瀕した時に無意識に発生する救難信号に等しいものだと、本能で解った。
竜の番となる者は同じ竜である事が最も多いが、意志の疎通が出来る相手であれば種族、性別を問わない。
同じ竜の中に番を見い出せなかったレガートは長年自らの番を探していたが、そもそも同時に生まれるものでもなく、五百歳以上の年の差で生まれる事も稀では無かったから、まだ三百五十歳と竜の中では若輩であるレガートはあまり焦ることなく番の出現を待っていた。
番が存在し、成熟してさえいればどれほど離れた場所にいてもなんとなくあちらの方角にいる、と解るのだというが、人間の様に魔力が低い種族の場合はその気配を辿るのが難しいうえ、生まれてから成熟するまでは、同族・他種族を問わず番であっても基本的には気配に気付くことが出来ない。
理由としては、番を見付けるなり我を忘れる程夢中になる竜が成熟していない伴侶を壊してしまわぬ様に神々が調整したのだと言う説が有力だが、今のところ真実は闇の中だ。
しかし例外として、番が命の危機に瀕した時は無意識に気配を高めて番たる相手に救いを求めるのだという事は番を持つ種族の間では常識。
それゆえ、気配を感じてすぐに取るものも取敢えず単身国を飛び出して来た。
感知出来たのは大まかな位置だけだったからまずはその近くまで転移し、竜の姿となって上空を飛び回りながら番の居場所を探す。
流石に人しか住まぬ地域で竜の姿を堂々と晒しては要らぬ軋轢や騒動を生むから姿を隠す魔法を使ってしばし旋回し、一度救援を求めた後は再び弱まってしまった気配を探していたレガートはようやくその在処を見い出すと、小川に沿って生える貧弱な木立をめがけて降下した。
降下と同時に人間とよく似た姿の、しかし頭部にねじれた角が二本生えた姿に変わるとレガートは気配を辿って茂みに分け入った。
浅く狭い小川に沿って歩くうち、気配は少しずつ近くなり、期待が高まる。
番がどんな相手かは解らないが危機的状況にある事は間違いなく、どんな事態にも対応できるよう細心の注意を払いながら進んだ先、こんもりとした藪の中からその気配を確かに感じて足を速めた。
「……誰かいるのか? 私は害をなす者ではない。姿をみせてくれないだろうか」
何故こんな所にいるのかは解らないが、身を隠しているのならば怯えさせてはならないと思い、声を掛けるが反応はない。
しばし待ってからそっと藪に寄るとゆっくりとした動きを心がけて細い枝を掻き分けた。
「……! この娘、が……?」
幾重にも重なる細い枝を掻き分けた先に仰臥していた若い娘の姿に、レガートは呆然と呟く。
恐らく夜会用のドレスであろう服を纏ってはいるが、一体何があったのか、銀鼠色のその服はあちこちが破れたり泥で汚れたりとみすぼらしく、長い睫毛に縁取られた瞼を閉ざした顔も汚れ、疲労とやつれが見て取れた。
灰色がかった髪も肌も見る影もなく荒れていて、木々や獣にでも引っかかれたか、細かい傷が頬や指に刻まれ、人が見れば眉を潜める程ぼろぼろになっている。
しかし、そんな見た目の事などどうでもよかった。
一目見た瞬間に彼女が己の番であると理解し、最初はじわじわと、やがて激流の様に湧き上がる歓喜に全身が震え、目じりが熱くなる。
すぐにでもきつく抱きしめたいと思ったが、命が危うい程に弱っている所にそんな狼藉を働くわけにもいかぬと理性が本能を説得し、震える指でそっと肩に触れた。
指先が触れた肌は暖かく、レガートが間に合った事を確信してほっと安堵しながらも抱き上げるために手を少女の体の下へ差し入れようとした刹那、弾かれるように彼女が身を起こす。
「なっ…………!」
驚愕した直後、反射的に身を引いた鼻先を何か固い物が風を切って通り過ぎた。
咄嗟に伸ばした手で少女の手首を捕らえ、目をやれば尖った石が細い指に握り締められている。
「っして……! 離して…………!!」
思わず目を下ろすと、片腕で抱え込んだ少女は乾いてしわがれた声で叫んだ後は恐慌状態のままレガートの腕から逃れようともがき、獣じみた言葉にならない唸り声を上げていた。
死に物狂いのその表情から、元は上等な夜会服を纏った華奢な少女がいかなる理由によってかは解らないが、こうまでぼろぼろになりながらも必死に生き抜いて来たのだと察したレガートは胸が熱くなるのを感じながらも彼女を抱え込み、石を握りしめた手首を抑えたまま落ち着くのを待つ。
「っ……く……ぅ…………」
程なくして、体力が尽きたらしい少女がどうにか身を離そうとしながらも体を沈ませた所で、出来る限り優しい仕草で細い背を撫でた。
「……落ち着いたか? 私は貴女の敵ではない。決して傷つけたりはしない。信じるのは難しいだろうが……」
子供をあやすようにゆっくりと背を撫でながら、努めて優しい声で囁くと、血走っていた目がようやくレガートの方へ向けられる。
「……だ、れ…………?」
掠れ、しわがれた声には力が無く、菫色の瞳には怯えと強い警戒が宿っていた。
「私はレガート。貴女の素性は知らないが、こんなぼろぼろの状態の娘を見捨てられない程度には良心を持つ者だ。貴女を助けさせてもらえまいか」
人間は番と言う概念や感覚をあまり理解出来ないと言うし、今ここで番だのなんだのと言っても混乱させるだけだろうと考え、通りすがりの者として語りかけると、少女は警戒を解かぬまま、レガートの顔をじっと見上げる。
「……あなたに、何の利、益も、無い、わ……。それに……わたくしを、助ければ……罰せ、られ、て……」
掠れた声で呟くように告げられた言葉から、彼女が何者かの、おそらくは権威ある者の意志ゆえにこんな状況に追い込まれている事が察せられた。
「確かに利益は無いが、無力な少女を、助ける力を持ちながら見殺しにした罪悪感は、感じずに済む」
実際の所、番でもない人間が行き倒れていてもわざわざ助ける様なお人よしではないのだが、ここは彼女に納得してもらう必要がある為詭弁を並べると少女が微かに笑い、レガートは息を呑む。
「……そう、なの……。でも……わたく、し…………なにも、かえ、せな………………」
聞き取れないほどの小さな声で呟いていた少女が、不意にその言葉を途切れさせた。
抵抗を失ってずるりと崩れかけた体を咄嗟に抱きなおしたレガートがそっと頬を撫でて覗き込むが、意識を手放した少女は目覚める様子を見せない。
不規則ではあるが確かな呼気を確かめ、ほっと息をついたレガートは取り急ぎその体の細かな傷を癒し、弱った体力を補うべく少しずつじわじわと魔力を注いだ。
一息に癒してしまいたいとは思うが、人間の体は酷く脆いから竜の魔力を急に注ぐと崩壊してしまう事もあると言う。
これだけ弱っている少女であればその危険は高いから、逸る心を抑えて生命を維持できるぎりぎりの量で抑えた。
「ともかく城に連れ帰って医師に見せねばならないな……」
一人ごちると少女を横抱きにして立ち上がる。
遂に見出した宝を大切に抱いたレガートは、この付近までやって来た時同様転移魔法を展開し、少女を抱いたまま姿を消した。
お読みいただきありがとうございます。
竜の番物が明るい物も暗い物もヤバい物も含めて大好物なので書けて嬉しいです。
設定は割とふわっとしているので矛盾があったらすみません。
評価、ブクマ、誤字報告本当にありがとうございます。
誤字報告はありがたいですし、評価等は書く気力が上がるのでとても嬉しいです。
ただ、以前の誤字報告で平仮名→漢字に延々訂正されて面倒になって一部反映した所が今度は平仮名に開いた訂正で別の方から来ていて、こちらは前者の様に1時間経っても報告が止まらない、報告ページ10ページを超える程の量ではないですが、そこそこまとめて訂正されているので、これを反映するとまた漢字訂正が沢山来そうで悩んでいます。
基本漢字⇔平仮名については個人の好みなので、明らかな変換忘れ以外はそっとしておいていただけると嬉しいです。
変換忘れは遠慮なく報告していただけると嬉しいです。わがままですみません。
明日も13時更新予定です。
面白かった、続きが読みたいなどありましたら評価・ブクマをお願いします。
よろしくお願いします。