侍女達の陰鬱な日々
ランドルの王宮の現在です。
◇◇
「痛っ…………」
豪華に設えられた部屋に、鈴を鳴らすような愛らしい声が響いた。
「ひっ……も、申し訳ありません……!」
その愛らしい声とは対照的な引きつった声がそれに続く。
「酷いわ……わざとやったのねっ……!」
砂糖を溶かした様な甘い音質の声が、まるで悲劇の主人公かのような悲壮感で詰った。
「ち、違います……決して、決してそのような事は……っお、お許しくださ……ヒッ」
恐怖を浮かべて床に這いつくばり、許しを請う髪を梳いていた侍女の栗色の髪を、細い指が掴む。
「あなた……名前はなんと言うのだったかしら。まあ、どうでもいいけれど……確か子爵令嬢だったわね? ねえ、ミルカの髪はあなたの汚い髪の毛とは価値が違うのよ? ねえ、ほら、私の綺麗な髪の毛が二本も抜けてしまっているわ。あなたはその報いをうけなくてはならないの。わかるわよね?」
淡々とした声で言いながら、ミルカが掴んでいた栗色の髪を束ごとむしり取り、甲高い悲鳴が上がった。
泣きじゃくりながら許しを請う侍女を無表情に見下ろすミルカは無造作に栗色の髪を掴んでは引き抜いていく。
まとめて引き抜くと悲鳴が大きくなり、面白いらしく途中からは大きな束で引き抜いていると、皮膚が剥げたのか、豪奢な絨毯に毛束と共に血が飛び散り始めた。
周囲の侍女が息を潜めて気配を消し、自分に矛先が向かぬ事を祈る間に悲鳴は絶叫に変わっていく。
しばらく抜き続けていると絶叫は引きつった呻きに変わり、次第に飽きて来た所で手に血の雫が散っている事に気付いたミルカは眉を顰めた。
「ねえ、あなたの血でミルカの手が汚れてしまったわ。どうしてくれるの?」
新たな怒りに眉を上げて詰ると、床に倒れ伏したまま啜り泣いていた侍女は幾筋も血が流れる顔を上げて怯え切った目でミルカを見ると何かを言おうとしたが、唇が震えて言葉にならない。
「あなた、私の髪を二本も抜いたばかりか手まで汚したのよ? まさか何もなしに済ませようっていうの?」
「も、もうしわけっ、あ、ありませ……っ……お、おゆるしくださっ…………」
床に手をついて泣き咽び、震える唇で許しを請う侍女の指をつま先できつく踏むと更に悲鳴が上がった。
「許して欲しいのなら何をすればいいのか、自分で考えてちょうだい。ねえ、どうすれば私が許してあげると思う? こんなに手が汚れてしまって耐え難いの。ねえ、自分で考えて言ってみてくれるかしら?」
立っているのも疲れて来たので再び柔らかな肘掛椅子に腰を下ろしたミルカが微笑んで見下ろすと、名も知らぬ侍女は引きつった顔で周囲に視線を走らせるが、当然周りの侍女達は目を合わせることもない。
「み、水を、水をお持ちします……っ」
「水……? もう秋も終わりなのに、水で手を洗わされるの? ああ、ミルカみたいな男爵令嬢にはそれがお似合い、って思ってるのかしら、子爵令嬢様は」
甘ったるい声音が底冷えする様な色を帯び、侍女が喉をひくつかせた。
「お、お湯をお持ち致しますので……!」
「お湯? ただのお湯でこの綺麗な指を洗えって言うの? 酷いわね。あなたのその太い指と違って、ミルカの指はとても繊細なのよ。解っている?」
再びその指をきつく踏みにじると、侍女は悲鳴を上げて蹲る。
砂糖菓子の様な愛らしいその姿とは裏腹の残虐な振る舞いは、彼女の周りに仕える侍女達にとって既に見慣れたものだった。
いや、慣れはしないが、もはや驚く事は無い。
とにかく身を低くして、彼女の目に留まらぬ様に、機嫌を損ねぬ様にしなければ命すら危うかった。
しかし慎重に慎重を重ね、失敗をしないようにしていると、ミルカは次第に機嫌が悪くなる。
粗相も許せないが、粗相がなければ無いで、王子妃教育や他の学習の時に叱責される自分と比べて腹立たしくなるらしいが、迷惑にも程があった。
そしてただの言い掛かりに過ぎない事……紅茶の温度が昨日より低かった気がする、だの寝台のシーツによく見れば解る程度の浅い波が入っていた、だのの一応失敗と思えない事も無い事から髪の色が気に入らない、声が気に入らない、着ているドレスの色がおとといの自分のドレスと同じ緑だった……それは濃い緑と明るい緑という同色と言うには難があるものだったが、それを理由に侍女を虐げる。
耐えられずに辞めたいと訴えて上に受け入れられても、侍女を奪うなんて酷い、と泣いて訴えるミルカによって引き戻され、逃げられない。
姿を見なくなった侍女は幾人もいて、彼女らが別の場所に配属されたと言う話も、家に帰ったと言う話もまるで聞かないばかりか、姿を消した侍女と親しかった侍女の元に家族から連絡が取れない、と問い合わせがあったから、その行く末は察せられるというものだ。
特に、最初の頃に姿を消した数人は淡い金色の髪や紫の瞳を持っていて、きっとさしたる落ち度はなく、その髪色ゆえに姿を消したのだと密かに囁かれている。
ミルカが王太子の婚約者になる直前まで王太子の婚約者であり、夜会の席で断罪され、荒野に追放された彼女の異母姉と似た髪色であったがゆえに不興を買ったのだろうと思われた。
どちらにせよ、こうして人目に触れる場所ですらこれ程残酷な事をする人間によって姿を消した侍女達の末路については想像するのも恐ろしい。
王宮に仕える侍女は配属先が違っても寮や食堂で顔を合わせるから、王宮内や王族に関する噂話は密かに共有されているが、王太子の周りに仕えていたお手付きの侍女も皆、いつの間にか姿を消してしまったと言うし、実際にその姿を見ない。
特に王太子に気に入られていた侍女から姿を見なくなり、最後の一人が消えた頃には、これまでは見目麗しい王太子の手付きになりたい、遊びでも構わないと言っていた侍女達が皆怯え、王太子付きの者達は配置転換や辞職を希望していたし、減った人員を補充するために新たに雇われ、早速手が付いたと自慢げに話していた新入り達は荷物を全て残したまますぐに姿を消した。
王宮内に起こった事は不用意に外に漏らせないからそれを知るのは侍女達とミルカの周辺の者達だけで、あまりの恐怖に王太子やミルカ付きではない侍女達も怯えきり、ミルカが取り巻きや護衛の騎士達、夜会で出会う様々な貴族男性達と必要以上に『親しく』している事を上奏する事も出来ない。
侍女達も何故ミルカが王太子の婚約者に収まったか理解しているから、上奏したとて消されるのは相手になった男達と上奏した自分だと理解していた。
それを加味しても加味しなくても、とにかく、ミルカの行動は常軌を逸していて恐ろしい。
今理不尽な苛みを受けている侍女が無事危機を脱したにしても、彼女の髪はもはやぼろぼろだ。
大量の髪を無残に引き抜かれ、地肌が見えているのはまだマシな方、あちこちの皮膚がはがれた頭では、貴族の女性としてはもう死んだも同然。
何度も踏みにじられている指はそのほとんどがおかしな方向に曲がっているし、もう悲鳴や呻きすら出ず、失神しては命じられた他の侍女から水を掛けられて再び問い詰められている。
姿を消す侍女ばかりではなく、こうした苛みの末に消せない傷を残されて自ら命を絶つ侍女もやはり少なくは無いのだ。
「また気を失ったの? 淑女として失格よ。ねえ、あなた、お水を用意して頂戴。すぐに目が覚める様にとびっきり冷たいのがいいわ。ああ、あと頭に怪我をしているみたいだし、目が覚めたら消毒してあげたいの。だからお塩も沢山ほしいわね。ミルカ、優しいからこんな傷を見ると放っておけないの」
うふふ、と愛らしく微笑み、楽し気に命じるミルカに頷いて言われた物を用意しながら、前は良かった、と思う。
今は名を呼ぶ事すら恐ろしい、王太子の前の婚約者、エルミーナは大人しい令嬢だった。
王太子は見目麗しく社交的で、王宮の見目好い侍女達は貴賤を問わず『親しく』していたから、身分に合わぬ夢を抱いて婚約者である彼女を妬む者は大勢いた。
王宮の侍女の身分など、高くても下位の伯爵令嬢で、エルミーナは公爵令嬢だから本来決して粗略になど出来る相手ではないが、非常に物静かで穏やかな気性だったあの娘は嫌がらせをされても苦笑で済ましてしまう。
今生きてミルカに仕えている、つまりは王太子の手付きになっていない侍女達はその類の嫌がらせはしなかったが、王太子に幾度も閨に呼ばれるようなお気に入り程、彼女が王宮に上がる度に様々な嫌がらせを繰り返していた。
最初の頃は紅茶に毒ではない異物、例えば味が悪くなる様なものを入れたり砂糖のかわりに塩を壺に詰めたり、紅茶の茶葉を粗悪で湿気た古い物に変えたり、酷く濃く入れて飲めない程に渋くなったものにしたり、逆に色だけついて味が出ていないような茶にしたり、菓子を一度ごみ箱に捨ててから拾って出したり、虫が集る様一晩放置してから出したり、その程度のもの。
しかしエルミーナはどんな茶を出しても顔色一つ変えずににこやかに飲み干すので、次第にそれは過激なものになった。
流石に薬の類は発覚したらまずい事になるので入れないが、腹を壊すようなものは入れられていたし、あまりにも酷くなってエルミーナが城の紅茶を飲まなくなると、王太子の気に入りの侍女達が涙ながらに自分たちの入れたものを飲んでもらえない、と泣きつくので彼に命じられて飲み干していた。
臭いからして異常なそれを顔色一つ変えず微笑みと共に飲み干すエルミーナは、嫌がらせに加担していない侍女達からは驚異の目で見られていたものの、嫌がらせをする者達にとってはより苛立つものだったらしい。
彼女らも殺すのは流石にまずいと思っていた様で怪我をするような攻撃は無かったが、直接王太子との関係を自慢したり、服や持ち物を壊したり、王宮で朝から深夜まで執務を行うエルミーナに運ぶ食事を全て自分達で食べて食事を与えず、茶を求められれば空のポットとカップを運び、真夏の暑い最中には窓を閉め切って部屋を冷やす氷魔法の魔道具を止め、冬には窓も扉も開け放って暖房の魔道具を止めた。
真夏に魔道具を止めた際には飲み物も一切与えずにいた結果、エルミーナは倒れてしまったが、それを叱責された際には王太子に以前と同じく自分達が持って行っても飲んでくれないのだ、と泣きついて倒れた後、数日王宮の客室で病床についていたエルミーナを叱らせていた。
嫌がらせを行うのは侍女ばかりではなく、王太子妃の座や側室を狙う貴族令嬢、婦人達も同じ事。
むしろ彼女らからの嫌がらせは更に苛烈だったが、あの令嬢は全てを微笑みのままに躱し、或いは受け止めはしてもそれ以上反応を示さず、相手にしなかった。
気の強い令嬢でも逃げ出すような嫌がらせの嵐に加えて婚約者の目の前でも堂々と他の令嬢や侍女達とはしたない程の振る舞いに及ぶ王太子の行状を受けても変わらず微笑み続けるエルミーナはいっそ人形めいていて、嫌がらせには加担せずとも不気味だと思い、丁重には扱っても親身に接する事は一度たりともなかった。
しかし、ミルカに比べればエルミーナは天使のようだったと思う。
嫌がらせをしない侍女達にも嫌がらせをする侍女達にも茶を淹れれば礼を言い、無茶な要求は勿論せず、仕事中に何かで火傷や小さな怪我をすれば気遣い、体調が悪いのを隠していれば気づいて休めるように手配してくれた。
彼女が王太子にも父親にも、国王にも冷遇されているのは誰もが知っていて、だからあまり近づいて不興を買わない様に、と思っていたが、今になれば後悔しかない。
しかし、エルミーナを憎んでいるらしいミルカの前で彼女の名を出すような自殺行為は勿論しないし、既に追放され、この国にいない令嬢の事を考えてもどうにもならない。
噂によれば牢に籠められていたエルミーナはミルカの取り巻き達によって深夜に連れ出されたと聞いているから、今頃は悲惨な目にあわされて骨になっているのだろう。
哀れだとは思うが、今まさにミルカの暴虐に晒されている侍女達にとっては既に過去であり、他人事だった。
なお、エルミーナへの嫌がらせを行っていた侍女や令嬢達は、そのままミルカへも嫌がらせをしていたが、エルミーナとは違って残虐なミルカとその取り巻きによって駆逐され、既に姿を消している。
次に姿を消すのは、今ミルカの前で獣じみた悲鳴を上げている娘だろうか、と陰鬱に思いながら、ミルカに言われるまま、侍女はその傷口に塩を塗り込んだ。
お読みいただきありがとうございます。
ちょっと前話後書きの事情で毎日二本更新が難しくなったので、猫と悪役令嬢と交互かどちらか一本にて出来るだけ毎日更新しようかと思います。
次の話はミルカ視点です。
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