通い合う心
昨日更新できず申し訳ありません。
口付けが深まれば深まる程に体温が上がり、最初の時とは違って息継ぎが出来ている筈なのに息が詰まる。
常に思考を巡らせていなければならない筈の頭の中はどろどろに溶けていくようで、まるで定まらない。
隣り合って座りながら半ば覆い被さられ、ソファの背に深く体を預けたまま長い口付けを終えると、エルミーナはぐったりと柔らかなソファに凭れて茫洋と目を開いた。
「ぁ…………」
まだ心も体も溶け崩れたままで、酸素を求める肺が望むまま、大きく胸を喘がせる。
これまでの人生でも群を抜いて疲労しているような、それでいて妙に高揚しているような、そんな未知の状態をどうすれば良いのか解らないまま、呆然とする間も、エルミーナを抱き込んだレガートの唇が頬や鼻先、額、耳元へと幾度も押し当てられた。
「貴女が欲しい…………」
熱に掠れた囁きに、ぞくりと背筋が震える。
その言葉の意味が解らない程子供でも鈍くも無いし、愛していると自覚した人に求められるのが、喜びで無いはずが無い。
現に、エルミーナは己のもっとも奥深い、本能的な部分が同じ程に強くレガートを求めているのを感じていた。
それでも、やはりそれはまだ未知の領域で、少し恐ろしくもあり、同時にこれまで受けて来た教育故に強い羞恥を感じさせるものでもある。
ミルカと同じ様な事をしたくない、と言ったのはほんの一月ばかり前の事なのに、と一瞬思った所で、激しい怒りが沸き上がった。
「エルミーナ……? すまぬ、そんなに嫌だったか」
知らぬうちにその怒りが面に出ていたのか、少し落ち込んだ声で問われ、はっ、と我に返ったエルミーナは慌てて首を左右に振った。
「ち、違うのです! その、少々まだ、恥ずかしくて、少し、恐ろしいと……。それでも、レガート様のお気持ちは……嬉しくて……。……ただ……」
言い繋ごうとした所で先程の感情が甦りギリッ、と歯を食いしばる。
「ただ……?」
嬉しい、と言う言葉に素直に顔をほころばせたレガートが首を傾げ、エルミーナの頬を指先でなぞりながら問いかけた。
「……以前申し上げた、ミルカと同じ様になりたくない、という言葉が脳裏を過ったのです。……それが……無性に腹立たしくて…………」
腹の底からどろどろとした炎、いや、溶岩が湧き上がってくるような重苦しい程の怒りに、歯が軋むような音を立てる。
「すまない、そこまで嫌な事を……」
「……違いますわ」
悄然としたレガートの頬に自ら手を差し伸べ、そっと指先で撫でてから、怒りを抑えようとするあまり微かに震える声で囁いた。
「レガート様がわたくしを欲しいと望んで下さるそのお心を、わたくしが……わたくしがあなたを真摯に欲しいと思うこの心を、よりにもよって、あのけだものの様な女の浅ましい欲と同等のものだなどと……っ」
頬に触れた指を引いてきつく握り締め、はっきりと言葉にすればするほどに怒りが募り、顔の筋肉がこれまでの人生で使った事の無い動きをするのが解る。
振り切れそうな怒りに知らず言葉が途切れ、歯を食いしばった。
きっと今の自分は酷い顔をしているのだろうとは思うが、そう解っていても尽きせぬ怒りに顔が歪むのを抑えられない。
「なるほど……それで急に怒りを纏ったのか」
少し安堵した顔で肩の力を抜いたレガートに、まだ腹の底で暴れまわる怒りを感じながらも頷いた。
「はい……。……言葉も、顔も、乱れてしまいましたわ……。お恥ずかしい……」
言って未だ落ち着いていない顔を隠そうとして逸らすとレガートの手がそっとその顔を引き戻す。
「恥ずかしがる事は無い。貴女の怒りに燃える顔は炎の様に美しくて、見惚れてしまう……」
囁きながら見下ろす青い瞳は陶然としていて、その言葉に嘘が無い事が解った。
海の様に深い色の瞳を見詰めているうちに、体の中を荒れ狂う怒りが宥められていくのを感じる。
「…………どうしても、許せなかったのです。レガート様とわたくしの想いが汚されるような気がして……。……いいえ、あの……あの女にも真摯な想いが……あったとはどうしても思えないのですが、あったかもしれないのに……ああ、駄目です。どうしても、あんなものと比べるなど、私自身を許し難い……」
口に出せば宥められかけていた怒りが再びどろりと渦巻き、歯噛みした。
あの女、などと言う口汚い言葉は、使ってはならぬ言葉、そんな言葉を使う相手とは一線を引く様に、と言う指導の中で学び、茶会等でミルカや他の誰かの事をそう吐き捨てる令嬢、婦人方を見た事がある位だったが、どうしてもそれ以外にこの感情を表現しようが無かった。
婚約者を、恋人を奪われたと目を怒らせていた彼女らの胸にもこんな激しい感情が渦巻いていたのだろうかと思いながら、唇を噛む。
「許す必要など無い。貴女の怒りを無理に抑え込む必要も無い。貴女はそれだけの事をされたのだから。……それに、あの女に真摯な想いなど無かったから、そんな気遣いも無用だ」
僅かに唇の端を吊り上げて笑う、異母妹を知らぬはずのレガートの確信を滲ませた言葉を訝しむと、しなやかな指が頬を撫でてから軽く額に口付けられた。
「私も貴女の役に立つべく色々と調べさせたのだよ。……まあ、確実に真摯な想いなど全く無かったと言っておこう。あちらは、今随分と面白い事になっている様だよ」
喉を鳴らして嗤うレガートの笑みは見た事もない程あくどい顔をしていて、思わず目を丸くする。
「いつの間に…………」
レガートがランドルの事を調べていた事を知らなかったエルミーナが呟くように言うと、苦笑が返された。
「すまぬ。あなたと初めて面会したその日のうちに命じた。……あまりに女性の耳に入れたくない事が多かったので伏せていたが、後日まとめて説明しよう。ともかく、エルミーナが多少なりとも温情を掛ける様な価値はあの女には無いし、どれ程怒りをぶつけても足りない事はあっても過ぎる事は無いだろう。……駄目だな。つい、貴女を欲する気持ちが逸り過ぎて、貴女の心が整わないのに無体を強いてしまう所だった……」
苦笑をさらに深めて嘆息するレガートに、首を左右に振る。
「……わたくしの覚悟が足りないのです。その、ルシアに……その、竜族や亜人の……その、婚約や婚姻の詳細は……聞いておりますので…………」
言い募ろうとして、次第にその言葉が歯切れ悪くなり、顔を赤らめて俯いた。
ルシア曰く、人間と違い、竜族や番を持つ亜人の場合は婚約時には既に肌を交わしているもので、そうでない場合は無いわけでは無いが稀有なのだと言う。
番を見付けた時の衝動はすさまじい物があり、そうと知覚した瞬間に理性が飛んでしまい、しかも番を持つ種族同志であれば互いがその状態だから即座に部屋へ籠って暫く出て来なくなるもので、そうである以上、結婚まで純潔を保つ、という概念が存在しない。
番以外の不特定多数と、となれば眉を潜められるが、番であれば当然の事、と思われている。
エルミーナの様に相手が番を知覚しない種族であった場合は、拒否されれば番を大切な宝と思い、優先する本能が働いてある程度理性的に接する事が出来るそうだが、それでも口説き落とした後はそうなる場合が殆どなのだという事だった。
その話を思い出し、先程がまさにその寸前だったのだと思えば顔が熱くならない筈もなく、羞恥に俯く。
「ああ………………まあ、そうだな。その通りなのだが……私は、貴女に合わせたい。……欲しいのは紛れもなく本心だが、それでも我慢出来ない事では無いし……いや、先程は流されかけてしまったが、それでもエルミーナが何の憂いも無く受け入れてくれる時まで待つ」
少し苦し気にしながらも言う青年の気遣いが嬉しかった。
「……その、わたくしも……その、まだ、とても恥ずかしいのですけれど……うぅ……どう、申し上げればいいのか……その、……さ、察して、下さいませ…………っ」
どうしてもこれ以上口に出せず、音を上げたエルミーナが顔を真っ赤に染めて言えば目を瞬いたレガートは破顔して頷く。
「ああ、察した。無理はしないで構わない。あなたが私を受け入れてもいいと思う日が来たら……そうだな、きっと奥ゆかしい貴女は言葉では伝えられないだろうから……そうだな。この瞳と同じ、菫色の花を一輪、贈って欲しい。手紙に忍ばせてもいいし、勿論直接渡してくれてもいい」
ちゅ、と瞼に口付けたレガートが囁き、それはそれで恥ずかしいが言葉で直接伝えるよりはまだ少し楽な気がして小さく頷いた。
「はい……。あの、とても、お待たせしてしまうかもしれませんが……」
自分の心を掴みかねている今、すぐに答えを出せるとは思えずに言えば、構わない、と優しく頷かれる。
この国に来てから学んだ竜族の習性を思えば、きっと多大な我慢をしてくれているのだろうに、それを感じさせないレガートの優しさに、心の奥深く、幼い頃から固く凝っていたものがまた少し溶けだしていくのを感じた。
追放されてから荒野をさまよう間に、それまで覚えた事の無かった激しい怒りや憎しみ、恨みと言う感情を知った。
そして救われた今、やはりかつてはごく僅かにしか動かなかった喜び、愛しさ、人を恋うる気持ち、本能により近い欲望、そういった凍り付いていた感情がほどけ、動き出しているのがはっきりと解る。
一体自分がこの先どの様な人間になるのかを考えれば少し恐ろしくもあったが、レガートやルシア達が傍にいて導いてくれるならば誤った方向には進まないだろうし、例え誤っていたとしても復讐を止めるつもりはない。
とは言え、今はまだ己の力を蓄え、己の心や立ち位置をはっきりとさせて、そして真摯に思いを向けてくれるレガートに応えるべき期間だという事も解っている。
そう思いながら見上げたレガートは先程の熱情をうかがわせぬ優しい目で腕の中のエルミーナを見下ろし、指先でそっと髪や頬を撫でていた。
ごく微かなその感触に、まだ少し揺れていた心が少しずつ凪いでいくのを感じながら微笑むと再びその唇が寄せられ、髪に口付けられる。
その感触にほっと体の力が抜けると、激しい緊張や羞恥、それに続く怒りで疲れてしまったのか少し眠くなってきた。
心地よい程度の眠気と、触れ合ったからだから伝わるぬくもりに微笑み、レガートの肩にこめかみを乗せて凭れ掛かる。
「……もう一度、口付けても良いだろうか。先程の様にはせぬゆえ」
「……はい……」
甘い囁きに誘われるように頷くと、優しく唇が合わせられた。
あまり深くはせず、ただ慈しみあう様な口付けは心地よく、うっとりと目を閉じて優しいぬくもりと触れ合いに酔いしれる。
約束通りそれ以上先に進むことは無かったが、浅い口付けはその後も幾度となく繰り返されて、あまりの心地よさにエルミーナが眠りに落ちるまでずっと続けられたのだった。
長らく空位であった竜王の婚約者の座が埋まった事が公表されたのは、それから程なくの事だった。
お読み頂きありがとうございます。
少々体調を崩してしまい、昨日更新できず申し訳ありません。
ぼんやりシジュウカラの子育て動画とか見てたら時間が過ぎてました。
小鳥のお母さんも育児疲れで巣の中の掃除中に寝落ちたりするんだな、と新たな知識を得ました。
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