口付けと
エルミーナの表情や感情表現の少なさは厳しい教育故ではあったが、そういった所が面白みがないだの、人間味が薄いだの言われていたゆえんなのだろうとも思う。
以前であれば決して崩れなかった、崩す事を許されなかった表情がこうして湧き上がる感情と共に和らぐ事、微笑みを向ければ微笑みを返してくれる人がいる事が無性に嬉しい。
今もまた見下ろす青い瞳には暖かな感情が湛えられていて、その優しい目で見つめられる喜びに、微笑みがより深まった。
再び背に回される腕に抗う事無く囚われ、再び広い胸に頬を寄せると、服越しに伝わるぬくもりに目を細め、満ち足りた溜息を零す。
愛しい人の背を自らの腕で抱き、同時に自身を抱き締められる幸福感に、息が止まってしまいそうだと思っていると、その頬にそっと大きな掌が触れて顔が上向けられた。
見ただけでも解る程深い愛しさを湛えた瞳に見下ろされ、どきりと胸が鳴る。
頬の熱を強く感じながらひと時言葉も無く見つめ合ううち、不意に白皙の顔が寄せられ、湖の様な瞳が伏せられる様に思わずびくりと肩を揺らして狼狽えると、鼻先が触れ合う程の位置で動きを止めたレガートがその瞼を再び開いて笑みを含んだ眼差しでエルミーナを見詰めた。
「……嫌か……?」
掠れた声の囁きと共にその吐息だけが唇を掠め、その感触にぞくぞくと背を震わせたエルミーナは顔を真っ赤に染め、紡ぐ言葉を失ったまま無意味に口を開閉させる。
受け入れたいという気持ちとそれ以上に強い羞恥、まだ婚約も交わしていないのに、という理性がまじりあってどう答えれば良いか解らず狼狽えていると、不意にレガートが噴き出し、肩を揺らして笑った。
「っ……レガート様!」
揶揄われたのかと憤慨し、思わず鋭い声で名を呼ぶと、レガートは更に笑いを深める。
「ふっ……っくく……っ……すまない、貴女を揶揄うつもりでは……ふふっ……」
寄り添っていた体を離し、体を折り曲げて笑うレガートに思わず頬を膨らませて距離を置くと若き竜王は慌てて謝罪するが、その肩はぶるぶると震えていて、感情を隠しきれていない。
「貴女のそんな顔を初めて見た。とても可愛いな。エルミーナが私の番で、本当に良かった。番でなくともきっと好きになっていたから、もし別に番が現れたりしたら心を引き裂かれてしまう所だった」
「……そのような事も、あるのですか?」
初めて聞く言葉に問い返すと、レガートは頷いた。
「長く番が現れない間に、他の相手に恋をする事もあるそうだ。それでも番が現れば、本能がまずそれを欲してしまう。最初の激情を止められなければそれまでの恋人を放り捨てて番に夢中になり、傷付いた恋人が去った後で冷静に戻って深く後悔する事になる。本能では番を求めていても、理性で愛したのが恋人だ。特に、本能で手に入れた番があまり好ましくない人物だった場合にはなかなか酷い事になるそうだな」
「……番を、愛さない事も?」
「愛しはする。そうだな……好意が愛と言う感情に変わった時の初期値が八十として、番に対して最初に抱く感情が……三百とすると、その後人格を深く知って変動する中で、上がる上限は無くとも八十以下にはならない。どれ程どうしようもない相手でも、愛してしまうのが番だ」
「例えば……あくまでも例えばですが、わたくしが竜で元婚約者が番だった場合、あれだけの事をされても八十は愛してしまう、という事でしょうか。…………いけませんわ、ぞっとしてしまいます」
物の例えとして言葉に出した途端にぞわりと悪寒が走り、眉間に皺を寄せて自身の体を抱き締める。
「そうなるな。ああ、本当に、私の番が貴女で良かった。今の例えを聞いただけで怒りが湧き上がってくる。エルミーナ、私から貴女に今抱いている愛情は……もはや千や二千では表しきれない程だ。言葉を交わすごと、姿を見るごと、知れば知る程に貴女への想いが増していく……」
最初は背筋が凍る様な怒りと憎悪を、次いで蜜の様に甘い声が空気を震わせた。
額が掠かに触れる程の距離でエルミーナを覗き込み、陶然と囁く声は少し掠れていて、その掠れた音が含まれる熱情をより強く表している。
耳から入り込んで脳を蕩かすようなその熱に、エルミーナは息を呑んだ。
酷く喉が渇いているような錯覚を覚えながらも、その熱を帯びた瞳から目が離せない。
そっと寄せられた唇が微かに触れ合うのを感じて、エルミーナは瞼を閉ざした。
まだ緊張したままの強張った体を逞しい腕が優しく抱き込み、唇が浅く合わさるのを感じて思わず身を震わせると、その掌がなだめるように背を撫でる。
慰撫される感触に心は僅かに安堵したものの、体の方は相変わらず硬直したままで触れ合う唇を受け止めているうちに呼吸が次第に苦しくなってきた。
どうすれば息が継げるのか解らず、目をぎゅっと閉じたまま狼狽えていると合わさった唇が笑みの形を刻んでそっと離される。
「っ…………はっ……ぁ……っ」
余韻を感じるよりも先に咄嗟に大きく息をつくと、レガートが喉を鳴らして笑った。
「呼吸は鼻ですればいい。後は時々唇の角度を変えるから、その時に」
エルミーナの鼻先や頬、耳元に幾度も唇を落としながら囁く声に、顔を赤らめる。
「も、申し訳ありません……物慣れなくて…………」
「貴女が知らないのは当然の事だ。……もう一度、口付けても構わないだろうか……?」
熱に掠れた囁きに僅かに目を見開き、惑ってから小さく頷いた。
そのまま俯くエルミーナのおとがいに長くしなやかな指がそっと触れ、上向かせると再び唇が寄せられる。
「唇を少し開いて……」
羞恥に身を固くし、瞼と唇をきつく閉じて待つ耳元に囁きが届き、戸惑いながらも薄く唇を開けば唇が優しく合わせられた。
びく、と震える体を慰撫されながら幾度か浅く合わせるうち、緊張が緩んできた所でレガートの舌先が唇に触れて再び身を震わせる。
下唇を舐められる感触に狼狽えながらもどう反応すれば良いのか解らず体を固くしていると、少しずつその舌先が内側へ入って来て更に動揺が増した。
しかし、色事の類については何も知らない自分より、ずっと長く生きているレガートの方が詳しいのだから、と任せるつもりではいるのだが、理解が追い付かない。
とは言え、他の相手……例で言えばあの元婚約者などでは生理的に無理だが、レガートが相手である今、嫌悪感は不思議なほどに無かった。
ただ、身がよじれる程に恥ずかしく、同時に濡れた皮膚が触れ合う感触が深まる度に熱を増す体をどうすればいいか解らない。
先程教えられた通り、鼻と、角度を変える拍子に僅かに唇の端に開く隙間からどうにか呼吸をしながら縋る様にレガートの服を掴む。
舌は既に深く口腔に入り込んでいて、生暖かいそれに、誰にも、せいぜい医師にしか触れられた事の無い内側をゆっくりとなぞられる感触は無性に胸の奥と体の芯をざわつかせ、今まで経験した事の無い強い熱を生み出した。
羞恥は相変わらず感じているが、愛しい人と密に触れ合う喜びはそれよりも遥かに強く、同時に未知の感覚で頭の芯も体もどろどろと溶けていくような気がして、エルミーナは無意識に喉を鳴らす。
しなやかで美しいのに自分のそれよりもずっと大きな手が、触れるか触れぬかという力加減で背や腕を撫で上げる度に沸き上がる熱は増した。
まるで自分の体が蝋で出来ているかのようにレガートが齎す熱で蕩けていくのが、無性に幸せで、同時に泣きたいような気持になってくる。
意識が蕩けるにしたがって体のこわばりは少しずつほどけていき、上ずっているような、それでいて寛いでいるような不可思議な感覚の中で、エルミーナはその広い背を両腕でそっと抱き締めた。
お読み頂きありがとうございました。
ぎりぎりで間に合いました。
もう少しこのシーンが続きますがR15に乗せられる程度で終わります。
書いても良いけどこっちでは乗せられなさそうなので割愛しますw
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もう一本も現在ストック無しなのできっついですが明日も13時に更新出来る様頑張ります。