己の在り方(仮)
◇◇
「レガート様。わたくし、今日初めて知ったのですが……人間の番は閉じ込めた方が安全なのだと、そう伺いましたの。……わたくし、とても我儘を申し上げて自由にさせて頂いておりますが……レガート様のお立場を思えば、わたくしはどこかに籠った方がご迷惑にならないのでしょうか」
気の置けない貴婦人達との語らいの後、レガートと共に晩餐を終えたエルミーナは、初めて会った時と同じ応接間で寛ぐ竜王に尋ねた。
かつてのエルミーナであれば幽閉も唯々諾々として従っただろうが、今の自分としては、閉じ込められるなど御免である。
今思えばあの場所は正に檻としか言えず、レガートがエルミーナの為に用意するであろう籠よりもずっと狭く、不自由で辛かったから、閉じ込められるという事にさして違いは無いし、エルミーナを大切にしてくれる竜の国の鳥籠で生きるのはきっと前よりずっと幸せだろう。
だが、荒野を数日とは言え生き抜き、竜の国で、他者の為ではなく己自身の為に学び、居場所を築くという挑み甲斐のある難問に立ち向かう喜びを覚えた今、昔の様に自由の無い場所で、例え愛され、真綿に包まれて過ごしたとしても、それを幸せとは思えないのだと確信があった。
しかし、それと同時にエルミーナは身分によって生じる義務、高位貴族や王族が持つ義務と、その背に負う責任を良く理解もしていた。
エルミーナ自身に負う責任は、今は少ない。
いや、レガートの番として負っている物は既にあるのだろうが、まだその事実を受け入れられていないからそこは差し引いて考えれば、名も家も無い、ただの無力な娘だ。
だが、レガートの肩には強大な竜の国と、そこに暮らす様々な種族の国民達の命や安寧がかかっている。
エルミーナが受けて来た教育がありふれた令嬢としてだけの物であれば、そこまで気にすることも無かったのかもしれない。
しかし彼女は幼い頃からずっと、あまり勉学を好まない王太子を支えるどころか執務を代行出来る程の教育を受け、十二を超えた頃から王太子や父、果ては国王の執務の一端を押し付けられて来た娘だった。
押し付けられた書類を理解するために読み込み、文官達に教えを乞い、結果として一端ではあれども王族や高位貴族が果たす仕事がどのように民の生活に関わるのか、その采配一つでどれほどの被害を彼らがうけるのか、察せられる様になった。
だからこそ、レガートの負う物を危険に晒してまで我儘を貫く事にためらいがある。
貴婦人達との茶会を終えてから書庫に向かい、竜や高位亜人の番についての書物を紐解いて見れば、過去に弱い番が絡んで引き起こされた災厄は枚挙にいとまがなかった。
それなりに知識を持っていて、番である自分の立場は危険が多いと解っていたつもりだったが、その認識が甘かったと思えるほどに様々な災厄がそれによって巻き起こされているのを知ったエルミーナは、今酷く悩んでいる。
いっそこの国に何の感情も無ければ我儘を貫けたのかもしれないが、レガートは勿論、ルシアやマールカと言った女性達、侍女やメイド、ユーグをはじめとする側近達にも大切に扱われ、今まで経験したことが無い程幸福に過ごさせてもらっているこの国を、己の我儘一つで危機に晒すのは嫌だった。
ランドルならば別に構わないのに、と同時に思って、仮にも長年暮らした国が自分の中で完全に敵国扱いになっている事を改めて感じる。
とは言え民に恨みは無いので危機に晒されるのは王族と両親、それにミルカと、荒野に蹴り落とした男達だけで十分だったが。
そうした事を晩餐までの間に考え続けた末の発言だったが、それを受けたレガートは目を丸くして隣に座るエルミーナを見下ろしている。
そんな、少し間の抜けた顔ですら美しいなんて卑怯な方だと思いながら見上げていると、レガートはかなりの沈黙を置いて口を開いた。
「……一体どうしてそんな考えになったのか聞いても構わないか?」
「この城に、人間の姿が無い理由をうかがいました。人間の番は弱く、身を守れないから普通は屋敷に閉じ込めて、表に出さないものだと。……わたくし、閉じ込められるのは歓迎出来ません。ですが、番を人質にされて起こった災禍を調べましたら、それはあまりに我儘ではないのかとも、思いました。せめて、復讐を終えるまでは外に居る事をお許しいただきたいとは思うのですが……」
それすらもレガートが、引いては己が背負う責任を思えば身勝手に過ぎる様に思え、目線を下げる。
貴族として育てられた意識は自分が満足するだけの復讐よりも国家の、ひいては大切にしてくれる人達の安寧を取るべき、とエルミーナを叱責し、同時に傷つけられ、虐げられた過去から己の足で立ち上がった心が、まだ何もやり返していない、自分の手で彼らを見返したいと訴えた。
相反する心はどちらもエルミーナの本心に違いなく、どちらを選べばいいのか判断出来ない。
もっと心が強くあればどちらかを選ぶ事が出来るのだろうか、と思いながら握りしめた拳を見詰めていると、そっとその手にレガートの手が重ねられた。
「確かに……エルミーナを閉じ込めて、誰にも見せたくないと、そう思っているのは確かだ。美しく整えた箱庭で、私だけのものに出来ればこの上なく幸せだろうと思う。だが……それで嫌われてしまうのは嫌だし、貴女が今、城で生き生きと過ごしている姿を見るのも同じ程に好ましいと、私は思う」
ゆっくりとした口調で告げるレガートを、エルミーナは見上げる。
「……竜は元来、自分の宝物を巣穴に溜め込んで、番以外の誰にも触れさせたがらない生き物だ。だから、とりわけ大切な宝である番に対しては、特にその感情が強い。人間の番であれば危険も多いから、余計にその本能が強くなるし、実際にその方が平穏に過ごせるのも確かな事だ」
レガートの言葉通り、古来、竜の宝物に纏わる冒険譚は数多くあるから、番もまた宝であると考えれば人目に触れさせず、隠したい、という感情もなんとなくは理解できた。
そう思いながら言葉の先を待って見上げていると、レガートは苦笑してエルミーナの髪を撫でる。
「閉じ込めたい、と思うのは、別に人間や、他の弱い種族の番ばかりではない。私の番は貴女だから、他の種族については聞いた話だけだが……相手が竜でも高位の亜人でも、番に出会えば閉じ込めたくなるものらしい」
「そうなのですか? ですが、ルシアやマールカ様はのびのびと過ごしておいでですが……」
時に供さえつけずに出歩くと聞いた事を思い出しながら疑問を口にすると、レガートの苦笑が深くなった。
「例えば、だ。ルシアは獣人だが、ユーグを一撃で沈められる程強いから閉じ込められてはくれないし、マールカ夫人は高位の竜人だからやはり夫に大人しく閉じ込められたりはしない。相手が竜なら、負ければ反対に自分が閉じ込められる事になる」
竜が宝物を隠したがるのは雌雄を問わないのだ、と説明を受け、成程、と頷く。
城で出会った竜族の女性達は皆華やかかつ苛烈な人達で、彼女らであれば打ち負かした番を閉じ込め、自分が政務を取り仕切るのも躊躇わないと思えた。
「……おまけに、竜の雄は基本的に番に弱い。喧嘩になっても最後の一手の前に無意識に手を緩めてしまうのだが……女性というものは強くてな。一切の容赦をしてもらえないから、結果的にこちらが負けて大怪我をする羽目になる。私自身に経験は無いが、周囲の男どもがやり込められるのは良く目にしたものだ」
溜息交じりに笑うレガートの言葉に、ルシアから聞いた、ユーグの番と解った直後の騒動を思い出してくすりと笑う。
「竜族の殿方は、とてもお優しいのですね」
微笑んで言うと、レガートは苦笑を返した。
「得てみて初めて理解したが、番という物は本当に愛しいものだ。自身の手であれ他者の手であれ一筋たりとも傷をつけたりしたくはないし、大切に抱え込んで外に出したくない、とそう思ってしまう」
苦笑交じりの声音と共に、レガートの指が優しくエルミーナの頬をなぞる。
「エルミーナ。貴女が籠の中で幸せに歌っていられる小鳥なら閉じ込めたろうし、己の立場が齎す危険を理解出来ない程愚かなら、それでも愛しはするが、やはり無理矢理にでも閉じ込めただろう。私の地位や立場を考えれば、互いと国の為にそうせざるを得ない」
穏やかな言葉を、その優しい瞳を見上げながら静かに聞く。
「だが、貴女は自由に羽ばたく方が似合うし、自由に伴う義務も、己の地位が齎す危険も、それを避けるためにどう振舞うべきかも、よく理解している。そんな貴女を、わざわざ閉じ込めて羽をむしる様な真似はしたくない」
「レガート様…………」
真摯な言葉に、胸が熱くなった。
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