Data.72 弓おじさん、雲の海原
小舟に乗って真っ白な雲の上を進んでいると、まるで自分が死んで天国に送り込まれているのではないかと錯覚してしまう。
特に意味もなくステータスウィンドウを開いてみる。
うん……ちゃんと生きているな。
あと、【流星弓】のクールタイムに入っているガー坊がもうすぐ復活しそうだ。
ウィンドウを閉じる。
沈黙が怖いので、サトミに話を振ってみようか……。
「サトミくんはどうやってここに工房があることを知ったの?」
「チャリンさんの情報提供ですね。通常の職人よりも腕の良い『熟練職人』の存在自体は知っていて、探してはいたんですけど結局自力では見つけられませんでした」
「チャリンちゃんの情報提供からか……俺と一緒だね。まあ、俺の場合はその『熟練職人』って人の存在すら知らなかったけど。それにしても、チャリンちゃんって良くしゃべるよね。情報を貰っている俺の方が大丈夫かって心配になるくらい」
「彼女は本来の担当であるメダリオン・オンラインでも良くしゃべるって有名だった子ですよ。基本的に誰にでもお節介を焼きますが、頼ってくれるプレイヤーに対してはより親身になって相談に乗ってくれます」
「へぇ、面白い子だなぁ」
「今は最低限仕事としてラインを守っていますが、昔は困っているプレイヤーにアイテムをあげて問題になってたりしたんですよ」
「そりゃ……マズいね。気持ちはわかるけど」
「アイテムの譲渡は禁止されましたが、会話はある程度見逃されています。だって、彼女にとって人と話せる機会は限られていますから。運営会社の社員との会話か、ゲームの中のプレイヤーか……二者択一です。それにこのゲームのプレイヤーと話せるのはコラボの間だけでしょうから、それだけ会話にも貪欲というわけです」
人工知能も大変だなぁ。
その存在は知っていたし、企業で活躍しているという話も聞いていたが、実際にAIであるチャリンに出会うと考え方も変わる。
やはり、実体験というのは大事だ。
それにしても、サトミは言葉は丁寧だけど、少年風の風貌もあいまって若者のような感じがする。
その割にはこのVR界隈の情報に詳しいな。
いや、若者だからこそ詳しいのかもしれない。
だって、生まれた頃からゲームと言えばVRの時代なのだ。
俺みたいにあえて距離を取っていたおじさんよりは、VRと共に育った少年少女の方が詳しくて当然だろう。
まあ、おじさんになってから知り始めても全然楽しめているのだが。
「島が見えましたよ。真っ白で見逃しそうですね、これは……」
島はぬる前のぬり絵のように真っ白だった。
土も木も草も白くふわふわしている。
上陸した時、サトミはその感触に驚いていたようだ。
俺は雲を足場に戦う機会が多いから、もはや雲の感触には慣れたものだ。
「モンスタースキャン……近くにいますね雲蜘蛛。ですが、臆病な性格で敵が近づくと木の上の方に逃げる習性があるようです。また物理に対する防御形態を持っているので、矢で仕留めるのは難しいかもしれません」
「いや、そうでもないさ」
俺は雲蜘蛛を矢で撃ちぬく。
撃ち抜いたのは、ここから遠く離れた木の上でボケっとしていた個体だ。
まだ俺たちが白い木の森に入ってきたことにすら気づいていない奴なら逃げようがないし、防御形態になることもない。
遠距離射撃なら簡単に倒せてしまうわけだ。
ついでに言うと、虫を間近で見る必要もない……!
「なるほど、キュージィさんの神髄はこの長射程でしたね」
「まあ、上手く活用できない時もあるけどね。人生なんてそんなもんさ」
くたびれたオッサンみたいなことを言ってしまった……。
俺は『おじさん』だし、目指すべきは『おじさま』だ。
おじさまはなぜか中年男性を指す言葉の中でも格が高い。どことなく高貴な響きがある。
いつかはみんなにそう呼んでもらえるように……って、ハタケさんは俺のことをそう呼んでいたような……。
無駄なことを考えている間に、倒した雲蜘蛛がドロップしたアイテムが俺の元に飛んできて、スポンスポンとアイテムボックスに入る。
『雲の糸』が2個と『雲蜘蛛の足』が1個か……。
取れてしまった虫の足……いや、考えないでおこう。足は素材として必要じゃない。
いま必要な『雲の糸』は25個だ。
『風雲弓』以外のすべての風雲装備を完全に直すにはそれくらい必要らしい。
「久々に腰を落ち着けた狩りができそうだ……!」
俺は【狙撃の眼力】で強化した視力で雲蜘蛛を探し、仕留める作業を繰り返した。
◆ ◆ ◆
「案外狭い島でしたね」
狙撃ポイントを変えつつ島をまっすぐに横切ると、すぐに端っこに着いてしまった。
そこから島の海岸線を一周したが、またすぐにスタート地点に戻って来ていた。
ここは円形の小さな島のようだ。
モンスターもあまり種類が出ないし強くもない。
おかげで楽に必要な数の『雲の糸』が集まった。足も結構集まっちゃったけど……。
「お互い目的は果たせたようだし、帰るとしようか。雲の上でも夜は来るし、雲海でも夜の海は怖そうだ」
来た道を引き返し、小舟のあったところに帰る。
「あれ? 小舟がない……」
上陸した場所に置いておいたはずの小舟がない。
ちゃんと陸地にあげておいたから、波にさらわれたなんてことはないと思うが……。
念のため近くを探索すると、飛び散った小舟の破片が見つかった。
何者かによって破壊されている。
「……敵がこの島に潜んでいると考えてよさそうですね」
「ああ……」
まるで犯人がこの中にいることに気づいた探偵のような俺たちの会話は、すぐに否定されることになった。
この島に敵なんて潜んでいない。
この島自体が敵なのだから。
雲海の中から音もたてずに現れた巨大な頭とアゴ、そして長い首……。
それはくるりと振り向いて俺たちをにらんだ。
「モンスタースキャン……! 僕としたことがまさか欺かれるとは……。この島自体がモンスターです! シークラウズ・タートル・ドラゴン……僕らはその背中の甲羅の上です!」
足場がぐらりと揺れる。
モンスターの体の上ということは、ある意味ゼロ距離戦闘じゃないか……!
俺の長射程がまったく活かせない……なんてことはない。
「どう戦いましょう、キュージィさん」
「俺に良い考えがある。とりあえず、頭から離れよう!」
「了解です!」
俺たちは島あらため、亀ドラゴンの甲羅の反対側へと駆け出した。








