聞いていませんけど?
例の話し合いから早、7日。日々のお世話の度ミリス様に付き添って頂きながら仕事をしました。
そして漸く本日、私はお願いしていた例の物が全て整ったと、知らせが届いたのです。
屋敷の元ダンスホールであろう場所に敷き詰められた、畳(干し草を挟んだ布ですが)のその感触を確かめます。
しっかりと作られた形、そして硬さを足の裏に感じ頷いたところで、ミリス様を振りかえり明日から、アレの修業を始めると伝えました。
両手を合わせ漸く……と嬉しそうに微笑まれたミリス様が、部屋を後にした後一人その場に座禅を組んで座り、精神統一をしつつ明日行う修行の内容を考えました。
まずは……そうですね。精神力を鍛える修行として、座禅をさせましょう……。
音を上げた場合は、身体を動かす方向で修業をさせればいいでしょう。
スクワット、背筋、腹筋、足上げなどを各10回を1セットとして、3セットやらせれば、セクハラする体力すらなくなるでしょう。
それでも、やるようであれば柔道の受け身を覚えさせればいい。と、そこまで思考して足を崩しゴロっと横になりました。
「私は何故この世界に来たのでしょうか……」
今まで考えないようにしていた、自分の状況について不意に考え込んでしまいました。
あの本が引き金となってこの世界に来た事はなんとなくですが覚えています。
とても古い厚い背表紙の本で、そこには金の読めない文字が書かれていた事。その背をかたく絞った雑巾で、拭きその後空拭きした事。
表紙側を拭こうとした瞬間、本が勝手に開きページがパラパラ捲れたかと思えば、この世界の路地裏に座っていた事。
何故、私だったのか。この世界で一体私に何をさせたいのか……。その部分が判らないからこそ、私はこの世界で生きるしかないのだとそう考えました。
本が望む何かを成せば帰れる可能性もある……ですが、その何かがわかりません。
「やはり、ダメですね……はぁ」
「リア! こんなところに居たんだね……良かった見つかって!
君に見せたいものがあってね、君を探していたんだ」
「……どういった御用件でしょうか? お坊ちゃま」
戻る方法が判らず諦めた所でアレに声をかけられ、ついつい、ドスの効いた声で返してしまいました。
「とても珍しいほっ――「リアさん。奥様がお呼びですよ」」
アレが何かを言いかけた所で、タイミングを被せるようにメイド仲間のリリスさんが私を呼びに来てくれます。
奥様と言う言葉に、私に差し出したアレの手が即座に引っ込み、まるでネジまき式の玩具の兵隊さんのような動きで、踵を返すと部屋を後にしました。
それを見送り急ぎ立ち上がった私もまた、リリスさんにお礼を告げ奥様の元へ向かいます。本日はどうやら、暖炉のある部屋でお茶をされていたらしい奥様。
優雅な手つきで紅茶をひと口飲まれ、音を立てずカップを戻されると同時に私へ質問をされました。
「リアさん。明日から修業を開始するとミリスに聞いたのですけれど……?」
「はい。明日の早朝より始めたく存じます」
「そう」
目を眇め微笑まれた奥様が、本当に本当に期待していると言わんばかりの視線を私の送られ、そしてこうつづけられました。
「主人もわたくしも、もう後が無いの……よろしくお願いするわね!」
「……は、はい」
後が無いとは、どう言うことなのでしょうか? そんな重い話だとは私は伺っておりませんがっ? 後が無いと言う言葉に、失敗したらどうなるのだろう……と、私の背筋はダラダラと汗が伝います。
「そうそう、これ……後で召しあがってね」
そう言ってミリス様より渡されたのは、こちらでは高級とされている砂糖やミルクをふんだんに使った生地の上に、新鮮なフルーツを乗せ美しく飾り付けられたケーキでした。
「あ、ありがとうございます。頂きます」
期待されているという言葉が重く重く私にのしかかって来ます。
ヤケクソだとは今更言えないこの状況に、今すぐ日本に帰りたいとつい逃げ腰になってしまうあたり、私は小心者なのでしょう。
請け負った事はやりますけど……更生するかどうかは私の関知するところではありませんので……後は、皆様がなんとかして欲しいところですね。
そう割り切れればいいのでしょうが、流石にお金を頂く以上それに見合う結果は出さねばなりません。
明日の朝、日の出前からアレを起こし鍛錬を始めることを伝え、奥様の居らっしゃる部屋を後にメイドとしての仕事にミリス様と共に向かいました。
「リア! 母上との話は終わったのかな?」
部屋を訪れた途端、アレはこれです。
「えぇ」と短く返事を返し、アレの汚した室内を片付け始めます。
「リア、君に見せたい物があるんだ! きっと、きっと君も気に入るよ! 行こう!」
そう言って、手を差し出すアレに「仕事中ですので……」と言葉を濁し返事をしたところで、ミリス様が機転を利かせて下さり、アレを部屋から追い出して下さいました。
「ありがとうございます」
「ふふっ。リアさんは本当にシュリハルト様に好かれているのですね」
苦笑いながらもそう言うミリス様は、手を動かしながら今までのアレについて話をして下さいました。
子供の頃はとても純粋だったらしい、アレはある日を境に今の様な性格になってしまったようです。
それは、アレが12歳の冬だったそうです。
氷が張る程寒い冬の日、公爵家の領地であるヴィルシュで朝の剣術指導中に誤って池に落ちてしまったそうで……。
その後、直に救出されたアレは熱に魘される日々を過ごした。
池に落ちてから8日目漸く熱がひき、意識を取り戻したアレは、今の状態になっていたらしい。
その話を聞いて思い出したのは、兄が良く読んでいたラノベと呼ばれる類の小説のことでした。
突然の事故や病気で、本来の自分の記憶と言うものを思い出したとすれば、突然の人格変化はありかもしれないですね……なんて、そんなことあるわけないですよね。
だって、アレの口ぶりからして元日本人な訳ありませんし……それに、日本人であればもう少し、羞恥心と言うものがあるはずです!
全裸で寝るとか、朝の食事をアーンして欲しいなどとは絶対に言うはずありません。
まったくもって、下らない事を考えてしまったと反省しつつ、その後も続くミリス様のお話に相槌を打ちながらアレの部屋の掃除を済ませました。
その日その後、アレが絡んでくる事は無く。ただただメイドの仕事を行いました。
夕食をとりながら、ミリス様にアレに明日の朝早く起こす事を伝え忘れた事を報告すれば、就寝前に訪れる執事のジェームスさんに伝えておいて下さると仰っていただけました。
これで、本日の業務は終了だと安堵しつつ満腹になったお腹を摩りながら階段を登り自室へと戻り就寝いたしました。
更新をお休みするとお伝えしましたが、間に合いました。
更新が遅くなりま申し訳ありませんでした。
少しでも面白いなと思っていただけましたならば、ブックマークをお願いいたします。