ヤケクソですよ?
耳鳴りがしそうなほど張りつめた室内で、誰かがゴクリと喉を鳴らし唾を飲み込む音だけが響いたと思ったら、意を決したような面持ちでマリアーヌ様が私の名を呼びお話を始められました。
聞き及んだ内容を要訳すれば、現在マリアーヌ様はアレの婚約者候補であって今はまだ正式な婚約者と言うことはできない状なのだそうです。
その理由としてあげられたのはやはり……と言うべきでしょう。
アレの問題行動(女性に対すと追加されますが……)だったらしく、マリアーヌ様は婚約を承諾しているもののご両親はアレの行動を理由に婚約を未だ了承されていないそうです。
そこで考えあぐねたマリアーヌ様はたまたまデートで訪れた店で、私のアレに対する態度を見て私ならば……と、アレお気に入りである私を雇い入れアレの性格と行動の矯正を施そうとしていたらしいのですが、思惑とは大分違う方向へずれてしまったアレの行動に、流石のマリアーヌ様も呆れすら通り越しどうにかできないかと、逆に私へ問いかけられる始末……。
流石の私でも、アレの性格や行動をどうにかできるスキルなど……とそこへ、私の祖父が依然言っていたことを思い出しました。
――いいかリア、人間出来ない事は多い、それを出来ないと決めつけ諦めることは簡単じゃが、やってやれない事は無いんじゃよ。
ですが、おじい様……アレは、無理ですよ?
――いいかリア、諦める事は簡単じゃよ……じゃがな、やってやれない事は無いんじゃよ? 困った人を助けるそれが、人として大きくなると言う事じゃ。
そう言われましても、無理なものは無理ですよね? 冷静に祖父に返している内に、全員の視線が私に集まっていました。
雇い主の前で失礼だとは思いながらも、私はつい先ほど辞職をお願いしたばかりではないですか?
そう視線に籠め見つめ返せば、すぃ~と公爵様の目が泳ぎ、奥様の目が逸らされ、マリアーヌ様に至って逆に懇願するような視線で返されてしまいました。
「はぁ……わかりました……ただし、どんなにシュリハルト様が泣きごとを言ったとしても、皆様は私に協力するとお約束いただけますね?」
「もちろんだとも!」
「えぇ。これであの子が生まれ変わってくれるのならば!」
「是非! 協力させていただきますわ」
「私で出来る事があるのならばご協力させていただきたく思います」
旦那様、奥様、マリアーヌ様、ミリス様が瞬時に快諾をしてくださり、明日からアレを一人前の男児に育てることにしました。
「それで、どのようなことをなさるの?」
嬉々として聞いて来るマリアーヌ様へ、どう説明しようかと思案します。
私の父方の祖父の家は、明治の頃より代々、空手や護身術などの道場を経営しており、私の護身術は祖父の直伝、幼き頃より鍛錬し今では免許皆伝とまでは行かないまでも師範代を務めさせていただいておりました。
今朝がた背後を取られてしまったのはあくまでも、アレのアレを見た上に押し当てられたからであって、普段は決して背後を取らせません。
などと脳内でいい訳をしている内に、他の皆様からも同じように質問をされてしまいました。
「東の方でというより私の故郷では、男性は必ず行う(嘘ですけど)鍛錬をシュリハルト様に行おうと思っております」
「ほう~」
「ただ……少しばかり物が必要になります。そちらの方のご用意をお手伝いただけますでしょうか?」
「わかった。私たちで出来る事があるのなら是非に協力しよう」
協力して下さるという公爵様の言葉に頷いた私は必要となるものを図に書いて説明をはじめました。
「では――をお願いできますでしょうか?」
「こんなものがいるのか!」
「それに、かなり厳しいと御心置き下さい」
「漸くこれで……あの方もまともに!」
「これでシュリハルトがまっとうになるのであれば……ねぇ、あなた……」
「あぁ。ミリス、直に仕立てやを呼べ。それから、庭師のカフスと侍従長のハンスを連れて来てくれ」
「かしこまりました」
私の書いた図を覗き込み、説明を受けた公爵様が驚きの声をあげます。
厳しいと言う言葉にマリアーヌ様と奥様が本当に嬉しそうに微笑まれました。
力強い公爵様の声を合図に答えたミリス様が、期待に胸を膨らませた様子で大きく頷くと直に部屋を退室されました。
その様子にひとり内心動揺するのは私です。
何度も言いますが、ヤケクソです。
だって……この世界の事なんて分かりませんもの……折角思いだしたのですし、道場で習ったものを叩き込んでしまおうと思ったのです。
本人にやる気があり少なからず学ぶ姿勢を見せるのであれば、紳士(漢)としての心構えを身につけて下さるでしょう。と言う願望を元に、そうなればきっと変わるはずと思いこみます。
ですが、紳士へ矯正ができるのかと問われた場合、自信を持って「できます!」とは言えませんでした。
背中に滴る汗を感じながら、その後の計画をお話しました。
どよめきが上がる中、皆様の瞳に希望の光が宿ります。そのお姿を見る度、私の心臓は握りつぶされる思いでした。
漸く、計画――と言うよりはただ私が日本で毎日行っていた鍛錬の繰り返しを復唱しただけにすぎませんが――全容を話し終えた私は、退室を願いでるとどっと疲れた体に鞭を打ち自室へと戻ります。
首から下げた麻紐に通した鍵で部屋の鍵を開け、中に入ると確実に鍵を閉め。
服を着替えるのもだるく感じるほど、疲れていたのかそのままベットへと横になりました。
先ほどの話し合いの結果を思い出します。
必要な物が出来る上がるまでの間は、ミリス様と行動を共にする許可を頂けただけありがたいと思うべきでしょうか?
それに、今後鍛錬を行う場合、特別給与を出して頂けることになりその点に関してだけは、非常に楽しみができました。