書庫前で
翌日の朝、今日は屋敷での訓練をしないためアレを起こすと言う仕事の時間を迎えます。いつも通り、数回の声かけの後、カーテンを開け窓を全開にしてアレの身体を見ないように気を付けながら掛け布団を剥がし起床させました。
未だ眠そうに瞼を擦るアレに、枕元に置いたバスローブを羽織り前を閉めてから浴室へ行くよう伝えます。いつもであれば絶対に着ようとしないアレが、今日はとても素直にバスローブを羽織り浴室へと向かいました。
「……お、おかしいですね……」
浴室に向かうアレを見送り独り言を漏らした私は、ガラス張りの窓から空をシゲシゲと眺めます。
快晴の空は清々しく、朝の清々しい空気に深呼吸をしながら槍が降る気配はありませんが……? 今日一日、十分に注意する必要がありそうですね。と考えました。
「あら、もうシュリハルト様はお目覚めに? リアさん、どうかされたのですか?」
背後から少しだけ驚いたような、困惑したようなミリス様の声が届きました。それに振りかえり、朝の挨拶を返します。
「おはようございます」
「え、えぇ、おはようございます。リアさん。そろそろしたくの時間でしょうから、朝食を済ませて着替えをと思いまして、交代いたしましょう?」
あら、もうそんな時間ですか。王宮に行かなければならないばかりに、他の皆様に負担がかかっているのではないでしょうか? それはそれで、申し訳ないですね。
そんな感情を頂きつつ、ミリス様に後を託しました。
食事を済ませ、自室で王宮に向かう為の着替えを済ませます。馬車の到着までもう少し時間に余裕がある事から、書庫へ向かいます。調べたい事は色々あるものの、ひとまずはこの世界についての地図です。どれ位の大きさの大陸なのか? どんな国があるのかなど知りたい事が沢山あります。
一階の公爵様の執務室奥にある重そうな扉を押し開ければ、紙とインクの匂いが鼻腔を擽りました。
「学校の図書室を思いだしますね……」
「あぁ、確かに……リアの言う通り、学園の書庫もこんな感じだ」
呟きのようにポロっと出た言葉に、またも背後から同意する声があがりました。アレの声に急ぎ振り返り距離を取ろうとした刹那、いつものメイド服では無い事を忘れていた私は、足で己のドレスを踏んでしまい。無様な格好のままつんのめってしまいます。
「キャッ!」
「――リア!」
咄嗟に差し出されたアレの予想がに力強い手が、前のめりに倒れかけた私の腕を掴みました。そのまま引きこまれるようにアレを巻き込みながら、その場にドサりと二人同時に倒れ込みました。
アレの腕の中に抱え込まれる形で倒れた私は、アレの体幹が意外としっかりとしている事に驚きます。
「無事か?」
抱きとめられた腕が僅かに動き、アレの気遣うような声が頭頂部より聞こえました。その声に、顔を上げます。予想より遥かに近い距離にあるアレの整った顔に、硬直し固まりました。
意外とまつ毛が長いのですね。それに、訓練を始めて数週間で、腕や胸にも筋肉が付いた? ほんのりと硬い感触にそんな事を考えました。
「リ、リア? そ、そんなに見つめられると、は、恥ずかしいのだが」
頬を赤く染めたアレが、顔を逸らしながら勘違いも甚だしい言葉を並べています。
そんなことはどうでもいい! 今気になるのは、上半身だけが鍛えられていると言う事です。このまま上半身だけを鍛えるのは愚か者のする事です。今後は、下半身の訓練を入れる必要があるでしょう。
なんてことをツラツラ考えていた私の思考を、公爵様の喜色に飛んだ声が遮りました。
「なっ! 廊下で、な、ななな、何をしているんだ? ま、まさか二人は、そういう関係に……?」
そう言う関係ってどういう関係ですか? ありえませんよ? 筋肉を確認していただけですよ?
「うっ、ち、父上!」
「……公爵様」
赤らんだ顔を見せまいとしていたアレが、裏返った声で公爵様を呼びました。上に乗っていた事を思い出した私は、落ちつき立ち上がるとその場で軽く一礼しました。
慌てて立ち上がったアレは、何故かアタフタとしています。
「そ、そう言う関係ではありませんがっ! 私としては、そう言う関係にぜひともなりたいです!」
「そっ、そうか……「お断りいたします」」
空気をぶった切って申し訳ありませんが、確実にお断りです。コレに対して私は、一切の恋愛感情を持ってませんしね?
「何故だ!」そう頭を抱え、項垂れるアレを視界の端に入れながらニヤニヤと笑う公爵様にジト目を向けます。
無いと言っているのに、何故そんなに嬉しそうに笑うんですか? ないったらないですよ! そう心の中で断言しました。
その後、書庫内の本を数冊取り出し、地図ないし国の事が書いてないかと流し読みます。個人が所有する書物としては多い方である公爵家の書庫でも地図はないようで、あるのは公爵家が納める土地に関する事や鉱石、植物、生産に関する本ばかりでした。
馬車が来たと言う知らせを受ける直前まで書庫で粘りましたが、仕方が無いと諦め次のステップに進むべく王宮行きの馬車へ乗りこみます。出来る事ならさくっと、陛下にお会いしてお願いしたいところですが……お忙しいでしょうし、宰相様あたりを捕まえてお願いすることにします。
移動中の馬車の中で、アレが頬をほんのり赤らめ何やらソワソワしつつチラチラと私の方をみています。馬車に乗る前からこれなので、気付かないフリを続けているのですが、いい加減うざったいです。あ、そうです! とても良い事を思いつきました。別に、直接陛下や宰相様に書庫の利用をお願いする必要はありませんよね?
良案に、ニンマリと微笑みを浮かべこちらへ視線を投げては外すアレに視線を向けます。
「シュリハルト様、先ほどから此方を見ておられますが、何かご用ですか?」
私の問いかけに、あからさまに肩を揺らしたアレは窓を鏡に己の髪を撫でつけ此方を見ます。
何がしたいのでしょうね? 髪はもう十分に整えられてますよ? ミリス様がしっかり朝から頑張っていたではありませんか!
「その、リアに聞きたい事があったのだが……聞いても良いだろうか?」
凄く真剣な声音なのに、ニヤけた顔……どう反応するべきですか?!
僅かに身体を引きながら「なんでしょう?」と聞き返した私に、アレの身体は前のめりになりました。
「リアは、その、どう言った男が(もにょもにょ)」
「は? 申し訳ありませんが、最後の方が聞き取れなかったです。もう一度いいですか?」
尻すぼみになる質問の声に、最後の方が聞きとれずもう一度とお願いします。ですが、アレは「いや、やはりいい」と訳が分からない言葉を告げ、会話を終わらせてしまいました。それならば、こちらのお願いを聞いて貰おうと私も動きます。
「では、私の方のお願いをひとつ聞いて頂きたいのですがよろしいでしょうか?」
引き攣らないよう微笑みを顔に載せて、アレの方を見ます。お願いと言う言葉に耳がピクっと動いたアレは私の方へ視線を向けました。
「な、なにかな? 私で叶えられることならなんでもするよ」
先ほどとは打って変わり、甘いマスクで微笑んだアレがそう言って話の続きを促します。それにひとつ頷いた私は、お願いしたい内容を告げました。
足を運んで頂きありがとうございます。