68.少女の実家
「ただいま……」
「あら、こんな時間に誰かと思えば」
「あのねお母さん……」
「言わなくても分かってるわ。イリスにも大切な人ができたのね」
「えっ? 違う違う! この人はそういうのじゃなくて」
「まぁ良いわ。二人とも上がって」
イリスの実家へと招き入れられたレン。彼にとって女の子の家にお邪魔するのはいつ以来だろうか。最近、地元で姉貴の家に晩飯を食いに行ったが、姉貴を女の子として数えるのは如何なものだろうか……
とにかく姉貴以外の女の娘の家に上がるという機会はそうそう無いので、妙な緊張感を伴う。
イリスの実家はこじんまりとした間取りで、お世辞にも裕福とは程遠いものであった。しかしどこか家庭的で、優しい雰囲気を感じさせる空間だ。
余り物なのかどうかは知らないが、母親は二人分のスープを卓上へと差し出した。ほんのりと暖かいスープは微かに湯気を立てており、長旅を終えた彼女はあっという間に啜り終わる。
遠慮しないでと彼女の母から視線を固定されるものだから、レンもスープを啜る。どこか懐かしい記憶を呼び起こす様な、野菜ベースの優しい味。イリスと母親の視線が集中するものだから、レンは急いでスープを飲み干す。
二人の器が空になると、母はようやく本題を切り出した。
「彼がここに来たってことは、それと関係がある話で戻って来たのよね?」
「いや、あのね彼、レンがこの街に来たのは偶然で…… でも関係なくもないかも」
「そう、込み入ったことは聞かないわ。結論だけ教えてちょうだいイリス。この先も空を目指し続けるの?」
ここからは暫しレンが口を挟める時間ではなさそうだ。イリスの決意をただただ黙って待つことしかできない。彼女の口が開いてから言葉が発せられるまでの刹那が永遠にも感じられる。彼女は膝の上で拳を強く締め、顔を引き締める。
「私は諦めたくない。まだ空を目指したい」
「なら、そうしなさい」
「でもお金が……」
「そうね厳しいわ。正直、今後は支援してあげられない。でも本気で夢を追うなら周りの目を無視してでも働くなり方法はあるはずよ」
彼女の堅い決意を耳にレンは一安心といったところか。
しかし現実とは無情なもので資金面の問題は残ったままだ。
母は働けば良いと簡単言い放ったものの、イリスにとってそれは容易な提案ではない。ほんの少し、周りと容姿が違うだけでイリスを働き手として受け入れてくれる場所は数を減らす。表向きは誰も差別的な発言や行動を慎ませている社会でも、結局は何かと聞こえの良い理由をつけて彼らを避けようとする。
仮に彼女の受け入れ口があったとしても人を機材の様に扱う炭鉱だの、汚れ仕事だの、それこそ体を売るぐらいしか道は無い。それは母だって知っている筈なのに、この提案はあまりにも酷なものである。
ならば発想の転換をしてみてはどうだろうかと、母がこんな事を言い始めた。
「それこそ彼のお嫁さんに行く、というのも一つの方法かもね」
「えぇぇっ? 俺の嫁に」
「嫌なの?」
「いえいえ、そういう話じゃなくて」
頬杖をついた母の不敵な笑みがレンへと向けられる。想像の斜め上をいく提案をあまりにも突然投げられたものだから彼もあたふたしてしまう。そんな少年を揶揄うように眺めながら、冗談だとフォローを差し伸べる母。
別に私はあなたの夢を止めるつもりはない、しかし金銭面でのサポートはもう出来ない。それだけは覚えておいて欲しい。母親の出した結論にイリスは静かに頷く。
「さて、都からの長旅に疲れたでしょ? 今日はもう寝なさい」
「えっでもお母さん、まだ話したいことがたくさん――」
「疲れたまま無理するとお肌に良くないわよ。お母さんみたいな美人さんになれないわよ」
そう言うと母は自分の頬を指で押し、肌が柔らかく指を跳ね返す様を見せる。以前イリスが自慢げに母は美人だと言っていたが、これには初対面のレンも頷ける。彼女はそそくさと自分の部屋へと去っていった。




