61.少年は引き止めず
「酷い話でしょ? ほんと私って惨めな生き物よね」
「なぁイリス。頼むからそんな事言うなよ。自分が惨めな存在とか、お前の口からそんなことは聞きたくない――」
「だって私は混血種なのよ。いくら頑張ったってこの種に生まれた事実は変えられない。今までも、これからもそういう目に晒されながら生きていくしかないの……」
長い過去話にピリオドを打った彼女は、自分の今までを振り返ると同時に自分という存在の惨めさを改めて思い知った。レンには感傷的になるなと言われるが、惨めな存在であるという点を否定して貰えたようには感じられなかった。努力によって人生の向きを無理矢理にでも捻じ曲げる事ができる者は極僅か。大抵は彼女のように生まれた時で行先を決められてしまっている。自分というレールの先に待ち構える結末。飛空士科に入ってから、やってきたことも結局は同じ結末に繋がっているのだろうか。
雷こそ聞こえなくなったが、依然として雨粒を振り落とす空。まだ校舎を出るのは早そうだ。重く湿った空気と近づいてきた明け方の冷え込みも相まって、窓は結露し外の景色を覆い隠す。
「なんの解決にもならないかもしれない。でもイリス、もう少しだけ聞かせてくれないか? どうしてこの学園に来たのか。何故チームメイトとして俺を最初に選んだのか」
「いいわ。ここまで話したんだから、全部話すわ。でも、また少し長くなるわよ」
――私はあれ以来、地元の学校には通わなくなった。そこへ近づけば何かを得るどころか、自分を失ってしまうから。母も理解を示してくれて、今までと変わらず私に優しく接してくれた。もう信頼できる相手は母しかいない。一時は反抗的にもなっていたけど、すっかり幼児退行するかの様に母親に頼りっきりとなっていた。
でもいつまでも甘えてはいられない。またいつか外の世界へ出なければいけない。そんな私に、母は空の世界を目指す事を勧めてくれた。私は母親の言う事であれば何でも受け入れていたから、なんの疑問も抱かず飛空士科を目指すとになったの。学業には覚えがあったから、入学するのはそれほど難しくは無かった。
今になって考えてみると、母はよく考えていたんだなって思う。混血種という身形である以上、どこへ行ってもそれが足枷となる。しかし、全てが実力次第の空なら話は違う。ヒューマン族だろうかエルフ族だろうが、どちらともいえない者だろうと実力がある者が強者である。如何なる条件をも覆し、功績を認められる。
母は秘められているかも知れない私の才能に賭けたのかもね。
もし本当に母親が賭けていたのだとすると、その賭けは勝ちだったかもしれない。入学後の能力判定ではB判定と優秀な結果に。でも一人では空を目指すことは叶わない。
人に対する恐怖心はまだまだ拭いきれていなくて、それがその後も仇となった。また自分という存在を否定されるのが怖くて、誰にも声を掛けられない。そんな日々が続いて、気づいてみればチームメイトを組む相手すらいなかった。そう、あの時の私と同じ。クラスで孤立していた頃の私とね。
親元を離れて空の世界を目指すときに、自分なりに目的を定めたの。今まで自分を虐げてきた田舎者達を見返したい。そして、母に立派な姿を見せて安心させたいと。
でも、今のままではそれは絵空事に終わってしまう。それからずっと悩みに悩んで、自分の弱さと戦って。そんな時、私と同じく組む相手がいなかったレンを見つけた。声を掛けるまで、また時間が掛かって影から様子を窺う事しかできなかった。でも、あの時、レンの方から私に話し掛けてきてくれた。それで全て吹っ切れた。案外言葉を交わしれみると、私もまだまだやっていけるなって思った。
もしあの時の相手がレンじゃなかったら無理だったかも。それこそジークとかが相手だったら平謝りして、多分逃げ出してた。だからね、最初のチームメイトがレンフォード、あなたで本当に良かった。
「それは何だ…… 俺は感謝されているって事か」
「してるわよ。今まで素直にそういう気持ち、伝えられなかったけど。今もこんな私の話に耳を傾けてくれてるし。ありがとう」
イリスはここに至るまでの軌跡を全て語り終えたのか、満足げな顔で口を閉じた。彼女の過去を知り過ぎた彼には言いたいことが山ほどあったが、一つだけを選んで話題にあげる。
「殺していいか? イリスを虐げた奴。仮に一生牢に入ることになっても、俺がその場にいたらそいつを殺せると思う。お前をあれだけ苦しめておきながら、本人はそれを糧に周りから賞賛される――」
「あなた良い所の育ちのくせに怖い事言うのね。私も思うわよ、そいつは本当に身勝手な奴」
彼女は先日地元に帰省した際に母から聞いた話によれば、彼女を追いこんだ張本人は何一つ不自由せず地元で好き勝手生きていると。今でも彼の家庭は財力に物を言わせて、悪事をはたらいたとしても誰一人として手出しができないと。その話を聞いて彼女は思ったのだという。
「確信したの。どんなに悪事を働いても神様のさじ加減で悪ではないと見なされたなら、決してその人に罰が与えられることは無いんだと。悪事を働いたら相応の報いを受けるべきである。そうでないと被害者は割に合わないから、そうであってほしいと勝手に信じ込んでいるだけ」
「それは……」
「彼は裕福な家庭に生まれ、私はこんな身形で生まれてきた。生まれた時に足を落としていた土台はそう簡単には揺るがない。誰の元に生まれるかによって、人生なんて大半が決まってしまう。私は運が悪かったんだなって」
「イリス……」
自分の考え、そして思いが止めどなく溢れるイリス。彼女にレンは返す言葉を見つけられなかった。
彼は彼女の言葉を胸に、今までの人生を思い返す。ここまで大きな苦労もせずやれてこれたのは、自分の力でも何でもなく、本当に運が良かっただけなのかもしれない。力の無い自分が未だに空の学び舎に居られるのは、運が味方しての事。イリスの言葉を否定しようと探っていたにもかかわらず、十分な根拠が揃わない。レンは無性に自分の浅い人生を情けなく感じてしまった。
「でも、こんな私にも一つだけ運が良かったことがあるの」
「俺と出会えたことか?」
「なに気取ってるの。まぁ、それも否定はしないけど。こんな身形でもね、お母さんの元に生まれてこられたことは全く後悔していない。それだけは本当、幸運だったと思う」
イリスはもう一つばかり話をしていいかとレンに問う。彼が頷くと彼女は重い話だけど、と忠告して口を開く。彼女が唐突に持ちだし始めた話題は、この世界で混血種の割合が極端に少ないのは何故かというものだった。
いくら他種族間による交配で宿しにくいとは言え、この世の人口比はヒューマン族とエルフ族の男女でほぼ均衡している。であればもっと自分の様な者が生まれている筈だと。それこそ種族関係無しに体を差し出している娼婦の数を考えれば、世に居る混血種の少なさは不自然だと。
もう既にこの先で語られる内容に嫌な予感しか感じない。それでも、レンは話の続きに耳を傾ける。
「私みたいな子はね、普通は捨てられるの。産み落とされて間もなく森に置き去りにするなり川に投げられるなりして居なかったことにされるの。父親が誰かも分からない子を育てるほど、生みの親に余裕は無い。それに混血種が外に出たところでその子は不幸せな思いをして一生を終えることになるから―― でも私は今こうやって生きてる。だからね、私はお母さんの元に生まれてきて運が良かったなって」
嫌な話を耳にしてしまったレンは返す言葉に詰まる。気を紛らわそうと結露した窓を拭い外を窺う。
窓の外では雨音が止み、空が少し明るくなり始めていた。もう多くの言葉を交わすような時間はなさそうだ。最後にレンはどうしてもイリスにもう一度聞いておかなければならない。
「本当にチームを去るのか? お前はそれでいいのか?」
「本当はね去りたくない、空を目指すことを諦めたくない。でも皆には酷い態度を取ったし、もう信頼も失った。ごめんなさい、上手く言葉にできないんだけど、まだ心の整理が付いてないみたい。少し考えさせて……」
何時までとは明言しなかったが暫く学園は休んで地元に帰る。もしかしたら二度と戻ってくることは無いかもしれない。それが彼女の決めたこの先の道であり、それを妨げる権利など自分には無いとレンは承知していた。
そして彼女はチーム部屋を去る為、荷物を抱えレンに背を向けると後の事を託す。もうチームメイトでは無いけどあの子達の事をフォローしてあげて欲しいと。
陽が完全に昇った後、彼女は地元への片道切符一人分を手に中央都市から姿を消した。




