60.混血種の娘(3)
ある年の雨期に事件は起こった。
近隣地域で原因不明の疫病が猛威を振るっていたのだが、とうとうイリスの住む街にも流行が拡大しはじめた。河川か、下水か、鼠か、食肉か、性交渉、はたまた悪魔の仕業か。人々は見えない感染源に怯えた。伝染病はヒューマン族にのみ感染し、死者は日に日に増えていった。
流行が収まるまでの間にイリスのクラスメイトも数人姿を消した。
「娼婦の彼女が他所の街から病を持ち込んで、クラスにばら撒いたんだ」
イリスが混血種であるのを良いことに、何かにつけて彼女を虐げていたリーダー格の男子。この状況を絶好の機会だとばかりに、再び彼女を貶める様な言葉を発した。やがて、彼が再び冗談で放った噂は一人歩きを始めた。
疫病に怯えていた者達は、真偽問わず感染源を避けたかった。噂を鵜呑みにした者達は、原因が目に見える一人の少女と分かった瞬間、イリスを恐れ無きものとして扱うようになる。
自分の言動ひとつでクラスが、学年が大きく揺らぐ。リーダー格の男子にとってはそれが名状しがたい快感であったに違いない。
疫病が収集し脅威が収まったある日。この日を最後に、イリスは学びの場へと顔を出さなくなった。
何も反発せず、ひたすら耐え続けていた彼女は男子の格好の的となっていた。金の力に物を言わせ学校でそして、地元で踏ん反りかえっていたリーダー格の男子。地元で有力な彼に歯向かう者は誰一人としていなかった。
自分の発言がきっかけで皆が笑うし、賛同もしてくれる。彼女に酷い言葉を浴びせる度に周りの男子はもっとやれと盛り上がる。見世物として周りが盛り上がってくれるなら、彼女一人の犠牲など安いものであったようだ。
リーダー格の男子の行いは、止まることなくさらに過熱していく。
この日彼は、女子を含めクラスメイト全員がいる場でイリスに対し『肉便器』『雌穴』だのなんだのと公の場に相応しくない言葉を浴びせていた。
長らく彼からの、そして周りからの仕打ちに黙って堪えていた彼女も、ついにこの日限界を迎えた。彼女は立ち上がるなり、目一杯の脚力で彼を蹴りを飛ばした。
クラスの人気者である自分に対しこの仕打ち。鳩尾を抱えながら怒り狂った彼は、男子数人に命じて彼女を羽交い絞めにして捕えさせた。筋力に勝る男、それも数人がかりで抑え込まれたイリスは抵抗もできず、体の自由を奪われる。
「この僕に、この僕に蹴るなんて。皆見てたよな? 先に手を出したのは混血種のクソ尼だ」
「やめて! なにするの――」
「本来だったら、この場で辱めを受けさせるところだが、そんな事したら僕が犯罪者になっちゃう。でもこれなら、怪我を負わせるわけでも無いから問題ないよな?」
彼は鋭く光るハサミを取り出した。彼女に見せつけるように目の前で閉じたり、開いたりを数回繰り返すと、刃先は彼女の頭髪を捕えた。
しっかりと彼女にその光景が映る様に、長髪を目の前に引きずり出しゆっくりとハサミを入れていく。
イリスをここまで至らしめた容姿である耳が露出する程に断髪されると、男子たちは彼女を解放。それと同時に彼女は自らの断髪された金髪が散乱した床に崩れ落ちた。床に頭を付けた彼女は人目もくれず泣き喚いた。その光景を見ものにしていた生徒達がやがて教室から居なくなってもなお、彼女は涙を流し続けた。
それ以後、彼女が中等科に戻ってくることは二度と無かった。
自宅に戻った彼女は泣き喚いて腫れあがった顔と、無残に刻まれた髪を鏡に映していた。胸下まであった立派なブロンドの髪は左右不均等に途絶え、中途半端に尖った耳を露出させるに至っていた。全ての元凶となった自分の耳を指先でなぞりながら彼女はこう思う
――こんな耳さえ無ければ、私は普通に生きていけたのに。
日も暮れかけ薄暗い台所に立った彼女は何に使うのか、小さな鍋で湯を煮沸させていた。なべ底から大粒の泡が湧き出てくると、ナイフの刃先を熱湯に漬ける。湯からナイフを引き上げると、彼女は再び鏡と向かい合った。
――こんな物さえなければ
食肉の骨をも断ち切る鋭い刃先が、彼女の耳を断ち切る事など容易であった筈だ。しかし刃先は震えるばかりで、忌まわしいそれを断ち切るに至らない。
そんな刹那、帰宅してきた母はその光景を目に彼女へ抱いて泣きついた。母が発した言葉はたった三つ。
「ごめんなさい。ごめんなさい。あなたにこんなに辛い思いをさせて……」
それ以上、母親が彼女に言葉を与えることはなかった。ただただ強く抱きしめ涙を流す。イリスの手からナイフが滑り落ちると、二人は抱き合って泣き続けた。




