48.ようこそ魔界宿舎へ
試験を無事終えた者にのみ与えられる暫しの骨休みであるショートバカンス。その数日間を地元で過ごし、休暇も残すところあと一日となったレン。引き出せるだけ引き出した金を手に、彼には訪れなければならない場所があった。
『また顔を出すと』言い残してから、暫く経ってしまったが魔力炉を売ってもらった整備士の元へと向かう。試験前はなりふり構っていられず、借金を抱えてまで替えの魔力炉を手に入れたが、今となってはそれが重く圧し掛かる。いくら学生とて金の絡む話なのだから責務は果たさなければならない。手元の金でどれだけ返済できるのか不安に駆られつつ、約束の場所へと戻ってきた。
表通りに面した事務所へ足を踏み入れ、ベルを鳴らすも応える気配は無い。代わりに『用事のある方は整備場まで』と書かれた札が掲げられていた。
指示通り整備場に足を運んでみればそこは薄暗く、油臭く、足元は砂ぼこりで覆われている。さらに見渡せば整備中の機体がジャッキアップされていたり、廃棄予定のガラクタが積み込まれた木箱が置かれていたり、油にまみれ真っ黒になった手袋が落ちていたり……
女性お断りとでも言いたげな小汚い空間。しかし男心には何かを期待させる雰囲気を醸し出している。彼にとってもこの場は不思議と居心地が良いようだ。
さて、いつまでもこの雰囲気に浸っている場合ではない。
声をあげ店主である整備士を呼ぶと、どこからか返答が返ってきた。お取込み中の店主は機体に体をねじ込ませ、整備に明け暮れている。ここだここだ、と声の発せられる方へとレンが近づくと、手を貸してくれと頼まれる。隙間から手を差し伸べ一言。
「工具を取ってくれ」
レンは言われるがままに工具を差し出す。工具を受け取った手が再び機体の隙間へと姿を消すと、用件を聞かれた。
「以前ここの整備場で魔力炉を譲ってもらった飛空士科の学生です。その時の借りを返しにきました」
「あの時の学生か。覚えてるぞ、少し待ってろ……」
店主はようやく一仕事片付けると、機体の隙間から体を捻じり出し姿を現す。顔にはべったりと黒い油汚れが。汚れた作業着と相まって様になっている。
レンが返すべきものを差し出すと、店主は手袋を脱ぎ捨て数え始める。
「残念だけど足りねえな」
「そうですか…… なら、返済できるまで待っていただく――」
「まぁそれもそうなんだが。まずは報告することがあるんじゃねえか?」
店主は返済金額よりも何よりも、先ずは聞かせてくれとレンの言葉を待つ。レンも報告すべきことが何であるかなど察している。無事試験を終え、今でも空を目指し続けているという旨を店主に伝えた。
「そうか、良かった。あんだけ上玉な魔力炉を取り付けたんだ、そうでなくちゃな」
「おかげさまで何とか乗りきれました。爺さんにもよろしく言っといてください」
先の試験では実質最下位といえるような順位であったが、そんな事はどうでもいい。試験に勝ち抜いたことに違いは無いのだから。魔力炉を譲ってくれたベテラン飛空士の老人も含め手助けがあったからこそ、今の自分たちは空に居られる。レンはこの整備場での出会いに感謝せずにはいられなかった。
店主は良い知らせを耳に満足げな表情で首を縦に振りレンの報告を聞き届けた。さて、気持ち切り替えここからが本題だ。
「で、どうする?」
「どうしましょう……」
学生の買い物にしては高価すぎた魔力炉という代物。持ち寄れる限りの資金をもってしても金額が足りないという無情な現実。こうなれば手は一つしかない。
「俺が、可能な限り整備場の手伝いをするというのは……?」
「そうだな、それ以外に選ぶ道は無いだろう。もちろん金の問題もそうなんだけどな、空を目指すお前さんにはこの場はもってこいだと思うんだ。なにせ、此処で手伝いをやっていれば嫌でもメカニカル方面の知識が身につく。いい機会じゃないか?」
まさしく店主の言う通りである。学生とはいえ自分たちの機体は自分たちで維持しろ、それが飛空士科の原則である。チームで一人はハード面に強い人員がいないと、やっていけない。
それならば店主に弟子入りするつもりで、借りを返しながら学ぶのも悪くないだろう。結論は出た。
「そうだ。もう一つ、お前さんに提案があるんだが」
「提案?」
「お前さんにタダで宿舎を提供できるアテがあるんだが――」
「タダで!?」
タダ住まいが出来るという話に、店主の言葉を遮ってでもレンは反応せざる得なかった。貸家の賃料だけでも彼の生活を大いに圧迫させている現状、こんなにもおいしい話はない。ところが、提案を持ちかけてきた店主の顔はいまいち晴れ切っておらず、何か後ろめたさのようなものを滲ませる。
「賃料はいらない、この点に偽りは無い。ただし、ちょっとばかり訳ありでな」
やはり普通の物件では無いようだ。怪奇現象が絶えないとかそういった類の物件かと身構えるレン。しかし、そういうった霊障は一切無いと店主は言い切る。では何が問題なのか。
見に行った方が早いということで、店主に連れられその宿舎へと足を運んだ。はて、何処が問題物件なのだろうか。目に映るのは変哲も無い集合住宅である。隣の建物と僅かな隙間しか残さず隣接していて、日当たりが悪そうな事以外は不安な要素は見当たらない。しかし、玄関へ足を踏み入れた途端、速やかに前言を撤回することとなった。
「なかなかに汚い場所だろ?」
「女の子にはとても紹介できないっすね。人によっては男でも嫌がる様な空間というか……」
「お前さん、潔癖症の類とかそういうのは大丈夫か?」
「この程度だったらなんとか……」
共同部分である廊下には空の酒瓶が放置され、コバエと思しき羽虫が飲み口付近を彷徨う。紐によって橋渡しされた廊下の天井には、臭そうな男の下着が所狭しと干されている。
この物件にいくら払うかと言われたら、あまり金を積みたくないと思わせるだけの後継が広がる。
店主の話に耳を傾ければ、この宿舎は例の老人がオーナーだという。レンと空を共にした爺さんが運営しており、ある層の人間に対して貸し出しているのだという。
「この宿舎にタダで住むには、野郎の飛空士ってのが条件なんだ」
女子禁制――もっとも禁止せずとも誰も近寄らないとは思うが、空の男達が住まう場所なのだとか。
一般的に飛空士といえば憧れの職であり、エリートな存在である。運良く後世に名を残すような功績を残せれば一生遊んで暮らせるような大金が。それこそ浮遊島へ到達などしようものなら貴族の定義に当てはまるほどの褒賞金が与えられる。そんなこともあってか、一攫千金を夢見て空の世界へ飛び込む者も少なくない。
さて、この宿舎に集まる先輩飛空士達はどのような者たちなのだろうか。
残念ながら、一文無しに住める場所ともなれば、飛空士と言えろくな大人が集まらない。エリートと呼ぶには程遠い飛空士界隈の問題児たちが寄ってたかる。
稼ぎを根こそぎギャンブルに突っ込んでは養分にされている奴。酒狂い、女遊びが過ぎ金のない奴。トラブル起こして謹慎処分中で空に上がれない奴。極めつけは要人に拳を浴びせ多額の治療費を請求された輩。店主はろくでもない住人の住まう宿舎を『魔界宿舎』と呼んでいるとか、いないとか……
聞けば聞くほど此処に住まう事によって、自分という人間が曲げられるのではないかと不安になるレン。
「その、なんだ。若くて未来のあるお前さんは、ここにいるような飛空士にはならない様に。反面教師として学ぶって心意気でどうだ?」
「どうだと言われても…… とは言え賃料タダは捨てがたいし、学園からも離れていない……」
店主とレンが廊下で立ち話を続けていると突然、背後の扉が開いた。力余って壁にぶつかる程の勢いだ。思わずレンは飛び上がり、後ろを振り向こうとすると怒号が襲う。
「うるせえぞ! 寝れないじゃないか! 俺は今夜大事な、一儲けできる仕事があるんだ。口縫い合わすぞ!」
魔界宿舎の原住民は余所者にさぞ怒り心頭のご様子。今夜は大事な仕事を控えている、という割には顔を真っ赤にして、体調が芳しくなさそうだ。例にもよって昼間から酒臭い住人は女性が近づかないのを良いことに、タンクトップ一枚のみを身に纏っている。
原住民は暫く店主とレンの姿を窺った後、状況を理解できたのか、突然上機嫌になり彼へと近寄る。
「こいつの制服を見て分かると思うが飛空士科の学生でな。爺さんのお気に入りだ。お手柔らかにしてやってくれ」
既に入居が決まったような流れにレンはハっとする。
「そうか、あのくたばり損ないのジジイが見出した奴か。いいだろう。青臭い若者は俺たちが油臭くて黒ずんだ男にしてやるよ!」
そう言うと原住民はレンの肩に腕を乗せ、歓迎の意を表す。どうやら退路は断たれたようだ。レンも顔を引きつらせながら、どうぞお手柔らかにと新入りなりの決意を伝えた。
「小汚いが、ここは空の男だけが集まる場所だ。他人の目を気にせず暮らしてくれ。空の事も、汚い金の稼ぎ方も、酒も、女の抱き方も俺に聞け」
整備場の店主はタンクトップ姿の住人へ、学生相手にハメ外す様な事を教えるなと咎め宿舎を去って行った。あとは彼自身でなんとか生き延びていく他にない。この調子だと学外でも心が休まる暇はなさそうだ。
その夜、新入居者歓迎会と題した宴が開かれ、レンは翌朝まで金と拳とセックスの極意について特別講義を受けたという。




