46.空を目指す理由
――自分の過去を洗いざらい語ったエイル。彼女の長い昔語りが終わる頃には日暮れを迎えていた。
窓から差し込む夕日が部屋に舞う塵を映し出し、照らされたオブジェは長い影を伸ばす。
エイルは今ここに至るまでの全てを口にし終え、隣に座るレンへと視線を向ける。しかし彼は表情を固めたまま言葉を失い、直ぐに彼女へ声をかけることができなかった。彼が彼女の視線に気づいていなかったわけではない。
当然、彼だって口を開かなければいけない状況だと理解していた。
酷い?可哀そう?許せない?
多くの感情が押し固まり、彼自身も自分の気持ちを理解できていない。
ここまで彼女が経験してきた事を想像するだけで胸が苦しくなる。彼女が受けてきた苦痛な思い、そして今も続く妹からの仕打ち。
彼は再び心の中に誓う。自分たちの力で彼女を護る。正直今の彼女は優秀な飛空士になれるどころか、学園を卒業できるかも怪しい。間違いなく険しい道のりが待っている。そう、彼女一人なら。
しかし彼女は四人で夢へ挑んでいる。
いくらでも迷惑を掛けていい。そうだ、いいんだ、できない事は俺でもイリスでもカティアにでも押し付ければ。足も引っ張れ、もっと引っ張れ。それでいいんだ。だから一人で抱え込むな。
レンはいつの日かエイルと交わした言葉を思い返していた。
「エイル、お前強いんだな。凄いよ。良くここまでやって来れた。どんな仕打ちを受けても涙一つ流さないで…… でも俺やイリスやカティアの前でなら弱さだって見せていいんだから」
「ルーは強くないよ? チームの皆に迷惑かけてるし、街で変な人に掴まった時も一人じゃ倒せなかった」
「いやいや、あんな大男二人相手じゃ俺でも一人じゃ倒せないから。こんな重い話の後に場違いなアドバイスだけど、男から逃げたいときは玉を潰すといいぞ」
「たま?」
「あぁ、男の急所だ」
「……」
これは失言だ。場違いな話題を振ってしまった後、レンは内心で後悔する。もっとも箱に閉じ込められ育ってきたエイルにとって、そっち方面の話題はさっぱり通じていないようではある。
それはさておき、エイルは見かけに寄らず本当に強い心の持ち主だ。
『面倒くさい』という口癖はともかく、今まで彼女から辛いという話など一度も聞いたことが無い。しかし明らかに抱えている事情は並々ならないものであり、辛くないはずが無い。
硬質な物は強さの反面、ある程度以上の力に対しては脆さを示し、一気に壊れてしまう。彼女もまた内心に隠れた脆さがあるのではないかと、レンを不安にさせる。
エイルは視線をレンへと向けると、語り出す。
「ルー、最初はアインに言われるがまま飛空士科に入学した。でも今は目標が見つかった」
「目標?」
彼女の目標それは、お世話になっているメイドに少しでも立派になった姿を見せたい。
そして家の名を捨ててでも、自分という一人の人間として生きていきたい。
単純明快でありふれた目標ながら、エイルの短い言葉はレンの心を多少なりとも動かした。今まで一度も自分の将来像について口を開いたことの無かった彼女から、初めて耳にした言葉だったので余計に印象深かったのかもしれない。
「なぁ、エイル。話を始める前に『俺の父とエイルの父は似てる』みたいな事を言ってたよな」
「言ったよ」
「それは少し違うと思う。確かに、俺と同じでエイルの父は凄い実力の持ち主だった。世界は違えど実績を残している」
「うん」
「でもエイルは父親の事を尊敬しているか? お父さんの事を好きって胸張って言えるか?」
「わかんない……」
「そうか。 ……ごめん。なんでもない」
レンの問いにエイルは明確な答えを見つけられず、視線を下ろす。
レンの父もエイルの父も空と実業、世界は違えど成功を収めた人だ。その事実に間違いはない。しかし、子と父という関係で見た時に同じと言えるのだろうか。彼女の父は彼女の事をどれ程大切に思っていたのだろうか。他所の事情に深入りすべきではないと分かってはいても、彼女たちの関係がレンの腑に落ちることは無かった。
エイルが言葉を絶やしてから、二人の会話は止まってしまった。一度漂ってしまった重い雰囲気の中、次に彼女へかけるべき言葉は何か。気づけば、窓から差し込んだ夕陽によって作り出された影は先程よりも長さを増していた。なんでも良いから話題を振ろう。
「家業で製粉所をやってるんだよな。エイルが常時持ち歩いてるあのスパイス。あれが家業だったとはな……」
「当家自慢の調合。らしい」
「ほう」
「小さい頃から口にしてきたから慣れてる」
「そうか、それで平気でアレを口にできるのか。鍛えられてるんだな」
さっきから何を聞いているんだ。ちぐはぐと連続性の無い話題しか出てこない自分が情けない。どんな話題にも律儀に答えるエイルに申し訳が立たない。
今出すべきなのは、こんな話題ではない。もっとなにか、彼女に掛けるべき言葉があるだろと。レンは立ち上がるとエイルに背を向け、窓を閉めもう一度口を開く。
「エイルにも目標があって空を目指すように、俺にも目標というか目的みたいなものはあるんだ」
「目的?」
「とても人に誇れるような事じゃないし、それを言ったら鼻で笑われるかもしれない」
恐らく他人に公言する事はないであろう、彼が空を目指し続ける意味。そんな彼だけの内に秘めた目標とは別に、もう一つ理由を彼は見つけた。
「でも、それとは別に誰にでも言えるような目標を一つ追加しようと思う。エイル、お前の為に空を目指す。俺みたいな出来損ないでもよければ、ついてきて欲しい」
「わぅ…… レン恰好――悪い」
「なぬっ…… この流れでその意見は大ダメージだぞ。でも、俺はこの目標だけは曲げる気はない。エイル、これからも一緒に空を目指そう」
「うん。レン、頼りにしてる。ルーはこれからも一番後ろで寝てるね」
「まてまて、それは許可できない」
「残念…… でも、嬉しい」
普段よりも少し変わった表情。彼女なりに表現できる笑みを浮かべ背を向けるレンを見つめた。背を向けていた彼も窓越しに反射した彼女の表情を目にした。
目立ちたがり屋な星が薄っすらと浮かび始めた宙を遮る様にカーテンを閉め、二人は父親の部屋を後にした。




