44.五番目の娘(1)
エイルシファー。
彼女はとある名家の娘で、六人兄弟の五番目として生まれた。五人目と六人目の姉妹は双子であったが、今になってみれば、末っ子として六番目に生まれてこなかったのが彼女を苦しめる要因になったのかもしれない。
立派な家柄ともなれば姉と妹といったような順位付けは重要な意味を持つ。上の子から順に財産なり権利だの継ぐべきものが継がれていくのだから。
エイルシファーの生い立ちを追う前に、彼女の家柄について知っておく必要がある。
今でこそ中央都市と呼ばれ都を構えるこの地がまだ、ありふれた一つの小さな街に過ぎなかった時代。彼女の父親はこの地で製粉所を興した。香辛料などを扱う街の小さな製粉所であった。
若いながらも優秀な実業家であった父親は、瞬く間に地元の市場を席巻し事業を拡大。次は不動産業で一山当てると意気込んでいた折。国の一大事につき都がこの地に移されることとなった。彼が地元で数多くの土地を買い漁っていたのが吉と出た。いよいよこの街が都として、中央都市として歩み始めると、彼の保有する土地は高騰し資産は更に膨らむ。気付けば、貴族とまではいかないにしろ名家の一つとして数えられる地位まで一代で上り詰めた。
自らの事業を子供に継がせる気でいた彼は子供たちの教育にも熱心であった。学校での教育以外にも専属の講師を豪邸へと常駐させ子供たちに教育を施した。教育は学問だけに留まらず、運動、マナー、炊事、護身術に至まで非常に多岐。一男、次男、三女、四男、六女と申し分なくこなす様に満足する一方で、父親を苛立たせたのは五女のエイルシファーであった。彼女は他兄弟と同じ腹から生まれてきたとは思えないほど、不出来だったのだ。
何をやらせても鈍臭く、ドジを踏む。手伝いを任せようものなら、余計に手間を増やされる。誰を見て育ったのか、面倒くさがりで何事も直に諦め投げ出す。優秀であるか否か以前に、彼女の行動や性格には欠陥があるのではないか。父親の疑念は日々膨らみ、やがて確信へと変わっていくのであった。やがて、父親のみならず母親までもが彼女に愛想を尽くした。もはや彼女が失敗しようが何しようが、誰も咎めないしアドバイスも与えない。それは彼女に対して一切の期待を捨てた事に他ならない。
ある日の事。父親は教育方針を見直し、外の学校へと子供たちを通わせる決断をした。学問的に得るようなものは少ないだろう。しかし、将来自分の事業を継いでいく者達に、一般人的な庶民とはどういうものなのか。そういった事を肌で感じ、将来の糧にしてほしい。家族全員が集まった食事の場で父は子供たちに通達した。
双子の五女と六女が学校への通学を認められる歳になった頃。二人の正確には六女の誕生日を祝おうとパーティーのような催しが開かれていた。将来我が子が自分と同様、優れた人材になってほしいと願う父に。彼にとっては、娘が公的な学校へ入学するというのは記念すべきイベントだと考えていた。
「我が娘よ。これからは邸宅の講師の教育のみならず、街の学校で学ぶことになる。様々な階級の人間が入り混じる学校という機関は学びも秩序も高いとは言えない場所だ。しかし、その中においても我が事業の客となっている庶民がどのような連中なのかを学ぶこと。端的に言えば人間観察だ。これは商売をするうえで重要な事だ、心して取り組むんだぞ」
外で学ぶことの重要性を説く父親は五女の方だけを向き、言葉を与えた。最後に、エイルシファーの方へと顔を向けると一言だけ言い放った。
「伝え忘れたがエイルシファー、お前は行かなくていい」
「んっ…… お父さん、なんで?」
自分は行かなくて良いと言われたエイルシファーがその理由を尋ねると、父の代わりに母が口を開く。
「学校に行くという事は家の名を背負うことなのです。あなたみたいな子に当家の名を背負わせる訳にはいきません。運動も勉強もましてや簡単な事を指示されても熟せないような者を表に出したくはないんです」
もっとも、当時の彼女は母の言葉の意味など大して気にもかけていなかった。その言葉の真意を知ったのはずっと先のことであった。両親は愛想が尽きたところで、彼女専用のメイドを雇い入れ全ての世話を投げた。
「初めましてエイルシファー様。今日から貴女の専属メイドとして招き入れられました、アインと申します。どうぞ何でもお申し付けください」
「なんでも…… 料理も作れる? 掃除も? 勉強も教えてくれる?」
「はい。貴女が望むのであれば、法に触れない限りどんなことでもお手伝いします」
住み込みで働き始めたメイドはエイルシファーの手伝いを何でも熟した。面倒くさがりな少女の性格上、なんでもかんでも身の回りの事をメイドにやらせていた。しかし、長いこと時を共にしていく間に、エイルシファーにも変化が現れた。次第に彼女はアインに頼らなくとも出来ることを少しずつ増やしていっただ。本当に少しずつ……
気付けばエイルシファーは同じ家族でありながら、他の者からは隔離された一角へと追いやられていた。親が呼びつけたとき以外は、家族のスペースに入ることすら許されなくなっていたのだ。
家族からも見放され、他所の学校に通うことも許されなかった彼女にとって、人間関係といえばアインだけであった。少女にとってメイドは必然的に信頼を寄せられる相手となっていく。
一方でエイルシファーにとって唯一の妹である、六女との摩擦が生じ始めたのは家族から隔離された頃だった。妹の怒りがエイルシファーに向くのは無理も無い。まだ第一線で健在とはいえ父親の抱える資産、事業権は兄弟順に与えられる。この国ではどこの家庭でもそれが当然であり、例外など耳聞いたことが無い。子供たちにどんな優劣の差があれど、この決まりだけは変えられない。そうなった時に割を食うのは末っ子の六女に他ならない。不運にも不出来な姉が最後に残り汁を吸い上げ、末っ子の彼女には殆ど残る物が無かったのだ。
そんな二人の仲を象徴するような出来事があった。
ある寒い日の夜。邸宅では年に一度寒さが肌に染みる雨期になると、家族全員で集まり豪華なパーティーを催すのが恒例行事となっていた。この日ばかりは両親も久しく突き放していたエイルシファーを招き入れるつもりでいたようだ。パーティーの準備が整ったところで、父親は六女に姉を呼んでくるように言い付けた。しかしその日、父親の前にエイルシファーが現れることは無かった。
「お父様、姉を呼びに行ったのですが気分が優れないようで、寝込んでおりました。なので大事を取って休んでもらっています」
「そうか。なら仕方ないな。では今年も宴を始めよう」
父親に姉が顔を出せない旨を伝えた後、妹は一人不敵な笑みを浮かべていた。顔を出せないのではない、出させない様に仕向けたのだから。姉を欺いた時の事を思い出すだけで、彼女は笑わずにはいられなかった。
「お久しぶり姉さん。お元気で?」
「うん。元気……かな?」
「お父様から伝言を預かってきましたの」
「なになに? そういえば今日はパーティーの日――」
「裏庭が荒れていて見苦しいから、雑草抜きをしなさいとの事よ」
「えっなんで? ルーだけ?」
「そうよ。これはお父様から直々のお願い事、これは重要な役割ですよ。さぁお父様の為にも早く取り掛かってください」
妹はそう言い残し、姉に手袋を手渡すと部屋を去って行った。
それからエイルシファーは陽が暮れ肌寒い裏庭で一人草を毟り続けた。邸宅の中からは暖かみのある光と、歓談に勤しむ家族の声が漏れる。時々光の漏れる窓を見上げならも彼女は言われた通りに雑草を抜き続けた。
そんな彼女を二階の窓から見下ろしていた妹にとってその光景は面白くなかった。弱音を吐くわけでも無く、平然と惨めな姿を晒す姉。心をズタズタに引き裂いてやりたい。
妹は窓際まで液体の入った壺を持ち寄り、窓から上半身を乗り出すと壺の中身を、外にぶちまけた。姉の頭上で放たれた壺の中身は、程なくして彼女の髪を濡らした。寒空の下、突然濡らされた彼女の頭髪からは少しばかり湯気が立っていた。エイルシファーの頭上から放たれたものは花瓶の水なんかではなく、直前に妹が壺に放尿したモノだったのだ。
茫然と頭上を見上げる姉を目に、気が済んだ妹は窓とカーテンを閉め宴の場へと戻って行った。




