31.終焉
角度の付いた夕陽が疎らに組み込まれた小窓から差し込む格納庫にて。イリスを除く三人は試験後の後片付けに追われていた。機体を動かしたその日のうちに、点検を行い、必要であれば消耗品の交換を行う。整備方針はチームによってバラバラだが、如何にも真面目なイリス隊長らしくその日のうちに済ませるというのが、彼らのチームにいつしか根付いたルールだ。
機体を覗き込み、今日の飛行で異常は生じていないか目視するレン……
「いやぁ、どうっすか機体の状態は?」
「思った通りボロボロだな。廃機体とまでは言わないまでも相当ヤバいぞこれは……」
「相当ってどれくらいっすか?」
「カティアも難しい事聞くな…… 人間で言うと全身骨折くらいかな」
「なにそれ、怖いっす」
試験中の度重なる無茶が祟って、機体は空に上がれ状態とは程遠いものになっていた。タイム短縮を試みて負荷を掛けた魔力炉の配管には、目視できるほどのヒビが浮かび上がる。さらに悲惨なのは、着陸後無理な制動を試みた足回りだ。何本かの華奢なパイプは破断しており、一見無傷に見える骨太な箇所も金属疲労を受けた痕が散見する。
「んー…… レンの借金がまた増える」
「おいおいエイル、嫌なこと言うなよ。まぁそれが現実なんだけどさ。というより、機体の整備費用っていつから俺持ちになったんだ……」
本格的な修理ともなると、レンの力量では手に負えない。借りを増やすのを覚悟して、また街の整備場に持ちかけてしか無さそうだ。
「そういえば、隊長はどうしたっすか? まさか後片付けが面倒でバックレたんすかね」
「ティアじゃないんだから、それはない。イリスは代表者の残り作業があるから遅れてくるって」
「またまたルーちゃん。ウチ、バックレたりしてないっすよ」
その頃、イリスはチーム代表者としての役割を終え、格納庫に向かっていた。本日実施された試験の成績証明書にサインをする為だけに、代表者は暫く大講義室に残されていた。
皆の元に戻ったら、感謝の一言くらい素直に伝えたい。そういう場合、どんな言葉を掛ければいいのだろうか。そんなことを考えながら、彼女は今日の幸運に感謝する。
機体を格納できる大きな格納庫が数十棟、密集する飛空士科が管理する区画。滅多に人の往来が無いような、薄暗い格納庫の隙間を行くイリス。
「んっ……」
それは突然の事だった。
後ろから口元へ布切れの様な物を押し当てられ、咄嗟に吸い込んだ何かが喉に達する頃には全身の力が抜けていた。体幹が自重を支えきれなくなり、地面に吸い寄せられる。深く吸引した薬物か何かの影響で視覚が奪われたが、聴覚だけは生きていた。どこかで聞いたことがある、聴覚だけは人の最期の瞬間まで機能し続けると。どうしてそんな事を今思い出したのだろうか……
「やってやったぞ、この混血種が。おい、お前らも手伝え!」
「お前どうかしてるぞ。こんなの犯罪者と変わらないじゃないか。もうお前には付き合ってられない、勝手にしろ」
「おい待て、逃げるな腰抜け! くそっ、俺が一人で使い倒してやる」
残された聴覚からの情報だけで、誰が何を仕掛けてきたのか。そしてこの後何をされるのか、想像に容易かった。口内に布切れを詰められ、声を出すことは疎か、呼吸すらままならない。足首を強引に掴まれ引きずられ、横たわった体を仰向けに返される。
暫くすると、カチャカチャと軽い金属のぶつかり合う音耳に入る。
「僕たちのキャリアを潰しやがって。余計なことしやがって! 特にお前は、目障りだったんだよ。僕に盾突きやがって。犯されるしか能のない混血種はあるべき姿に返してやる」
体の自由を奪われ、ひたすら耐え忍ぶ事しかできないと悟ると、光を映さなくなった目から涙が零れ出す。体でも声でも抵抗することができず上着のボタンが一つ、また一つと外される。
「心配すんなよ。ハーフは身籠る事は無いんだからさ」
見えない相手に体を撫でられ、ただただ涙を滲ませ、這わせる。
嫌だ……嫌だ……嫌だ……助けて……
柔らかい肌を足首、ふくらはぎから膝へ、そして太腿へと触れる手が差し掛かった時だった。
「ぐぶわぁ!」
振りかざされた拳がイリスを嬲ろうとしていた男の顎に沈む。言葉になっていない声を漏らすと、殴られた方は踏ん反り返った。
イリスを襲った男に右フックの拳を振るったのはレンであった。殴られた方は流血し始めた口元を抑える。レンは直ぐにイリスの元に駆け寄ると、薬品と唾液が浸み込んだハンカチを取り除く。体の自由は戻らないものの、条件反射で彼女は咽始める。
「しっかりしろイリス。くそっ、俺が迂闊だった」
咽る彼女を腕を引き上げ、横向きの体位を取らせる。レンは咽せつづける彼女の背を摩りながら、襲撃犯を睨み目を離さない。
――ぐああぁぁぁぁぁ!イリスを襲った男は顎に滴った鮮血を拭うと、突如としてうめき声を上げた。声が止むと同時に、隠し持っていた小ぶりなナイフを取り出すと前方に突き立て、レンを目掛けて駆け始めた。顔面を強打されたことにより、平衡感覚が狂い覚束ない足取りでレンの下に迫る。なり振り構わない彼が目前に迫ったところで、レンは中腰体勢から地面を蹴り上げタックルに出た。襲撃犯の腰に手を回し、勢いそのままに地面に倒し込む。
倒し込まれた方も必死でナイフを握る手を振りかざし、とうとうレンの横腹を切り裂く。レンの両腕の力が抜けたところで、男は拘束から解き放たれ立ち上がる。
次に刃先を向けた先にはイリスの姿が。
「もう俺は学園から去るんだ。ここには居られねえし、用も無い。最後だ、そこの女に一生消えない傷を刻み込んで、何処かにとんずらしてやる」
ようやく視界を取り戻したイリス。彼女の目に映った襲撃犯は思った通りアッシュであった。そして膝と手を突き立ち上がろうとしているレン、それからもう一人の人影がぼんやりと目に映る。
「このクソったれが、いい加減にしろ!」
レンではない何者かが後方よりアッシュの股間を蹴り上げた。長い脚から繰り出された蹴りは固い靴の爪先を凶器へと変貌させ、彼の陰部を潰した。
「本当に救いようの無い男っすねこいつは。なに倒れ込んでるんっすか? その程度で何を喚いているんっすか?」
痛い!痛い!痛い!
彼はその単語しか口にすることが出来なかったしなかった。言葉を口にするたびに、声が大きくなる。体をうねらせ、捻じらせ、転がり、芋虫の様に地を這う。
痛いよぉ……
最後は泣きじゃくりながら痛みを訴えた。
アッシュが痛みに顔を歪めながら見上げ目にしたカティアの表情は説明するまでも無いものであった。
「痛いじゃないっすよ。何が痛いっすか。ウチの隊長が今まで耐えてきた苦しみに比べれば、その程度…… その程度で釣り合う訳が無いだろ! この子がどれだけ辛い思いを重ねて今日まで生きて来たか…… それに比べたらお前のタマ一つや二つじゃ償えないんだよ!」
誰も見たことの無い荒狂ったカティア。彼女の張り上げた声が格納庫の隙間に響いた後、その場にいた者は誰一人として口を開こうとしなかった。圧倒された。
彼女に対する恐れが痛覚をも押し殺し、アッシュは尻を引きずったまま後退る。しかし、狭い格納庫の隙間で後退れる空間など僅かなもので、間もなく壁に背が突き当たる。
レンは止血の為に横腹を押さえていた手を離し、自らの身体を刻んだナイフを拾い上げる。
「おい……何するつもりだよ。嫌だ、嫌だ! やめて……」
逃げる術を失い恐怖に震えるアッシュに刃を振りかざすレン。
「ヒャァ……」
情けない声を上げ、暫くしてから目を開けると、アッシュの股間ギリギリの位置にナイフが突き立っていた。
「もう俺たちに関わるな」
レンが最後にそう言い放ち背を向けた途端、アッシュの周りに、血の混じった生暖かい尿だまりが広がりはじめた。やがて、彼はしゃくり始める。
なにもその場で泣き始めたのは彼だけでは無かった。全てが終わりイリスが人目憚らず声をあげる。まだ足元がふらつく彼女にカティアが肩を貸す。肩を借りながらレンの元に歩み寄ると、イリスは不十分な腕力ながら彼に抱き着いた。そして彼の制服に顔を埋めたイリスは暫くの間涙を流し続けた。
「ごめんなイリス。何度も何度も辛い目に遭わせて……」
「あなたのせいじゃないわよ。でも、もう少しそのままでいさせて。このままじゃ隊長として、顔見せられないから……」
全てが収束したタイミングで、ジーク、エイルそして守衛が格納庫の区画へと駆けつけてきた。ジークと警備員が二人がかりでアッシュを担ぎ上げ、送るべき場所へ連れて行く。後に聞いた話によれば、アッシュという生徒は法外薬物の常習者だったという事が判明した。来る場所を間違えた彼は学園の事前調査を何らかの方法ですり抜け、入学に扱ぎつけたのだとか。
よそ者が去った格納庫区画、ようやくチーム四人で揃うことができた。事情を知らないエイルは壁際にできた水たまりを不思議そうに眺める。
「んっ……ここ匂う…… 誰かお漏らしした?」
「そうっすねぇ、レンが漏らしたんじゃないっすかね」
「レン、漏らした?」
「おいおいカティア冗談はよしてくれ、エイルが勘違いしかけてる。あと、笑わせるな。笑うと横腹に響く」
「大丈夫っすよ、それくらいの傷。適当に塩塗っとけば直るっすよ」
「おい、カティア? それ逆の立場でも言えるのか?」
「にゃはははは…… 最寄りの診療所、案内しますよ」
レンがカティアに連れられ場を去ろうとした時、思い返したように足を止めた。そして、イリスが立つ方へと振り向く。
「なぁイリス。俺たち仮のチームなんだよな。もう外しても良いんじゃないか? 『仮』ってさ」
「もう少し。もう少しだけ仮でいさせて……」
「そうか。また四人で飛べる日が来ると良いな」
「うん……」
「――あぁ、やばい、そろそろ限界だ。カティア、診療所まで急いでくれ……」




