20.隊長の不安事
久しく空へ昇れていない、とあるチームの機体。地上から飛び立ちたくとも、片一方の魔力炉を外されては地に伏せている事しかできない。そんな訓練用マスター機に再び力が戻ろうとしていた。
「これが替わりになる魔力炉ね。取り付けられるの?」
「俺もこんなことするの初めてで自信はないけど、やるしかないだろ。取り付けの手順書もあるし、手順通りにやれば大丈夫――」
新品の魔力炉を少しずつジャッキアップし、機体へと詰め寄らせる。位置が定まったところで、特注品の装着器具をボルトで固定していく。先ずは固着を防ぐ油を塗り込み、手先で素早くボルトを回し込む。握力で動じないほどボルトが締まったところで、片腕一本程の長さを誇る巨大なレンチでトルクを掛ける。整備場の店主に殴り書きしてもらった手順書のおかげか、スムーズに作業は進んでいく。
「レン、少し休んだら?」
「大丈夫―― とは言いたいけど、なかなか重労働だな。腰が痛くなってきた。イリス、次のボルトを取ってくれ」
単純な手順の繰り返しとはいえ、ボルトの取り付けを二十か所近くに施さないといけないので、これがまた結構な重労働である。最後は男手が必要な力作業なうえ、油汚れで手が黒ずむような作業。女の子の柔らかな手を黒く染めるわけにはいかない。そんな思いからか、実質殆どの作業はレンが担う。イリスは精々、彼に言われた部品を背伸びして、手渡す事しかすることが無い。
それならばと、イリスは彼の話し相手に徹する。
「ねぇレン。あのエイルシファーって子」
「あぁ。前に一度、大食堂で見かけたあの娘だ」
「そうやっぱり……」
「なんだ、不安か? イリス、次のボルトを頼む」
油に塗れた彼の手に、ずっしりとした金属製のボルトを握らせる。上手く言葉にできないが、不安は残る。
彼女の心に引っ掛かっているもの。恐らくそれは彼も同じく気にかけている事であろう。
以前イリスがエイルシファーを見かけたのは大食堂で彼と昼食を共にしていた時だった。エイルシファーの親族と思われる生徒が、公衆の面前で一方的に彼女を罵倒し危うく殺傷沙汰を演じていた。
なにも騒動はその日に限ったことではない。以前にも彼女は一般科に籍をを置く親族の生徒から、同じような行為を受け続けていたという。
「詳しくは聞いてないが、あいつは間違いなくどこか名家の娘で、金持ちだ。それほどの家柄にもなってくると、何かと問題が出てくるんだろな。そんなものを学園に持ち込むなって話だけどさ。いずれにしても、突っかかってくる奴は一般科の生徒だろ? 今後接点も無いだろうし、それこそ昼食の時はエイルを一人にさせなければ大丈夫だろ。って、まるで保護者みたいになってるな俺……」
レンの言葉を耳に首を振る少女。彼の考えは楽観的過ぎる。イリスは彼の浅い考えに対しても不安を募らせる。彼は気付いていないかも知れないが、彼女はこの手の問題が極めて厄介だという事に気付いていた。それは彼女自身にも覚えがある為かも知れない。
しかし敢えてそこは、こう答えた。
「そうね、大丈夫だと思う。不安は無い」
「そうか…… あんまり一人で抱え込むなよ」
「何も抱えてないわよ。はい次」
レンの言葉を軽く突き返すと、代わりに重たいボルトを渡す。
やがて機体と魔力炉は頑強な器具によって固定され、本来あるべき外見へと蘇る。次に二人は手分けして、魔力炉から延びる管を繋ぎ合わせる作業へ。腕力を要さないこの作業ならイリスでも助力できる。彼女は機外の配管、レンはコックピット内の配管作業を進める。
すると彼は操縦席周りの些細な変化に気づく。
「こんなに綺麗だったか、この機体?」
「それね。好き勝手ほっつき歩いていた誰かさんが、暇つぶしに掃除したらしいわ」
「誰かって? あぁ、そういう…… 金属部分は鏡面のようになっている。ガラスの濁りは消えてる。掃除と言い張るには出来過ぎてるな」
「私を褒めるんじゃなくて、本人に言いなさいよ。はい、こっちの配管は完了。そっちは?」
「これで最後だ」
魔力炉の交換によって再び空へ上がれるようになり、若返ったイリス隊長チームのマスター機。青空の元、少し誇らしくなったその姿を晒し、飛び立つその時を待つのみとなった。




