18.再会は土砂降りの街にて
空に浮かぶ陽が間もなく一日の仕事を終えようとしている。そんな、空が薄暗くなり始めた頃。黒々とした雨雲が街の上空へと近づいていた。まだ雷鳴こそ聞こえないものの、遠目に映る積乱雲は内部を光らせ強い雨を予感させる。そして、冷たくなり始めた風は雨よりも一足先に濡れた土の匂いを運ぶ。通りの店先では早めに店仕舞いを始める姿があちらこちらで見受けられた。
自分も早めに用事を済ませよう……
本来であれば思い思い自由に過ごすであろう、学園の休日。しかし、彼はそんな悠長な休日など送ってもいられない。
レンは魔力炉修復の為に街を歩き回っていた。整備場で気の良い店主から修理の肝となる魔力炉を譲り受けた。もちろん大きな借金を背負う事になったが、形振り構っていられない。後は魔力炉を機体に装着するための部品さえ揃えれば、万事解決の筈であった。ところが、そんな都合の良い部品がそこいらで売っているわけもない。それこそ機体側、魔力炉側の組み合わせなど無数に存在し得るのだから……
そうともなれば、オーダーメイドで作ってもらう他に手立てはない。
やっとの思いで、取り合ってもらえる金物屋を探し当て、特注の装着器具を拵えてもらった。出来上がった装着器具は魔力炉の重量と推進力に耐えられるだけの金属塊である。それは人力で運ぶには体に応える程重い。背に金属の硬い感触を覚えながら、前のめりになって街を往く彼に多くの人が振り向いた。
いよいよ耳に届く雷鳴が大きくなり始めた。
空模様を心配しながら帰路を急ごうとするが、心配していた通り分厚い雲の配下に収まった途端激しく雨が降りだす。雷を伴った雨なら直ぐに止むだろう、やり過ごそう。そんな希望的観測を抱きながら、叩きつける雨粒を凌がせてくれそうな場所を探す。
先客がいたものの、オーニングが張られた店先を見つけたので滑り込むようにして、入れてもらう。
弱まる気配の無い雨足を前に溜息を漏らしつつ、ふと目線を横にずらすと先客と目が合う。
先に雨宿りをしていた先客には見覚えがあった。飛空士科の制服に、褪せた水色髪で小柄な彼女は眠たげな表情でレンを見上げる。
この街に来てこの子を見かけるのは何度目だろうか。
「また会ったな」
「わぅ?」
彼女はまた初対面を装うとしたのか、疑問に満ち溢れたかのような声で言葉を発す。
「おっと。もう、初めて会ったとは言わせないぞ。これで四回目、いや三回目だからな」
しかし、その手には乗らない。
「うん、知ってた。で……誰?」
「レン。レンフォード、君と同じ飛空士科一年。編入扱いで入って来た」
彼女の起伏に乏しい胸元の飛空士科紋章に目をやりながら、空を目指す同士であると説明。
「あっ、知ってる。有名な人?」
「うーん残念だけど、そいつはジーク・ウルフェンドール。俺は有名じゃない方の編入生だ」
「わぅ? ……でも知ってる」
彼女が口にする言葉は一言一言が短いせいか、会話が直ぐに萎んでしまう。殆ど表情を変えない少女を横目に、何か会話のネタが無いかと思考を巡らす。
実のところ彼女には聞きたい事が山程ある。あの日何故、男達に絡まれていたのか。体力検査を何度も受けていたのは何故、学園の大食堂での一悶着は何だったのか……
いや、それを聞くのは流石にマズイ。
今聞くべきは、こんな店先で何をしているか、といったところか
「雨宿り…… 雨が弱くなるのを待ってた。けど、気付いたら強くなってて。出られなくなった」
「おう、そうか。まぁそういう事もあるよな」
「ルー、どんくさいから」
自虐に走ろうとする彼女だが、『どんくさい』というのは強ち間違っていないかもしれない。話している時も一言一言の間が少し長く、のんびりとしている。少なくとも、機敏な様子は一度も見かけていない。彼女の何を知っているわけでも無い自分が、こんな事を考えるのは失礼だという事は承知している。
気付けば、また会話が止まっていた。次はどの手で口を開かせる?
それよりも、まだ重要な事を聞きだしていなかった。
「そういえば君、名前は?」
「ルー。ルーはルーの事をルーって呼んでるけど、本当の名前はエイルシファー」
「そっか。エイルって呼んでいいか?」
「わぅ? なんか馴れ馴れしい…… けど気に入った」
出会って何回目だろうか、ようやく彼女の名を聞けた。そしてほんの少し、少女が嬉しそうな表情を浮かべたようにも思えた。
雨足は一向に弱まる気配が無く、店先の屋根からは滝の様に雨水が流れ落ちる。雨粒が街路を叩きつける音、オーニングが水滴を受け止める音、配管を伝る水音。それから、時より鳴り響く雷鳴が二人を包み込む。
「おい、あんたら。聞こえてるか? 迷惑だよ、こんな所で雨宿りされちゃ。もう店閉めるんだから」
今日は商売あがったりと見た店主が二人を立ち退かせ、オーニングを畳み始める。突然、雨に晒される事になった少女の表情はどことなく、不機嫌にも見えた。
雨の中帰ろうにも、ここから貸家までは相当な距離がある。それ以前にこの娘、エイルの事を放っておけなかった。近くに雨風を凌げそうな場所が無いかと見渡す。大雨で視界が優れない中、夜遊び向けの宿と小さな喫茶店が目に入る。前者は無視して、小さな喫茶店へと彼女の手を引きながら向かう。
こじんまりとした喫茶店は以前イリスと昼食を共にした、彼女お気に入りのお店。もっとも気に入っていたのは雰囲気だけで、喫茶店が本来力を入れるべき珈琲には『泥水』という称号を差し上げた曰く付きの店だ。
ここの珈琲は頂けない。かといって何も注文せず、雨宿りだけさせてもらった日には、飛空士科学生の名が廃れる。少し早いが、夕食にしてしまおう。卓上の呼び鈴を振ると、老いたマスターが厨房から現れる。元々曲がっている腰をさらに湾曲させ、注文に耳を傾ける。
「エイルは何か頼む? 頼むんだったら珈琲以外が良いぞ……」
最後の一言は、耳の遠い店主には聞こえないような小声でエイルに伝えた。
「えっと…… これも食べたい。こっちもいいかも。あっやっぱりこれも……」
小言を漏らしながら暫くメニュー表を眺めた後、彼女の口から漏れ出た注文に彼は困惑した。小さな喫茶店の品数などたかが知れてはいるが、メニュー表を片っ端から全品を読み上げて始めた。おいおい、と少女の暴挙を止めようとするが相手にせず尚も読みつづける。注文内容を雑記帳に書き込む店主の手も休む暇が無い。
とうとう、彼女は全ての品を読み終えてしまった。少なくとも、メニュー表には十数品の選択肢があったはず。それを全部頼むとは……
まさか、小柄でのんびりとした雰囲気からは想像できないような、食欲の持ち主なのか。いや、実はレンの男としての覚悟を試すために全品注文したという線もある。いずれにしても表情の起伏の少なさも相まって、何を考えているのか掴み所の難しい少女である。
見渡せば自分たちと同じく、雨宿りがてらにディナーをという客で店内は満員御礼となっていた。加え注文した品数が数なので相応に待たされる。いつの間にかエイルは向かい合った位置で、テーブルへ顔を伏せ眠りについていた。
濡れていた上着も所々乾き始め、老爺に注文を伝えてから、どれ程が経った頃だろうか。ようやくオーダーの品が届く、届く、届く……
四人掛けのテーブルが所狭しと皿で埋め尽くされる。御馳走の気配に目を覚ましたエイルは目の前に広がる、壮観な光景を眺める。
「わぅ…… これ全部食べていい?」
「おう。頼んだのはエイルだからな。寧ろ、そうしてくれないと色々困るぞ」
さっそく全品制覇の為に、フォークと口を動かし始めたエイル。
全部という言葉に違いは無いが、彼女が考える全部はニュアンスがズレていた。
「あとは、あげる」
「全部食べるっていうのは?」
「食べたよ。どれも美味しかった」
確かに全部食べた。全ての品を一口づつ堪能するという形ではあるが。
心なしか満足げにも見える表情を浮かべた彼女は、残りの大半をレンに託す。
「いやいや、待てよ! 流石にこれだけの量……」
周りの客も、彼のチャレンジを固唾を飲んで見守っていた。こうなってしまった以上引き下がれない。覚悟を決めると、無心で口へと料理を運んで行った。卓上を埋め尽くす皿が、次々に空いていく。
全ての品を腹に収め終わると、店内で軽く喝采が巻き起こる。
どうだ、観たか?
少し見栄を張り言い出しっぺの少女へ目をやる。見てないどころか、彼女は頭を伏せ食後の睡眠に浸っていた。
雨雲が立ち去り、雨足も止まり、街路の煉瓦も乾き始めた。店内の客も疎らになった頃、ようやくエイルがお目覚めになる。
「わぅ…… 美味しかった?」
「あぁ美味しかったぞ。この先三日は食わずに生きていけそうだ。この後の支払いが怖いけどな」
「それなら大丈夫、たぶん。ところでそれは…… 何?」
エイルはレンの足元に横たわる金属の塊を指差す。重厚なそれは金物屋に特注した、魔力炉の装着器具だ。飛空士科の同士相手に別に隠す様な話でもない。彼女にそれが何なのかを説明し、どういう経緯で今日に至ったかを語った。
チームメイト同士で喧嘩になり修羅場になりかける。イリスが力加減を誤って航空機の心臓部である魔力炉を破壊してしまう。カティアはブツが直るまで戻ってこないと言い放ちそれ以降姿を眩ませた。そしてつい先日、魔力炉の替え玉を半ば借金をして手に入れた事。洗いざらい全てを話した。
長話だったにもかかわらず、エイルは居眠りをしないどころか余所見一つせず話を聴き続けた。全てを聴き終えた少女は唐突に鞄を漁りだす。そして、何をするのかと思いきや、大金を取り出しレンの手元に差し出したではないか。
「えっ?」
「これ…… もうルーには必要ないから。借金これで返して」
「これは助かります、有り難く頂きますね。いやいや違う違う、おかしいだろ。なんで赤の他人にこんな大金を渡す? いいから一旦しまって、隠して!」
制服姿の学生がどうしてこんな大金を持ち歩いているのか。何か悪い取引をしている様な絵面に見えなくもない。待て待てそういう問題じゃない、公然の場でこんな大金を誰かに見られた日には無事に帰れないだろ。
直ぐに積み上げた金をしまうように促し、エイルの手元へと押し返す。すると、無言で彼女も押し返す。透かさず、自分も押し返す。そんなやり取りを何度かした後、諦め事情を尋ねた。
「もう必要無いって何かあったのか?」
「ルーもうすぐ飛空士科からいなくなるから」
「それまたどうして?」
「試験受けられない、たぶん」
科から去るのは本意では無さそうである。しかし何らかの理由で彼女は足切りを兼ねた試験は受けられない。落胆している様子は声のトーンからも察せられた。
もしかして……そう思いさらに事情に踏み入る。
「わぅ。チームメイト一人もいない。ルー授業中居眠りしてたり、実技に出るの忘れてたりした…… 気付いたら組む相手がいなくなってた。ルーはどんくさいから上手く話しかけられないし」
チームメイトが足りていない、どうやら経緯は違えど自分たちと似たような事情を抱えているらしい。そして、少女は自分がどんくさいと自虐に走る。徐々に話がネガティブになっていく彼女だが、もう少し吐き出させようとレンは口を挟まず聴き続ける。
「面倒くさかったけど、ルー頑張って頼んでみた。友達……に組んでって頼んだんだけど、何時もよりもっとお金を渡さないとチームに入れてくれないって」
「金、それも何時もって…… それ友達じゃ――」
「面倒くさくなったから、もう諦めた」
「諦めるの早っ!」
「飛空士科辞めたらルー、一般科に行く。向こう行ったら頑張る、本気出す」
「……」
ようやくエイルの口から全てが語り終わったのと同時に、もう一度彼女の目の前に大金を突き返す。
「ウチのチームに来ないかエイル」
「わぅ?」
それは少女にとって予想だにしなかった提案のようで、妙な口癖が漏れた後に続く言葉が途絶える。
改めて自らが属するチームの状況を説明する。自分たちのチームは現在三人で、あと一人チームメイトが必要な事。そしてエイルには少なくとも三人のチームメイトが必要であると。
このピースがはまらなければ、四人とも受験資格を失い科から去らなければいけない事。ここまで諭せば彼女だって気付くだろう、状況を打開する最後のチャンスが巡ってきたことを。
それでも尚エイルは回答を渋る。
「でもルーは居眠りもするし、センスも無い。座学も実技も成績良くない。能力判定だってDだった……」
「センスが無いのは俺も同じだし能力判定結果はEだ。他にも実技が点でダメな奴もいる。流石に居眠りする奴はいないけど」
「でもルー、たぶん迷惑かける」
「いいじゃないか、いっぱい掛ければ。なんとかする」
「何も力になれない、足引っ張ると思う」
「足が千切れるほど引っ張ればいい。俺がなんとかする」
「じゃあ、寝てるだけでいい?」
「なんとか―― 流石にそれは困るが…… 俺たちがフォローする」
「でも、試験受けてもワーストになると思う。皆まだ飛べてないから……」
「そうだな。ならさ、ほんの少し。ほんの少しだけ、エイルの力を貸してくれ。あと少し、少しなんだ。君が必要だ」
「わぅ……」
踏み切れるだけの自信が無い、力になれる確証が持てない。迷惑を掛けたくない。
きっとあなたたちを失望させてしまう、だから他を当たった方が良い。自分はこんなにも出来ない人間なのだから……
チームに加わって夢を追いたいという本心よりも、失敗への恐怖が勝ってしまう。本心を押してくれる、確たる何かが見つからない。こんな実力の無い自分をもう一押ししてくれる何かがあれば……
彼女が踏み出す何かを自らの内から見つける事はできなかったが、レンより与えられた最後の一言が彼女を外から押し込んだ。
「必要? ルーが?」
「もちろんだ」
「初めて…… 初めて他人に必要って言われた……」
彼女から発せられた言葉は、意図せず心から漏れ出たものなのだろうか。本当に小言の様に小さく発せられた一言であった。しかし、その一言は少女の何か、重い生い立ちを暗示していたのかも知れない。
しばらく俯きながら言葉を交わしていた彼女が顔を上げた。
「入る」
「本当か!? ありがとう!」
「……のチームに入る」
「……ん?」
「えっと。なんだっけ? 忘れた、名前……」
「おいおい、さっきから全然名前呼びしてくれないと思ったら、忘れてたのか。レンフォード、レンでいい。覚えたか?」
「覚えた。改めて、レンのチームに入る」
ようやく彼女の口から待ち侘びた言葉が出てきた。同時に彼女に名前で呼んでもらえたのも、この時が初めてであった。
チームは未だに飛ぶ事すら叶っていない。しかし挑む準備は整った。試験まで残された猶予は僅か。それでも、足掻こう。最後の最後、結果を言い渡されるまで悪あがきでも何でもしてやる。才能も、実力も、何も無くとも、やってみるだけなら俺たちの自由だ。
エイルの決断に、心の内から空へ対する思いが再び湧き上がってくる。
「お客さん。そろそろ店仕舞い。いっぱい食べたね、お代をいただこうか?」
気付けば、自分たち以外の客は既に退店しており、空いた皿とエイルの大金だけがテーブルの上に残されている状況であった。
「このお金はルーが預かっておく……」
「えっ、エイルが注文したのに、払ってくれないの?」
「わぅ? だって、さっきレンが突き返してきたから。それに、食べたのはほとんどレンだし」
「うぅ…… 返す言葉も無い」




