第16話 泣いた赤鬼
その日は山原市立高等学校の卒業式だった。
桜が咲き始め、緑色から段々と淡い紅色に変わってきた樹木がよく目に留まった。
そんな木の下や周りで、紺色の制服に身を包んだ生徒たちが、同級生—後輩の関係なく、思い出やこれからの事を話して楽しんでいた。
しかし、部長率いる僕達絵本部員たちは、本式が終わると談笑会や祝杯会には参加せず、部室に駆け込んだ。そしてせっせと“鬼退治”のための準備を進めた。
挑戦状を送りつけてきた鬼が、前に入った“桃太郎”の絵本から出てきたのではないかと予想した僕達はバックの中に、桃太郎の絵本、大量の豆、薄くて長い丈夫な糸、箱などを放り投げた。
「準備は大体揃ったな、いくぞ!」と張り切っているらしい部長が声をあげる。
僕達も部長に合わせ、うんうんとうなずく。
絵本部員全員は、鬼の待つ商店街の約束の裏通りへと向かった。
商店街の裏通りは、思ったよりも広く、汚かった。ゴミ箱のゴミが溢れていて臭っているが、ひらけた道から見える夕日は綺麗だった。
裏通りに着くなり、僕達はあらかじめ練っていた“策”のために準備をし始めた。
「これでいいかな…」
策の準備を仕上げた僕達は、なにもせず、黙ったままひらけた道の方面を眺めて鬼を待った。
待つ事30分、ひらけた道の奥からユラユラと人影が見えた。心拍が早まり、足が小刻みに震える。その人影が世にも恐ろしい鬼の形相をしているのかと考えると、いてもたってもいられなかった。
だが、心拍の早まりは人影が近づくにつれ、脳の回転の方にまわっていった。何故なら、その人影の正体があの不良少年の“木村一誠”だったからだ。
「木村くん…?」
凛子さんが声を漏らす。
オールバック、三本だけ飛び出した髪の毛、体つき、明らかに木村一誠だ。
一体何故木村くんが居るのか、頭でひたすらこうでもないああでもないと繰り返していたら、いつの間にか声が聞こえてきた。
「あんたらが!オレ達をここに放り投げた野郎か!」
声と同時に、木村くんの口からモヤのような物が空中に流れ込み、モヤは形を成していき、やがて鬼の姿に変わった。
長くて死んだサンゴのような灰色の髪、赤い肌、反転目、ツノ、まさに鬼だった。
僕達は口を開けて、あがあがと絶句しながらも、ひとつだけ、鬼が何故か「オレ達」と、他に誰かいるような言い方をしていたのに引っかかってもいた。
「鬼を見るのは初めてか?」ケタケタ笑う鬼。
僕はキッと立ち直し、言った。
「初めてじゃないさ、モヤが鬼に変わったのを見るのは初めてだけど」
鬼は、ふーんといった感じで僕をたしなめた。そして足部分だと思われる位置のモヤが足になり、鬼は陸に足を着いた。
「やっぱり、地上は楽だな」と鼻を鳴らして鬼は僕達の目の前に立った。
「単刀直入に言う、今から取り引きをしよう」部長が話を切り出してきた。
「そのハナシがどうかによるな」鬼も動じない。
「君は絵本、というこの世界の書物から出てきた者だ。理解してくれ。お前がこの書物に戻るためには絵本に入らなくちゃいけない」と部長は説得する。
「なるほど、帰るためにはそのエホンというやつに、入らなくちゃいけないわけだな」と鬼。
「君が帰るべき場所に帰るためにも、この絵本に入ってくれ。それが取り引きだ」
「わかった、いいだろう」
緊張感が漂う両者の取り引きに、僕達は見ているしかできなかった。
「交渉成立だ。君がいた物語は、桃太郎という物語だと思う」部長はホッとし、胸をなで下ろすように鬼に言った。
「その、モモタロウとはどんな物語なのだ?」鬼の質問に、安心しきった部長は答える。
「桃太郎という少年が、島にいる鬼をやっつける話だよ」それを聞くと鬼は、髪をブワァと浮かせ、部長を睨みつけた。
「そのエホン、違うぞ!もしオレ達に物語があるとしたら、赤鬼青鬼が離れ離れになって赤鬼が探し回る物語のはずだ!騙そうとしたな!」鬼の周りに散らばっている小石が浮く。僕達は一周回って気合いが入り、構えた。部長は後ろに下がり、闘いの開始を覚悟した。
「絵本は、泣いた赤鬼だったか。交渉決裂だな」
鬼が怒りながらヒタヒタと、歩き始めた時だった。
鬼の足に薄い糸が引っかかる。そして、鬼の真上から、大量の豆が雪のように降ってきた。
鬼はハッとすると、自分が豆の山の中に埋もれていることに気づいた様だった。
実は、策というのは「ひたすら鬼の弱点を突く」というものだ。鬼を弱らせるのが、絵本に帰らせるために必要な策。豆の入った箱に糸をくくって地面に垂らしておいて、鬼が糸にひっかかると大量の豆が落ちてくるという仕組みだった。
しかし、怒る鬼にはそんなものが通用するはずもなかった。体から漏れる気功の様なもので、鬼は豆の山を吹き飛ばした。
「…こんなものが効くとでも思ったか?紅潮すると鬼は大体の攻撃をも弾き飛ばすんだぜ」鬼は自分が豆で倒せると思われた事が、なおさら気に入らない様子。
「ならこれならどうかな」桐さんは、近づいてくる鬼に向かって、懐に入れていた水鉄砲で攻撃した。
「水鉄砲なんかで倒れるわけないだろう!」鬼はバッと手を上げ、桐さんに向かって降り下ろす。衝撃と爆風が桐さんを吹き飛ばす。
「桐さんっ!」凛子さんが叫ぶ。
「おまえらは闘い方を知らないんだな」鬼は侮辱された、と顔に書いてあるかの様に僕達を睨みつけた。しかし、鬼はピリッとした痛みに襲われてすぐ目をすぼめた。
「…溶けてる?」鬼が自分の腕を見ると、皮膚が焼け溶けていた。鬼は、桐さんが持っていた水鉄砲の中身を察する。
桐さんはよろっと立ち上がりながら言う。
「日本酒、“鬼殺し”だ。コンビニでも売ってる手頃な酒だ!」
僕は、桐さんが言う手頃な酒が、もしかして未成年でも買えるって意味なのか?とツッコミたい衝動を抑えた。そして僕と凛子さんと部長も懐から水鉄砲を出す。
「小細工はやめい!」
鬼は、手で軽く薙ぎ払うと、器用にも僕達の持つ水鉄砲だけを40m先くらいまで吹き飛ばした。 やっと効いたと思った矢先に、道具を失った。僕達はもう立ち向かう術もなかった。
「どうした?もう安直な闘い方も尽きたか?今度はこっちの番だ!」
鬼はフッと腰を落とすと、地を蹴った。まるでかまいたちの様な暴れ方で、僕達に体当たりしてきた。もう倒れそうだ、とフッと思った。
「私は来年旅をしようと思う!“鬼殺し”を持って!」凛子さんがそう叫んだ時だった。 鬼がゲラゲラ笑いだし、暴れるのもやめて大笑いしながら地面に転げまわった。
「今だ!」と僕は飛び出して鬼に殴りかかった。
しかし、いとも容易く拳は止められた。掴まれた拳を引っ張られ、耳元で鬼に囁かれる。
「笑いくらいで守備を和らげると思ったか?」鬼は、僕の拳の何倍もの威力で胸とへその真ん中あたりを思いっきり殴ってきた。僕も、水鉄砲が落ちているくらいまで飛ばされる。
「空!」
意識が遠のく。もうダメなんじゃないか。みんなで鬼を弱らせなくちゃ…今、能力が出てくれば…
意識が朦朧としながら立ち上がると、手に不思議と堅い感触がする。手元を見ると、僕は桃太郎で使った剣「鬼滅剣」を掴んでいた。しめた!と思うと同時に、悪あがき程度の力が湧き上がってくる。僕は鬼に向かって走り、斬った。
相手が強力な鬼だからか、剣も呼応し、とてつもない威力で、コンクリをも切り裂いた。 しかし、鬼は肩に少しかすり傷を負っただけで、僕をまた殴って吹き飛ばした。
「その剣、恐ろしい威力だが、なんてことはないぞ!」と鬼。
みんなボロボロになりながら殴りかかる中、僕はダメージで立ち上がれなかった。
僕が悔しがり、剣が幻になりかけた時、後ろにいた部長が剣を僕から奪い、鬼に立ち向かった。
「部長!」 部長は、鬼の堅い体に剣を突き刺した。だが、剣は悲しくも弾かれてしまった。それでもなお、部長は、鬼の堅い体に剣を突き刺し続けた。
「鬼滅剣も面倒だな」鬼は何気無い顔で、呟く。
部長も鬼を睨めつけながら、話す。
「君の目的はなんだ!オレ達、と言っていたが、なにか事情がありそうだ!」
鬼の体と剣の間で、火花が飛び交う。
「オレはかつて、そのエホンの中で青鬼と一緒に、興味本位で黒い渦に飛び込んだ!そしたら、こんなどこかもわからないところに来てしまった!これからどうするか、青鬼と話すうちに喧嘩して、離れ離れになってしまった…」
鬼は一瞬、シュンと顔をうつぶせた。気の緩みからか、鬼は一瞬グラッとなり10mくらい後ずさりした。鬼は少し疲れている様子で話し続けた。
「反省してる。元はと言えば、渦に入ろうと言ったのもオレだった。だけど、離れ離れになったからには謝れないし、一緒にも帰れない。悩み果てたオレは、そこらへんにいた生徒に憑依して、記憶を漁って、絵本部ならアテになるかもと思って行動に移したが…やはりオレだけで解決した方がいいらしいな!」
鬼は、またモヤのような形になり、今度はなんと、部長の口の中に入った。