2.桜と桜の兄妹 ~紫苑の失踪(4)
‥今考えても、不思議なんだけど、何処をどう通ってここに来たのだか分からないんだけど、気が付いたら、これまた雅之さんにピッタリな純和風の大きなお屋敷についていて、雅之さんの着物を借りて、今、ここの女中さんに暖かいお茶を出してもらっている。
女中さんがお茶を出してくれるのって、珍しいことなんだろうけど、僕の家では当たり前だし、つい‥違和感ないわ~。って馴染んじゃってた。
うん、この家。すっごく落ち着く。
僕の家と同じくらいの大きさのお家‥なのかな。玉石の敷かれたよく手入れされた庭園は枯れ葉なんて落ちてないし(庭木も結構あるのに! だ)、ピッカピカの廊下とか、どう考えても、それ専門に人雇ってるよねって感じがした。結構見慣れてる光景だけど、‥一般家庭ではこういう家って少ないんじゃなかったっけ?
あまりにも、実家と変わんない感じだから、あっさりと受け入れちゃってたけど、危ない危ない、ここ他所んちなんだわ。って考え直す。それほど、ここの人は、僕をあっさり受け入れてくれたんだ。
雅之さんは着物を着換えているらしく、今この部屋に居るのは僕だけ
‥いや、違った、
「硬くなんなくていいよ~。弟の友達かな? 始めまして! 雅之の兄の、忠継です。
え? 君‥髪の毛濡れたままじゃないか! 風邪をひくよ! 寒くない? 」
‥忠継さんと、僕と女中さんの三人だ。
ここは、客間だろう。30畳はあるかな? 。広い。その広い部屋に三人だけ。‥結構落ち着かない。
実家は兄弟でダラダラと同じ部屋にいることが多かったから、こういうしーんとした空間って慣れないかも‥。
僕は、ふるふると首を振り
「寒くないです」
答えると、
「よかった! 」
って、安心したように微笑んでくれ
「あ、兼さん(女中の名)後でドライヤーとブラシ持ってきてくれる? あと、櫛と整髪料。ミストになってる分」
お茶を入れていた女中さんににっこり微笑んで指示を出してから、また僕の方を振り返り、
「今、雅がシャワー使ってるから、その後でシャワー使ってね!
‥まったく、あいつも気が利かないなあ。まず客人に譲るべきだろう? 」
ねえ、と人懐っこい笑顔を僕に向けた。
忠継さんは、雅之さん同様、すっごいイケメンだ。
そんなイケメンに笑顔を向けられたんだけど、兼さんと呼ばれた女中は顔色一つ変えず、「畏まりました」と短く返事をして部屋を出て行った。
部屋には、その爽やかイケメンと僕だけ。
ちょっと、‥緊張する。ここの女中さん、スキル高い。‥慣れて来たのかな。最初とかは、やっぱり緊張したに違いない。きっとそう。
改めて、そのイケメン‥忠継さんを見ると、にっこり微笑まれた。
おお‥。心臓に悪い。
華やかで、社交的な人って感じ。この感じ、‥うちの兄とちょっと似てるかな。笑顔とか、口調とか、その表現方法に「営業用‥」が付く‥所謂、「表裏ある系」の人? 兄と似てるって思ったから、そう思っちゃうだけで、忠継さんは、きっとそんなタイプじゃないだろう。
‥そういう目で一瞬でも見てしまった。‥悪かった。
でも、こんな大きな家のお坊ちゃまだしなあ。‥あながち、兄と同類説、あるかも。
どっちか分からないけど、用心に越したことはない。あんまりペラペラしゃべらされないようにしよう‥。
僕は、こっそり心の中で身構える。
それにしても忠継さんは、顔はちょっと似てるけど雅之さんとは全然タイプが違うみたいだ。雅之さんには如才ない感じがない。
でも、そういうのって覚えがある。僕と一緒だ。さっき、忠継さんは雅之さんのお兄さんだって言ってた。つまり、上に男の兄弟がいる。
‥多分だけど、‥長男じゃないからそこまでの期待もかけられない分、‥気楽なんだ。
だから、長男だとかに比べると、やっぱり緊張感が少なくって、自分ではあんまり自覚はないんだけど、‥ちょっと緊張感が少ない顔になる。
僕はよく、猫かぶりスマイルって言われることあるけど、営業用スマイルって姉様に言われたことないものね。
と、そういうことを僕にしては高速で考えて、整理した。「え~」「そうですか?」「ありがとうございます」とかって途中、頷きながら言葉を挟んだから、そう不自然な間は開いてなかったと思う。よし、 ‥隙は見せないように‥見せないように‥。
「‥あの、すみません。‥僕が濡れないように気を遣ってくれて、雅之さんがかなり濡れてしまったから‥僕はそんなに濡れてないんです」
改めて、もう一度頭を下げる。こういうのは、他所事考えながらじゃなくって、誠意を込めて言わないといけない。
そういうのって、大事だ。しっかりした大人ってのは、そういうことを一番、大事にするものだ。こういうことが出来なかったら、僕を連れて来た雅之さんにも恥かかせてしまうからね。気をつけないと‥。
事実を話し、雅之さんの行動を擁護して、自分の謝罪もする。
‥ここまで間違ってないかな。‥緊張するなぁ‥。
しっかりした大人って、結構、大変だ。
忠継さんが、ふふ、と自然に微笑む。ちょっとばかし、幼い子を見る様な微笑ましい笑顔になった気がするのは‥気のせいだよね??
しかも‥。この笑顔‥。
‥やっぱり、素朴じゃない。すっごい華やか。
恐るべし、営業用スマイル。
「それにしても、君、着物を着るの慣れてるね。座ってても、着崩れてないし、姿勢もいいね」
お、忠継さん、僕の身元を‥詮索してる‥のかな。まあ、‥そうだろうなあ。
普通の家の子は、そう着物で暮らしたりなんかしないから、着物を着せられても、落ち着かないんじゃない? ってことだろう。
でも、いるんだよな~。
着物慣れしてる、「普通の家の子」!
「‥武道を習ってます。あと、お茶を」
武道は‥道着と袴だけど、着物には違いないし‥、着物独特の所作に慣れてるっていうのはそれで誤魔化せるんじゃないかな。あと、‥茶道は完璧着物だよね。(←趣味で習う程度なら、普段は着物に着替えないとは紫苑は気付いていない。お茶会なら着物だろうけどね‥。)
言い慣れていることだから、さらさらと口からよどみなく出て来る。
まあ、嘘じゃないし。武道も、お茶も、何なら、お花もしてるし(←これは、楓に付き合ってやっていた。楓が布団から「もう少し、後ろの菊を短く‥」とか指示を出して、僕がそれに従って刺していた)
「ああなる程! 」
納得してくれたらしく、忠継さんがオーバーな動作で頷いた。
「じゃあ、兼さんがドライヤー持ってきてくれるから、後でちゃんと乾かしてね。‥くせ毛はホント大変だもんねぇ。雅はきっと一生我々の気持ちなんて分からないんですよ」
また悪戯っぽく笑って「では、もうすぐ雅之が帰ってきますからね」って言って、腰を上げた。
背筋びしっと、姿勢もいいし、所作もきれい。
ホント、イケメン。
意地悪っぽいさっきみたいな顔も似合う。でも、‥ちょっと軽薄そうで、ついでに言うと腹黒そうで、嫌。営業系‥な人、やっぱり苦手。
「う~ん。あんな頼りな~い感じで大丈夫なのかなあ、西遠寺の」
書斎で机に座っていた忠継がため息をついた。
忠継に「あんな頼りな」くって心配されてるのは、勿論紫苑だ。
「おや、忠継様。あちらの方は西遠寺の御子息でしたか」
ふふ、と忠継と彼の弟、次男である実親の秘書である小林が、手帳を背広の胸ポケットにしまいながら言った。
丁度、今日のスケジュールを忠継と実親に説明し終わったのだ。
さっきまで、部屋着を着ていた忠継も今は、仕立てのいい背広に着替えている。
髪を整髪料で自然に横に流すと、一気にビジネスっぽくなって、さっきまでの気安さが消える。
「名前までは分かんないけど、あの顔は、明らかに西遠寺だな。ちょっとでも血が混じってたらあの顔になるって‥どんな呪いだよ‥」
にやり、と忠継が口元をちょっと持ち上げただけの笑みを浮かべた。
その表情から、彼の考えはよめないが、‥大方悪いことでも考えてるんだろう。
忠継は、無駄が嫌いで合理的な人間だし、そう「いいやつ」でもない。
「ああ、そういえば西遠寺って顔だったな」
言ったのは、実親だ。
「ほう‥」
西遠寺の一族の顔までは知っている者は、そうはいない。秘書でしかない小林も、勿論彼らの顔を見知ってはいなかったようだ。
「そういうものなのですか? 」
すこし首を傾げている。
「雅之は、何を考えてあの子を‥。人質かな? 。‥東館脇の家の為になんか何もしてこなかった弟が‥少しは自覚が出来たのかね」
そう言って首を傾げたのは、実親だ。
「‥気まぐれだろうさ。あいつは、自分の特にならないこと以外しない奴だぞ」
忠継は、さあ、と首をすこし傾げ、さして興味もなさそうに手元の書類に目線を戻した。
「違いないな」
実親はくく、と愉しそうに笑うと、忠継に短く返事をした。
小林は、二人が話終わるのを確認してから
「忠継様。もうそろそろ迎えの車が参ります。それから、実親様、お客様がおいでになるお時間です」
予定を伝え、用意を促した。
「すぐ行く」
忠継が頷いて書類を手に立ち上がり、
「ありがと! 先に、会議室に案内しておいて」
実親はにこ、と小林に礼を言う。
「畏まりました」
忠継は「ああ、そうだ」と立ち止まり小林を振り向き、
「雅之のお客さんの事、分かったら後で知らせて。‥西遠寺にここに彼がいることは知られないようにね」
「勿論でございます」
小林が畏まって頷くのを満足そうに眺めてから、再び玄関に向かった。
何のつもりかは知らないけど、‥利用する気なら、こっちが利用してやるまでだ。‥東館脇に舐めた真似したことは、しっかり後悔してもらう。
自然と悪い笑いが出たのを自覚し、ふふ、といつもの穏やかな笑顔でその表情を消した。
雅之さんは三人兄弟の末っ子。
どうやら、家業を手伝わない放蕩息子のようです?