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相生様メモ   作者: 大野 大樹
舞台裏
11/20

2.桜と桜の兄妹 ~紫苑の失踪(2)

「どうしたんですか? 」

 にっこりと‥いや、違うな‥微かに笑ったって感じがする‥品のいい青年‥いや、青年かな‥? どうなんだろ‥が目の前に立っていたのは、だけど、突然のことだった。

 気配がないってこういうのを言うんだろう。

 総ての世俗から切り離されたような、その人が、僕を見た。

 僕は、言葉を発することも忘れたみたいに、その人を見た。

 その人が着ているのは、着物だった。だから、‥身内だって思って、咄嗟に逃げようとしたんだ。

 西遠寺の人たちは、普段から着物を着ている人も多いからね。

 でも、‥この顔は見覚えがない。

 西遠寺の顔じゃない。あの、見るからに全員同じ血が通ってるよね、って感じるあの感覚がない。

 冷たく、何処か拒絶されたような‥そんな感覚がない。

「迷子? 」

 その人が僕を見下ろす。

 僕の視線は、小さな岩の上に座っているので、その人よりだいぶ低い。でも、立ち上がったところで、多分、その人より低いだろう。

 小さい子供を心配するような眼差しに、ちょっとムッとした。でも、あからさまに嫌悪感を抱いたわけではない。そういうのじゃなくって、ちょっと困った‥そんな感じだろうか。僕は立ち上がって首を振り、その人の正面に立った。

「お散歩ですか? ‥濡れてしまいますよ」

 穏やかに微笑んで、手にしていた和傘の中に招き入れてくれる。

 僕は、やっぱり黙ってそれに従う。近くなった距離に、自然とその人を見上げる。

 何なんだ。声が出る気すらしない。こんな馬鹿みたいに、呆けたみたいにぼんやり顔を見たり、聞かれてるのに答えずに首を振ったり‥。

 だけど、目の前の人物はそれを気にする様子はなかった。

 ただ、穏やかに目を細めて僕を見ていた。

「名前をお聞きしても? 」

「紫苑」

 驚く程、さらっと出た声に驚いたのは、だけど僕だけじゃなかった。

 その人も、少し、ほんの少し目を見開いた。そして

「紫苑君ですね」

 と、今度は華が咲くみたいにふわりと微笑んだ。

「さあ、こんなところに居たら、身体が冷えてしまいますよ。少し動きませんか? 」

 そりゃあ、そうだな。

 とも思う。

 しっとりと湿った服が、冷たい。

さっきまでの朝霧は、今では霧吹きで吹いた様な雨に変わっていた。もう早朝だというのに、雨のせいで辺りは薄暗い。いつの間にか雨脚が大きく成って来た。

公園には他に誰もいない。普段は、散歩を楽しむ市民も多いであろうが、今は、ただしんと静まり返って、まるで森の中に迷い込んだような錯覚を覚えた。

 公園というには、広すぎる公園。

 ちょっとした川があって、林(?)がある。川には、欄干もない細い木の橋がかかっている。雨でも降れば、つるつる滑って危ないので、今日みたいに小雨が降っているときには、ここに散歩に来るものはいないだろう。足元も悪くなるし、細く繊細な樹々は、雨宿りには向いていない。

 ざ、ざ、全く危なげなくない足取りで、草履を履いたその人は、歩く。僕の方が、時々ぬかるみに足を取られてふらついて、それをその人がさりげなく支えてくれた。

 小川に降る雨が小さな波紋をつくり、りーんという細い音が辺りに響いている。 

 しとしとしとしと、りーん

 それだけ。

 そこは、ただ静かな空間だった。

 見上げると、樹々の間に、真っ白な空が見えた。雲すら見えない、‥ただ真っ白な空。それを細い枝の樹々が取り囲んで、雨が上から上から降ってくる。

 傘から出て、暫くその様子に見入った。

 視界に、赤い和傘が入り、その人が僕の後ろに立ったことに気付いた。僕を傘に入れるために、その人が濡れたりしないだろうか。ふと、心配になった。

 ‥着物は洗濯が困難だし、‥なにより、風邪をひかせてはいけない。

 そう思って、傘を断ろうとしたら、タオルを渡された、

 濡れた自分の手に、その人の柔らかで温かい手が触れ、咄嗟に手を引っ込めた。

「濡れますよ‥」

 僕がそういっても、その人は只穏やかに笑うばかり。またタオルを勧めてくれた。

「‥すみません」

 手渡されたタオルを遠慮なく借りる、

 ふんわりとして、なんだかいい匂いのするタオルだった。

 これは‥お香だろうか? 柔軟剤やなんかの人工的な香りとは違う、優しい香りがして、いかにもこの世俗離れした持ち主に似合っていた。


 一応は、僕も名家の子息という奴だ。危機感、とか常識なんて、掃いて捨てる程あるつもりだ。

 考え得るだけの、『危機的状況』も頭に叩き込まれている。

 だけど、‥その統べてが今の状況に一致しないように思えた。

 この人は、本当に‥身内じゃないのだろうか。とすら思える。

 兄だとかそういった親しい間柄の様な気安さをその人に感じた。

「帰るよ」

 って言われても、何ら自然に頷けるくらい。

「そうだなあ。雨だしなあ。濡れるしなあ。仕方が無いなあ」

 って。

 だから、僕はその人の後ろをぽつりぽつりとついて行った。

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