背中
「待って!」
私の叫んだ声は彼には届かなかったみたいで、彼は人垣の中へ走り去って行った。
いつもそう、彼は呼んでも私の為に振り向いてはくれない。
「すみません!」
人垣を掻き分け、隙間に体をねじ込む。
なんとか通り抜けると、そこは縁日だった。
「見つけた、待ってよ!」
私の進行を遮る様に向かってくる人々をかわす。
「あっ!」
足を捻ってしまい、地面に倒れた。
「痛い……」
いつの間にか鼻緒の紐が切れていた。
「もう疲れた、かな」
いくら追っても彼には追い付けない、私はただ隣を一緒に歩きたいのに。
そう思った時、
「大丈夫?」
誰かが声をかけてくれ、手を差し伸べてくれた。
「ありがとう」
私は彼だと思い手を伸ばしたが、ただ宙を彷徨っただけだった。
「え?」
目線を上げると彼はまた私を置いて去っていく、その後ろ姿が見えた。
「なんで? 待ってよ!」
彼を追いかけ、ようやく手が届きそうになった。
けど。
「ウッ!」
目の前が眩しく、反射的に目を閉じる。
「眩しい!」
瞼から入る光の強さが弱くなってきた。
恐る恐る瞼を開くと、そこは会社だった。
私と彼が働く会社、その休憩室。
彼はだれかと親しそうに話をしているみたいで、こちらには目もくれていない。
「あの」
私がそう声をかけようとした時に、ふいに後ろから声をかけられた。
「これ、落としましたよ」
その人の手には私のハンカチが握られていた。
私はそんな事より彼と話をしたかった。
ハンカチを無言で受け取り、彼の方に目を向けると彼は私に背を向けていた。
「またなの」
そう言った瞬間、彼は休憩室の出口のドアノブに手を掛けていた。
「お願い、待って!」
その願いは届かず、彼は部屋を出て行ってしまった。
「なんで聞こえないの?」
そう言いながら、私も続いた。
ドアノブがガチャリと音を立てて回り、ドアが開く。
私はその先へ吸い込まれる様に入った。
そこは、
「私の、部屋?」
見間違うはずがない、そこは私が会社に入ってから一年の間、毎日帰って来た部屋だった。
けど、
「なんでここに?」
今まで彼を追って彼との思い出の場所を巡っていた、不思議とそのこと自体に違和感を覚えていなかった。
けど、
「彼はここに来た事ないのに」
そうこれは夢なんだろう、私の夢。
彼をずっと追って来た私の夢。
そしてそれは叶わない夢。
「分かってた、見ない様にしただけで」
彼の隣には私じゃない彼女が居たのに、私は見ない様にとずっとしていた。
けどそれも終わりを見てしまった、彼の結婚式の案内が届いた。
届いてしまった。
私の追っていた彼は、私とは別の道を進んでいく。
もう彼を追えない、追ってもどうしようもなくなったんだった。
「思い出した」
たぶん玄関の棚の上には彼と彼女の名前のある手紙が置いてある。
「見たくないな」
ガチャリ。
呟いたと同時に、玄関の扉が開かれた。
「誰?」
黒い影が部屋の中に入り、
ドン。
その影が私に接触した。
「あれ?」
私はこの事を覚えていた、前も同じ事があったと。
「なんで」
影が話し始めた。
「なんで君は彼ばっかり」
お腹が痛み、その場所を触れる。
「僕だって君を」
指先がドロッとした液体で塗れる。
「君をずっと見て」
その色は赤く、
「ずっと追っていたのにぃ!」
刺さったナイフは黒く、そして私の体を貫いていた。
「なんで無視するんだよぉ!」
そのナイフを影は引き抜き、上から下に私の顔目がけて下ろす。
「痛い!」
顔全体が熱いのに、体の中はどんどん体温が下がっているのが分かる。
「僕を、無視するなよ」
黒いナイフがお腹の穴の中に再度入る、影はそのままナイフを何度も何度も私の体に押し込む。
「痛い、寒いよぉ!」
いくら叫んでも彼は聞いていないみたいだ。
「無視するなよ、無視するなよ!!」
「痛い!」
「無視するな!」
何度も何度もナイフが刺さる、体の中の液体はもうなかった。
「いたいよぉ」
私は思い出した、すべてを。
私は彼に殺された、そう同僚のストーカーに。
なんで?
私が彼に何をしたの?
けど、彼の気持ちも少しだけわかる。
好きな人を追いたくなる気持ちだけは、同じだから。
「いたいよ……」
窓から入るステンドグラスを通したかのような綺麗な光が、私の十字に割けた体を照らしていた。
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ちなみに、途中で手を差し伸べた人と影は同一人物です。