序 一度、人が死ぬほど嫌いになったら
お題は『夜空』『スープ』『夢』です。
#3dai
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俺はどうやら本当に見えなくなってしまったようだ。こんなことを言ったら中二病だなんて揶揄されそうだが、今日確信した。こんな話、誰が聞いてもばかばかしいと思うだろう。俺もそうだった。透明人間だなんて小説や漫画の中だけの話だと思っていた。だけどついさっき、俺の姿が消えているのを自身の目で見てしまったのだ。いや、消えているのに“見た”っていうのも何だかおかしな話だが。
その時、俺はいつもの地下鉄に乗り換えようと駅の改札へ向かう階段を降りていた。俺が歩いていたのは下り階段だったが、何人か逆流しながら上ってくる人がいた。その内の一人のサラリーマンが俺に向かって歩いてきた。俺は、こっちは下り階段なんだ、向こうが避ければいいだろうと思いそのまま真っ直ぐ進んだ。
その人に俺を避ける気がなさそうだと気づいた時にはもう遅かった。何せ向こうは俺のことが見えていないかのようなスピードで歩いてきたから。俺はそのサラリーマンと真正面から激突して階段を転げ落ちた。幸い二、三段下に踊り場があって俺たち二人とも怪我はなかったが、彼の持っていたビジネスバッグの中身が盛大に飛び散ってしまった。
俺はすぐさま謝ってバラバラになった書類を集め始めた。周りの人のいかにも迷惑だといった視線を浴び、自分の顔が赤くなるのを感じた。ぶつかったサラリーマンといえば、いてて……と少しうめいた後、不思議そうに辺りを見回していた。
「大丈夫ですか」
親切にも声をかけてくれたのはもう少し年輩の別のサラリーマンである。彼は踊り場にかがみ込んで鞄の中身を拾うのを手伝ってくれた。
「すいません」
俺はとりあえず謝ってみたが、彼はこちらには目もくれずに俺がぶつかったサラリーマンと喋りだした。
「いや、お恥ずかしい。まだこの年なのに階段でつまずくなんて」
どちらのサラリーマンも俺には何も言ってくれない。まるで俺がそこにいないかのように。
二人は手早く書類をまとめると立ち上がった。俺は紙束を手に持ったまま言った。
「あの、書類……」
だが俺が言い終わらない内にそのサラリーマンは年輩のサラリーマンにお礼を言ってその場を立ち去ろうとした。
「すいません! 書類、落としましたけど!」
俺が半ば怒鳴るようにして言うと、二人ともぎょっとしたような顔をしてこちらを見た。声にびっくりしたというよりは後ろから驚かされた時の顔に近かった。
「え? あ、ああ。ありがとう」
彼はぎこちない仕草で書類を受け取ると、足早に人混みの中へ消えていった。
何だったんだ、今のは……? これじゃまるで俺が見えていなかったみたいだ。
そう思って、俺は反射的に壁にある額入りの広告に目を向けてみた。するとどうだろう、何もなかった額のアクリル板にフェードインするかのごとく俺の姿が映っていくのが見えた。
もちろん自分の目を疑った。だが俺ははっきり見てしまった。自分の姿が消えているのを。他の人は幻覚、あるいは妄想だと言うだろう。俺もそうだったらいいと思っている。だけど、あっ……
「おはようございます」
……ほら、気づいていない。今の校門前に立っていたのは生活委員であいさつ運動とかいう活動をやっている人だ。この近さで今の俺の声が聞こえない訳がない。なのに気づかれなかった!
俺は階段での一件の後も、何人もの人とぶつかりそうになった。しかし四六時中見えていない訳ではなさそうだということも分かった。どうやら意識していないと時々見えなくなるらしい。またぶつかるということは、つまり実体はあるということだ。そして大声で呼びかけたり肩を叩いたりして無理やり視界に入ると、相手は突然目の前に俺が現れたみたいに感じるようだ。
確かに俺は高校に入ってからもそんな感じだ。後ろにいると思ったらいつの間にかいなくなってるとか、逆にいないと思っていたら後ろから声をかけられてびっくりするとかよく言われる。だけどもこんな経験は今までしたことがない。
最近は漫画やライトノベルなんかで「もしも透明人間になったら」みたいな話をよく見かける。透明人間と聞けば皆、女子更衣室を覗きに行くだとか無賃乗車し放題だとかそんなことを考えるのだろう。だが実際はそんな悠長なこと言っていられない。
もう脱靴場を過ぎてしまった。これから廊下を通って教室に入るまでの間に一体何人とすれ違うのだろう? その中に俺のことが見える人は何人いるのだろうか?
そもそも教室に入ったところで誰か俺に気づいてくれるのだろうか。俺は一体どうなってしまうんだ?
続
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Apr.20,2016 すずき やすはる