仮想世界の少女3 四つの神器
アドラスの黒竜は、壁の前から動こうとしない。
歌世がログインした時には、ヤツハ、シュバルツ、ゴルトスが既に準備を終えていた。
黒龍の後ろにレンガ造りの壁がある以外は、黒一色に包まれた世界だ。
「設定はイグドラシルと同じみたいね」
自身の武器やパラメーターを見て、歌世は言う。
今回のことは、ゲームではすまない。その緊張感が、四人の間に漂っている。
「ちょっと厳しいですね」
シュバルツが、ブレスのダメージを軽減する法術を全員にかける。
アドラスの黒竜は攻撃力の高いモンスターだ。プレイヤーキャラの耐久力では、その攻撃に耐えることも難しい。
イベントダンジョンでシュバルツ達が勝ったのは、シンタの盾があったからのようなものだろう。
「やるしかないでしょ」
歌世は、黒竜を眺めて言う。
「これは、イグドラシルを守る戦いで、新太くんを助ける戦いなんだ」
三人は、重々しく頷いた。
「俺も、前衛をやります」
シュバルツがそう言った瞬間に、彼の靴が変わった。それまでの革靴から、踝までを隠す銀色の靴へと変わっていた。
ヤツハもそれに応じたように、杖を変える。赤く重々しい宝石が入った、白銀の杖だった。
歌世の手には白銀の槍があり、ゴルトスの手には白銀の鎚がある。
そうして、四人は歩き出す。
いずれも、神器の持ち主であり、イグドラシル屈指のプレイヤーだ。
そして、一定の距離に近付いた瞬間、黒竜が吼えた。
シュバルツが走る。
それを追い抜いて、ヤツハの放った氷の嵐が黒竜へ肉薄する。
それは黒竜の火炎の息を押していった。
シュバルツが跳躍し、自らの体ほどもある黒竜の頭部を蹴り飛ばした。
黒竜の口が閉じる。その顔に、氷の刃を伴った風が叩きつけられる。
その首に、白銀の鎚が襲い掛かる。
しかしそれは黒い尾によって弾かれた。
ゴルトスの巨体が、地面を数度はねて転がる。シュバルツはその傍に駆け寄り、治癒法術を唱えた。
その二人に向けて放たれた火炎を、突如盛り上がった三枚の土の壁が塞いだ。
一枚目の壁が破られ、二枚目の壁が崩れ落ちようとする。
それが三枚目に至る前に、歌世の槍が黒竜の喉を切り裂いていた。
黒竜は痛みに身をよじりながらも、尻尾での反撃を試みる。
歌世はそれを回避すると、相手の胸部に槍を突きたてた。
しかし、まだまだ致命傷には至らない。
歌世は鋭い尻尾の振りを回避しつつ、距離を取った。
黒竜は怒り狂い、吼えては炎を吐く。
そうして再び、氷と炎がぶつかり合う。
「だから素早さを上げろと言ったんだ」
ゴルトスに歌世は言う。
「耐久上げたから生き残ってるんだ」
ゴルトスが鬱陶しげに返す。
「人って不条理な生き物ね」
暗黒の空間で、少女が躊躇うように言う。
「理想の生き方がいくらでも出来るのに、それに近寄ろうとしない。最適解じゃなくて、無難な答えへ近寄ろうとする。ゲームの世界が大好きな癖に、辛い現実で居場所を保とうと足掻く」
「それが生きるってことだよ。人には世間体っていうものがある」
「個体の幸せより、集団の和が大事なの? 私には、理解出来ないわ」
少女は言う。
少女は、ゲームの外に広がっている世界が本当にイメージできていないかのようだ。
「私なら、最適解だけを選び続ける。皆も、そうあるべきだと思う」
「今のこれは、最適解とは言えないだろ」
シンタは苦笑する。
「君も十分に矛盾しているよ。どうすればイグドラシルが良くなるかばかり考えても、君にメリットはないじゃない」
問われて、少女は考え込む。
長い話を経て、シンタは、彼女の心がなんとなく判る気がした。
「君は、理解されたいだけなんじゃないか」
シンタの言葉に、少女の表情は初めて強張った。
歌世が、黒竜の頭部に昇る。それを尾で追い払おうとして、黒竜は自らの顔を打った。
苦悶の叫び声が上がる。
そしてそれは、十分な隙となった。
いつしか黒竜の傍に忍び寄っていたゴルトスの鎚が、白銀の輝きを放ちながら黒竜の腹部へと吸い込まれていった。
皮がえぐれ、内臓と骨が潰れる生々しい音が響き渡る。
そうして、黒竜は苦悶の表情のままに消えていった。
「お疲れ」
歌世が片手を上げる。
ゴルトスは苦笑いして、それを自らの掌で叩いた。
その時、ヤツハの表情が強張った。
その視線の先に目をやり、歌世も自らの表情が強張るのを感じた。
そこには、全身を鎧で隠した白い騎士が、剣を構えて立っている。
四人は、白騎士と向かい合った。
一瞬で、歌世と白騎士の間にあった距離が消えた。
鋭い刃が、歌世目掛けて振り下ろされる。
槍の柄でそれを受け止めた歌世だが、力が違いすぎる。押されて、膝を折った、
白騎士の頭部に、シュバルツの靴底が突き刺さる。
白騎士は倒れ、地面を転がったが、立ち上がったその姿にダメージは感じられない。
氷柱の雨が白騎士へ襲い掛かる。
それは騎士を覆う風を突き破り、鎧にぶつかって弾かれていく。
歌世は、引くわけにはいかなかった。
新太の救出にも、イグドラシルの世界を守るためにも、この敵を倒す必要がある。
しかし、延々と相手が敵を送り続けてきた場合は、その遊びに付き合わずに、しかるべきところに連絡して新太を救ってもらわなければならないだろう。
残された手段は、限りなく少なかった。
「ずっと君はゲームを良くしようと頑張ってきた。それが、運営によって排除されるかもしれなくなった。怖いし、理解されたいんじゃないのか、本当は」
少女は考え込むような表情になった。
「わからないわ。怖いって感情は。私は、プログラムだから。消えることは死ではないはずだし」
少女の言葉を、シンタは全て真に受けたわけではない。
けれども、彼女が寂しいのだということは、わかる気がした。
「いずれ、皆、イグドラシルの世界を去っていく。君はそれが、寂しくて嫌なんだ」
「ええ、そうね。私は、それが嫌よ」
「けど、仕方がないことなんだ。エッグの外には世界が広がっている。外の世界の楽しみも、外の世界の交流もある」
少女は、初めて辛そうな表情を見せた。
シンタの中に、彼女を慈しむ感情が生まれていた。
そうすると、緊張が緩み、背もたれに体重を預けていた。
随分長い間、緊張状態を保っていた気がする。それが、少女が初めて見せた人間らしさのおかげで、緩んだのだ。
「昔、さ」
シンタは気がつくと、語り始めていた。
「宇宙の広さを想像して、泣いたことがある」
シンタの独白に、少女は戸惑うような表情になる。
「宇宙は広くて果てがない。その外側に何があるかもわからない。なら、ちっぽけな地球で死んでいく自分は蟻みたいなものじゃないかって、怖くなった」
少女は黙って、シンタの言葉の先を待っている。
シンタの言葉は、闇の中へ解けていく。
「君も同じなんじゃないか。イグドラシルの世界はいつか終わる。全ては過去になって消え去る。楽しいと思った空間も、賑やかだった場所も、無人になる。全ては闇に変える。それが怖い」
「何が言いたいの?」
少女の問いに、シンタは苦笑した。
「君は、人恋しくなったんだよ。友達が、欲しくなったんだ」
少女は、黙り込んだ。
「僕は日本に生まれた。日本はまだまだ長生きする。だから僕は、そこで生きるしかない。イグドラシルが永遠に続くなら、君の言葉を考える人もいるかもしれない。けれども、技術の発展はあっという間さ。イグドラシルはそのうち、他のゲームに押されて衰退し、その世界は終わる」
少女は眉間にしわをよせる。そして、シンタの言葉を咀嚼しようとするかのように、考え込んだ。
「じゃあ、私のやっていることも、やろうとしていることも、無駄ってわけ?」
「いいや」
シンタは、首を横に振る。
「きっと沢山の人が、君のおかげで楽しい思い出を作れた。それは、無駄なんかじゃない」
少女は、考え込んだ。
「君は努力した。そして、イグドラシルの世界で生きていくことにした。それを、俺は理解するよ。もっと多くの人が理解してもいい。ただ、現実に興味のない君と、現実世界に居場所を残した僕は、やっぱり全て同じにはなってあげれないんだ」




