囚われの姫2 ボス軍団
イグドラシルの世界にログインした途端に、シンタはいつものパーティーの仲間達と、ヤツハとシュバルツに迎え入れられた。
「さあ、ダンジョンを冒険しに行こう」
ヤツハが言う。
全員、準備万端といった様子だ。
待っていてくれたことが嬉しくて、シンタは頬が緩むのを抑えきれない。
「目指すは最下層一番乗り。まだ一番進んでる奴で七階らしいからな」
そう言うのは、シュバルツだ。
現在時刻は四時半。三時開始でまだ七階とは、尋常ではない。
本当に一番乗りを目指すならば、シュバルツには他にレベルの高い知り合いがいるだろう。それでも付き合ってくれる彼に、シンタは感謝した。
「二階の迷路の地図、ネットに上がってるから短縮できるよ」
そう語るのはリューイだ。
「ダンジョンに近い町へは、飛行船で行こう」
レルが言う。古代遺跡に通っている間に、初心者だった四人の間にも、飛行船を使う余裕は出来ている。
「よし、行こうか」
シンタは飛行船乗り場に向かって歩き始める。
この心強い仲間達がいれば、ダンジョンでもボスでもかかって来いという気持ちになれた。
最寄の町から五分ほど歩くと、件のダンジョンが見えてきた。
不気味な外観だった。土色の壁には、所々に悪魔や怪鳥を象った悪趣味な模様が刻まれ、その上には植物の蔦が絡まっている。
上から見れば、円形に見えるだろう一階建ての建物だ。
入り口から先は、暗くて内部が見えない。まるでそれは、魔物の口のように冒険者を死地へと誘うのだ。
シンタはパーティーの先頭に立つ。その横に並ぶのは、シュバルツだ。
「前衛不足だからな。俺も前に立つぜ」
彼の耐久力は、シンタよりよほど高いだろう。
そうして、二人を先頭にして、六人はダンジョンの中へと入って行った。
松明を持つのは、スイだ。
入ってすぐに、地下への階段があった。
「なんかドキドキするね」
ヤツハが言う。
「私も緊張で、とちっちゃいそう」
「やめてくれよな」
レルの言葉に、スイが苦笑交じりに言う。
ダンジョンの地下一階は、人が五人ほど並んで歩けそうな、広い道だった。
所々で、水滴が滴り落ちる音がする。
道のあちこちに設置された松明が、暗い闇の中で人魂のように浮かび上がっている。
スイはそれを見て、自身の松明をアイテムボックスにしまった。
「最下層にお姫様がいるんだっけ」
歩きながら、シュバルツが言う。
「美人ならいいな」
パーティーメンバーが苦笑いを浮かべ、空気が緩んだ。
「そりゃ、美人でしょう。作り物なんだから」
苦笑交じりにそう言うのは、ヤツハだ。
「わからないぜ。俺なら捻くれて、筋肉ムキムキの姫様を配置するかもしれない」
「そのお姫様なら、自分で脱出できそう」
スイが言って、皆が自然な笑顔になる。
シュバルツは、皆の緊張をほぐそうとしたようにシンタには思えた。
結局、地下一階では戦闘はなかった。
各々、ほっとしながら地下二階へと進んだ。
本格的な戦闘が始まったのは、地下三階からだった。
道の狭い迷路だった地下二階とは違い、そこは広間だった。
部屋のあちこちに配置されていた猛獣達が、シンタ達に殺到する。
牙の鋭いサーベルタイガー、二メートルは超えるだろう怪鳥、斧を持ったゴブリンが、次から次へと駆けて来る。
ヤツハの杖が光り、炎を帯びた嵐が魔物達を薙ぎ払う。
それに数テンポ遅れて、レルの炎が舞い狂う。
しかしそれも、魔物達の前衛を潰したに過ぎない。
敵はまだまだ、次から次へとやってくる。
ヤツハら後衛は階段に陣取り、それを囲むように前衛達は前に出ている。とにかく隙間を作らずに後衛を守るというシュバルツの意見によるものだ。
この頃には、シンタ達のパーティーは十二人までに膨れ上がっていた。
途中で迷子になっていた人々や、地下三階の手前で、モンスターの群れに怯んで足踏みしていた人々を仲間に加えたのだ。
ダンジョンに入った人間が十二人程度というのはどう考えても少ないが、シュバルツはこう考えた。
「多分、このダンジョンは、一個じゃないんだ。例えばダンジョンAに一定数の人が集まると、次に入る人は同じ外見のダンジョンBに飛ばされるようになる、とかな」
確かに、そうしなければ人海戦術であっという間にダンジョンはクリアされてしまうだろう。
「同じパーティーに入っている人は同じダンジョンに飛ばされるように、特別な配慮もされているかもしれない。パーティーに入りきるメンバーだと、人海戦術にもならないしな。そうなると、一定数を保つためにどんな法則が適応されているのやら」
それは、シュバルツにも見当がつかないようだった。
前衛達は盾と剣で魔物達を抑え、後衛達の呪文と矢は確実に相手の数を削っていく。
そうして気がつくと、地下三階の広いフロアから敵は消えていた。
「いけるね、このパーティー」
途中で仲間になった男が、楽しげに言う。
「これは最下層まで行けるかもしれないぞ」
そう言ってはしゃいでいるのは、烈火の騎士だ。彼は、失念しているのか、知らぬふりをしているのか、シンタの存在には触れないでいる。
この時間帯にまだこの階にいるということは、何度か死んで町に戻っているのかもしれない。
地下四階には、モンスターはいなかった。
その代わり、狭い通路に、綺麗な壁画が描かれている。
魔王が姫に恋焦がれ、攫うのを、母親が魔界まで追っていくというストーリーのようだった。
その結末を見る前に、地下五階へと繋がる階段が見えてきた。
階段は血に濡れ、そこには下半身を失った男が転がっていた。
雰囲気を盛り上げるための背景だろうかと思ったが、違った。
彼の目が動いたのだ。
どうやら、倒されたプレイヤーキャラらしい。
「この先は気をつけたほうがいいぞ。ボスマップだ」
親切にも、それを告げるためだけにこの場に居残ってくれているらしかった。
早速、遺体を囲んでの作戦会議となった。
「出るボスはなんだ?」
シュバルツが問う。
「時間によって変わるのかもしれないが、俺が入った時にいたのは、ワイトキング、ネルソン、黄竜、ミリアだ」
シュバルツは唸った。
「俺なら、一人でワイトキングを倒せるが」
そう語るシュバルツに、負けまいとヤツハも口を開く。
「私もミリアかネルソンなら、一人で倒せるわ」
その言葉に、どよめきが起きた。新規組が、心強い仲間に喜んでいるようだ。シンタはそれが、どこか照れ臭い。
「僕達は四人で、ネルソンを倒した経験があります」
リューイが言う。
「残り六人がいれば、黄竜ぐらいなんとかなるな」
そう言ったのは烈火の騎士だ。
「なら、各々の健闘を祈ろう。六階でまた会おうってな」
シュバルツが手を差し出す。ヤツハがその上に手を重ね、シンタもその上に手を置く。
十二の手が重なった。
「目指すは最下層だ。死ぬなよ」
シュバルツが言う。
「俺、この戦いから帰ったら結婚するんだ」
早速死亡フラグを立てた烈火の騎士の頭部に、シュバルツのチョップが突き刺さった。
「行くぞ」
笑いながらも、即席パーティーはボスのいる階へと下り始めた。
「仇を討ってくれよー」
どこか情けない応援が、背後からした。
五階では、熱戦が繰り広げられた。
不死のミイラであるワイトキングを、シュバルツが聖なる祈りで浄化しようとし、ダークプリーストであるミリアとヤツハの魔術合戦が繰り広げられる。
ミリアの黒い炎は、吐き出されるたびにヤツハの操る炎の竜に飲み込まれた。
シュバルツは、時にはワイトキングの攻撃を盾で防ぎ、時には相手を蹴り飛ばして距離を取りながら、法術の詠唱を続ける。
六人の仲間達は、自分達の数倍の身長を持つ黄色い竜に群がる。
そして、シンタ達はネルソンとの三度目の対峙を果たしていた。
始めて見た時は、死と絶望を背負っているように見えたその巨体が、今はただの障害物にしか見えない。
「行くよ」
シンタが言って、駆け出す。
ネルソンの咆哮が、壁を揺るがす。その分厚い刀を、シンタは盾で受け止める。
そして、相手の太い腕を、刃で突き刺した。
呻き声を上げるネルソンに、矢の追撃が襲い掛かる。
そして、かつての時より遥かに短縮された時間で、炎の嵐がネルソンを中心にして舞い上がった。
ネルソンは痛みに狂ったように刃を振り回す。
その刃を盾で受け、シンタは剣を振るう。
いつしか矢が相手の両目を射抜き、攻撃はますます雑になる。
シンタは黙々と、回避と防御と攻撃を繰り返した。
シンタ達四人は、最初は弱かった。ネルソンに勝てるなんて思いはしなかった。けれども、今ならばこんなに容易く戦えるのだ。
いつしか、ネルソンの鎧が赤くなっていた。
「来るぞ」
言う必要もなかった。スイが、魔法耐性を高める法術を唱え終えている。
そして、レルの作った風の壁がシンタ達を覆った。
ネルソンの放った風の刃は、壁に吸収されて弱まり、かすり傷をシンタ達に与えただけだった。
リューイの矢が光を放ち、ネルソンの心の臓を貫通して遠くまで飛んで行った。
シンタの剣が、ネルソンの腹を裂いた。
レルの炎が、ネルソンの全身を包んだ。
ネルソンは、鎧すら残さずこの世から消滅した。
ワイトキングとシュバルツの戦いは、まだ続いていた。
炎の呪文を繰り出すワイトキングに対し、いつの間にか左手の肘から先がこげているシュバルツは、浄化の祈りを捧げる。
その瞬間に、ワイトキングの頭上に光の点が生まれた。それは、あっという間に彼の全身を包むほどの球体となった。
眩い光が、ワイトキングの体を削り取っていく。
黄竜は、六人の冒険者に群がられ、苦しげに首を振っている。
ヤツハは既に自らの敵を倒したらしく、鋭い氷の刃を放って黄竜退治を手伝っていた。
完勝まで後一歩だ。シンタ達は、仲間達の援護へ駆けた。
そうして終わってみると、一人の死者もなく地下五階を抜けることに成功したのだった。
佳代子は、果ての見えぬ渋滞の中にいた。
車を飛ばして家に帰り、今頃はイグドラシルオンラインのイベントを堪能しているはずだった。
しかし、この調子ではそれが叶うのはまだまだ先になりそうだ。
思わず天を仰いだ佳代子だった。
ポケットのパネルフォンが振動した。
画面には、懐かしい名前が表示されている。自分とイグドラシルオンラインを結びつけるきっかけになった人物の名前だ。
佳代子はパネルフォンを通話モードに切り替えると、助手席に置いた。
「久々ね、隆弘。元気にしてる?」
「いや、あまり元気じゃない」
久々に会話をする相手の第一声としては不合格だ。佳代子はついつい眉間にしわをよせる。
「どうしたのよ。奥さんに逃げられた?」
「いや、ある意味それより性質が悪い」
それより悪い出来事など、中々想像がつかない。借金でも背負わされたのだろうかと、冗談交じりに考えた時のことだった。
「イグドラシルが、ハッキングを受けた」
佳代子は、なるほどと思った。イグドラシルオンラインは、その運営部に所属する隆弘にとっては飯の種だ。
それが異常事態を起こしたとあっては、冷静ではいられないだろう。
そうして隆弘が事情を話していくうちに、佳代子は眉間の皺が深まっていくのを感じた。
「サーバーを止める訳にはいかないの?」
「上が許可を出さない」
「なるほどね」
例のイベントが大好評なのは、佳代子も掲示板を見て知っていた。
「イグドラシル経由でエッグがハッキングされたら、大騒ぎになるわよ。それ以前に、個人情報だって漏れるかもしれない」
それは隆弘も察しているのだろう。苦い口調になる。
「上は、何かを知っているのかもしれん。なんでこんなに腰が重いのか、俺達も困惑しているんだ。とりあえず、今日はログインを控えたほうがいい」
「……わかった」
佳代子は、隆弘にそう伝えて、電話を切った。
けれども、ゲームの中には、たくさんの仲間がいる。それを放置して、自分だけ安全な場所にいられるだろうか。
佳代子はゲームの知人全員にメールを送り始めた。
しかし、返事は来ない。
佳代子は車上で、祈るような気持ちでいる。




